第54話

文字数 6,942文字

 …ズルい?…

 …私が?…

 …どうして、ズルいの?…

 思いがけない、諏訪野マミの言葉に、動揺した…

 私が、諏訪野マミに、ズルいと、言われる覚えはない…

 だから、むしろ、怒りを覚えた…

 諏訪野マミに、怒りを覚えた…

 「…マミさん…どうして、私がズルいんですか?…」

 少々、強い口調で、聞いた…

 怒鳴りは、しなかったが、心の中では、十分、怒鳴っていた(笑)…

 それを、スマホの向こう側で、諏訪野マミも察したのかもしれない…

 「…寿さん…怖い…」

 と、諏訪野マミが、小さく言った…

 「…怖い?…」

 「…ズルいって言ったのは、寿さんが、伸明さんの心を鷲掴みに、捉えたことよ…」

 意外な言葉だった…

 「…鷲掴みって?…」

 「…昭子さんは、伸明さんと、佐藤ナナの結婚を目論んだ…その意を受けて、私と、冬馬は、寿さんの元に向かった…」

 「…」

 「…でも、伸明さんは、首を縦に振らなかった…だから、佐藤ナナを養女にするしかなかった…」

 「…」

 「…五井南家を本家側に引き込む条件として、なんとしても、佐藤ナナを媒介として、本家と縁戚関係を結ぶ必要がある…伸明さんと、結婚がダメなら、どうするか? 思いついたのが、養女という形だった…」

 諏訪野マミが、私が、考えていた通りのことを、言った…

 やはり、五井南家を五井の本家側につかせる条件として、佐藤ナナが、五井本家と、なんらかの縁戚関係を持つことが、必須となる…

 だから、普通は、佐藤ナナを、伸明の妻として、迎えるのが、一番と、考えたが、伸明が、拒否したということだ…

 だから、仕方なく、佐藤ナナを養女としたのだろう…

 しかし、その原因が、私とは?

 なんだか、気恥ずかしくなるというか…

 本当に、そうなのか? とも、思う…

 イマイチ、納得できない…

 私のどこに、そんな魅力があるのだろう?

 さっぱり、わからない(爆笑)…

 私自身が、私を見ても、そんな魅力は、さっぱりない…

 断言できる…

 それとも、諏訪野伸明が、私を誤解しているのだろうか?

 私、寿綾乃という女を勝手に、十倍にも、二十倍にも、大きく評価しているのだろうか?

 あるいは…

 あるいは、他に、なにか、別の理由があるのかもしれない…

 私が、考えていると、

 「…だから、冬馬…菊池冬馬は、自殺未遂を起こした…」

 と、本題を言った…

 私が、自分自身にうぬぼれている間に、本題を言った…

 と、同時に、このために、諏訪野マミが、今、電話をかけてきたことに、気付いた…

 やはりというか…

 当たり前だが、諏訪野伸明に、聞いたに違いなかった…

 が、

 それを言っていいものか、どうか、迷った…

 悩んだ…

 すると、私が、なにも言わずにいる間に、

 「…冬馬は、リンちゃんに、捨てられたの…」

 と、想定外のことを、言った…

 「…捨てられた?…」

 思わず、大声を出した…

 捨てられたって?

 一体、どうして?

 「…佐藤ナナ…彼女の存在が、リンちゃんの闘争心に火をつけたというか…」

 「…どういうことですか?…」

 「…佐藤ナナ…彼女が、突然、現れて、五井本家に、養女として、迎えられた…結果として、彼女は、リンちゃんよりも、五井家では、立場が上になった…それが、リンちゃんは、許せなかった…」

 「…」

 「…だから、リンちゃんは、冬馬と別れて、伸明さんと、結婚したがった…そうすれば、リンちゃんは、佐藤ナナよりも、上になれる…」

 「…」

 「…二人のルックスが似ているのも、まずかった…年齢も、ほぼ同じ…だから、余計に、競争心というか、敵対心が、芽生えた…」

 「…」

 「…それに、二人は、まだ籍を入れてなかったのも、まずかった…これから、いっしょに、住み始めようとした矢先…それが、まずかった…」

 「…」

 「…今なら、まだ、やり直せる…引き返せると、リンちゃんが、考えたのも、わかる…」

 「…」

 「…伸明さんと結婚して、佐藤ナナに勝ちたいという気持ちもわかる…」

 「…」

 「…でも、その結果、せっかく、五井家に戻れた冬馬は、居場所がなくなった…菊池リンと結婚することで、五井家に戻れた冬馬だったけど、その菊池リンが、冬馬と結婚しなければ、冬馬は、居場所がなくなる…」

 当たり前のことだった…

 菊池冬馬は、五井家を追放された…

 にもかかわらず、復帰できた…

 それは、菊池リンの夫として…

 いわば、ウルトラCだった…

 通常は、考えられない復帰だった…

 一度、追放した者を復帰させるのも、そうだが、そのやり方というか、発想が、常人の域を超えたというか…

 考えられない、やり方だった…

 が、

 別の見方をすれば、誰からも、異論が出ないやり方だった…

 菊池冬馬は、嫌われ者…

 それは、一族内でも、同じだった…

 学生時代は、おろか、五井記念病院でも、嫌われていた…

 病院の理事長にも、かかわらず、嫌われていた…

 そんな冬馬が、追放になったとしても、誰からも異論が出るはずがなかった…

 一族内でも、病院内でも、同じだった…

 だから、到底、復帰はできない…

 にもかかわらず、復帰できた…

 しかも、その立ち位置は、絶妙だった…

 以前は、菊池冬馬は、五井東家御曹司…次期、五井東家当主だった…

 が、

 今度は、同じ五井東家でも、当主の夫として…

 五井東家当主、菊池リンの夫として、だ…

 これならば、たいして、不満は出ない…

 嫌われ者の冬馬が、五井家に復帰したのは、気に入らないが、それでも、五井東家当主ではない…

 だから、一族内で、権限は、大幅に、弱まる…

 五井東家当主ではないから、当主の権限は、ないからだ…

 だから、見方を変えれば、昭子は、うまく、冬馬を救ったことになる…

 元々、本人の評判が悪く、おまけに、父の重方(しげかた)も、勝手に、自民党で、自分の派閥を立ち上げようと画策した…

 それが、昭子の逆鱗に触れ、親子共々、五井家から、追放された…

 だから、普通は、戻ることはできないが、菊池リンの夫としてならば、逆風は、弱まる…

 見事な、救済策だった…

 と、ここまで、考えて、気付いた…

 なぜ、重方(しげかた)は、救わず、冬馬だけ、救ったのだろう?

 それとも、折をみて、重方(しげかた)もまた、復帰させるつもりだったのか?

 わからない…

 それは、わからない…

 と、ここまで、考えて、気付いた…

 もっと、大切なことを、気付いた…

 大切なこと…

 つまりは、菊池リンの変心だ…

 心変わり、をだ…

 なぜなら、菊池リンは、菊池冬馬と、諏訪野マミが、昭子の意を受けて、伸明と結婚するかもしれない動きを知っていたはずだ…

 つまりは、その時点で、佐藤ナナと、伸明が結婚すれば、自分よりも、五井家内での立場が、上になると、気付いていたはずだ…

 それとも?

 それとも、あの時点では、菊池リンは、菊池冬馬と、諏訪野マミの動きに、気付かなかったのだろうか?

 いや、

 気付いてなかったのかもしれない…

 以前、私に会った際に、菊池リンは、

 「…食えない女…」

 と、憎々しげに、私に向かって言った…

 それは、私が、担当看護師の佐藤ナナが、五井南家の出身だと知っていたと、勘違いしていたから…

 つまり、あの時点で、菊池リンは、十分に、佐藤ナナに対抗心を燃やしていた…

 そんな菊池リンが、佐藤ナナが、伸明と結婚するかもしれないことを、知れば、面白いわけはない…

 むしろ、全力で、阻止するに違いない…

 なにしろ、佐藤ナナが、伸明と結婚すれば、佐藤ナナの五井家内での立ち位置は、自分より、上になるのだ…

 突然、現れた、佐藤ナナが、自分より、上になるのだ…

 これは、菊池リンにとって、愉快なはずはない…

 それまでの、菊池リンは、亡くなった、前当主の建造の言葉でいえば、

 「…一族のアイドル…」

 だった…

 文字通り、アイドル並みのルックスに、頼りないキャラ…

 ただし、誰からも愛されるキャラだった…

 だから、もし、本当のアイドルなら、

 「…国民の妹…」

 とでも、呼べば似合う存在だった…

 誰からも愛される存在…

 まさに、菊池リン、無双状態…

 ライバルは、いない…

 そんな無双状態の菊池リンに、突如、ライバルが現れた…

 しかも、

 しかも、だ…

 菊池リンと、家柄は、同格…

 褐色の肌の色を除けば、ルックス、能力ともに、菊池リンよりも上…

 これでは、菊池リンが、面白いはずはない…

 ライバル心を燃やさないはずはない…

 だから、私は、

 「…マミさん…ひとつ、お聞きしていいですか?…」

 と、諏訪野マミに、聞いた…

 「…なに? …寿さん?…」

 「…あのとき、伸明さんとの結婚を、私から、辞退して欲しいと、マミさんは、冬馬さんと、二人で、私の元に、やって来て、おっしゃいましたね…」

 「…」

 「…アレは、菊池さん…菊池リンさんは、知らされてなかったんですか?…」

 私の質問に、

 「…」

 と、諏訪野マミは、答えなかった…

 沈黙した…

 なんと、答えていいか、わからなかったのかもしれない…

 沈黙が、肯定を意味した…

 菊池リンが、なにも知らされてなかったことを、意味した…

 かなりの間を置いて、

 「…知らせなかった…」

 と、ポツリと、呟いた…

 「…どうして、知らせなかったんですか?…」

 私の質問に、またも、

 「…」

 と、沈黙した…

 やはり、かなりの間があった…

 それから、

 「…嫉妬…ジェラシー」

 と、ポツリと、言った…

 「…ジェラシー?…」

 「…そう…ジェラシー…佐藤ナナの存在が、リンちゃんのプライドを、激しく傷つけた…」

 「…」

 「…さっきも言ったけど、寿さんも知っているように、二人は、似ている…ルックスも、キャラも、似た者同士…だから、余計にライバル心を燃やしたというか…」

 「…」

 「…そんな、リンちゃんに、私と冬馬が、寿さんに、伸明さんとの結婚を辞退してもらいに行くことなんて、話せるわけがなかった…」

 「…」

 「…私は、寿さんも知ってるように、愛人の子供…だから、子供の頃から、陰口というか、誹謗中傷には、慣れていた…だから、私は、五井家の人間かもしれないけれども、半分は、違う…」

 …一体、マミさんは、なにを言い出すのだろう? と、思った…

 「…でも、リンちゃんは、違う…生粋の五井のお嬢様…おまけに、アイドル並みのルックス…いわば、持てるものを、すべて、持って生まれた…」

 「…」

 「…そんなリンちゃんの前に、佐藤ナナさんが、現れた…なんでも、自分が一番だった、リンちゃんの前に、佐藤ナナが、現れた…これは、リンちゃんにとっては、想定外…許せるものではなかったと思う…」

 たしかに、そう言われれば、わかる…

 納得する…

 菊池リンは、五井家のアイドル…

 お金持ちのお嬢様で、ライバルが、いなかった…

 その菊池リンの前に、佐藤ナナが、立ち塞がったのだ…

 おそらく、菊池リンにとっては、初めての経験というか…

 挫折になるかもしれない…

 それは、ちょうど、美人の女が、初めて、自分以上の美人に遭遇したのと、似ている(笑)…

 蝶よ、花よと、周囲から、さんざ、おだてられ、持ち上げられ、生きてきた美人の女が、自分以上の美人と、出会う…

 当然、これまで、自分に向けられてきた、周囲の羨望の眼差しは、皆、自分以上の美人に、向かう…

 これでは、誰もが、面白いはずがない…

 例えていえば、菊池リンは、それと、同じ状況ということだ…

 そんな菊池リンに、マミさんと、冬馬が、佐藤ナナと、伸明さんが、結婚できるように、根回ししていたなんて、知らせるわけには、いかない…

 知らせれば、当然、激怒することが、わかっているからだ…

 そして、どこからか、菊池リンは、マミさんと、冬馬の動きを知った…

 その動きを知った、菊池リンは、冬馬との結婚の解消を宣言したのではないか?

 伸明と結婚するためには、冬馬と別れなければ、ならない…

 元々、冬馬と菊池リンは、五井家内の血縁関係を重視して、結婚を決めたに過ぎない…

 だから、言葉は悪いが、愛情は、ないに違いない…

 そこまで、考えたとき、

 「…私は、いえ、昭子さんは、リンちゃんの心の動きまでは、読めなかった…それが、誤算だった…」

 と、諏訪野マミは、呟いた…

 「…誤算? …ですか?…」

 「…そう…誤算…昭子さんは、ひとの心まで、読めなかった…五井家をどうするかで、一杯だった…」

 「…」

 「…本家の力をどう高めるかで、一杯だった…佐藤ナナさんを、どう扱うかで、一杯だった…それゆえ、リンちゃんの心まで、読めなかった…」

 「…」

 「…これで、ジ・エンドということはないけど、想定外の事態になったことは、たしか…」

 「…どうして、想定外なんですか?…」

 「…五井東家…」

 「…五井東家が、どうか、したんですか?…」

 「…寿さんにこんなことを言うのは、なんだけど、もし、リンちゃんが、伸明さんと結婚すれば、五井東家は、どうなるの?…」

 「…」

 「…仮に、冬馬がいても、冬馬に、東家は継がせられない…冬馬は、一度、五井家を追放された身…無傷では、ない…言葉は、悪いが、前科があるということ…冬馬が、以前のように、五井東家を継ぐとなれば、他の五井の分家が、黙っていない…」

 「…」

 「…それが、わかっている、冬馬は、自殺未遂に追い込まれた…冬馬は、自分の立場がわかっている…誰よりもね…」

 「…」

 「…バカな男…そして、哀しい男…」

 「…哀しい男? …どうして、哀しいんですか?…」

 「…それは…」

 諏訪野マミが、言い淀んだ…

 これは、マズい…

 とっさに、思った…

 これは、聞くべきではないと、思った…

 どうして、冬馬が、哀しいのか、わからないが、相手が、言い淀むようなことを、聞くべきではない…

 言い淀むというのは、言いたくないということだ…

 私に話したくないということだ…

 だったら、そんな話をするべきではない…

 私は、急いで、話を変えた…

 「…冬馬…冬馬さんは、大丈夫なんですか?…」

 「…それは、まだ、わからない…」

 諏訪野マミが、即答した…

 「…意識は、まだ、戻ってない…」

 私は、どう言っていいか、わからなかった…

 だから、

 「…そうですか…」

 と、だけ、小さく、呟いた…

 それから、沈黙した…

 二人とも、押し黙った…

 なにを、話していいか、わからなかったからだ…

 菊池冬馬が、自殺未遂を起こして、五井記念病院に運ばれた…

 私は、それをテレビで知り、別れたばかりの伸明に伝えた…

 冬馬の自殺未遂を知らなかった伸明は、さまざまな人間に連絡を取ったに、違いなかった…

 その中の一人が、諏訪野マミであり、それを、伸明から聞いた、マミが、今、私に電話をかけてきたに違いなかったからだ…

 かなり、長い沈黙の後、

 「…寿さん…」

 と、スマホの向こう側から、マミの声が、聞こえてきた…

 「…もし…もし、もよ…」

 「…ハイ…」

 「…もし、もし…冬馬の意識が、戻ったら、寿さん…冬馬を見舞いに行って、くれないかな…」

 「…私が、冬馬さんのお見舞い…ですか?…」

 「…うん…」

 私は、しばし、悩んだ…

 沈黙した…

 菊池冬馬の見舞いに行くのは、嫌ではない…

 また、なにしろ、冬馬が、入院したのは、五井記念病院…

 私が、入院していた病院だ…

 いわば、勝手知ったる、身近な病院…

 が、

 私は、冬馬と、親しくも、なんともない…

 むしろ、嫌い…

 ハッキリ言って、嫌いだった…

 なにが、嫌いかと、言うと、冬馬の険のある目が嫌だった…

 目は、心を現わすと言うが、あの冬馬の険のある目は、私が、どうしても、受け入れられない目だった…

 どうしても、好きになれない目だった…

 だから、戸惑った…

 即座に、

 「…いいですよ…」

 と、言えなかった…

 だから、

 「…」

 と、沈黙した…

 すると、

 「…やっぱり、ダメかな?…」

 と、小さく遠慮がちな声が聞こえてきた…

 「…いえ、ダメというわけでは…」

 とっさに、言った…

 …ダメとは言えない…

 …嫌だとは、言えない…

 だが、

 本音は、嫌だ…

 わざわざ、見舞いに行ってまで、あの冬馬の険のある目を見たくはない…

 それが、ウソ偽りのない、本音だった…

 すると、

 「…寿さんが、冬馬を嫌っているのは、わかる…」

 と、諏訪野マミが、小さな声で、言った…

 「…でも、冬馬は、違う…」

 「…違う? なにが、違うんですか?…」

 「…冬馬は、寿さんが、好き…憧れてる…」

 「…ウソォ?…」

 思わず、口走った…

 口に出してしまった…

 …そんなバカな?…

 …あの冬馬が、私に憧れていたなんて?…

 …そんなバカな話はない!…

 私は、思った…

 だから、

 「…なにかの、間違いでは?…」

 と、マミに聞いた…

 聞かずには、いられなかった…

 すると、間髪入れずに、

 「…間違いなんかじゃない!…」

 と、マミが、怒鳴った…

 文字通り、怒鳴ったという言葉が、当てはまった…

 「…冬馬は、伸明さんが好き…憧れてる…だから、その伸明さんが、好きな、寿さんに、憧れてる…」

 諏訪野マミが、言った…

 説明した…

 誰にでも、わかる説明…

 誰にも=私にも、納得のできる説明だった…

                
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