第75話

文字数 6,656文字

 この菊池重方(しげかた)が、娘の佐藤ナナに命じて、諏訪野伸明と結婚するように仕向けた…

 私は、あらためて、その可能性に気付いた…

 なにより、伸明と結婚することで、姉の昭子の目論見を潰すことができる…

 あの冬馬の五井家への復帰話を潰すことができる…

 思えば、あの冬馬は、この重方(しげかた)を、嫌っていた…

 私は、それを思い出した…

 「…オレは、親父とは違う…」

 と、言ったのを、聞いたこともある…

 あのときは、単純に、その言葉通りに考えた…

 誰だって、父子といえども、性格もルックスも異なる…

 別人格だからだ…

 だから、一般論にしか、思えなかった…

 だが、

 「…オレは、親父とは違う…」

 と、いうのは、

 「…オレは、親父とは、血が繋がってない…」

 と、いう意味だとしたら、どうだ…

 すると、意味が、違ってくる…

 すでに、あのときに、冬馬は、自分は、親父とは、本当の父子ではないと、仄めかしていたことになる…

 匂わせていたことになる…

 私は、その事実に、気付いた…

 が、

 それでも、この目の前の菊池重方(しげかた)と、冬馬は、ルックスが似ていた…

 共に、背が高く、顔立ちが似ている…

 しかし、その最大の違いは、目…

 この重方(しげかた)の目は優しい…

 が、

 真逆に、冬馬には、険がある…

 それが、二人の最大の違い…

 ならば、やはり、この二人は、血の繋がった父子なのか?

 とも、思う…

 が、

 父子でなくても、叔父と甥と、考えても、不思議ではない…

 叔父と甥だから、似ていると、考えても、おかしくはない…

 そして、もっと言えば、あの昭子の父…

 すでに他界した年齢だが、その父から見れば、息子と孫…

 そして、その父が、この重方(しげかた)と、冬馬に似ているのでは?

 ふと、思った…

 夢想したと言っていい…

 ふと、そんなことを、考え付いた…

 そうすれば、父、子、孫と、三代続いて、同じ顔をしているからだ…

 仮に、この重方(しげかた)と、冬馬が、叔父、甥の関係であれ、祖父が、同じであれば、同じ顔でも、おかしくはない…

 稀にだが、そういう話を聞いたことがある…

 将棋の羽生善治の妻で、元タレントの畠田理恵が、やはり、同じく、自分と、母、祖母が、同じ顔といったのを、大昔に聞いたことがある…

 私は、それを、思い出した…

 また、それを思い出したから、この重方(しげかた)と、あの冬馬の祖父の顔が、気になったのだ…

 どんな顔をしているのか、気になったのだ…

 だから、

 「…失礼ですが…」

 と、重方(しげかた)に、聞いた…

 「…なんでしょうか?…」

 「…重方(しげかた)さんは、お父様に似ていらっしゃるのでは?…」

 私の質問に、

 「…よくわかりましたね…」

 と、重方(しげかた)は、驚いた顔を見せた…

 「…たしかに、ボクは、父に似ています…いや、そっくりといっていい…」

 重方(しげかた)が、告白する…

 が、

 その後の言葉は、予想外だった…

 「…だから、ボクと、冬馬が、仮に、叔父と甥の関係だとしても、祖父が、同じ顔だから、祖父から見て、子、孫、と三代続いて、同じ顔だとでも、言いたいのですか?…」

 と、重方(しげかた)が、言った…

 …鋭い!…

 思わず、舌を巻いた…

 まさか…

 まさか、これほど、鋭いとは、思わなかった…

 と、同時に、気付いた…

 たった今、自分は、政治の世界に向いていないと、この重方(しげかた)は、告白した…

 だが、

 それは、眉唾物…

 鵜呑みにすることは、できない…

 そう、思った…

 なにより、この菊池重方(しげかた)は、国会議員…

 自民党、大場派の幹部だった人間だ…

 当然、バカではできない…

 ただ五井の金を持っているだけでは、できない…

 幹部になれない…

 私は、あらためて、この菊池重方(しげかた)と、いう男を、再評価した…

 いや、

 再評価せずには、いられなかったというか…

 強敵と認定した…

 手ごわい敵と、あらためて、思った…

 が、

 その敵は、間違いなく、あの昭子と、敵対している…

 それを突けば、私にも、勝機がある…

 勝つ見込みがある…

 そう、考えた…

 だから、

 「…重方(しげかた)さんは、そんなに、昭子さんが、お嫌いですか?…」

 と、言った…

 わざと、言った…

 この目の前の菊池重方(しげかた)が、どういう反応を見せるのか、知りたかったからだ…

 私の直球の質問に、目の前の菊池重方(しげかた)の表情が、凍り付いた…

 まるで、面白いように、凍てついた表情になった…

 が、

 少しして、ニコッとした…

 一転して、私に、楽しそうに、笑いかけた…

 「…面白いひとだ…」

 重方(しげかた)が、ニコニコして、言う…

 「…わざと、ボクを怒らせるようなことを、言って、どういう反応を見せるか、確かめる…」

 「…」

 「…でしょ?…」

 私は、なにも、言わなかった…

 その通りだったからだ(笑)…

 すると、隣の、佐藤ナナが、

 「…食えない女…」

 と、口を挟んだ…

 「…食えない女?…」

 思わず、こちらも、繰り返した…

 「…そう…食えない女…」

 と、佐藤ナナが、これも、微笑みながら、言う…

 「…お金持ちの諏訪野伸明さんを狙っているかと思えば、実生活では、やはり、お金持ちの藤原ナオキさんと、生活を共にする…」

 「…」

 「…そして、それを追求すれば、かつては、男女の関係にあったけれども、今はないと、強弁する…平然と、言い張る…」

 「…」

 「…どこをどうとっても、食えない女…食えない女の典型…」

 「…」

 「…そうでしょ? …矢代綾子さん…」

 いきなり、私の本名を言った…

 私は、驚いた…

 まさに…

 まさに、心臓が張り裂けそうな気持になった…

 「…矢代綾子が、寿綾乃を名乗る…その結果、どうなるか?…」

 「…」

 「…五井の血を引く一族になりすまし、五井の財産を受けとる…」

 「…」

 「…そして、一生働かずとも、楽に生きることができる財産を、手に入れる…常人では、一生、汗水働いても、決して、手に入れられることのできない、大金…それを手にすることができる…」

 「…」

 「…そして、それをしたのが、寿綾乃…いえ、矢代綾子…」

 「…」

 「…その行動に、矢代綾子の人間性のすべてが、現れていると、思って、間違いはない…」

 佐藤ナナが、断言する…

 私は、

 「…」

 と、言葉もなかった…

 まさに、ぐうの音も出なかった…

 否定できなかった…

 だから、どうして、いいか、わからなかった…

 「…」

 と、黙るしかなかった…

 そんな私の姿を見た佐藤ナナが、

 「…勝負ありましたね…」

 と、断言した…

 佐藤ナナが、勝ち誇った顔になった…

 私は、

 「…」

 と、絶句した…

 言葉もなかった…

 と、

 そのときだった…

 「…寿さん…」

 と、いう声がした…

 聞き覚えのある声だった…

 私は、急いで、その声のする方向を、振り返った…

 と、

 そこには、あろうことか、諏訪野伸明が、立っていた…

 と、同時に、菊池重方(しげかた)の、表情が、凍り付いた…

 まさに、驚愕した表情になった…

 「…伸明クン…」

 そう言ったきり、絶句した…

 「…なぜ、ここに?…」

 「…フェアじゃ、ありませんね…」

 伸明が、言った…

 「…フェアじゃない? …どういうことだ?…」

 「…重方(しげかた)叔父の、スポンサー…」

 「…ボクのスポンサー?…」

 「…米倉平造のことですよ…」

 「…」

 「…もう、十分じゃありませんか?…」

 「…十分? …どういうことだ?…」

 「…自分の娘を、米倉平造に預け、それと、交換する形で、五井情報を、米倉平造に、売り渡した…」

 「…」

 「…そして、重方(しげかた)叔父は、米倉平造から、多額のキックバックを受け取りましたね…その金を元に、菊池派を立ち上げようと、目論んだ…」

 「…」

 「…違いますか?…」

 「…伸明クン…キミは、一体、なにを、根拠に、そんなことを…」

 「…母は、すべて、お見通しですよ…」

 「…昭子姉さんが…」

 「…和子叔母様も、です…」

 「…和子姉さんも…」

 「…重方(しげかた)叔父が、五井を食いものにしている事実は、ずっと前から、気付いていました…」

 「…」

 「…でも、なにも、言わなかった…いえば、五井東家に泥を塗るからです…」

 「…」

 「…母も、和子叔母様も、五井東家の出身…だから、東家が、存続の危機にでも、陥っては、困る…だから、重方(しげかた)叔父の、行動を、ずっと指を咥えて、見ているしかなかった…」

 「…伸明クン…キミは、一体?…」

 「…わからないんですか? 叔父さん?…」

 「…なにが?…」

 「…どうして、ボクが、この場にやって来たか?…」

 「…」

 「…あるいは、どうして、これまで、ずっと、母と、和子叔母様が、重方(しげかた)叔父を、野放しにしていたか?…」

 「…どういう意味だ?…」

 「…ボクにチャンスを与えるためです…」

 「…チャンス? …どういう意味だ?…」

 「…五井家当主として、叔父の菊池重方(しげかた)を、五井家から、追放する…」

 「…」

 「…重方(しげかた)叔父を、完全に、五井家から、追放することで、ボクの五井家の当主としての力を、五井家の各分家に、見せつける…そういう筋書きです…」

 驚いた…

 絶句した…

 まさか、ここへ、諏訪野伸明が、やって来るとは、思わなかったが、しかも、伸明の目的が、まさか、この重方(しげかた)の追放とは、思わなかった…

 いや、

 待て?

 重方(しげかた)を追放というが、すでに、重方(しげかた)は、五井家を追放されているのではないか?

 それが、なぜ、追放なのか?

 考えた…

 謎だった…

 だから、

 「…伸明さん…追放って、すでに、この重方(しげかた)さんは、五井家を追放されたんじゃ…」

 「…それは、形だけです…」

 「…形だけ?…」

 「…今も、一部の分家の人間と、結びついてます…」

 「…結びつく?…」

 「…生まれたときから、五井東家に所属している…当然、五井の各分家のひとたちとも、親しい…」

 「…」

 「…だから、追放といっても、形だけ…交流は、続いていたし、母も叔母も、それを見て見ぬフリをしていた…」

 「…」

 「…でも、自分の娘を、五井南家の血を引く人間だと、偽り、五井本家に、売り込み、あろうことか、ボクと結婚まで、させようとしたことで、母と和子叔母様の逆鱗に触れた…」

 「…」

 「…ありていに言えば、堪忍袋の緒が切れたということです…」

 「…」

 「…母も和子叔母様も油断したというか…まさか、重方(しげかた)叔父が、そこまで、するとは、思わなかった…」

 「…」

 「…残念です…」

 伸明が、語る…

 それが、すべてだった…

 思えば、このとき、菊池重方(しげかた)の命運が、尽きた瞬間だった…

 菊池重方(しげかた)が、これまで、積み重ねたもの…

 五井家での輝かしい経歴…

 国会議員としての業績…

 それが、すべて、台無しになった瞬間でもあった…

 この先、なにが、あっても、五井家は、この菊池重方(しげかた)を、援助することはなくなる…

 金も株も、なくなるかもしれない…

 重方(しげかた)個人が、どれほど、五井関連の会社の株式を保有し、どれほどの金を持っているかは、わからない…

 だが、

 今回の件を最後通牒として、考えれば、すでに、完全に五井家に身の置き所は、なくなる…

 これまで、追放されたとはいえ、陰に隠れて、重方(しげかた)と、交流を続けていた、五井家の人間は、すべて離れてゆくだろう…

 これ以上、重方(しげかた)と、交流を続ければ、あの昭子と和子の逆鱗に触れる…

 そんなことは、怖くて、できるはずもなかった…

 つまり、この菊池重方(しげかた)は、この瞬間、完全に、五井家と決別したのだ…

 私は、たった今、それを目撃したことになる…

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…寿さん…」

 と、いきなり、伸明が、私に声をかけた…

 「…ご苦労様でした…」

 ねきらいの言葉をかけてきた…

 私は、

 「…ご苦労様…」

 と、言われ、なにが、

 「…ご苦労様…」

 なのか、考えた…

 その意味を考えた…

 「…寿さんのおかげです…」

 私のおかげ?

 どういう意味だろう?…

 「…寿さんのおかげで、この重方(しげかた)叔父の尻尾を捕まえることができました…」

 「…尻尾?…」

 「…寿さんが、ジュン君の運転するクルマに撥ねられ、五井記念病院に、運ばれた…そして、その五井記念病院は、冬馬が、理事長の病院…すべてが、五井の中にあった…」

 「…どういうことでしょうか?…」

 「…冬馬…アイツは、嫌われ者です…」

 「…」

 「…でも、ボクの血が繋がった実の弟です…切ることはできない…」

 「…」

 「…だから、一芝居打った…」

 「…一芝居打った?…」

 どういうことだろう?

 考えた…

 「…いわば、寿さん…アナタを中心に、五井が、混乱したというか…」

 「…混乱?…」

 「…アナタとボクが、結婚するかもしれないことで、この重方(しげかた)叔父や、母や、和子叔母様など、五井家の主要なメンバーが、アナタを中心に、動くことになった…」

 「…」

 「…そして、そのおかげで、ボクは、自由にやれた…」

 「…自由に? …どういう意味ですか?…」

 「…おわかりになりませんか?…」

 「…なにが、わからないんですか?…」

 「…ボクの地位ですよ…」

 「…伸明さんの地位?…」

 「…これで、名実ともに、五井家の当主として、振る舞うことができる…」

 仰天した…

 呆気に取られた…

 私は、この伸明と、恋愛をしているつもりだった…

 身分は、違うが、この諏訪野伸明と恋愛しているつもりだった…

 五井家当主の、諏訪野伸明と、恋愛をしているつもりだった…

 が、

 伸明は、私を、恋愛相手として、見ていなかった…

 単なる道具…

 おそらくは、五井家での自分の当主としての、地位を確立するための道具としてしか、見ていなかった…

 私は、驚いた…

 驚愕したといっていい…

 が、

 正直に言えば、それほどでもなかった…

 ずっと前から、違和感があった…

 私、寿綾乃、32歳…

 いや、

 矢代綾子、32歳…

 すでに、32歳になっている…

 5歳の幼稚園児ではない…

 自分のルックスに自信はあるが、すでに、32歳…

 美しさのピークは、過ぎている…

 はっきり言えば、オバサン化している…

 若さを失いかけているのだ…

 そんな32歳のオバサン化した私を、五井家の当主が、好きだと言っても、どこか、違和感があった…

 諏訪野伸明は、お金持ちのイケメン…

 私など、選ばなくても、もっと、若くて、キレイな女が、手に入る…

 なのに、なぜ私なのか?

 いつも、不思議だった…

 なにか、裏があるのでは?

 いつも、内心、その思いに、むしばまれていた…

 まるで、なにかに、侵されるように、その思いは、徐々に、私の中で、大きくなった…

 だから、今、諏訪野伸明が、私を、

 …道具扱い…

 したことで、むしろ、ホッとした…

 これまで、自分の中で、くすぶり続けた謎が、解き明かされた気分になった…

 伸明が、私を、

 …道具扱い…

 したことは、残念だが、かといって、それを恨む気持ちもなかった…

 32歳にもなって、そんなありもしない話を本気にする私が、悪いのだった…

 そんなことも、わからない私が、悪いのだった…

 この世の中に、シンデレラは、存在しない…

 それは、物語の中だけ…

 仮に、もし、シンデレラのようなストーリーに恵まれた女がいても、現実には、あれほど、生まれが違えば、結婚して、いっしょに生活をすれば、うまくゆくはずもない…

 生まれの差は、生活の差に直結する…

 学歴の差があり、生まれ育った家庭の収入の差もある…

 そんな二人ならば、仮に、美男美女のカップルでも、いっしょに生活をすれば、うまくゆくはずがない…

 男は、すぐに、あの女は、顔だけが、取り柄の女だと気付くだろう(苦笑)…

 自分が、生まれ育った友人、知人に紹介すれば、すぐに、

 …どうして、あんな女を選らんのだろう?…

 と、陰口を叩かれるのが、オチだ…

 私は、それがわかっていた…

 十分過ぎるほど、わかっていた…

 にもかかわらず、私を、諏訪野伸明を信じた…

 いや、

 信じようとした…

 それが、私の愚かさの証明だった…

 他人のことなら、爆笑するが、自分のことだと、笑えない…

 つくづく愚かな女…

 愚かな女の典型だった…

                

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