第17話
文字数 9,145文字
…菊池重方(しげかた)…
五井一族にして、五井十三家の一つ、五井東家当主にして、五井家のグループ企業の会長…
そして、現職の国会議員にして、大場派の重鎮…
その大場派の重鎮が、今、大場派の領袖、大場小太郎から、派閥を奪おうとしている…
あるいは、大場派から、派閥の議員を引き連れて、独立して、菊池派を作ろうとしている…
そんな菊池重方(しげかた)が、藤原ナオキに会おうとしている…
…一体、その目的はなに?…
勘ぐりたくなる…
詮索したくなる…
「…綾乃さん…どう思う?…」
ナオキが、私に聞いた…
私は、すぐに、
「…ナオキ…」
と、返した…
「…なに、綾乃さん?…」
「…その菊池重方(しげかた)氏だけど、この五井記念病院の理事長である、菊池冬馬氏の父親だって、知ってた?…」
「…それぐらいは…」
「…だったら、その菊池重方(しげかた)氏が、諏訪野伸明さんから、五井家の当主の座を奪おうとしていることは、知ってた?…」
「…諏訪野さんから、当主の座を奪う?…」
文字通り、ナオキは、絶句した…
「…そんな…初めて、知った…」
それから、ちょっと、間を置いて、
「…でも、綾乃さん、ベッドの上で、寝ているだけなのに、どこで、そんな情報を…」
「…バカね…見舞い客からに決まっているでしょ…」
私が言うと、唖然とした顔になった…
そして、ちょっと考え込みながら、
「…そうだよね…それ以外は、考えられない…」
と、自分自身を納得させるように、呟いた…
「…ここは、五井記念病院…五井家の経営する病院…いわば、私たちは、今、五井家の中にいる…」
「…五井家の中?…」
「…五井家の中というのは、おおげさだけど、理事長が、五井東家の菊池冬馬氏…その叔母が、諏訪野伸明氏の母親の昭子さん…一度、この病室に来て下さった…」
「…諏訪野さんのお母様が? …綾乃さんの元へ?…」
「…そう…」
短く、答えた…
「…そこで、五井家の内紛の内訳を聞いた…」
私の告白に、ナオキは、
「…」
と、言葉もなかった…
ただ、唖然として、私を見ていた…
「…そして、その昭子さんが、この病室にいらしたとき、理事長の菊池冬馬氏もやって来た…」
「…理事長が?…」
「…理場長の菊池冬馬氏から、見れば、昭子さんは、叔母…冬馬氏の父、菊池重方(しげかた)氏は、昭子さんの弟…」
「…弟? …ということは、菊池重方(しげかた)氏は、諏訪野さんの叔父さんってこと?…」
「…その通り…」
藤原ナオキが、考え込んだ…
「…つまりは、その菊池重方(しげかた)氏は、甥の諏訪野伸明氏から、五井家の当主の座を奪おうとしているわけだ…」
「…そうよ…」
「…で、理由は?…」
「…理由?…」
「…五井家の当主の座を奪おうとしている理由さ…」
「…菊池派の立ち上げみたい…」
「…菊池派? …」
「…今、菊池重方(しげかた)氏は、自民党の大場派の幹部でしょ? …」
「…それは、知ってる…」
「…菊池重方(しげかた)氏は、大場派の領袖、大場小太郎から、派閥を奪うか、大場派から、仲間を引き連れて、派閥を出て、自分の派閥を立ち上げようとしているみたい…」
「…綾乃さん、そんな情報をどこから…」
「…見舞い客に決まってるでしょ?…」
「…」
「…つまり、菊池重方(しげかた)は、自分の派閥を持ちたい…そのためには、お金が必要…でも、今の五井家の分家の身分では、動かせるお金の額もたかが知れている…だから、諏訪野伸明さんから、当主の座を奪って、自分が、当主の座に就きたい…当主になれば、今より、もっと大きなお金を動かせる…そのお金を使って、菊池派を立ち上げる…そういうこと…」
私の言葉に、藤原ナオキは、腕を組んで、考え込んだ…
それから、
「…そういうことか…」
と、自分自身を納得させるように、呟いた…
「…だが、どうして、ボクに会いたいんだろ?…」
「…それは、わからない…」
私は、言った…
「…でも…」
「…でも、なに?…」
「…私が、ここに、入院しているのと、無関係では、ないと思う…」
「…どうして?…」
「…私が、この五井記念病院に入院していることで、菊池重方(しげかた)氏の、姉の、諏訪野昭子さんや、息子で、五井家当主の伸明氏も、私に見舞いに来た…いわば、変な話、私が、中心になっている…」
「…」
「…だから、私、寿綾乃が、勤務する、FK興産の社長、藤原ナオキに、菊池重方(しげかた)氏が、会いたいと、言ったのは、うぬぼれじゃなく、私が、ここにいるのが、関係していると思う…」
私の言葉に、
「…」
と、ナオキは、沈黙した…
そして、しばらく、考え込んだ…
「…たしかに、綾乃さんの言う通りかもしれない…」
ゆっくりと、考えながら、口を開いた…
「…綾乃さんは、諏訪野伸明さんと、付き合っている…その結果、諏訪野さんのお母様も、この病室にいらした…そして、ボクは、その綾乃さんと、親しい間柄…五井家の当主の座を諏訪野さんから、菊池重方(しげかた)氏が、奪おうとしているのならば、一度、ボクに会ってみたいと思うのは、わかる…」
「…でしょ?…」
「…でも、ボクに会って、菊池重方(しげかた)氏が、なにをしたいのか、わからない…」
「…」
「…ボクは、ここ数年、会社が急成長して、世間に知られるようになった…正直、金も持った…でも、菊池重方(しげかた)氏は、ボクなんか、足元にも及ばないお金持ちだ…そんなお金持ちが、ボクの財産を狙って、近付いてくるとは、思えない…」
「…」
「…だから、菊池重方(しげかた)氏の狙いが、わからない…」
「…選挙? …」
ふと、思った…
「…ナオキ…アナタを選挙に担ぎ出したいんじゃなくて…」
「…バカな…」
「…いえ、バカなことじゃない…アナタは、今、知名度はあるし、ルックスもいい…もし、菊池重方(しげかた)氏が、自分の派閥を持ちたいのならば、自分の推しで、国会議員を作るのが、一番いい…自分の推しで、国会議員になれば、当然、自分の派閥に入る…つまり、自分の派閥の人間を、一人増やすことができる…」
私の言葉に、ナオキが、苦笑した…
「…それは、ありえないよ…綾乃さん…」
「…どうして、ありえないの?…」
「…ソフトバンクの孫さんや、楽天の三木谷さんを見ても、政治家になりたいなんて、一言も言っていない…ボクの数十倍、いや、数百倍も、成功したIT長者ですら、そうだ…彼らから見れば、取るに足りないボクが、そんなことをするなんて、バカげている…仮に、ボクが、国会議員になって、議員活動に夢中になれば、ボクの会社は、たちまち、傾くに違いない…」
「…」
「…これは、IT業界に限った話じゃない…ユニクロの柳内さんだって、ニトリの似鳥さんだって、選挙に出るなんて、一言も言ったことがないんじゃないかな?…」
「…」
「…要するに、今の時代、成功した経営者にとって、国家議員になるのは、魅力的なことじゃないってことさ…」
「…」
「…まあ、ボクが、孫さんや、三木谷さんと、同列に、名前を上げるなんて、思い上がりも甚だしいと思うけどね…」
そう言って、ナオキは、笑った…
たしかに、ナオキの言う通りかもしれない…
藤原ナオキは、成功したとはいえ、ソフトバンクや、楽天から見れば、限りなく小さい…彼らが、月や太陽とすれば、藤原ナオキは、天空にあまねく、広がる星の一つに過ぎない…
だが、そんな小さな星だから、菊池重方(しげかた)が、国会議員に誘うとも、考えられる…
孫や三木谷のような大物ならば、誘いにも、乗らない可能性は、高いが、ナオキならば、言い方は、悪いが、小物だから、誘いに乗る可能性があると思ったのかもしれない…
私は、それを思った…
だが、当然、藤原ナオキは、違った…
たとえ、冗談でも、国会議員になるつもりは、ないのだろう…
まあ、ナオキに限らず、平成の世で、成功した経営者で、国会議員になった人間は、あまりお目にかかれない…
別の言い方をすれば、国会議員という地位=あるいは、職業が、成功した、経営者にとって、もはや魅力のあるものではないのかもしれない…
私は、思った…
だが、そう考えると、菊池重方(しげかた)の狙いは、一体、なんだろうと、邪推する…
目的が、わからない…
それとも、ただ、私、寿綾乃のパートナーだと知っていたからだろうか?
自分が、追い落とそうとする、五井家当主、諏訪野伸明が、もしかしたら、妻にするかもしれない女のパートナーだった男…
その男を、自分の目で見ておきたい…
そんな好奇心からだろうか?
いや、
それはありえない(苦笑)…
単なる好奇心から、藤原ナオキに会いたいなんて、そんな子供じみた発想は、普通はない…
会うには、目的…
目的、あるいは、罠?がある(笑)…
将を射んと欲すれば先ず馬を射よ…
ということわざがあるが、狙いは、別にあるが、とりあえず、会う…
まあ、もっとも、このことわざは、最初は、その狙いの大物の近くの小物というか、雑魚(ざこ)を狙えという意味なので、本当は、このことわざは、似合わない…
もし、菊池重方(しげかた)の狙いが、私、寿綾乃だとしたら、私は、雑魚(ざこ)…
大物が、藤原ナオキ…
その雑魚(ざこ)に会うために、最初に会うのが、大物のナオキでは、話があべこべだ(苦笑)…
いや、
違う…
知名度や財力でいえば、もちろん、藤原ナオキが、大物だが、狙いは雑魚(ざこ)の寿綾乃(苦笑)…
そう考えれば、藤原ナオキは、大物かもしれないが、あくまで、当て馬というか、本命ではない…
あくまで、菊池重方(しげかた)の本命は、私、寿綾乃に違いない…
しかし、仮に、本命が、私だとしても、菊池重方(しげかた)の狙いは、一体、なに?…
なにを狙っている?
考える…
菊池重方(しげかた)の狙いは、甥の諏訪野伸明を、五井家当主の座から、引きずり落とし、自分が、当主の座に就くこと…
それが、究極の目的…
その目的を達成するために、なにかする…
それは、すべて、目的を達成するための、手段に他ならない…
私は、考える…
それを考えれば、私に会うことも、ナオキに会うことも同列…
同じことに他ならない…
すべては、五井家当主になること…
当主になって、菊池派を作ることが、すべての目的だからだ…
それを思った…
そして、それを思ったとき、真っ先に考えたのが、この病院の理事長、菊池冬馬のことだった…
菊池冬馬は、菊池重方(しげかた)の息子…
果たして、菊池冬馬は、父の重方(しげかた)に従って、伸明に反旗を翻すのだろうか?…
菊池冬馬は、叔母であり、現当主の伸明の母、昭子から、父の謀反を知らされ、
「…ボクは、そんなバカじゃない…五井家あっての菊池冬馬です…五井家にいるから、この若さで、こんな大病院の理事長になれた…五井家を出れば、生きてゆくのも、至難の業(わざ)です…」
と、言って、父と共闘して、現当主の、伸明に歯向かうことを、否定した…
だが、それが、本心か、どうかは、わからない…
現に、伸明の母、昭子は、
「…それが、本心からのものだと信じたいですね…」
と、婉曲に、それが、冬馬の本心か、どうか、疑わしいと、言った…
それを、聞いた、冬馬は、不満そうな表情を浮かべて、この病室から、去った…
出て行った…
誰も目にも、本心か、どうかは、疑わしかった…
昭子が、わざと、
「…それが、本心からのものだと信じたいですね…」
と、まるで、カマをかけるというか、挑発するような物言いをしたのも、問題だったが、それに乗って、というか、冬馬が、誰の目にも、不満な表情を見せたのも、また問題だった…
あれでは、傍目にも、自分も父同様、伸明を五井家当主の座から、引きずり降ろしたいと、言っているのと、同じだったからだ…
冬馬の本心は、わからないが、不満があるのは、見え見えだった…
冬馬は、一度見ただけだが、昔の言葉でいえば、きかんぼうだった…
きかんぼう=言うことを、なかなか聞かない…勝ち気で、わんぱくな子供だった…
おそらく、五井家という、お金持ちの家に生まれ、なに不自由のない生活をしているが、ゆえに、生活の苦労をしらないから、他人の言葉を聞かない…
他人を見下す人間の典型だった…
おそらく、生まれてこのかた、他人に頭を下げたこともないのかもしれない…
いわゆる上流階級に生まれたゆえに、生活の苦労も知らず、ただ金にあかせて、よい生活を送る典型的なボンボンだった…
冬馬の言動に、その高いプライドが、容易に、見え隠れした…
そして、それは、昭子に言わせれば、冬馬の父、重方(しげかた)そっくりとのことだった…
つまり、冬馬と、父の重方(しげかた)は、似ている…
おそらく、性格が瓜二つなんだろうと、思った…
それゆえ、昭子は、わざと、冬馬に、父の真似をするなと、念を押したに違いなかった…
昭子は、弟の重方(しげかた)を、五井家から、追放しようとしているに違いない…
だが、その息子であり、甥の冬馬については、そこまでしたくないに違いなかった…
六十代の父親は、追放しても、三十代の冬馬を追放するのは、忍びないと、思ったのかもしれない…
単純に、五井家から、追放するのは、酷だと、思ったのかもしれなかった…
だが、父の重方(しげかた)は、違う…
追放するしか、ないのかしれない…
おそらく、息子の伸明を、当主の座から追い落とそうとする、決定的な証拠を、昭子は、掴んでいるのかもしれなかった…
それゆえ、追放やむなしと、判断したのだろう…
私は、思った…
私は、思いながら、考えた…
だが、本当に、そうか?
いや、
なにが、本当かというと、昭子は、冬馬を、本当に、追放しようと考えては、いないのだろうか?
ふと、思った…
昭子は、甘い女ではない…
すでに、弟の重方(しげかた)は、追放することが、彼女の中で、決まっているのだろう…
息子である、伸明を守るため…
五井家を守るために、血肉を分けた、弟といえども、容赦なく、追放するだろう…
なにしろ、それは、伸明の弟、秀樹の例を見てもわかる…
秀樹は、昭子の実子…
伸明とは、父親違いの兄弟だ…
その秀樹が、自殺したときも、昭子は、助けなかったに違いない…
夫の建造が、自分の次の当主に、自分の血が繋がらない伸明を指名した…
血が繋がらないとはいえ、伸明が、自分の後継者にふさわしいと、判断したからだ…
そして、昭子は、夫の決断を尊重したに違いない…
それは、おそらく、昭子自身もまた、同じように、自分の息子たちを見ていたに違いない…
建造の跡を継ぐのは、伸明が、ふさわしく、次男の秀樹は、その器にあらず、と、判断したに違いない…
母親としては、非情だが、これもまた、五井家の人間としては、仕方のなかったことかもしれない…
五井は、400年の歴史がある…
そして、五井の歴史は、争いの歴史だと、聞いた…
おそらく、三井や住友に比べて、一族の団結心が、薄いのだろう…
だから、すぐに、争いになる…
それゆえ、当主は、常に争いに敏感にならざるを得ない…
そして、それは、当主の妻も同じ…
つまりは、一族の長として、五井家の団結を真っ先に、考えなければ、ならないからだ…
それを、考えると、やはり、昭子が、菊池冬馬をどう扱うのか、疑問がある…
やはり、最初から、父の重方(しげかた)と、いっしょに、五井家から、追放しようとしていると、考えた方が、いいのかもしれない…
私は、思った…
その方が、五井家にとって、傷が浅い…
傷は浅いうちに、騒動を終えるのが、一番…
野火ではないが、どんどん燃え広がれば、それが、いつしか大火になる…
その結果、手遅れになる…
鎮火するには、時間がかかる…
被害も大きい…
だから、手遅れにならないうちに、火を消すに限る…
争いの芽は、早いうちに摘むに限る…
だから、五井家で、菊池重方(しげかた)を、追放しようとしている以上、その息子の冬馬も、父子セットで、五井家から、追放しようとしているのかもしれない…
私は、それを思った…
私が、そんなことを、考えていると、ナオキが、
「…綾乃さん…」
と、私に語りかけた…
「…なに、ナオキ?…」
「…諏訪野伸明氏のことだけど…」
「…伸明さんが、なにか?…」
「…最近、会ったんだが、やはりというか、元気がない…」
それは、当たり前だ…
五井家が、これだけ炎上?しているのに、当主の伸明が、元気でいるはずがない…
「…それは、なぜ?…」
と、ナオキに聞きながら、一方で、その質問は、愚問だと思った…
愚問の極み…
一族が、内紛で揺れているのだから、その悩みで、元気がないのだろう…
「…五井家の内紛で、元気がないと、思っていたんだが、さにあらず…」
「…さにあらず…」
「…菊池さん…菊池リンが、戻ってきて、諏訪野さんの前に現れたらしい…」
「…菊池さんが?…」
私は、あまりの展開に、言葉を失った…
菊池リンは、諏訪野伸明の母、昭子の妹、和子の孫…
つまり、ひらたく言えば、伸明の従弟の子供ということになる…
そして、本来は、菊池リンと、結婚することが、五井家当主の座に一番近いと思われた…
なぜなら、五井家は、何度も言うように、400年の歴史がある…
それゆえ、一族の血は薄まり、一族とはいえ、血の濃さは、他人に近くなる…
それゆえ、結婚は、男女ともに、一族内での結婚を推奨した…
これ以上、一族の血を薄めないためだ…
そして、伸明と、秀樹の兄弟の、結婚相手として、最も、一族内で、ふさわしいのが、菊池リンだった…
それゆえ、伸明に、当主の座を奪われるかもしれないと、危機を感じた、秀樹は、菊池リンと、結婚するしか、不利な状況を打開する道がなくなった…
しかし、菊池リンは、拒否…
その結果、五井家当主の座に就く道が、閉ざされた秀樹は、死ぬしか、なくなった…
あのときは、わからなかったが、今、考えれば、秀樹は、五井家のルールを知っていたからだろう…
当主の座を目指して、敗れたものは、追放されると、知っていたに違いない…
それゆえ、絶望のあまり、死を選んだ…
私は、それを思い出した…
しかし、一体、今になって、なぜ?
なぜ、菊池リンが、姿を現したのか?
思えば、菊池リンは、私、寿綾乃を監視する、五井家が、私に放ったスパイだった…
愛くるしい彼女に心を許した私は、彼女の手で丸裸にされた…
一挙手一投足を、見張られて、丸裸にされた…
そして、私が、社長室で、藤原ユリコと、対決した際に、ユリコが、私の正体をバラし、代わりに、私は、ジュン君が、ナオキの子供でないことを、指摘した…
それを、近くで、聞いて、ジュン君に連絡したのが、菊池リンだった…
動揺したジュン君は、FK興産から、出てきた私を、自分の運転するクルマで、はねた…
それが、二か月前のこと…
だから、今、私は、この病院のベッドで、寝ているわけだ…
と、同時に、気付いた…
先日、私の見舞いに来た、昭子は、
「…菊池リンより、私、寿綾乃の方が、伸明の妻にふさわしい…」
と、言った…
あのときは、なぜ、そんなことを、言うのか、わからなかった…
いや、
わからなかったのではない…
単純に、伸明は、やはり、五井一族である、菊池リンと結婚するのが、一番と私は、思っていた…
だから、あのとき、昭子に、それを告げた…
しかし、その結果、昭子の口から出た言葉が、
「…菊池リンより、私、寿綾乃の方が、伸明の妻にふさわしい…」
だった…
私は、その言葉が嬉しかったが、本当は、なにか、裏があったのかもしれない…
今、ナオキが、菊池リンが、諏訪野伸明の前に姿を現したという事実が、それを物語る…
はっきり言えば、菊池リンが、姿を現しても、私は、寿さんを支持すると言っているのと、同じだからだ…
そして、菊池リンは、アキレス腱というか、五井家にとっての、キーパーソンだった…
なぜなら、菊池リンは、昭子の妹、和子の孫だからだ…
菊池リンの動静いかんで、昭子と和子の姉妹の仲を引き裂く可能性もある…
菊池リンが、どう動くかで、盤石に見られた、五井家のトップの周辺に、ひびを入れることができるかもしれない…
だが、
それを仕掛けたのは、誰か?
当たり前だが、菊池重方(しげかた)に違いない…
菊池重方(しげかた)が、菊池リンに連絡を取り、帰国させたに違いない…
菊池重方(しげかた)は、菊池リンの祖母である、和子の弟…
当たり前だが、面識はある…
菊池リンを帰国させることで、伸明の周囲に、ゴタゴタを引き起こす…
それを狙って、重方(しげかた)が、菊池リンを帰国させた…
それを知って、昭子は、激怒したに違いない…
菊池リンの動静いかんでは、一卵性姉妹の昭子と、和子の仲も、怪しくなる…
今は、仲が良いが、菊池リンが、伸明に、どう振る舞うかによって、最悪、姉妹の仲が引き裂かれる…
それを狙って、重方(しげかた)は、菊池リンを帰国させた…
それゆえ、激怒した昭子は、重方(しげかた)を、五井家から、追放しようと、心に決めたに違いない…
私は、それを思った…
つまり、菊池重方(しげかた)は、一方で、私のパートナーであり、庇護者でもある、藤原ナオキに近付き、もう一方で、私の婚約者に近い、諏訪野伸明の前に、本来、婚約者として、もっとも、ふさわしい、菊池リンを、帰国させて、伸明の前に姿を見させたのだ…
まさに、敵ながら、あっぱれ…
見事というほかはない…
十分、混乱させてくれる…
私は、思った…
そして、なにより、これは、強敵…
強敵に他ならない…
容易ならざる敵に他ならない…
それが、わかっているからこそ、伸明の母、昭子は、弟の重方(しげかた)を、五井家から、追放しようと、固く心に決めたに違いない…
私は、思った…
五井家から、丸裸にして、追放する…
具体的には、所属する五井家の会社から、肩書を取り去って、社外に追放するのだろう…
さもなくば、危険…
血の繋がった実の弟ゆえに、手管はわかっている…
なにより、その危険性は、わかっていると、言いたいのかもしれない…
今、菊池リンが、諏訪野伸明の前に姿を現したことで、菊池重方(しげかた)の老練な手腕が、剥き出しになった…
これは、その一つなのかもしれない…
私は、思った…
五井一族にして、五井十三家の一つ、五井東家当主にして、五井家のグループ企業の会長…
そして、現職の国会議員にして、大場派の重鎮…
その大場派の重鎮が、今、大場派の領袖、大場小太郎から、派閥を奪おうとしている…
あるいは、大場派から、派閥の議員を引き連れて、独立して、菊池派を作ろうとしている…
そんな菊池重方(しげかた)が、藤原ナオキに会おうとしている…
…一体、その目的はなに?…
勘ぐりたくなる…
詮索したくなる…
「…綾乃さん…どう思う?…」
ナオキが、私に聞いた…
私は、すぐに、
「…ナオキ…」
と、返した…
「…なに、綾乃さん?…」
「…その菊池重方(しげかた)氏だけど、この五井記念病院の理事長である、菊池冬馬氏の父親だって、知ってた?…」
「…それぐらいは…」
「…だったら、その菊池重方(しげかた)氏が、諏訪野伸明さんから、五井家の当主の座を奪おうとしていることは、知ってた?…」
「…諏訪野さんから、当主の座を奪う?…」
文字通り、ナオキは、絶句した…
「…そんな…初めて、知った…」
それから、ちょっと、間を置いて、
「…でも、綾乃さん、ベッドの上で、寝ているだけなのに、どこで、そんな情報を…」
「…バカね…見舞い客からに決まっているでしょ…」
私が言うと、唖然とした顔になった…
そして、ちょっと考え込みながら、
「…そうだよね…それ以外は、考えられない…」
と、自分自身を納得させるように、呟いた…
「…ここは、五井記念病院…五井家の経営する病院…いわば、私たちは、今、五井家の中にいる…」
「…五井家の中?…」
「…五井家の中というのは、おおげさだけど、理事長が、五井東家の菊池冬馬氏…その叔母が、諏訪野伸明氏の母親の昭子さん…一度、この病室に来て下さった…」
「…諏訪野さんのお母様が? …綾乃さんの元へ?…」
「…そう…」
短く、答えた…
「…そこで、五井家の内紛の内訳を聞いた…」
私の告白に、ナオキは、
「…」
と、言葉もなかった…
ただ、唖然として、私を見ていた…
「…そして、その昭子さんが、この病室にいらしたとき、理事長の菊池冬馬氏もやって来た…」
「…理事長が?…」
「…理場長の菊池冬馬氏から、見れば、昭子さんは、叔母…冬馬氏の父、菊池重方(しげかた)氏は、昭子さんの弟…」
「…弟? …ということは、菊池重方(しげかた)氏は、諏訪野さんの叔父さんってこと?…」
「…その通り…」
藤原ナオキが、考え込んだ…
「…つまりは、その菊池重方(しげかた)氏は、甥の諏訪野伸明氏から、五井家の当主の座を奪おうとしているわけだ…」
「…そうよ…」
「…で、理由は?…」
「…理由?…」
「…五井家の当主の座を奪おうとしている理由さ…」
「…菊池派の立ち上げみたい…」
「…菊池派? …」
「…今、菊池重方(しげかた)氏は、自民党の大場派の幹部でしょ? …」
「…それは、知ってる…」
「…菊池重方(しげかた)氏は、大場派の領袖、大場小太郎から、派閥を奪うか、大場派から、仲間を引き連れて、派閥を出て、自分の派閥を立ち上げようとしているみたい…」
「…綾乃さん、そんな情報をどこから…」
「…見舞い客に決まってるでしょ?…」
「…」
「…つまり、菊池重方(しげかた)は、自分の派閥を持ちたい…そのためには、お金が必要…でも、今の五井家の分家の身分では、動かせるお金の額もたかが知れている…だから、諏訪野伸明さんから、当主の座を奪って、自分が、当主の座に就きたい…当主になれば、今より、もっと大きなお金を動かせる…そのお金を使って、菊池派を立ち上げる…そういうこと…」
私の言葉に、藤原ナオキは、腕を組んで、考え込んだ…
それから、
「…そういうことか…」
と、自分自身を納得させるように、呟いた…
「…だが、どうして、ボクに会いたいんだろ?…」
「…それは、わからない…」
私は、言った…
「…でも…」
「…でも、なに?…」
「…私が、ここに、入院しているのと、無関係では、ないと思う…」
「…どうして?…」
「…私が、この五井記念病院に入院していることで、菊池重方(しげかた)氏の、姉の、諏訪野昭子さんや、息子で、五井家当主の伸明氏も、私に見舞いに来た…いわば、変な話、私が、中心になっている…」
「…」
「…だから、私、寿綾乃が、勤務する、FK興産の社長、藤原ナオキに、菊池重方(しげかた)氏が、会いたいと、言ったのは、うぬぼれじゃなく、私が、ここにいるのが、関係していると思う…」
私の言葉に、
「…」
と、ナオキは、沈黙した…
そして、しばらく、考え込んだ…
「…たしかに、綾乃さんの言う通りかもしれない…」
ゆっくりと、考えながら、口を開いた…
「…綾乃さんは、諏訪野伸明さんと、付き合っている…その結果、諏訪野さんのお母様も、この病室にいらした…そして、ボクは、その綾乃さんと、親しい間柄…五井家の当主の座を諏訪野さんから、菊池重方(しげかた)氏が、奪おうとしているのならば、一度、ボクに会ってみたいと思うのは、わかる…」
「…でしょ?…」
「…でも、ボクに会って、菊池重方(しげかた)氏が、なにをしたいのか、わからない…」
「…」
「…ボクは、ここ数年、会社が急成長して、世間に知られるようになった…正直、金も持った…でも、菊池重方(しげかた)氏は、ボクなんか、足元にも及ばないお金持ちだ…そんなお金持ちが、ボクの財産を狙って、近付いてくるとは、思えない…」
「…」
「…だから、菊池重方(しげかた)氏の狙いが、わからない…」
「…選挙? …」
ふと、思った…
「…ナオキ…アナタを選挙に担ぎ出したいんじゃなくて…」
「…バカな…」
「…いえ、バカなことじゃない…アナタは、今、知名度はあるし、ルックスもいい…もし、菊池重方(しげかた)氏が、自分の派閥を持ちたいのならば、自分の推しで、国会議員を作るのが、一番いい…自分の推しで、国会議員になれば、当然、自分の派閥に入る…つまり、自分の派閥の人間を、一人増やすことができる…」
私の言葉に、ナオキが、苦笑した…
「…それは、ありえないよ…綾乃さん…」
「…どうして、ありえないの?…」
「…ソフトバンクの孫さんや、楽天の三木谷さんを見ても、政治家になりたいなんて、一言も言っていない…ボクの数十倍、いや、数百倍も、成功したIT長者ですら、そうだ…彼らから見れば、取るに足りないボクが、そんなことをするなんて、バカげている…仮に、ボクが、国会議員になって、議員活動に夢中になれば、ボクの会社は、たちまち、傾くに違いない…」
「…」
「…これは、IT業界に限った話じゃない…ユニクロの柳内さんだって、ニトリの似鳥さんだって、選挙に出るなんて、一言も言ったことがないんじゃないかな?…」
「…」
「…要するに、今の時代、成功した経営者にとって、国家議員になるのは、魅力的なことじゃないってことさ…」
「…」
「…まあ、ボクが、孫さんや、三木谷さんと、同列に、名前を上げるなんて、思い上がりも甚だしいと思うけどね…」
そう言って、ナオキは、笑った…
たしかに、ナオキの言う通りかもしれない…
藤原ナオキは、成功したとはいえ、ソフトバンクや、楽天から見れば、限りなく小さい…彼らが、月や太陽とすれば、藤原ナオキは、天空にあまねく、広がる星の一つに過ぎない…
だが、そんな小さな星だから、菊池重方(しげかた)が、国会議員に誘うとも、考えられる…
孫や三木谷のような大物ならば、誘いにも、乗らない可能性は、高いが、ナオキならば、言い方は、悪いが、小物だから、誘いに乗る可能性があると思ったのかもしれない…
私は、それを思った…
だが、当然、藤原ナオキは、違った…
たとえ、冗談でも、国会議員になるつもりは、ないのだろう…
まあ、ナオキに限らず、平成の世で、成功した経営者で、国会議員になった人間は、あまりお目にかかれない…
別の言い方をすれば、国会議員という地位=あるいは、職業が、成功した、経営者にとって、もはや魅力のあるものではないのかもしれない…
私は、思った…
だが、そう考えると、菊池重方(しげかた)の狙いは、一体、なんだろうと、邪推する…
目的が、わからない…
それとも、ただ、私、寿綾乃のパートナーだと知っていたからだろうか?
自分が、追い落とそうとする、五井家当主、諏訪野伸明が、もしかしたら、妻にするかもしれない女のパートナーだった男…
その男を、自分の目で見ておきたい…
そんな好奇心からだろうか?
いや、
それはありえない(苦笑)…
単なる好奇心から、藤原ナオキに会いたいなんて、そんな子供じみた発想は、普通はない…
会うには、目的…
目的、あるいは、罠?がある(笑)…
将を射んと欲すれば先ず馬を射よ…
ということわざがあるが、狙いは、別にあるが、とりあえず、会う…
まあ、もっとも、このことわざは、最初は、その狙いの大物の近くの小物というか、雑魚(ざこ)を狙えという意味なので、本当は、このことわざは、似合わない…
もし、菊池重方(しげかた)の狙いが、私、寿綾乃だとしたら、私は、雑魚(ざこ)…
大物が、藤原ナオキ…
その雑魚(ざこ)に会うために、最初に会うのが、大物のナオキでは、話があべこべだ(苦笑)…
いや、
違う…
知名度や財力でいえば、もちろん、藤原ナオキが、大物だが、狙いは雑魚(ざこ)の寿綾乃(苦笑)…
そう考えれば、藤原ナオキは、大物かもしれないが、あくまで、当て馬というか、本命ではない…
あくまで、菊池重方(しげかた)の本命は、私、寿綾乃に違いない…
しかし、仮に、本命が、私だとしても、菊池重方(しげかた)の狙いは、一体、なに?…
なにを狙っている?
考える…
菊池重方(しげかた)の狙いは、甥の諏訪野伸明を、五井家当主の座から、引きずり落とし、自分が、当主の座に就くこと…
それが、究極の目的…
その目的を達成するために、なにかする…
それは、すべて、目的を達成するための、手段に他ならない…
私は、考える…
それを考えれば、私に会うことも、ナオキに会うことも同列…
同じことに他ならない…
すべては、五井家当主になること…
当主になって、菊池派を作ることが、すべての目的だからだ…
それを思った…
そして、それを思ったとき、真っ先に考えたのが、この病院の理事長、菊池冬馬のことだった…
菊池冬馬は、菊池重方(しげかた)の息子…
果たして、菊池冬馬は、父の重方(しげかた)に従って、伸明に反旗を翻すのだろうか?…
菊池冬馬は、叔母であり、現当主の伸明の母、昭子から、父の謀反を知らされ、
「…ボクは、そんなバカじゃない…五井家あっての菊池冬馬です…五井家にいるから、この若さで、こんな大病院の理事長になれた…五井家を出れば、生きてゆくのも、至難の業(わざ)です…」
と、言って、父と共闘して、現当主の、伸明に歯向かうことを、否定した…
だが、それが、本心か、どうかは、わからない…
現に、伸明の母、昭子は、
「…それが、本心からのものだと信じたいですね…」
と、婉曲に、それが、冬馬の本心か、どうか、疑わしいと、言った…
それを、聞いた、冬馬は、不満そうな表情を浮かべて、この病室から、去った…
出て行った…
誰も目にも、本心か、どうかは、疑わしかった…
昭子が、わざと、
「…それが、本心からのものだと信じたいですね…」
と、まるで、カマをかけるというか、挑発するような物言いをしたのも、問題だったが、それに乗って、というか、冬馬が、誰の目にも、不満な表情を見せたのも、また問題だった…
あれでは、傍目にも、自分も父同様、伸明を五井家当主の座から、引きずり降ろしたいと、言っているのと、同じだったからだ…
冬馬の本心は、わからないが、不満があるのは、見え見えだった…
冬馬は、一度見ただけだが、昔の言葉でいえば、きかんぼうだった…
きかんぼう=言うことを、なかなか聞かない…勝ち気で、わんぱくな子供だった…
おそらく、五井家という、お金持ちの家に生まれ、なに不自由のない生活をしているが、ゆえに、生活の苦労をしらないから、他人の言葉を聞かない…
他人を見下す人間の典型だった…
おそらく、生まれてこのかた、他人に頭を下げたこともないのかもしれない…
いわゆる上流階級に生まれたゆえに、生活の苦労も知らず、ただ金にあかせて、よい生活を送る典型的なボンボンだった…
冬馬の言動に、その高いプライドが、容易に、見え隠れした…
そして、それは、昭子に言わせれば、冬馬の父、重方(しげかた)そっくりとのことだった…
つまり、冬馬と、父の重方(しげかた)は、似ている…
おそらく、性格が瓜二つなんだろうと、思った…
それゆえ、昭子は、わざと、冬馬に、父の真似をするなと、念を押したに違いなかった…
昭子は、弟の重方(しげかた)を、五井家から、追放しようとしているに違いない…
だが、その息子であり、甥の冬馬については、そこまでしたくないに違いなかった…
六十代の父親は、追放しても、三十代の冬馬を追放するのは、忍びないと、思ったのかもしれない…
単純に、五井家から、追放するのは、酷だと、思ったのかもしれなかった…
だが、父の重方(しげかた)は、違う…
追放するしか、ないのかしれない…
おそらく、息子の伸明を、当主の座から追い落とそうとする、決定的な証拠を、昭子は、掴んでいるのかもしれなかった…
それゆえ、追放やむなしと、判断したのだろう…
私は、思った…
私は、思いながら、考えた…
だが、本当に、そうか?
いや、
なにが、本当かというと、昭子は、冬馬を、本当に、追放しようと考えては、いないのだろうか?
ふと、思った…
昭子は、甘い女ではない…
すでに、弟の重方(しげかた)は、追放することが、彼女の中で、決まっているのだろう…
息子である、伸明を守るため…
五井家を守るために、血肉を分けた、弟といえども、容赦なく、追放するだろう…
なにしろ、それは、伸明の弟、秀樹の例を見てもわかる…
秀樹は、昭子の実子…
伸明とは、父親違いの兄弟だ…
その秀樹が、自殺したときも、昭子は、助けなかったに違いない…
夫の建造が、自分の次の当主に、自分の血が繋がらない伸明を指名した…
血が繋がらないとはいえ、伸明が、自分の後継者にふさわしいと、判断したからだ…
そして、昭子は、夫の決断を尊重したに違いない…
それは、おそらく、昭子自身もまた、同じように、自分の息子たちを見ていたに違いない…
建造の跡を継ぐのは、伸明が、ふさわしく、次男の秀樹は、その器にあらず、と、判断したに違いない…
母親としては、非情だが、これもまた、五井家の人間としては、仕方のなかったことかもしれない…
五井は、400年の歴史がある…
そして、五井の歴史は、争いの歴史だと、聞いた…
おそらく、三井や住友に比べて、一族の団結心が、薄いのだろう…
だから、すぐに、争いになる…
それゆえ、当主は、常に争いに敏感にならざるを得ない…
そして、それは、当主の妻も同じ…
つまりは、一族の長として、五井家の団結を真っ先に、考えなければ、ならないからだ…
それを、考えると、やはり、昭子が、菊池冬馬をどう扱うのか、疑問がある…
やはり、最初から、父の重方(しげかた)と、いっしょに、五井家から、追放しようとしていると、考えた方が、いいのかもしれない…
私は、思った…
その方が、五井家にとって、傷が浅い…
傷は浅いうちに、騒動を終えるのが、一番…
野火ではないが、どんどん燃え広がれば、それが、いつしか大火になる…
その結果、手遅れになる…
鎮火するには、時間がかかる…
被害も大きい…
だから、手遅れにならないうちに、火を消すに限る…
争いの芽は、早いうちに摘むに限る…
だから、五井家で、菊池重方(しげかた)を、追放しようとしている以上、その息子の冬馬も、父子セットで、五井家から、追放しようとしているのかもしれない…
私は、それを思った…
私が、そんなことを、考えていると、ナオキが、
「…綾乃さん…」
と、私に語りかけた…
「…なに、ナオキ?…」
「…諏訪野伸明氏のことだけど…」
「…伸明さんが、なにか?…」
「…最近、会ったんだが、やはりというか、元気がない…」
それは、当たり前だ…
五井家が、これだけ炎上?しているのに、当主の伸明が、元気でいるはずがない…
「…それは、なぜ?…」
と、ナオキに聞きながら、一方で、その質問は、愚問だと思った…
愚問の極み…
一族が、内紛で揺れているのだから、その悩みで、元気がないのだろう…
「…五井家の内紛で、元気がないと、思っていたんだが、さにあらず…」
「…さにあらず…」
「…菊池さん…菊池リンが、戻ってきて、諏訪野さんの前に現れたらしい…」
「…菊池さんが?…」
私は、あまりの展開に、言葉を失った…
菊池リンは、諏訪野伸明の母、昭子の妹、和子の孫…
つまり、ひらたく言えば、伸明の従弟の子供ということになる…
そして、本来は、菊池リンと、結婚することが、五井家当主の座に一番近いと思われた…
なぜなら、五井家は、何度も言うように、400年の歴史がある…
それゆえ、一族の血は薄まり、一族とはいえ、血の濃さは、他人に近くなる…
それゆえ、結婚は、男女ともに、一族内での結婚を推奨した…
これ以上、一族の血を薄めないためだ…
そして、伸明と、秀樹の兄弟の、結婚相手として、最も、一族内で、ふさわしいのが、菊池リンだった…
それゆえ、伸明に、当主の座を奪われるかもしれないと、危機を感じた、秀樹は、菊池リンと、結婚するしか、不利な状況を打開する道がなくなった…
しかし、菊池リンは、拒否…
その結果、五井家当主の座に就く道が、閉ざされた秀樹は、死ぬしか、なくなった…
あのときは、わからなかったが、今、考えれば、秀樹は、五井家のルールを知っていたからだろう…
当主の座を目指して、敗れたものは、追放されると、知っていたに違いない…
それゆえ、絶望のあまり、死を選んだ…
私は、それを思い出した…
しかし、一体、今になって、なぜ?
なぜ、菊池リンが、姿を現したのか?
思えば、菊池リンは、私、寿綾乃を監視する、五井家が、私に放ったスパイだった…
愛くるしい彼女に心を許した私は、彼女の手で丸裸にされた…
一挙手一投足を、見張られて、丸裸にされた…
そして、私が、社長室で、藤原ユリコと、対決した際に、ユリコが、私の正体をバラし、代わりに、私は、ジュン君が、ナオキの子供でないことを、指摘した…
それを、近くで、聞いて、ジュン君に連絡したのが、菊池リンだった…
動揺したジュン君は、FK興産から、出てきた私を、自分の運転するクルマで、はねた…
それが、二か月前のこと…
だから、今、私は、この病院のベッドで、寝ているわけだ…
と、同時に、気付いた…
先日、私の見舞いに来た、昭子は、
「…菊池リンより、私、寿綾乃の方が、伸明の妻にふさわしい…」
と、言った…
あのときは、なぜ、そんなことを、言うのか、わからなかった…
いや、
わからなかったのではない…
単純に、伸明は、やはり、五井一族である、菊池リンと結婚するのが、一番と私は、思っていた…
だから、あのとき、昭子に、それを告げた…
しかし、その結果、昭子の口から出た言葉が、
「…菊池リンより、私、寿綾乃の方が、伸明の妻にふさわしい…」
だった…
私は、その言葉が嬉しかったが、本当は、なにか、裏があったのかもしれない…
今、ナオキが、菊池リンが、諏訪野伸明の前に姿を現したという事実が、それを物語る…
はっきり言えば、菊池リンが、姿を現しても、私は、寿さんを支持すると言っているのと、同じだからだ…
そして、菊池リンは、アキレス腱というか、五井家にとっての、キーパーソンだった…
なぜなら、菊池リンは、昭子の妹、和子の孫だからだ…
菊池リンの動静いかんで、昭子と和子の姉妹の仲を引き裂く可能性もある…
菊池リンが、どう動くかで、盤石に見られた、五井家のトップの周辺に、ひびを入れることができるかもしれない…
だが、
それを仕掛けたのは、誰か?
当たり前だが、菊池重方(しげかた)に違いない…
菊池重方(しげかた)が、菊池リンに連絡を取り、帰国させたに違いない…
菊池重方(しげかた)は、菊池リンの祖母である、和子の弟…
当たり前だが、面識はある…
菊池リンを帰国させることで、伸明の周囲に、ゴタゴタを引き起こす…
それを狙って、重方(しげかた)が、菊池リンを帰国させた…
それを知って、昭子は、激怒したに違いない…
菊池リンの動静いかんでは、一卵性姉妹の昭子と、和子の仲も、怪しくなる…
今は、仲が良いが、菊池リンが、伸明に、どう振る舞うかによって、最悪、姉妹の仲が引き裂かれる…
それを狙って、重方(しげかた)は、菊池リンを帰国させた…
それゆえ、激怒した昭子は、重方(しげかた)を、五井家から、追放しようと、心に決めたに違いない…
私は、それを思った…
つまり、菊池重方(しげかた)は、一方で、私のパートナーであり、庇護者でもある、藤原ナオキに近付き、もう一方で、私の婚約者に近い、諏訪野伸明の前に、本来、婚約者として、もっとも、ふさわしい、菊池リンを、帰国させて、伸明の前に姿を見させたのだ…
まさに、敵ながら、あっぱれ…
見事というほかはない…
十分、混乱させてくれる…
私は、思った…
そして、なにより、これは、強敵…
強敵に他ならない…
容易ならざる敵に他ならない…
それが、わかっているからこそ、伸明の母、昭子は、弟の重方(しげかた)を、五井家から、追放しようと、固く心に決めたに違いない…
私は、思った…
五井家から、丸裸にして、追放する…
具体的には、所属する五井家の会社から、肩書を取り去って、社外に追放するのだろう…
さもなくば、危険…
血の繋がった実の弟ゆえに、手管はわかっている…
なにより、その危険性は、わかっていると、言いたいのかもしれない…
今、菊池リンが、諏訪野伸明の前に姿を現したことで、菊池重方(しげかた)の老練な手腕が、剥き出しになった…
これは、その一つなのかもしれない…
私は、思った…