第54話
文字数 6,942文字
…ズルい?…
…私が?…
…どうして、ズルいの?…
思いがけない、諏訪野マミの言葉に、動揺した…
私が、諏訪野マミに、ズルいと、言われる覚えはない…
だから、むしろ、怒りを覚えた…
諏訪野マミに、怒りを覚えた…
「…マミさん…どうして、私がズルいんですか?…」
少々、強い口調で、聞いた…
怒鳴りは、しなかったが、心の中では、十分、怒鳴っていた(笑)…
それを、スマホの向こう側で、諏訪野マミも察したのかもしれない…
「…寿さん…怖い…」
と、諏訪野マミが、小さく言った…
「…怖い?…」
「…ズルいって言ったのは、寿さんが、伸明さんの心を鷲掴みに、捉えたことよ…」
意外な言葉だった…
「…鷲掴みって?…」
「…昭子さんは、伸明さんと、佐藤ナナの結婚を目論んだ…その意を受けて、私と、冬馬は、寿さんの元に向かった…」
「…」
「…でも、伸明さんは、首を縦に振らなかった…だから、佐藤ナナを養女にするしかなかった…」
「…」
「…五井南家を本家側に引き込む条件として、なんとしても、佐藤ナナを媒介として、本家と縁戚関係を結ぶ必要がある…伸明さんと、結婚がダメなら、どうするか? 思いついたのが、養女という形だった…」
諏訪野マミが、私が、考えていた通りのことを、言った…
やはり、五井南家を五井の本家側につかせる条件として、佐藤ナナが、五井本家と、なんらかの縁戚関係を持つことが、必須となる…
だから、普通は、佐藤ナナを、伸明の妻として、迎えるのが、一番と、考えたが、伸明が、拒否したということだ…
だから、仕方なく、佐藤ナナを養女としたのだろう…
しかし、その原因が、私とは?
なんだか、気恥ずかしくなるというか…
本当に、そうなのか? とも、思う…
イマイチ、納得できない…
私のどこに、そんな魅力があるのだろう?
さっぱり、わからない(爆笑)…
私自身が、私を見ても、そんな魅力は、さっぱりない…
断言できる…
それとも、諏訪野伸明が、私を誤解しているのだろうか?
私、寿綾乃という女を勝手に、十倍にも、二十倍にも、大きく評価しているのだろうか?
あるいは…
あるいは、他に、なにか、別の理由があるのかもしれない…
私が、考えていると、
「…だから、冬馬…菊池冬馬は、自殺未遂を起こした…」
と、本題を言った…
私が、自分自身にうぬぼれている間に、本題を言った…
と、同時に、このために、諏訪野マミが、今、電話をかけてきたことに、気付いた…
やはりというか…
当たり前だが、諏訪野伸明に、聞いたに違いなかった…
が、
それを言っていいものか、どうか、迷った…
悩んだ…
すると、私が、なにも言わずにいる間に、
「…冬馬は、リンちゃんに、捨てられたの…」
と、想定外のことを、言った…
「…捨てられた?…」
思わず、大声を出した…
捨てられたって?
一体、どうして?
「…佐藤ナナ…彼女の存在が、リンちゃんの闘争心に火をつけたというか…」
「…どういうことですか?…」
「…佐藤ナナ…彼女が、突然、現れて、五井本家に、養女として、迎えられた…結果として、彼女は、リンちゃんよりも、五井家では、立場が上になった…それが、リンちゃんは、許せなかった…」
「…」
「…だから、リンちゃんは、冬馬と別れて、伸明さんと、結婚したがった…そうすれば、リンちゃんは、佐藤ナナよりも、上になれる…」
「…」
「…二人のルックスが似ているのも、まずかった…年齢も、ほぼ同じ…だから、余計に、競争心というか、敵対心が、芽生えた…」
「…」
「…それに、二人は、まだ籍を入れてなかったのも、まずかった…これから、いっしょに、住み始めようとした矢先…それが、まずかった…」
「…」
「…今なら、まだ、やり直せる…引き返せると、リンちゃんが、考えたのも、わかる…」
「…」
「…伸明さんと結婚して、佐藤ナナに勝ちたいという気持ちもわかる…」
「…」
「…でも、その結果、せっかく、五井家に戻れた冬馬は、居場所がなくなった…菊池リンと結婚することで、五井家に戻れた冬馬だったけど、その菊池リンが、冬馬と結婚しなければ、冬馬は、居場所がなくなる…」
当たり前のことだった…
菊池冬馬は、五井家を追放された…
にもかかわらず、復帰できた…
それは、菊池リンの夫として…
いわば、ウルトラCだった…
通常は、考えられない復帰だった…
一度、追放した者を復帰させるのも、そうだが、そのやり方というか、発想が、常人の域を超えたというか…
考えられない、やり方だった…
が、
別の見方をすれば、誰からも、異論が出ないやり方だった…
菊池冬馬は、嫌われ者…
それは、一族内でも、同じだった…
学生時代は、おろか、五井記念病院でも、嫌われていた…
病院の理事長にも、かかわらず、嫌われていた…
そんな冬馬が、追放になったとしても、誰からも異論が出るはずがなかった…
一族内でも、病院内でも、同じだった…
だから、到底、復帰はできない…
にもかかわらず、復帰できた…
しかも、その立ち位置は、絶妙だった…
以前は、菊池冬馬は、五井東家御曹司…次期、五井東家当主だった…
が、
今度は、同じ五井東家でも、当主の夫として…
五井東家当主、菊池リンの夫として、だ…
これならば、たいして、不満は出ない…
嫌われ者の冬馬が、五井家に復帰したのは、気に入らないが、それでも、五井東家当主ではない…
だから、一族内で、権限は、大幅に、弱まる…
五井東家当主ではないから、当主の権限は、ないからだ…
だから、見方を変えれば、昭子は、うまく、冬馬を救ったことになる…
元々、本人の評判が悪く、おまけに、父の重方(しげかた)も、勝手に、自民党で、自分の派閥を立ち上げようと画策した…
それが、昭子の逆鱗に触れ、親子共々、五井家から、追放された…
だから、普通は、戻ることはできないが、菊池リンの夫としてならば、逆風は、弱まる…
見事な、救済策だった…
と、ここまで、考えて、気付いた…
なぜ、重方(しげかた)は、救わず、冬馬だけ、救ったのだろう?
それとも、折をみて、重方(しげかた)もまた、復帰させるつもりだったのか?
わからない…
それは、わからない…
と、ここまで、考えて、気付いた…
もっと、大切なことを、気付いた…
大切なこと…
つまりは、菊池リンの変心だ…
心変わり、をだ…
なぜなら、菊池リンは、菊池冬馬と、諏訪野マミが、昭子の意を受けて、伸明と結婚するかもしれない動きを知っていたはずだ…
つまりは、その時点で、佐藤ナナと、伸明が結婚すれば、自分よりも、五井家内での立場が、上になると、気付いていたはずだ…
それとも?
それとも、あの時点では、菊池リンは、菊池冬馬と、諏訪野マミの動きに、気付かなかったのだろうか?
いや、
気付いてなかったのかもしれない…
以前、私に会った際に、菊池リンは、
「…食えない女…」
と、憎々しげに、私に向かって言った…
それは、私が、担当看護師の佐藤ナナが、五井南家の出身だと知っていたと、勘違いしていたから…
つまり、あの時点で、菊池リンは、十分に、佐藤ナナに対抗心を燃やしていた…
そんな菊池リンが、佐藤ナナが、伸明と結婚するかもしれないことを、知れば、面白いわけはない…
むしろ、全力で、阻止するに違いない…
なにしろ、佐藤ナナが、伸明と結婚すれば、佐藤ナナの五井家内での立ち位置は、自分より、上になるのだ…
突然、現れた、佐藤ナナが、自分より、上になるのだ…
これは、菊池リンにとって、愉快なはずはない…
それまでの、菊池リンは、亡くなった、前当主の建造の言葉でいえば、
「…一族のアイドル…」
だった…
文字通り、アイドル並みのルックスに、頼りないキャラ…
ただし、誰からも愛されるキャラだった…
だから、もし、本当のアイドルなら、
「…国民の妹…」
とでも、呼べば似合う存在だった…
誰からも愛される存在…
まさに、菊池リン、無双状態…
ライバルは、いない…
そんな無双状態の菊池リンに、突如、ライバルが現れた…
しかも、
しかも、だ…
菊池リンと、家柄は、同格…
褐色の肌の色を除けば、ルックス、能力ともに、菊池リンよりも上…
これでは、菊池リンが、面白いはずはない…
ライバル心を燃やさないはずはない…
だから、私は、
「…マミさん…ひとつ、お聞きしていいですか?…」
と、諏訪野マミに、聞いた…
「…なに? …寿さん?…」
「…あのとき、伸明さんとの結婚を、私から、辞退して欲しいと、マミさんは、冬馬さんと、二人で、私の元に、やって来て、おっしゃいましたね…」
「…」
「…アレは、菊池さん…菊池リンさんは、知らされてなかったんですか?…」
私の質問に、
「…」
と、諏訪野マミは、答えなかった…
沈黙した…
なんと、答えていいか、わからなかったのかもしれない…
沈黙が、肯定を意味した…
菊池リンが、なにも知らされてなかったことを、意味した…
かなりの間を置いて、
「…知らせなかった…」
と、ポツリと、呟いた…
「…どうして、知らせなかったんですか?…」
私の質問に、またも、
「…」
と、沈黙した…
やはり、かなりの間があった…
それから、
「…嫉妬…ジェラシー」
と、ポツリと、言った…
「…ジェラシー?…」
「…そう…ジェラシー…佐藤ナナの存在が、リンちゃんのプライドを、激しく傷つけた…」
「…」
「…さっきも言ったけど、寿さんも知っているように、二人は、似ている…ルックスも、キャラも、似た者同士…だから、余計にライバル心を燃やしたというか…」
「…」
「…そんな、リンちゃんに、私と冬馬が、寿さんに、伸明さんとの結婚を辞退してもらいに行くことなんて、話せるわけがなかった…」
「…」
「…私は、寿さんも知ってるように、愛人の子供…だから、子供の頃から、陰口というか、誹謗中傷には、慣れていた…だから、私は、五井家の人間かもしれないけれども、半分は、違う…」
…一体、マミさんは、なにを言い出すのだろう? と、思った…
「…でも、リンちゃんは、違う…生粋の五井のお嬢様…おまけに、アイドル並みのルックス…いわば、持てるものを、すべて、持って生まれた…」
「…」
「…そんなリンちゃんの前に、佐藤ナナさんが、現れた…なんでも、自分が一番だった、リンちゃんの前に、佐藤ナナが、現れた…これは、リンちゃんにとっては、想定外…許せるものではなかったと思う…」
たしかに、そう言われれば、わかる…
納得する…
菊池リンは、五井家のアイドル…
お金持ちのお嬢様で、ライバルが、いなかった…
その菊池リンの前に、佐藤ナナが、立ち塞がったのだ…
おそらく、菊池リンにとっては、初めての経験というか…
挫折になるかもしれない…
それは、ちょうど、美人の女が、初めて、自分以上の美人に遭遇したのと、似ている(笑)…
蝶よ、花よと、周囲から、さんざ、おだてられ、持ち上げられ、生きてきた美人の女が、自分以上の美人と、出会う…
当然、これまで、自分に向けられてきた、周囲の羨望の眼差しは、皆、自分以上の美人に、向かう…
これでは、誰もが、面白いはずがない…
例えていえば、菊池リンは、それと、同じ状況ということだ…
そんな菊池リンに、マミさんと、冬馬が、佐藤ナナと、伸明さんが、結婚できるように、根回ししていたなんて、知らせるわけには、いかない…
知らせれば、当然、激怒することが、わかっているからだ…
そして、どこからか、菊池リンは、マミさんと、冬馬の動きを知った…
その動きを知った、菊池リンは、冬馬との結婚の解消を宣言したのではないか?
伸明と結婚するためには、冬馬と別れなければ、ならない…
元々、冬馬と菊池リンは、五井家内の血縁関係を重視して、結婚を決めたに過ぎない…
だから、言葉は悪いが、愛情は、ないに違いない…
そこまで、考えたとき、
「…私は、いえ、昭子さんは、リンちゃんの心の動きまでは、読めなかった…それが、誤算だった…」
と、諏訪野マミは、呟いた…
「…誤算? …ですか?…」
「…そう…誤算…昭子さんは、ひとの心まで、読めなかった…五井家をどうするかで、一杯だった…」
「…」
「…本家の力をどう高めるかで、一杯だった…佐藤ナナさんを、どう扱うかで、一杯だった…それゆえ、リンちゃんの心まで、読めなかった…」
「…」
「…これで、ジ・エンドということはないけど、想定外の事態になったことは、たしか…」
「…どうして、想定外なんですか?…」
「…五井東家…」
「…五井東家が、どうか、したんですか?…」
「…寿さんにこんなことを言うのは、なんだけど、もし、リンちゃんが、伸明さんと結婚すれば、五井東家は、どうなるの?…」
「…」
「…仮に、冬馬がいても、冬馬に、東家は継がせられない…冬馬は、一度、五井家を追放された身…無傷では、ない…言葉は、悪いが、前科があるということ…冬馬が、以前のように、五井東家を継ぐとなれば、他の五井の分家が、黙っていない…」
「…」
「…それが、わかっている、冬馬は、自殺未遂に追い込まれた…冬馬は、自分の立場がわかっている…誰よりもね…」
「…」
「…バカな男…そして、哀しい男…」
「…哀しい男? …どうして、哀しいんですか?…」
「…それは…」
諏訪野マミが、言い淀んだ…
これは、マズい…
とっさに、思った…
これは、聞くべきではないと、思った…
どうして、冬馬が、哀しいのか、わからないが、相手が、言い淀むようなことを、聞くべきではない…
言い淀むというのは、言いたくないということだ…
私に話したくないということだ…
だったら、そんな話をするべきではない…
私は、急いで、話を変えた…
「…冬馬…冬馬さんは、大丈夫なんですか?…」
「…それは、まだ、わからない…」
諏訪野マミが、即答した…
「…意識は、まだ、戻ってない…」
私は、どう言っていいか、わからなかった…
だから、
「…そうですか…」
と、だけ、小さく、呟いた…
それから、沈黙した…
二人とも、押し黙った…
なにを、話していいか、わからなかったからだ…
菊池冬馬が、自殺未遂を起こして、五井記念病院に運ばれた…
私は、それをテレビで知り、別れたばかりの伸明に伝えた…
冬馬の自殺未遂を知らなかった伸明は、さまざまな人間に連絡を取ったに、違いなかった…
その中の一人が、諏訪野マミであり、それを、伸明から聞いた、マミが、今、私に電話をかけてきたに違いなかったからだ…
かなり、長い沈黙の後、
「…寿さん…」
と、スマホの向こう側から、マミの声が、聞こえてきた…
「…もし…もし、もよ…」
「…ハイ…」
「…もし、もし…冬馬の意識が、戻ったら、寿さん…冬馬を見舞いに行って、くれないかな…」
「…私が、冬馬さんのお見舞い…ですか?…」
「…うん…」
私は、しばし、悩んだ…
沈黙した…
菊池冬馬の見舞いに行くのは、嫌ではない…
また、なにしろ、冬馬が、入院したのは、五井記念病院…
私が、入院していた病院だ…
いわば、勝手知ったる、身近な病院…
が、
私は、冬馬と、親しくも、なんともない…
むしろ、嫌い…
ハッキリ言って、嫌いだった…
なにが、嫌いかと、言うと、冬馬の険のある目が嫌だった…
目は、心を現わすと言うが、あの冬馬の険のある目は、私が、どうしても、受け入れられない目だった…
どうしても、好きになれない目だった…
だから、戸惑った…
即座に、
「…いいですよ…」
と、言えなかった…
だから、
「…」
と、沈黙した…
すると、
「…やっぱり、ダメかな?…」
と、小さく遠慮がちな声が聞こえてきた…
「…いえ、ダメというわけでは…」
とっさに、言った…
…ダメとは言えない…
…嫌だとは、言えない…
だが、
本音は、嫌だ…
わざわざ、見舞いに行ってまで、あの冬馬の険のある目を見たくはない…
それが、ウソ偽りのない、本音だった…
すると、
「…寿さんが、冬馬を嫌っているのは、わかる…」
と、諏訪野マミが、小さな声で、言った…
「…でも、冬馬は、違う…」
「…違う? なにが、違うんですか?…」
「…冬馬は、寿さんが、好き…憧れてる…」
「…ウソォ?…」
思わず、口走った…
口に出してしまった…
…そんなバカな?…
…あの冬馬が、私に憧れていたなんて?…
…そんなバカな話はない!…
私は、思った…
だから、
「…なにかの、間違いでは?…」
と、マミに聞いた…
聞かずには、いられなかった…
すると、間髪入れずに、
「…間違いなんかじゃない!…」
と、マミが、怒鳴った…
文字通り、怒鳴ったという言葉が、当てはまった…
「…冬馬は、伸明さんが好き…憧れてる…だから、その伸明さんが、好きな、寿さんに、憧れてる…」
諏訪野マミが、言った…
説明した…
誰にでも、わかる説明…
誰にも=私にも、納得のできる説明だった…
…私が?…
…どうして、ズルいの?…
思いがけない、諏訪野マミの言葉に、動揺した…
私が、諏訪野マミに、ズルいと、言われる覚えはない…
だから、むしろ、怒りを覚えた…
諏訪野マミに、怒りを覚えた…
「…マミさん…どうして、私がズルいんですか?…」
少々、強い口調で、聞いた…
怒鳴りは、しなかったが、心の中では、十分、怒鳴っていた(笑)…
それを、スマホの向こう側で、諏訪野マミも察したのかもしれない…
「…寿さん…怖い…」
と、諏訪野マミが、小さく言った…
「…怖い?…」
「…ズルいって言ったのは、寿さんが、伸明さんの心を鷲掴みに、捉えたことよ…」
意外な言葉だった…
「…鷲掴みって?…」
「…昭子さんは、伸明さんと、佐藤ナナの結婚を目論んだ…その意を受けて、私と、冬馬は、寿さんの元に向かった…」
「…」
「…でも、伸明さんは、首を縦に振らなかった…だから、佐藤ナナを養女にするしかなかった…」
「…」
「…五井南家を本家側に引き込む条件として、なんとしても、佐藤ナナを媒介として、本家と縁戚関係を結ぶ必要がある…伸明さんと、結婚がダメなら、どうするか? 思いついたのが、養女という形だった…」
諏訪野マミが、私が、考えていた通りのことを、言った…
やはり、五井南家を五井の本家側につかせる条件として、佐藤ナナが、五井本家と、なんらかの縁戚関係を持つことが、必須となる…
だから、普通は、佐藤ナナを、伸明の妻として、迎えるのが、一番と、考えたが、伸明が、拒否したということだ…
だから、仕方なく、佐藤ナナを養女としたのだろう…
しかし、その原因が、私とは?
なんだか、気恥ずかしくなるというか…
本当に、そうなのか? とも、思う…
イマイチ、納得できない…
私のどこに、そんな魅力があるのだろう?
さっぱり、わからない(爆笑)…
私自身が、私を見ても、そんな魅力は、さっぱりない…
断言できる…
それとも、諏訪野伸明が、私を誤解しているのだろうか?
私、寿綾乃という女を勝手に、十倍にも、二十倍にも、大きく評価しているのだろうか?
あるいは…
あるいは、他に、なにか、別の理由があるのかもしれない…
私が、考えていると、
「…だから、冬馬…菊池冬馬は、自殺未遂を起こした…」
と、本題を言った…
私が、自分自身にうぬぼれている間に、本題を言った…
と、同時に、このために、諏訪野マミが、今、電話をかけてきたことに、気付いた…
やはりというか…
当たり前だが、諏訪野伸明に、聞いたに違いなかった…
が、
それを言っていいものか、どうか、迷った…
悩んだ…
すると、私が、なにも言わずにいる間に、
「…冬馬は、リンちゃんに、捨てられたの…」
と、想定外のことを、言った…
「…捨てられた?…」
思わず、大声を出した…
捨てられたって?
一体、どうして?
「…佐藤ナナ…彼女の存在が、リンちゃんの闘争心に火をつけたというか…」
「…どういうことですか?…」
「…佐藤ナナ…彼女が、突然、現れて、五井本家に、養女として、迎えられた…結果として、彼女は、リンちゃんよりも、五井家では、立場が上になった…それが、リンちゃんは、許せなかった…」
「…」
「…だから、リンちゃんは、冬馬と別れて、伸明さんと、結婚したがった…そうすれば、リンちゃんは、佐藤ナナよりも、上になれる…」
「…」
「…二人のルックスが似ているのも、まずかった…年齢も、ほぼ同じ…だから、余計に、競争心というか、敵対心が、芽生えた…」
「…」
「…それに、二人は、まだ籍を入れてなかったのも、まずかった…これから、いっしょに、住み始めようとした矢先…それが、まずかった…」
「…」
「…今なら、まだ、やり直せる…引き返せると、リンちゃんが、考えたのも、わかる…」
「…」
「…伸明さんと結婚して、佐藤ナナに勝ちたいという気持ちもわかる…」
「…」
「…でも、その結果、せっかく、五井家に戻れた冬馬は、居場所がなくなった…菊池リンと結婚することで、五井家に戻れた冬馬だったけど、その菊池リンが、冬馬と結婚しなければ、冬馬は、居場所がなくなる…」
当たり前のことだった…
菊池冬馬は、五井家を追放された…
にもかかわらず、復帰できた…
それは、菊池リンの夫として…
いわば、ウルトラCだった…
通常は、考えられない復帰だった…
一度、追放した者を復帰させるのも、そうだが、そのやり方というか、発想が、常人の域を超えたというか…
考えられない、やり方だった…
が、
別の見方をすれば、誰からも、異論が出ないやり方だった…
菊池冬馬は、嫌われ者…
それは、一族内でも、同じだった…
学生時代は、おろか、五井記念病院でも、嫌われていた…
病院の理事長にも、かかわらず、嫌われていた…
そんな冬馬が、追放になったとしても、誰からも異論が出るはずがなかった…
一族内でも、病院内でも、同じだった…
だから、到底、復帰はできない…
にもかかわらず、復帰できた…
しかも、その立ち位置は、絶妙だった…
以前は、菊池冬馬は、五井東家御曹司…次期、五井東家当主だった…
が、
今度は、同じ五井東家でも、当主の夫として…
五井東家当主、菊池リンの夫として、だ…
これならば、たいして、不満は出ない…
嫌われ者の冬馬が、五井家に復帰したのは、気に入らないが、それでも、五井東家当主ではない…
だから、一族内で、権限は、大幅に、弱まる…
五井東家当主ではないから、当主の権限は、ないからだ…
だから、見方を変えれば、昭子は、うまく、冬馬を救ったことになる…
元々、本人の評判が悪く、おまけに、父の重方(しげかた)も、勝手に、自民党で、自分の派閥を立ち上げようと画策した…
それが、昭子の逆鱗に触れ、親子共々、五井家から、追放された…
だから、普通は、戻ることはできないが、菊池リンの夫としてならば、逆風は、弱まる…
見事な、救済策だった…
と、ここまで、考えて、気付いた…
なぜ、重方(しげかた)は、救わず、冬馬だけ、救ったのだろう?
それとも、折をみて、重方(しげかた)もまた、復帰させるつもりだったのか?
わからない…
それは、わからない…
と、ここまで、考えて、気付いた…
もっと、大切なことを、気付いた…
大切なこと…
つまりは、菊池リンの変心だ…
心変わり、をだ…
なぜなら、菊池リンは、菊池冬馬と、諏訪野マミが、昭子の意を受けて、伸明と結婚するかもしれない動きを知っていたはずだ…
つまりは、その時点で、佐藤ナナと、伸明が結婚すれば、自分よりも、五井家内での立場が、上になると、気付いていたはずだ…
それとも?
それとも、あの時点では、菊池リンは、菊池冬馬と、諏訪野マミの動きに、気付かなかったのだろうか?
いや、
気付いてなかったのかもしれない…
以前、私に会った際に、菊池リンは、
「…食えない女…」
と、憎々しげに、私に向かって言った…
それは、私が、担当看護師の佐藤ナナが、五井南家の出身だと知っていたと、勘違いしていたから…
つまり、あの時点で、菊池リンは、十分に、佐藤ナナに対抗心を燃やしていた…
そんな菊池リンが、佐藤ナナが、伸明と結婚するかもしれないことを、知れば、面白いわけはない…
むしろ、全力で、阻止するに違いない…
なにしろ、佐藤ナナが、伸明と結婚すれば、佐藤ナナの五井家内での立ち位置は、自分より、上になるのだ…
突然、現れた、佐藤ナナが、自分より、上になるのだ…
これは、菊池リンにとって、愉快なはずはない…
それまでの、菊池リンは、亡くなった、前当主の建造の言葉でいえば、
「…一族のアイドル…」
だった…
文字通り、アイドル並みのルックスに、頼りないキャラ…
ただし、誰からも愛されるキャラだった…
だから、もし、本当のアイドルなら、
「…国民の妹…」
とでも、呼べば似合う存在だった…
誰からも愛される存在…
まさに、菊池リン、無双状態…
ライバルは、いない…
そんな無双状態の菊池リンに、突如、ライバルが現れた…
しかも、
しかも、だ…
菊池リンと、家柄は、同格…
褐色の肌の色を除けば、ルックス、能力ともに、菊池リンよりも上…
これでは、菊池リンが、面白いはずはない…
ライバル心を燃やさないはずはない…
だから、私は、
「…マミさん…ひとつ、お聞きしていいですか?…」
と、諏訪野マミに、聞いた…
「…なに? …寿さん?…」
「…あのとき、伸明さんとの結婚を、私から、辞退して欲しいと、マミさんは、冬馬さんと、二人で、私の元に、やって来て、おっしゃいましたね…」
「…」
「…アレは、菊池さん…菊池リンさんは、知らされてなかったんですか?…」
私の質問に、
「…」
と、諏訪野マミは、答えなかった…
沈黙した…
なんと、答えていいか、わからなかったのかもしれない…
沈黙が、肯定を意味した…
菊池リンが、なにも知らされてなかったことを、意味した…
かなりの間を置いて、
「…知らせなかった…」
と、ポツリと、呟いた…
「…どうして、知らせなかったんですか?…」
私の質問に、またも、
「…」
と、沈黙した…
やはり、かなりの間があった…
それから、
「…嫉妬…ジェラシー」
と、ポツリと、言った…
「…ジェラシー?…」
「…そう…ジェラシー…佐藤ナナの存在が、リンちゃんのプライドを、激しく傷つけた…」
「…」
「…さっきも言ったけど、寿さんも知っているように、二人は、似ている…ルックスも、キャラも、似た者同士…だから、余計にライバル心を燃やしたというか…」
「…」
「…そんな、リンちゃんに、私と冬馬が、寿さんに、伸明さんとの結婚を辞退してもらいに行くことなんて、話せるわけがなかった…」
「…」
「…私は、寿さんも知ってるように、愛人の子供…だから、子供の頃から、陰口というか、誹謗中傷には、慣れていた…だから、私は、五井家の人間かもしれないけれども、半分は、違う…」
…一体、マミさんは、なにを言い出すのだろう? と、思った…
「…でも、リンちゃんは、違う…生粋の五井のお嬢様…おまけに、アイドル並みのルックス…いわば、持てるものを、すべて、持って生まれた…」
「…」
「…そんなリンちゃんの前に、佐藤ナナさんが、現れた…なんでも、自分が一番だった、リンちゃんの前に、佐藤ナナが、現れた…これは、リンちゃんにとっては、想定外…許せるものではなかったと思う…」
たしかに、そう言われれば、わかる…
納得する…
菊池リンは、五井家のアイドル…
お金持ちのお嬢様で、ライバルが、いなかった…
その菊池リンの前に、佐藤ナナが、立ち塞がったのだ…
おそらく、菊池リンにとっては、初めての経験というか…
挫折になるかもしれない…
それは、ちょうど、美人の女が、初めて、自分以上の美人に遭遇したのと、似ている(笑)…
蝶よ、花よと、周囲から、さんざ、おだてられ、持ち上げられ、生きてきた美人の女が、自分以上の美人と、出会う…
当然、これまで、自分に向けられてきた、周囲の羨望の眼差しは、皆、自分以上の美人に、向かう…
これでは、誰もが、面白いはずがない…
例えていえば、菊池リンは、それと、同じ状況ということだ…
そんな菊池リンに、マミさんと、冬馬が、佐藤ナナと、伸明さんが、結婚できるように、根回ししていたなんて、知らせるわけには、いかない…
知らせれば、当然、激怒することが、わかっているからだ…
そして、どこからか、菊池リンは、マミさんと、冬馬の動きを知った…
その動きを知った、菊池リンは、冬馬との結婚の解消を宣言したのではないか?
伸明と結婚するためには、冬馬と別れなければ、ならない…
元々、冬馬と菊池リンは、五井家内の血縁関係を重視して、結婚を決めたに過ぎない…
だから、言葉は悪いが、愛情は、ないに違いない…
そこまで、考えたとき、
「…私は、いえ、昭子さんは、リンちゃんの心の動きまでは、読めなかった…それが、誤算だった…」
と、諏訪野マミは、呟いた…
「…誤算? …ですか?…」
「…そう…誤算…昭子さんは、ひとの心まで、読めなかった…五井家をどうするかで、一杯だった…」
「…」
「…本家の力をどう高めるかで、一杯だった…佐藤ナナさんを、どう扱うかで、一杯だった…それゆえ、リンちゃんの心まで、読めなかった…」
「…」
「…これで、ジ・エンドということはないけど、想定外の事態になったことは、たしか…」
「…どうして、想定外なんですか?…」
「…五井東家…」
「…五井東家が、どうか、したんですか?…」
「…寿さんにこんなことを言うのは、なんだけど、もし、リンちゃんが、伸明さんと結婚すれば、五井東家は、どうなるの?…」
「…」
「…仮に、冬馬がいても、冬馬に、東家は継がせられない…冬馬は、一度、五井家を追放された身…無傷では、ない…言葉は、悪いが、前科があるということ…冬馬が、以前のように、五井東家を継ぐとなれば、他の五井の分家が、黙っていない…」
「…」
「…それが、わかっている、冬馬は、自殺未遂に追い込まれた…冬馬は、自分の立場がわかっている…誰よりもね…」
「…」
「…バカな男…そして、哀しい男…」
「…哀しい男? …どうして、哀しいんですか?…」
「…それは…」
諏訪野マミが、言い淀んだ…
これは、マズい…
とっさに、思った…
これは、聞くべきではないと、思った…
どうして、冬馬が、哀しいのか、わからないが、相手が、言い淀むようなことを、聞くべきではない…
言い淀むというのは、言いたくないということだ…
私に話したくないということだ…
だったら、そんな話をするべきではない…
私は、急いで、話を変えた…
「…冬馬…冬馬さんは、大丈夫なんですか?…」
「…それは、まだ、わからない…」
諏訪野マミが、即答した…
「…意識は、まだ、戻ってない…」
私は、どう言っていいか、わからなかった…
だから、
「…そうですか…」
と、だけ、小さく、呟いた…
それから、沈黙した…
二人とも、押し黙った…
なにを、話していいか、わからなかったからだ…
菊池冬馬が、自殺未遂を起こして、五井記念病院に運ばれた…
私は、それをテレビで知り、別れたばかりの伸明に伝えた…
冬馬の自殺未遂を知らなかった伸明は、さまざまな人間に連絡を取ったに、違いなかった…
その中の一人が、諏訪野マミであり、それを、伸明から聞いた、マミが、今、私に電話をかけてきたに違いなかったからだ…
かなり、長い沈黙の後、
「…寿さん…」
と、スマホの向こう側から、マミの声が、聞こえてきた…
「…もし…もし、もよ…」
「…ハイ…」
「…もし、もし…冬馬の意識が、戻ったら、寿さん…冬馬を見舞いに行って、くれないかな…」
「…私が、冬馬さんのお見舞い…ですか?…」
「…うん…」
私は、しばし、悩んだ…
沈黙した…
菊池冬馬の見舞いに行くのは、嫌ではない…
また、なにしろ、冬馬が、入院したのは、五井記念病院…
私が、入院していた病院だ…
いわば、勝手知ったる、身近な病院…
が、
私は、冬馬と、親しくも、なんともない…
むしろ、嫌い…
ハッキリ言って、嫌いだった…
なにが、嫌いかと、言うと、冬馬の険のある目が嫌だった…
目は、心を現わすと言うが、あの冬馬の険のある目は、私が、どうしても、受け入れられない目だった…
どうしても、好きになれない目だった…
だから、戸惑った…
即座に、
「…いいですよ…」
と、言えなかった…
だから、
「…」
と、沈黙した…
すると、
「…やっぱり、ダメかな?…」
と、小さく遠慮がちな声が聞こえてきた…
「…いえ、ダメというわけでは…」
とっさに、言った…
…ダメとは言えない…
…嫌だとは、言えない…
だが、
本音は、嫌だ…
わざわざ、見舞いに行ってまで、あの冬馬の険のある目を見たくはない…
それが、ウソ偽りのない、本音だった…
すると、
「…寿さんが、冬馬を嫌っているのは、わかる…」
と、諏訪野マミが、小さな声で、言った…
「…でも、冬馬は、違う…」
「…違う? なにが、違うんですか?…」
「…冬馬は、寿さんが、好き…憧れてる…」
「…ウソォ?…」
思わず、口走った…
口に出してしまった…
…そんなバカな?…
…あの冬馬が、私に憧れていたなんて?…
…そんなバカな話はない!…
私は、思った…
だから、
「…なにかの、間違いでは?…」
と、マミに聞いた…
聞かずには、いられなかった…
すると、間髪入れずに、
「…間違いなんかじゃない!…」
と、マミが、怒鳴った…
文字通り、怒鳴ったという言葉が、当てはまった…
「…冬馬は、伸明さんが好き…憧れてる…だから、その伸明さんが、好きな、寿さんに、憧れてる…」
諏訪野マミが、言った…
説明した…
誰にでも、わかる説明…
誰にも=私にも、納得のできる説明だった…