第19話

文字数 8,433文字

 …警戒警報、発令中…

 私の頭の中に、そんな気持ちが芽生えた…

 これは、入院以来、初めて…

 初めの経験だった…

 思えば、私もトロくなった…

 それが、偽らざる本音だった…

 寿綾乃の本名は、矢代綾子…

 寿綾乃になりすましているに過ぎない…

 その秘密が白日の下に晒され、直後に、ジュン君の運転するクルマにはねられて、入院した…

 それをきっかけに、緊張感がなくなった…

 緊張感が、消失した…

 もはや、私には、なにも隠すものがない…

 失うものが、なにもない…

 そんな開き直りに似た気持ちが、緊張感を失わせた…

 まるで、仮面をつけて生きてきた人間が、仮面を脱ぐ…

 すると、仮面の下に、どんな素顔が隠されているか、世間のひとは、知りたがっていたと、思っていて、それを晒すことに怯えていたが、いざ晒してみると、たいした反響はなかった…

 それと、似ている…

 だから、脱力感といおうか、ホッとする気持ちが先行して、緊張感が、なくなった…

 なにより、病と事故という、二つの危機が、同時に、私に、到来して、それどころじゃなくなったという気持ちもあった…

 いや、

 それが、すべてだった…

 だが、

 これは、危険…

 危険、極まりない…

 あの勝新太郎が演じた座頭市の最期は、目が見えなかった市が、ある日、目覚めると、目が見えるようになった…

 が、それがきっかけで、戦いの際に、なまじ、目が見えたことで、それまで、目が見えないことで、相手の動きを読んでいたのが、できなくなり、目に頼ることで、敵にあっけなく切られて死んだ…

 それと、似ている…

 矢代綾子が、寿綾乃と名乗っていることを、誰にも知られたことで、誰にも隠すことがなくなり、それゆえ、緊張感がなくなり、周囲のひとの動きが読めなくなった…

 それと同じだ…

 つまり、このまま、進めば、私も座頭市同様惨めな死が待っているということだ…

 遅ればせながら、それに気付いたのが、良かった…

 私は、思った…

 とにかく、緊張するに、限る…

 警戒するに、限る…

 私は、傍らの佐藤ナナを見ながら、考えた…

 私は、佐藤ナナと廊下で、ゆっくりと、リハビリルームに向かって歩いていた…

 これは、ここ数日の毎日の習慣になっていた…

 佐藤ナナに見守られながら、ゆっくりと、病院の廊下を歩く…

 最初のときは、文字通り、病室を出ることもできなかった…

 松葉杖をついても、二、三歩が、せいぜい…

 それでも、自分一人で、立ち上がることができたことに、感動した…

 それからは、毎日が、その延長というか…

 二、三歩が、五、六歩になり、やがて、十歩を超える…

 十歩が二十歩になり、それが、三十歩、四十歩と、増えてゆく…

 そんな感じだった…

 すると、最初はぎこちなかった、足元が、少しずつだが、慣れてきたというか…

 たとえ、五、六歩でも、これ以上、歩けないだけで、歩くコツは、掴めた状態…

 これは、例えば、自転車に乗るコツを覚えたのと、似ているのかもしれない…

 あるいは、スケートでも同じ…

 要するに、コツは、掴めた…

 あとは、ただ歩くだけだ…

 ただ、体力が追い付いていないというか、カラダが、満足に動かない…

 だから、わずか、数歩歩けるだけ…

 ただ、わずか、数歩でも、歩けたことで、コツは、掴めた…

 あとは、日々、進化する=回復する肉体を待てばいい…

 日にちが経つごとに、少しずつだが、肉体が回復して、歩けるようになってきた…

 ただし、まだ松葉杖なしでは、歩けない…

 だが、それでも、歩けないよりも、マシだった…

 ただ、病院のベッドの上で、寝ているときよりも、はるかにマシだった…

 「…寿さん…ゆっくり…焦ってはいけません…」

 私は、佐藤ナナに見守られ、あるいは、ときに、介助されながら、ゆっくりと、病院のリハビリルームに向かう…

 やっと、リハビリルームに通うことができるほど、カラダが回復したということだった…

 たしかに、この調子ならば、長谷川センセイの言う通り、半年以内に、この病院を退院できるかもしれない…

 思わず、そんなことが、脳裏に浮かんだ…

 そんなときだった…

 「…こ…寿さん?…」

 と、驚いた声が、近くでした…

 私は、慌てて、その声の主を見た…

 それは、冬馬…

 菊池冬馬だった…

 白衣を着た、この五井記念病院の理事長、菊池冬馬だった…

 「…こんにちは…」

 私は、とりあえず、言った…

 本当は、お久しぶりです、と、言いかけたが、この菊池冬馬とは、二週間前に、会ったばかりだった…

 意識が回復して、まもなく、病室で、出会ったのだ…

 わずか、二週間前だが、遠いといえば、遠い…

 わずか、二週間前は、ベッドの上で、起き上がることもできなかったのだ…

 それを思えば、隔世の感…

 今、こうして、松葉杖を突きながらも、病院の廊下を歩く、今の自分とは、隔世の感だった…

 「…驚きました…」

 菊池冬馬が、口を開いた…

 「…長谷川から、寿さんが、松葉杖を突きながらだが、歩けるようになったと、聞いていましたが、まだ、この目で見るまでは、ちょっと、信じられなかった…」

 「…」

 「…わずか、二週間で、ここまで、回復するなんて、まさに、驚異的だ…」

 菊池冬馬が、感嘆する…

 「…寿さんは、美しいだけでなく、強いんですね…」

 菊池冬馬が、言った…

 しかし、その言葉の内容とは、裏腹に、目は、挑戦的と言おうか…

 どこか、ケンカを売っている、感じだった…

 要するに、険のある目で、私を見ているのだ…

 いや、文字通り、見下ろしていた…

 長身の菊池冬馬が、160㎝の私、寿綾乃を見下ろしていた…

 いや、

 見下していたというべきか…

 険のある目で、冷ややかに、私を見下していた…

 …一体、なぜ、こんな目で、この菊池冬馬は、私を見るのだろう?…

 と、不思議だった…

 私が、この菊池冬馬になにか、したのなら、まだわかる…

 しかし、私は、この菊池冬馬になにもしていない…

 にもかかわらず、どうして、そんな目で、私を見るのだろう…

 が、

 私の口を突いて出てきた言葉は、

 「…ありがとうございます…」

 と、いう言葉だった…

 ここで、冬馬と言い争っても仕方がない…

 ケンカをしても仕方がない…

 菊池冬馬は、私の挨拶に、

 「…」

 と、なにも、言わなかった…

 いや、

 単に言いたくなかったのかもしれなかった…

 冬馬が、私に好意を持ってないことは、一目で、わかった…

 なにより、好意を持った人間が、私を見下すように、見るはずがなかった…

 まるで、私を劣ったもののように、見ている…

 明らかに下に見ている…

 それは、わかるが、その理由がわからなかった…

 私を下に見る…

 私に敵意を抱く理由が、わからなかった…

 だから、私も、これ以上、

 「…」

 と、なにも、言わなかった…

 これは、冬馬も同じ…

 ただ、互いに、無言で、睨み合った…

 まるで、生涯の宿敵同士が、睨み合ってる感じだった…

 その空気を察した、佐藤ナナが、

 「…行きましょう…」

 と、私の腕を軽く掴んだ…

 「…理事長も、お忙しい身です…ここで、時間を潰すのは…」

 佐藤ナナが、言って、菊池冬馬に軽く頭を下げると、私をリハビリルームに急がせた…

 だから、私も佐藤ナナに従って、菊池冬馬に軽く頭を下げて、その場から去った…

 松葉杖を突きながらだから、びっくりするほど、ゆっくりとだが、少しずつ、菊池冬馬から、遠ざかった…

 菊池冬馬は、当たり前だが、私を追いかけては、来なかった…

 ただ、耳元で、

 「…やだ…理事長、振り返って、こっちを見てますよ…」

 と、佐藤ナナが、私に教えた…

 だから、私は、つい佐藤ナナに、

 「…あの理事長…どうして、あんな目で、私を見ていたんだろ?…」

 と、言ってしまった…

 佐藤ナナが、答えを知るはずがないにも、かかわらず、だ…

 愚痴ではないが、つい、言いたくなった…

 が、

 驚くべきことに、佐藤ナナは、その理由を知っていた…

 「…それは、簡単ですよ…」

 実に、あっけなく、言った…

 「…簡単って?…」

 「…理場長…この病院をクビになるって、噂が、今、この病院内で、飛び交ってるんです…」


 「…クビ?…」

 あまりにも、意外な言葉だった…

 菊池冬馬が、この病院の理事長をクビ?

 「…理事長の父親が、五井家と、うまくいかなくなって、五井家から追放されるという噂が、飛び交ってるんです…そして、父親が、追放されるとなると、息子の理事長も同じく、追放されるんじゃないかと、言われてるんです…」

 驚いた…

 たしかに、あの女傑の昭子が、怒っていたから、そういう展開になるのは、わかる…

 だが、

 こんなにも、早く、そうなるとは、思わなかった…

 いや、

 それだけではない…

 問題は、どうして、あの冬馬が、私を睨むのか?

 それが、問題だった…

 わからなかった…

 「…でも、あの理事長…どうして、私を睨むんだろ?…」

 私の質問に、

 「…エヘヘ…」

 と、佐藤ナナが、笑った…

 「…どういうこと? …なぜ、佐藤さんは、笑うの?…」

 「…寿さんのせいです…」

 「…私のせい?…」

 「…あの理事長、五井家のゴッドマザーを怒らせたんです…」

 「…ゴッドマザー?…」

 「…当主のお母様です…寿さんへの対応で、すっかり、ゴッドマザーを怒らせて、父親同様、五井家を追放されるという噂が、もっぱらです…」

 だからか…

 私は、佐藤ナナの言葉に、納得した…

 「…でも、どうして、佐藤さんが、そんなことを?…」

 「…病院は、女が多い…女は、なんといっても、噂話が好きだから…」

 佐藤ナナが笑った…

 佐藤ナナの言葉は、ひとつひとつ、私を納得させるものだった…

 と、同時に、佐藤ナナの能力に脱帽した…

 まさか、そんなことまで、知ってるとは、思いもよらなかった…

 やはり、この佐藤ナナには、警戒が必要…

 あらためて、私は、思った…


 菊池冬馬が、この五井記念病院から、追い出される?

 しかし、それに、私が関係しているとは、思わなかった…

 私、寿綾乃が関係しているとは、思わなかった…

 あの菊池冬馬が、この病室にやって来たとき、諏訪野伸明の母、昭子を怒らせたのは、たしかだ…

 しかしながら、それが、原因で、菊池冬馬が、この病院を追放されるとしたら、それは、おかしい…

 それではまるで、明智光秀が、本能寺の変を起こした原因が、信長に殴られたから、と言われた、あまりにも、子供じみた旧来の俗説と同じだ…

 そんなバカげた話は、普通ありえない…

 明智光秀は、有能な武将…

 配下に何万もの部下を従えている…

 その全員の面倒を見ることはできないが、配下の有能な部下の面倒を見ることは、光秀の義務だ…

 責務だ…

 彼らを路頭に迷わすわけには、いかない…

 たとえ、信長に殴られようと、それを恨みに思って、謀反を起こすのは、子供のケンカと同じだ…

 自分には、生活の面倒を見なければ、ならない大勢の人間がいる…

 それを考えれば、そんな単純な動機で、謀反を起こすわけがない…

 仮に、信長に殴られたとしても、それは、引き金に過ぎない…

 元々、謀反を起こしたいと思っていたが、大勢の人間の前で、信長に殴られたから、これで、ようやく謀反を起こす決心がついた、というように、だ…

 あくまで、トリガー…

 引き金に過ぎない…

 それと、同じで、もし、あの私の病室に、菊池冬馬が、訪れたとき、諏訪野伸明の母、昭子の機嫌を損ねたとしても、それは、単に、きっかけというか、引き金に過ぎないのでは、ないか?

 なにより、あのときの、昭子と冬馬のやりとりを、見ただけでも、昭子が、冬馬に好意を抱いているようには、見えなかった…

 はっきり言えば、嫌っているというよりも、匙(さじ)を投げた感じだった…

 やんちゃな甥っ子に、手を焼いた感じだった…

 それでも、一族だから、仕方なく接している感じだった…

 これは、私のみならず、あの場に同席すれば、誰もが、同じように、感じたに違いない…

 弟の息子だから、昔から知っている…

 が、

 だからといって、愛情があるわけではない…

 むしろ、その性格に、手を焼いている感じだった…

 なにより、冬馬の、その性格は、冬馬の父、国会議員、菊池重方(しげかた)そっくりと、昭子が、告白した…

 だから、あの場で、冬馬の行動を見て、昭子は、冬馬の父、重方(しげかた)を、思い出しのかもしれない…

 冬馬の行動に、重方(しげかた)を重ねたに違いなかった…

 なにより、重方(しげかた)は、自民党で、大場派に所属するにも、かかわらず、自分の派閥を作ろうとしている…

 菊池派を作ろうとしている…

 その菊池派を立ち上げるために、甥である、諏訪野伸明を、五井家の当主の座から、追い落として、自分が、当主になろうとしている…

 昭子にすれば、いかに自分の弟といえども、自分の息子を、追い落として、代わりに当主になろうなどとは、到底、受け入れられるはずもない…

 許せるはずもなかった…

 だから、どう考えても、菊池冬馬が、この病院を追放されるとしても、私が、関わっているというのは、間違っている…

 私は、思った…

 が、

 冬馬は、そう思ってないかもしれない…

 こう考えたのは、あくまで、私…

 私、寿綾乃の考えに過ぎない…

 当たり前だが、冬馬の受け取り方は、また違うはずだ…

 誰でも、そうだが、自分のことは、客観的に見れない…

 どうしても、甘くなりがちだ…

 傍から見れば、どんなに性格が悪い人間でも、自分のことを、性格を悪いと、思っている人間は、皆無だろう…

 それと同じで、周囲の人間は、菊池冬馬に手を焼いていても、案外、冬馬自身は、なにも感じていない可能性も高い…

 生まれながらの、お金持ちのボンボン…

 お金は、腐るほどある…

 仮に、100歳まで生きて、一生働かずとも、人並みどころか、それを優に超える生活ができるに違いない…

 そんな人間に、

 「…オマエは、性格が悪い…」

 と、言っても、どうこうなるはずもない…

 おそらく、

 「…貧乏人のひがみ…」

 の一言で、終わるに違いない…

 最初から、生まれたステージが、一般人とは、違うのだ…

 それを思えば、私が、間違っているのかもしれない…

たしかに、私は、一目見て、菊池冬馬が、嫌いだったが、それは、私が、菊池冬馬を、私と同等に見ているから…

仮に、私が、江戸時代の農民なら、菊池冬馬は、殿様…

となると、私が、殿様を嫌いだとしても、殿様が、私を嫌いになるだろうか?

普通は、歯牙にもかけないに違いない…

そもそも、私のことを、考えることもないに違いない…

そう考えれば、私が、やはり、間違っているのかもしれない…

私は、一般人…

菊池冬馬は、お金持ちの一族のボンボン…

対等ではない…

だから、菊池冬馬が、私を見下しても、不思議ではない…

そう、思った…

そう、気付いた…

が、

やはり、それでも、菊池冬馬に見下された視線で、見られたのは、いい気分ではなかった…

私と、菊池冬馬は、対等ではない…

同じレベルの人間ではない…

そう自分自身に、言い聞かせても、なお、菊池冬馬に見下されたのは、嫌だった…

心底、気分が悪かった…

そして、その感情が、いつしか、余計にリハビリに、力を入れることになった…

なぜなら、この病院から、早く退院すれば、あの菊池冬馬に会うことはなくなるからだ…

あの菊池冬馬の顔を見ることはなくなるからだ…

そう考えると、一層、リハビリに力が入った…

仮に、私が、諏訪野伸明と結婚すれば、同じ一族だから、やはり、なにかの席で、菊池冬馬と、顔を会わせることがあるかもしれない…

あるいは、諏訪野伸明と結婚するまでもなく、すでに、菊池冬馬は、五井家から、追放されて、二度と会うことはないかもしれない…

いや、

それを思えば、今、私が、こうして、一刻も早く、この病院を退院すべく、リハビリに励む間にも、菊池冬馬は、この病院を追放されるかもしれない…

それを思えば、必要以上に、リハビリに力を入れることもないかもしれなかった…

とにかく、菊池冬馬の顔は、二度と見たくなかった…

私は、その気持ちが強かった…

一言で言えば、虫がすかない男…

それが、私、寿綾乃にとっての、菊池冬馬だった…


そして、数日後、病室に長谷川センセイが、検診に訪れたときだった…

「…寿さん…この前、冬馬に会ったんですって?…」

長谷川センセイが、陽気に、私に聞いた…

「…ハイ…」

私は、短く、ぶっきらぼうに、答えた…

が、長谷川センセイは、そんな私の態度に気付かなかったらしい…

「…冬馬は、驚いてましたよ…」

「…驚いて?…」

「…寿さんが、思ったよりも元気で、驚いていました…」

「…」

「…いえ、ボクも、寿さんが、歩けるようになるのは、わかってましたが、寿さんの回復は、想像以上に速い…」

「…」

「…これは、ボクの想定外です…」

長谷川センセイが、陽気に言う…

私は、長谷川センセイの顔を見ながら、やはり、医者にとって、自分の担当する患者が、容態が良くなるのは、見ていて、嬉しいのだろうと、思った…

なにより、長谷川センセイの表情が、明るいのだ…

そんな長谷川センセイの表情を見て、

「…でも…センセイも残念ですね…」

と、同席した看護師の佐藤ナナが、口を挟んだ…

「…残念?…」

思わず、私も反応した…

「…だって、このままじゃ、寿さん、半年も経たないうちに、この病院を退院しちゃいますよ…」

佐藤ナナが、言う…

「…退院したら、長谷川センセイ、もう二度と、寿さんに会えなくなっちゃうじゃないですか?…」

佐藤ナナの言葉に、長谷川センセイが、

「…それは…」

と、口ごもった…

しかも…

しかも、だ…

長谷川センセイの顔が、赤くなった…

これでは、まるで、私を好きだと、告白しているようなもの…

しかも、まるで、子供…

小学生の男のコが、好きな女のコの前で、他の女のコから、

「…長谷川クンは、寿さんのことを、好きなんだよ…」

と、言われて、顔を真っ赤にしているのと、同じだ…

私は、長谷川センセイの態度が、あまりにも、露骨なので、驚くと、同時に、これでは、男女が、逆じゃないか? とも、思った…

女が、好きな男の前で、顔を赤らめるのは、わかる…

だが、

男が、好きな女の前で、顔を赤らめるのは、どうなんだ?

と、率直に思った…

たしかに、好かれるのは、嬉しいが、これでは、男女が逆…

あべこべではないか?

と、思った…

やはり、男たるもの、もっと颯爽としていなければ、ならない…

好きなら、好きと、はっきりと、自分の口から、言ってもらいたい、とも思った…

が、

さすがに、それを口に出すわけには、いかない…

だから、

「…センセイ…私、思ったよりも、早く退院できるかもしれないですね…」

と、話を変えた…

さすがに、長谷川センセイが、私を好きで、あろうとなかろうと、その話題をするのが、辛かった…

さっさと、話題を変えたかった…

「…たしかに、寿さんの言う通り…」

長谷川センセイも、真っ赤の顔のまま、私の質問に答えた…

長谷川センセイが、私を見据えて、言う…

「…寿さんの言う通り、半年も経たないで、この病院を退院できる見込みが、大きい…」

私は、その言葉に、飛び上がらんばかりだった…

予想された言葉とはいえ、担当医から、その言葉を聞いたのは、嬉しい…

退院のお墨付きをもらったに等しいからだ…

「…ただ…」

長谷川センセイの顔色が曇った…

「…ただ、なんでしょうか?…」

私は、長谷川センセイに言葉を促した…

同時に、

…一体、なにを言い出すんだろう?…

と、不安になった…

「…担当医のボクは、そのつもりでも、ちょっと、難しいかもしれない…」

長谷川センセイが、言いにくそうに、呟く…

「…どういうことですか?…」

私は、訊いた…

「…理事長が、OKを出すか、否か、わからない…」

「…理事長が?…」

私は、思わず、声を荒げた…

「…どうして、理事長が、私の退院を邪魔するような真似を…」

私が、不満を口にすると、

「…簡単ですよ…」

と、いきなり、佐藤ナナが、口を挟んだ…

「…簡単って?…」

「…寿さんは、理事長にとって、人質なんですよ…」

「…人質?…」

「…この病院に入院している限り、理事長の手のひらの上にいる…そういうことです…」

「…それって、一体?…」

「…理事長は、この病院の理事長を解任されるかもしれない…だから、解任されないために、寿さんを人質に取っていると、いうことです…」

佐藤ナナが、仰天の言葉を述べた…

私は、佐藤ナナのあまりの言葉に、驚いた…

そして、思わず、長谷川センセイの顔を見た…

長谷川センセイが、どういう反応を示すのか、知りたかったからだ…

長谷川センセイは、

「…」

と、なにも、言わなかった…

無言だった…

そして、その無言の態度が、肯定を表した…

佐藤ナナの言葉が、正しいことを、証明した…

五井家の内紛が、思わぬところで、私に、及んでいる…

そう、実感せずには、いられなかった…

               

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