第57話

文字数 7,965文字

 諏訪野マミから、連絡があったのは、それから、一週間も経たなかった…

 冬馬…

 菊池冬馬の意識が回復したと、連絡があったのだ…

 睡眠薬を多量に飲んで、自殺を図ったが、命に別条がないというか…

 少なくとも、死ぬ確率が低かったのだろう…

 マミが、以前、私に、電話をしてきたときに、

 「…冬馬の意識が回復したら、連絡する…」

 という言葉に、それが、現れていた…

 私は、諏訪野マミの電話を受けながら、あらためて、思った…

 「…冬馬…アイツの意識が回復したの…」

 スマホの向こうから、はずんだような、諏訪野マミの声が聞こえてきた…

 「…そうですか…」

 私は、ひどく冷静に言った…

 菊池冬馬…

 彼が、自殺未遂を起こした、理由は、わからない…

 菊池リンに捨てられて、五井東家から、追放されるというか…

 五井家に居場所がなくなることに、悲観して、自殺未遂を起こしたのでは?

 と、周囲の人間は、私を含めて、思っているが、本当のところは、わからない…

 あくまで、真相は、わからない…

 まだ、冬馬本人の口からは、聞いていないからだ…

 自殺未遂を起こした原因は、違うかもしれない…

 私は、諏訪野マミと話しながら、考えた…

 それに、なにより、冬馬が、私に憧れていると、以前、諏訪野マミが、言った言葉が、引っかかったというか…

 別段、好きでもない男に、好きだと言われて、面食らったというか…

 もっと、ハッキリ言えば、嫌だった…

 私は、冬馬が、好きではない…

 それは、ハッキリ言えば、生理的な嫌悪に近い…

 なにが、嫌いなのかと、言えば、冬馬の険のある目が嫌いなのだ…

 目は、心を現わすと言うが、やはり、誰もが、険のある目を持つ人間を、好きな人間は、普通いない…

 会社の面接であれば、真っ先に落ちる感じ(笑)…

 当たり前だが、目に険があれば、性格も悪く、採用すれば、なにか、配属先で、やらかすのでは? と、面接の担当者は、考える…

 誰もが、普通に生きていれば、初対面で、相手が、どんな人間か、考える…

 面接の担当者も、例外ではない…

 性格がいいか悪いかとか、真面目か、不真面目か、どうか、などを、考える…

 会社の面接担当者は、まず、うちの会社で、採用して、周囲の人間と、うまくいくか、どうか、考える…

 戦力になるか、どうか、などという難しい問題ではなく、部署に配属されて、周囲の人間と、なじめるか、どうか、まずは、考える…

 それが、基本だ…

 そして、それが、できないと、思う人間は、採らない…

 採用しない…

 採用して、従来からいる、部署の人間と、ゴタゴタしては、困るからだ…

 そして、それは、ハッキリ言えば、人間性に行き着く…

 大昔のバブル期のように、大量に、企業が、ひとを採用しようとすれば、人間性には、目をつぶる(笑)…

 おおげさでなく、人間であれば、採用したという話も聞いたことがある(笑)…

 犬や猫は、採用できないが、人間であれば、誰でも、採用したという話を聞いたことがある(笑)…

 ウソだと思われるかもしれないが、真実だ(笑)…

 とにかく、ひとが、欲しい…

 だから、アレコレ、言ってられない…

 最初は、偏差値60以上の大学を出ていなければ、採用しない会社でも、その偏差値の基準が、55になり、それが、50に落ち、やがては、高卒でもなんでも、構わないということになる(笑)…

 四の五のいっていれば、ひとを採用できないからだ…

 当時、世間の多くの会社が、ハードルを落として、ひとを採用していた…

 ならば、自分の会社も、そうしなければ、ひとは、採用できない…

 景気が、良いときは、とにかくひとが欲しい…

 ひとりでも、多くの人材が欲しい…

 その結果、採用のハードルが、下がり続ける(笑)…

 そして、そういった時代であれば、冬馬も、簡単に企業に採用されただろう…

 しかしながら、普通は、無理…

 できない…

 私も、FK興産で、社長の藤原ナオキの秘書として、創業期から、採用した人間を見てきたが、さすがに、冬馬のように、険のある目をした人間は、見たことがなかった…

 そもそも、採用しないからだ…

 私も嫌いだし、人事担当者も避けて、通る…

 そういうことだ…

 そして、そんな人間に、

 …好きだ…

 と、言われて、嬉しい人間は、いない…

 最初は、当惑するし、それが、すぐに、嫌悪に変わる…

 それから、

 …冗談じゃない!…

 と、激高するだろう…

 私も、また、同じだった…

 冬馬に、好きだと、間接的に言われたときは、最初は、当惑し、驚いたが、すぐに、嫌悪した…

 …あんな男が、私を好き?…

 …冗談じゃない!…

 そういうことだ(笑)…

 誰だって、自分が好きじゃない男に好きだと言い寄られれば、当惑するが、それが、大嫌いなタイプならば、むしろ頭にくる…

 そういうことだ…

 だから、冬馬の意識が戻って、諏訪野マミが、喜んだが、私は、

 「…良かったですね…」

 と、言わなかった…

 お世辞でも、言いたくなかったからだ…

 それに、気付いたのだろう…

 「…あの…寿さん…この前の話だけれども…」

 と、低姿勢で、マミが、私に話しかけた…

 「…この前の話って…」

 私は、マミがなにを言いたいか、十分わかっていたが、あえて、とぼけた…

 「…冬馬の見舞いの件…ダメかな?…」

 あくまで、低姿勢で、マミが、聞いた…

 私は、嫌だったが、

 「…いいですよ…」

 と、あっさりと言った…

 「…ホント?…」

 諏訪野マミが、電話の向こうから、弾んだ声で、言った…

 「…ホントです…」

 私は、答えた…

 「…ウソは言いませんよ…」

 「…でも、寿さん…冬馬を嫌いでしょ?…」

 「…それとこれとは、話が別です…」

 「…別?…」

 「…なにより、この前、マミさんと約束しました…」

 「…」

 「…私は、マミさんと約束したことは、キチンと覚えていますし、破りませんよ…」

 私が、断言すると、しばし、間を置いて、

 「…良かった…」

 と、シミジミ、言ったマミの声が、スマホから聞こえてきた…

 「…寿さんだから、約束は、守ってくれると、思っていたけど…」

 「…」

 「…寿さんが、冬馬を嫌いなのは、わかるし、それが、やはり、見舞いに行くというのは…」

 「…」

 「…冬馬も、寿さんの顔を見れば、喜ぶと思う…」

 「…そんな、私風情(ふぜい)が…」

 「…いえ、誰だって、自分が、好きな人間が、見舞いに来てくれるほど、嬉しいものはない…」

 マミが力を込めた…

 「…冬馬は、寿さん好き…憧れてる…だから、そんな寿さんが、一度だけでも、見舞いに顔を出してくれれば…」

 マミの言葉に、私が、いよいよ断ることができなくなったといおうか…

 「…やっぱり、無理…行きません…」

 と、言えなくなった…

 本当は、嫌で、嫌で、仕方がなかったが、仕方なく、行くことになった…

 だから、気が重い…

 諏訪野マミが、

 「…冬馬が、寿さんを好き…」

 と言うたびに、気が重くなった…

 本当は、自分が好きだと言われて、喜ぶところだが、やはり、相手が、あの菊池冬馬だと、嬉しくなかった…

 やはり、いくら、好きだと言われようと、嫌いな人間に好きだと言われても、嬉しくはない…

 そんな当たり前のことを、思い起こしてくれた…

 「…じゃ…具体的には、どうする?…」

 「…どうって?…」

 「…寿さん…いつなら、いいの?…」

 「…いつって、言われても…私は、この通り、療養中というか…家で、くつろいでいるだけなので、いつでも…」

 「…わかった…それなら、こっちで、決めていいかな?…」

 「…それは、もちろん、構いませんよ…」

 「…だったら、長谷川センセイと、相談して、決める…」

 いきなり、長谷川センセイの名前が出たので、驚いた…

 「…長谷川センセイって、もしかして、私の担当医だった?…」

 「…そう…冬馬の担当医なの?…」

 「…でも、専門が?…」

 「…違うといいたいんでしょ?…」

 「…ハイ…」

 「…冬馬とは、学生時代の友人ということで、冬馬の担当医の一人として、加えてもらったって言ってた…」

 「…」

 「…いえ、私も、長谷川センセイは、知らなかったんだけれども、私が、五井一族だと、長谷川センセイは、知っていて、それで…ほら、私は、雑誌の対談とかで、ときどき、マスコミに顔が出るでしょ? それで…」

 マミが説明する…

 そう言われれば、わかる…

 おそらく、病院の見舞いに訪れた諏訪野マミを見て、彼女を安心させるために、自分から、長谷川センセイが、正体を明かしたというと、大げささだが、冬馬と学生時代の知り合いだと、告げたに、違いない…

 そうすれば、安心する…

 やはり、なにより、学生時代の友人とか、親戚とか、いえば、安心する…

 そういうものだ…

 私は、思った…

 そう、考えたとき、

 「…じゃ…寿さん…そういうことで…見舞いの日が決まったら、また連絡する…」

 諏訪野マミは、そういうと、あっさりと、電話を切った…

 私が、なにか、言おうとする前に、あっさりと、電話を切った…

 私は、一瞬、唖然としたが、やはり、これが、諏訪野マミなのだと、あらためて、思った…

 マミは、例えて言えば、つむじ風…

 突然、現れ、

 突然、去る…

 まるで、暴風雨といえば、おおげさだが、その存在感に圧倒されるというか…

 とにかく、いきなり、現れ、騒動を起こして、去る存在だった(笑)…

 だが、

 私には、その存在が、心地よかった…

 諏訪野マミという存在が、心地よかった…

 
 結局、その二日後、マミから、連絡があり、来週の月曜日、早々に、五井記念病院に、冬馬を見舞いに行くことになった…

 私は、正直、気が進まなかったが、約束してしまったのだから、仕方がない…

 気が進まなかったが、五井記念病院に、行くことにした…

 最初は、電車で行こうと思ったが、その話をすると、ナオキが、

 「…会社の社用車を回すよ…」

 と、言ってくれた…

 「…綾乃さんは、まだ、完全回復には、ほど遠い…一人で、電車に乗って、五井記念病院まで、向かうのは、大変だ…ホントは、ボクが、付き添って、いたいのは、山々だが、仕事があって、それもできない…だから、せめて、会社の社用車を使って欲しい…そうすれば、運転手もいるから、安心できる…」

 私は、ナオキの申し出に、驚いたが、そう言われれば、納得できた…

 たしかに、一人で、外出は、心もとない…

 まさか、途中の道端で、倒れるとは、思えないが、絶対に、ありえないとは、断言できない…

 だから、できれば、一人で、外出はしたくない…

 と、そこまで、考えると、 

 だったら、それを理由に、冬馬の見舞いを断れば、良かったかな?

 と、思いついた(笑)…

 いや、

 それより、なにより、私自身が、つい先日まで、これから、冬馬の見舞いに向かう、五井記念病院に、入院していた身だ…

 その五井記念病院を退院したばかりの私が、誰かの見舞いに行くなんて…

 仮に、見舞いの相手が、冬馬でなくても、信じられない…

 見舞いに来てもらう身だった私が、今度は、見舞いに行くのだ…

 これは、ある意味、これ以上ないほどの皮肉だった…

 普通に考えれば、喜ばしいことだが、素直に取れない…

 やはり、これは、私が、天の邪鬼だからだろうか?

 へそが曲がっているのだろうか?

 考える…

 いや、

 見舞いの相手が、冬馬だからだ…

 私は、思った…

 大嫌いな、菊池冬馬だからだ…

 私は、思った…

 
 結局、私は、ナオキの申し出通り、用意されたFK興産の社用車に乗り、五井記念病院に向かった…

 ホントは、わざわざ、ここまで、しなくても…

 と、内心思ったが、それを口に出すのは、憚れた…

 ナオキの迷惑にならないように、タクシーを考えたが、タクシー代が、もったいないなと、思った…

 率直に言って、今の私の稼ぎでは、タクシー代が、もったいないと、思うほど、少なくはない…

 ナオキが、特別に、秘書としては、あり得ない厚遇で、私を雇っているからだ…

 それは、会社の創業期から、私がナオキと共にあったから…

 FK興産社長、藤原ナオキを支えたからだと、思う…

 だから、たかだが、社長秘書としては、あり得ない給与を、私は、会社から、支給されていた…

 それを知る人事部の人間は、ひょっとしたら、私が、ナオキの愛人だと、疑っていたかもしれないが、なにも言わなかった…

 見て、見ぬ、フリをしていた…

 なにしろ、私は、ナオキと共に、創業期から、FK興産にいる、最古参の社員の一人…

 そんな人間は、十人に満たない…

 だから、人事部の人間を含めて、今いる社員は、皆、後から、入社したものばかり…

 そんな状況だから、ある意味、古参社員の顔色を窺う…

 だから、おそらく、社長である、ナオキの指示で、私の給与が、異常に高くても、なにも、言わなかったし、なにも、言えなかったに違いない…

 そんな私だったが、自分で言うのも、なんだが、生活は、驚くほど、質素だった…

 貧乏性が、生まれつき、身体に染み込んでいる…

 いわゆる、もったいない精神ではなく、ただのケチだった(笑)…

 だから、タクシーを払いたくなかったのだ(笑)…

 私は、ナオキの派遣したFK興産の社用車に乗り、五井記念病院に向かった…

 車内では、シミジミと、こんな形で、再び、五井記念病院を訪れる、自分自身に驚くやら、呆れるやら、した…

 まさか、こんな形で、再び、あの五井記念病院を訪れるとは、思わなかった…

 そして、長谷川センセイ…

 私の担当医だった、長谷川センセイと、こんな形で、再会するとは、思いも寄らなかった…

 そして、それは、長谷川センセイも、同じだろう…

 私は、思った…

 冬馬…

 菊池冬馬が、まさか、自殺未遂を起こすとは、夢にも思わなかったに違いないからだ…

 それを、考えると、複雑…

 実に複雑な気持ちだった…


 私が、五井杵病院に到着して、ロビーに入ると、すぐに、

 「…寿さん…」

 と、声がかかった…

 振り返ると、諏訪野マミだった…

 すでに、ロビーで、私が来るのを、待っていたのだろう…

 賢明な判断だった…

 私は、冬馬が、どの病室に、入院しているか、知らない…

 ロビーの受付で、聞けば、教えてくれるに違いないが、それよりも、マミが、私との約束の時間よりも、早めに、ロビーについて、私が、やって来るのを、見張っている方が、効率的と言うか…

 なにより、一人で、病室に行くのは、やはり、心苦しいというか…

 嫌だった…

 諏訪野マミは、それを見破っていたのかもしれない…

 なにしろ、見舞いの相手は、あの菊池冬馬だ…

 すでに、何度も、嫌いだと、マミにも言っている…

 もし、私が、一人きりなら、冬馬の病室には、向かわないかも? 

 と、心配したのかもしれない…

 私は、思った…

 思いながら、

 「…マミさん…お久しぶりです…」

 と、マミに近付きながら、頭を下げた…

 「…今日は、ホントにありがとう…」

 諏訪野マミが、まさに喜色満面の笑顔で、私に話しかける…

 「…とんでもありません…私ごときで、よければ…」

 「…きっと、冬馬も喜んでくれると思う…」

 マミの言葉に、少々、落胆としたと言うか…

 気が重くなった(苦笑)…

 マミの口から、冬馬の名前を聞くだけで、気が重くなる…

 ハッキリ言えば、うんざりする…

 「…じゃ…寿さん…行きましょう…」

 私は、マミに腕を取られて、歩き出した…

 まるで、マミが、私の腕を取らなければ、私が、逃げ出すかのようだ…

 「…マミさん…いくらなんでも、ここまで、来て、逃げたりはしませんよ…」

 「…それは、そうだけど…」

 そう言いながらも、私の腕にからませた、腕は、そのままだった…

 ただ、マミは、小柄…

 身長は、155㎝ぐらい…

 対する私は、160㎝…

 その気になれば、私は、マミの腕をふりほどくことができた…

 やはり、カラダの大きさの違いは、大きい…

 わずか、5㎝に過ぎないが、体格差は、誰でもわかる…

 身長の5㎝の違いは、実に大きい…

 いわゆる手足全体が、大きくなるから、定規で、見た、5㎝とは、雲泥の違いになる…

 だから、無理に、ほどこうとすれば、できたが、さすがにそれをするのは、大人げなかったというか…

 憚れた…

 代わりに、

 「…マミさん…これでは、まるで、女子高生みたいですよ…」

 と、言った…

 私の言葉に、マミは、ちょっと、驚いたが、

 「…いいじゃん…別に…」

 と、口にした…

 「…35歳の女子高生でも、いいじゃん…」

 「…35歳の女子高生は、いませんよ…」

 私は、返した…

 返しながら、どうして、35歳なんだろ?

 と、思った…

 そして、気付いた…

 たしか、マミの年齢が、35歳だったことを、だ…

 「…35歳のシンデレラだって、いるんだから…35歳の女子高生が、いたって、いいじゃん…」

 「…35歳のシンデレラ? なんですか、それ?…」

 「…以前、読んだ、ネットの小説…主人公が、面白いの…」

 「…主人公が、面白い?…」

 「…そう…きっと、現実に、会えば、誰でも好きになる…とんでもなく、魅力的な女…」

 「…そうですか…」

 私は、答えながら、ホントに、そんな魅力的な女が、この世にいるのだろうか?

 と、思った…

 少なくとも、私は、お目にかかったことがない…

 「…どんなひとなんですか?…」

 「…どんなひとって…」

 言い淀んだ…

 「…一口では言えない…天才バカボンを女にしたような…」

 「…天才バカボン?…」

 「…冗談よ…冗談…でも、ホントに、魅力的な主人公…ちょうど、寿さんと、真逆ね…」

 「…私と、真逆?…」

 「…寿さんが、正統派の美人なら、35歳のシンデレラの主人公は、愛くるしく、頼りなく、面白い…」

 「…面白い?…」

 「…そう…そして、周囲を明るく、楽しませてくれる…いわば、理想の友人と言うか、男から見れば、理想の伴侶といおうか…とにかく、いっしょにいれば、周囲を楽しませてくれる…」

 「…楽しませてくれる…」

 「…生きていて、なにが、いいかといえば、楽しいこと…それをいつでも、与えてくれる…」

 …たしかに、そんな女がいれば、楽しいだろう…

 私は、思った…

 私自身、この癌という病気で、いつも不安の中にいる…

 自分は、一体、いつまで、生きれるのか、不安だ…

 だから、悩みだせば、キリがない…

 考えだせば、キリがない…

 そして、その悩みを忘れるために、あえて、五井家のことを、考える…

 藤原ナオキのことを、考える…

 なにか、別のことを考えれば、自分のことを考えずにすむからだ…

 自分のことを、忘れることができるからだ…

 そして、そんなときは、なにより、今、この諏訪野マミが、言ったように、楽しい人が、身近にいれば、いい…

 いつも、自分を楽しませてくれる…

 そんな人間が、男女を問わず、身近にいれば、自分の人生は、楽しめるに違いない…

 私は、思った…

 「…だから、寿さんも、冬馬のことを、考えれば、いい…」

 まるで、私の心を見透かすように、諏訪野マミが、言った…

 「…自分のことは、さておいて、ひとのことを、考えればいい…そうすれば、その悩みで、頭がいっぱいになり、自分のことは、考えずにすむ…」

 思わず、諏訪野マミの顔を見た…

 「…誰のことを言ってるんですか?…」

 「…一般論よ…一般論…別に、寿さんのことを、言っているわけじゃない…」

 「…そうですか…」

 「…それとも、寿さん…なにか、思い当たることがあるの?…」

 「…それは、別に…」

 私が、言葉に詰まると、

 「…まあ、いいじゃん…いいじゃん…とにかく、冬馬を見舞いに行こう…」

 そう言って、腕を組んだまま、ロビーを歩き出した…

                
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み