第17話

文字数 9,145文字

 …菊池重方(しげかた)…

 五井一族にして、五井十三家の一つ、五井東家当主にして、五井家のグループ企業の会長…

 そして、現職の国会議員にして、大場派の重鎮…

 その大場派の重鎮が、今、大場派の領袖、大場小太郎から、派閥を奪おうとしている…

 あるいは、大場派から、派閥の議員を引き連れて、独立して、菊池派を作ろうとしている…

 そんな菊池重方(しげかた)が、藤原ナオキに会おうとしている…

 …一体、その目的はなに?…

 勘ぐりたくなる…

 詮索したくなる…

 「…綾乃さん…どう思う?…」

 ナオキが、私に聞いた…

 私は、すぐに、

 「…ナオキ…」

 と、返した…

 「…なに、綾乃さん?…」

 「…その菊池重方(しげかた)氏だけど、この五井記念病院の理事長である、菊池冬馬氏の父親だって、知ってた?…」

 「…それぐらいは…」

 「…だったら、その菊池重方(しげかた)氏が、諏訪野伸明さんから、五井家の当主の座を奪おうとしていることは、知ってた?…」

 「…諏訪野さんから、当主の座を奪う?…」

 文字通り、ナオキは、絶句した…

 「…そんな…初めて、知った…」

 それから、ちょっと、間を置いて、

 「…でも、綾乃さん、ベッドの上で、寝ているだけなのに、どこで、そんな情報を…」

 「…バカね…見舞い客からに決まっているでしょ…」

 私が言うと、唖然とした顔になった…

 そして、ちょっと考え込みながら、

 「…そうだよね…それ以外は、考えられない…」

 と、自分自身を納得させるように、呟いた…

 「…ここは、五井記念病院…五井家の経営する病院…いわば、私たちは、今、五井家の中にいる…」

 「…五井家の中?…」

 「…五井家の中というのは、おおげさだけど、理事長が、五井東家の菊池冬馬氏…その叔母が、諏訪野伸明氏の母親の昭子さん…一度、この病室に来て下さった…」

 「…諏訪野さんのお母様が? …綾乃さんの元へ?…」

 「…そう…」

 短く、答えた…

 「…そこで、五井家の内紛の内訳を聞いた…」

 私の告白に、ナオキは、

 「…」

 と、言葉もなかった…

 ただ、唖然として、私を見ていた…

 「…そして、その昭子さんが、この病室にいらしたとき、理事長の菊池冬馬氏もやって来た…」

 「…理事長が?…」

 「…理場長の菊池冬馬氏から、見れば、昭子さんは、叔母…冬馬氏の父、菊池重方(しげかた)氏は、昭子さんの弟…」

 「…弟? …ということは、菊池重方(しげかた)氏は、諏訪野さんの叔父さんってこと?…」

 「…その通り…」

 藤原ナオキが、考え込んだ…

 「…つまりは、その菊池重方(しげかた)氏は、甥の諏訪野伸明氏から、五井家の当主の座を奪おうとしているわけだ…」

 「…そうよ…」

 「…で、理由は?…」

 「…理由?…」

 「…五井家の当主の座を奪おうとしている理由さ…」

 「…菊池派の立ち上げみたい…」

 「…菊池派? …」

 「…今、菊池重方(しげかた)氏は、自民党の大場派の幹部でしょ? …」

 「…それは、知ってる…」

 「…菊池重方(しげかた)氏は、大場派の領袖、大場小太郎から、派閥を奪うか、大場派から、仲間を引き連れて、派閥を出て、自分の派閥を立ち上げようとしているみたい…」

 「…綾乃さん、そんな情報をどこから…」

 「…見舞い客に決まってるでしょ?…」

 「…」

 「…つまり、菊池重方(しげかた)は、自分の派閥を持ちたい…そのためには、お金が必要…でも、今の五井家の分家の身分では、動かせるお金の額もたかが知れている…だから、諏訪野伸明さんから、当主の座を奪って、自分が、当主の座に就きたい…当主になれば、今より、もっと大きなお金を動かせる…そのお金を使って、菊池派を立ち上げる…そういうこと…」

 私の言葉に、藤原ナオキは、腕を組んで、考え込んだ…

 それから、

 「…そういうことか…」

 と、自分自身を納得させるように、呟いた…

 「…だが、どうして、ボクに会いたいんだろ?…」

 「…それは、わからない…」

 私は、言った…

 「…でも…」

 「…でも、なに?…」

 「…私が、ここに、入院しているのと、無関係では、ないと思う…」

 「…どうして?…」

 「…私が、この五井記念病院に入院していることで、菊池重方(しげかた)氏の、姉の、諏訪野昭子さんや、息子で、五井家当主の伸明氏も、私に見舞いに来た…いわば、変な話、私が、中心になっている…」

 「…」

 「…だから、私、寿綾乃が、勤務する、FK興産の社長、藤原ナオキに、菊池重方(しげかた)氏が、会いたいと、言ったのは、うぬぼれじゃなく、私が、ここにいるのが、関係していると思う…」

 私の言葉に、

 「…」

 と、ナオキは、沈黙した…

 そして、しばらく、考え込んだ…

 「…たしかに、綾乃さんの言う通りかもしれない…」

 ゆっくりと、考えながら、口を開いた…

 「…綾乃さんは、諏訪野伸明さんと、付き合っている…その結果、諏訪野さんのお母様も、この病室にいらした…そして、ボクは、その綾乃さんと、親しい間柄…五井家の当主の座を諏訪野さんから、菊池重方(しげかた)氏が、奪おうとしているのならば、一度、ボクに会ってみたいと思うのは、わかる…」

 「…でしょ?…」

 「…でも、ボクに会って、菊池重方(しげかた)氏が、なにをしたいのか、わからない…」

 「…」

 「…ボクは、ここ数年、会社が急成長して、世間に知られるようになった…正直、金も持った…でも、菊池重方(しげかた)氏は、ボクなんか、足元にも及ばないお金持ちだ…そんなお金持ちが、ボクの財産を狙って、近付いてくるとは、思えない…」

 「…」

 「…だから、菊池重方(しげかた)氏の狙いが、わからない…」

 「…選挙? …」

 ふと、思った…

 「…ナオキ…アナタを選挙に担ぎ出したいんじゃなくて…」

 「…バカな…」

 「…いえ、バカなことじゃない…アナタは、今、知名度はあるし、ルックスもいい…もし、菊池重方(しげかた)氏が、自分の派閥を持ちたいのならば、自分の推しで、国会議員を作るのが、一番いい…自分の推しで、国会議員になれば、当然、自分の派閥に入る…つまり、自分の派閥の人間を、一人増やすことができる…」

 私の言葉に、ナオキが、苦笑した…

 「…それは、ありえないよ…綾乃さん…」

 「…どうして、ありえないの?…」

 「…ソフトバンクの孫さんや、楽天の三木谷さんを見ても、政治家になりたいなんて、一言も言っていない…ボクの数十倍、いや、数百倍も、成功したIT長者ですら、そうだ…彼らから見れば、取るに足りないボクが、そんなことをするなんて、バカげている…仮に、ボクが、国会議員になって、議員活動に夢中になれば、ボクの会社は、たちまち、傾くに違いない…」

 「…」

 「…これは、IT業界に限った話じゃない…ユニクロの柳内さんだって、ニトリの似鳥さんだって、選挙に出るなんて、一言も言ったことがないんじゃないかな?…」

 「…」

 「…要するに、今の時代、成功した経営者にとって、国家議員になるのは、魅力的なことじゃないってことさ…」

 「…」

 「…まあ、ボクが、孫さんや、三木谷さんと、同列に、名前を上げるなんて、思い上がりも甚だしいと思うけどね…」

 そう言って、ナオキは、笑った…

 たしかに、ナオキの言う通りかもしれない…

 藤原ナオキは、成功したとはいえ、ソフトバンクや、楽天から見れば、限りなく小さい…彼らが、月や太陽とすれば、藤原ナオキは、天空にあまねく、広がる星の一つに過ぎない…

 だが、そんな小さな星だから、菊池重方(しげかた)が、国会議員に誘うとも、考えられる…

 孫や三木谷のような大物ならば、誘いにも、乗らない可能性は、高いが、ナオキならば、言い方は、悪いが、小物だから、誘いに乗る可能性があると思ったのかもしれない…

 私は、それを思った…

 だが、当然、藤原ナオキは、違った…

 たとえ、冗談でも、国会議員になるつもりは、ないのだろう…

 まあ、ナオキに限らず、平成の世で、成功した経営者で、国会議員になった人間は、あまりお目にかかれない…

 別の言い方をすれば、国会議員という地位=あるいは、職業が、成功した、経営者にとって、もはや魅力のあるものではないのかもしれない…

 私は、思った…

 だが、そう考えると、菊池重方(しげかた)の狙いは、一体、なんだろうと、邪推する…

 目的が、わからない…

 それとも、ただ、私、寿綾乃のパートナーだと知っていたからだろうか?

 自分が、追い落とそうとする、五井家当主、諏訪野伸明が、もしかしたら、妻にするかもしれない女のパートナーだった男…

 その男を、自分の目で見ておきたい…

 そんな好奇心からだろうか?

 いや、

 それはありえない(苦笑)…

 単なる好奇心から、藤原ナオキに会いたいなんて、そんな子供じみた発想は、普通はない…

 会うには、目的…

 目的、あるいは、罠?がある(笑)…

 将を射んと欲すれば先ず馬を射よ…

 ということわざがあるが、狙いは、別にあるが、とりあえず、会う…

 まあ、もっとも、このことわざは、最初は、その狙いの大物の近くの小物というか、雑魚(ざこ)を狙えという意味なので、本当は、このことわざは、似合わない…

 もし、菊池重方(しげかた)の狙いが、私、寿綾乃だとしたら、私は、雑魚(ざこ)…

 大物が、藤原ナオキ…

 その雑魚(ざこ)に会うために、最初に会うのが、大物のナオキでは、話があべこべだ(苦笑)…

 いや、

 違う…

 知名度や財力でいえば、もちろん、藤原ナオキが、大物だが、狙いは雑魚(ざこ)の寿綾乃(苦笑)…

 そう考えれば、藤原ナオキは、大物かもしれないが、あくまで、当て馬というか、本命ではない…

 あくまで、菊池重方(しげかた)の本命は、私、寿綾乃に違いない…

 しかし、仮に、本命が、私だとしても、菊池重方(しげかた)の狙いは、一体、なに?…

 なにを狙っている?

 考える…

 菊池重方(しげかた)の狙いは、甥の諏訪野伸明を、五井家当主の座から、引きずり落とし、自分が、当主の座に就くこと…

 それが、究極の目的…

 その目的を達成するために、なにかする…

 それは、すべて、目的を達成するための、手段に他ならない…

 私は、考える…

 それを考えれば、私に会うことも、ナオキに会うことも同列…

 同じことに他ならない…

 すべては、五井家当主になること…

 当主になって、菊池派を作ることが、すべての目的だからだ…

 それを思った…

 そして、それを思ったとき、真っ先に考えたのが、この病院の理事長、菊池冬馬のことだった…

 菊池冬馬は、菊池重方(しげかた)の息子…

 果たして、菊池冬馬は、父の重方(しげかた)に従って、伸明に反旗を翻すのだろうか?…

 菊池冬馬は、叔母であり、現当主の伸明の母、昭子から、父の謀反を知らされ、

 「…ボクは、そんなバカじゃない…五井家あっての菊池冬馬です…五井家にいるから、この若さで、こんな大病院の理事長になれた…五井家を出れば、生きてゆくのも、至難の業(わざ)です…」

 と、言って、父と共闘して、現当主の、伸明に歯向かうことを、否定した…

 だが、それが、本心か、どうかは、わからない…

 現に、伸明の母、昭子は、

 「…それが、本心からのものだと信じたいですね…」

 と、婉曲に、それが、冬馬の本心か、どうか、疑わしいと、言った…

 それを、聞いた、冬馬は、不満そうな表情を浮かべて、この病室から、去った…

 出て行った…

 誰も目にも、本心か、どうかは、疑わしかった…

 昭子が、わざと、

 「…それが、本心からのものだと信じたいですね…」

 と、まるで、カマをかけるというか、挑発するような物言いをしたのも、問題だったが、それに乗って、というか、冬馬が、誰の目にも、不満な表情を見せたのも、また問題だった…

 あれでは、傍目にも、自分も父同様、伸明を五井家当主の座から、引きずり降ろしたいと、言っているのと、同じだったからだ…

 冬馬の本心は、わからないが、不満があるのは、見え見えだった…

 冬馬は、一度見ただけだが、昔の言葉でいえば、きかんぼうだった…

 きかんぼう=言うことを、なかなか聞かない…勝ち気で、わんぱくな子供だった…

 おそらく、五井家という、お金持ちの家に生まれ、なに不自由のない生活をしているが、ゆえに、生活の苦労をしらないから、他人の言葉を聞かない…

 他人を見下す人間の典型だった…

 おそらく、生まれてこのかた、他人に頭を下げたこともないのかもしれない…

 いわゆる上流階級に生まれたゆえに、生活の苦労も知らず、ただ金にあかせて、よい生活を送る典型的なボンボンだった…

 冬馬の言動に、その高いプライドが、容易に、見え隠れした…

 そして、それは、昭子に言わせれば、冬馬の父、重方(しげかた)そっくりとのことだった…

 つまり、冬馬と、父の重方(しげかた)は、似ている…

 おそらく、性格が瓜二つなんだろうと、思った…

 それゆえ、昭子は、わざと、冬馬に、父の真似をするなと、念を押したに違いなかった…

 昭子は、弟の重方(しげかた)を、五井家から、追放しようとしているに違いない…

 だが、その息子であり、甥の冬馬については、そこまでしたくないに違いなかった…

 六十代の父親は、追放しても、三十代の冬馬を追放するのは、忍びないと、思ったのかもしれない…

 単純に、五井家から、追放するのは、酷だと、思ったのかもしれなかった…

 だが、父の重方(しげかた)は、違う…

 追放するしか、ないのかしれない…

 おそらく、息子の伸明を、当主の座から追い落とそうとする、決定的な証拠を、昭子は、掴んでいるのかもしれなかった…

 それゆえ、追放やむなしと、判断したのだろう…

 私は、思った…

 私は、思いながら、考えた…

 だが、本当に、そうか?

 いや、

 なにが、本当かというと、昭子は、冬馬を、本当に、追放しようと考えては、いないのだろうか?

 ふと、思った…

 昭子は、甘い女ではない…

 すでに、弟の重方(しげかた)は、追放することが、彼女の中で、決まっているのだろう…

 息子である、伸明を守るため…

 五井家を守るために、血肉を分けた、弟といえども、容赦なく、追放するだろう…

 なにしろ、それは、伸明の弟、秀樹の例を見てもわかる…

 秀樹は、昭子の実子…

 伸明とは、父親違いの兄弟だ…

 その秀樹が、自殺したときも、昭子は、助けなかったに違いない…

 夫の建造が、自分の次の当主に、自分の血が繋がらない伸明を指名した…

 血が繋がらないとはいえ、伸明が、自分の後継者にふさわしいと、判断したからだ…

 そして、昭子は、夫の決断を尊重したに違いない…

 それは、おそらく、昭子自身もまた、同じように、自分の息子たちを見ていたに違いない…

 建造の跡を継ぐのは、伸明が、ふさわしく、次男の秀樹は、その器にあらず、と、判断したに違いない…

 母親としては、非情だが、これもまた、五井家の人間としては、仕方のなかったことかもしれない…

 五井は、400年の歴史がある…

 そして、五井の歴史は、争いの歴史だと、聞いた…

 おそらく、三井や住友に比べて、一族の団結心が、薄いのだろう…

 だから、すぐに、争いになる…

 それゆえ、当主は、常に争いに敏感にならざるを得ない…

 そして、それは、当主の妻も同じ…

 つまりは、一族の長として、五井家の団結を真っ先に、考えなければ、ならないからだ…

 それを、考えると、やはり、昭子が、菊池冬馬をどう扱うのか、疑問がある…

 やはり、最初から、父の重方(しげかた)と、いっしょに、五井家から、追放しようとしていると、考えた方が、いいのかもしれない…

 私は、思った…

 その方が、五井家にとって、傷が浅い…

 傷は浅いうちに、騒動を終えるのが、一番…

 野火ではないが、どんどん燃え広がれば、それが、いつしか大火になる…

 その結果、手遅れになる…

 鎮火するには、時間がかかる…

 被害も大きい…

 だから、手遅れにならないうちに、火を消すに限る…

 争いの芽は、早いうちに摘むに限る…

 だから、五井家で、菊池重方(しげかた)を、追放しようとしている以上、その息子の冬馬も、父子セットで、五井家から、追放しようとしているのかもしれない…

 私は、それを思った…

 私が、そんなことを、考えていると、ナオキが、

 「…綾乃さん…」

 と、私に語りかけた…

 「…なに、ナオキ?…」

 「…諏訪野伸明氏のことだけど…」

 「…伸明さんが、なにか?…」

 「…最近、会ったんだが、やはりというか、元気がない…」

 それは、当たり前だ…

 五井家が、これだけ炎上?しているのに、当主の伸明が、元気でいるはずがない…

 「…それは、なぜ?…」

 と、ナオキに聞きながら、一方で、その質問は、愚問だと思った…

 愚問の極み…

 一族が、内紛で揺れているのだから、その悩みで、元気がないのだろう…

 「…五井家の内紛で、元気がないと、思っていたんだが、さにあらず…」

 「…さにあらず…」

 「…菊池さん…菊池リンが、戻ってきて、諏訪野さんの前に現れたらしい…」

 「…菊池さんが?…」

 私は、あまりの展開に、言葉を失った…

 菊池リンは、諏訪野伸明の母、昭子の妹、和子の孫…

 つまり、ひらたく言えば、伸明の従弟の子供ということになる…

 そして、本来は、菊池リンと、結婚することが、五井家当主の座に一番近いと思われた…

 なぜなら、五井家は、何度も言うように、400年の歴史がある…

 それゆえ、一族の血は薄まり、一族とはいえ、血の濃さは、他人に近くなる…

 それゆえ、結婚は、男女ともに、一族内での結婚を推奨した…

 これ以上、一族の血を薄めないためだ…

 そして、伸明と、秀樹の兄弟の、結婚相手として、最も、一族内で、ふさわしいのが、菊池リンだった…

 それゆえ、伸明に、当主の座を奪われるかもしれないと、危機を感じた、秀樹は、菊池リンと、結婚するしか、不利な状況を打開する道がなくなった…

 しかし、菊池リンは、拒否…

 その結果、五井家当主の座に就く道が、閉ざされた秀樹は、死ぬしか、なくなった…

 あのときは、わからなかったが、今、考えれば、秀樹は、五井家のルールを知っていたからだろう…

 当主の座を目指して、敗れたものは、追放されると、知っていたに違いない…

 それゆえ、絶望のあまり、死を選んだ…

 私は、それを思い出した…

 しかし、一体、今になって、なぜ?

 なぜ、菊池リンが、姿を現したのか?

 思えば、菊池リンは、私、寿綾乃を監視する、五井家が、私に放ったスパイだった…

 愛くるしい彼女に心を許した私は、彼女の手で丸裸にされた…

 一挙手一投足を、見張られて、丸裸にされた…

 そして、私が、社長室で、藤原ユリコと、対決した際に、ユリコが、私の正体をバラし、代わりに、私は、ジュン君が、ナオキの子供でないことを、指摘した…

 それを、近くで、聞いて、ジュン君に連絡したのが、菊池リンだった…

 動揺したジュン君は、FK興産から、出てきた私を、自分の運転するクルマで、はねた…

 それが、二か月前のこと…

 だから、今、私は、この病院のベッドで、寝ているわけだ…

 と、同時に、気付いた…

 先日、私の見舞いに来た、昭子は、

 「…菊池リンより、私、寿綾乃の方が、伸明の妻にふさわしい…」

 と、言った…

 あのときは、なぜ、そんなことを、言うのか、わからなかった…

 いや、

 わからなかったのではない…

 単純に、伸明は、やはり、五井一族である、菊池リンと結婚するのが、一番と私は、思っていた…

 だから、あのとき、昭子に、それを告げた…

 しかし、その結果、昭子の口から出た言葉が、

 「…菊池リンより、私、寿綾乃の方が、伸明の妻にふさわしい…」

 だった…

 私は、その言葉が嬉しかったが、本当は、なにか、裏があったのかもしれない…

 今、ナオキが、菊池リンが、諏訪野伸明の前に姿を現したという事実が、それを物語る…

 はっきり言えば、菊池リンが、姿を現しても、私は、寿さんを支持すると言っているのと、同じだからだ…

 そして、菊池リンは、アキレス腱というか、五井家にとっての、キーパーソンだった…

 なぜなら、菊池リンは、昭子の妹、和子の孫だからだ…

 菊池リンの動静いかんで、昭子と和子の姉妹の仲を引き裂く可能性もある…

 菊池リンが、どう動くかで、盤石に見られた、五井家のトップの周辺に、ひびを入れることができるかもしれない…

 だが、

 それを仕掛けたのは、誰か?

 当たり前だが、菊池重方(しげかた)に違いない…

 菊池重方(しげかた)が、菊池リンに連絡を取り、帰国させたに違いない…

 菊池重方(しげかた)は、菊池リンの祖母である、和子の弟…

 当たり前だが、面識はある…

 菊池リンを帰国させることで、伸明の周囲に、ゴタゴタを引き起こす…

 それを狙って、重方(しげかた)が、菊池リンを帰国させた…

 それを知って、昭子は、激怒したに違いない…

 菊池リンの動静いかんでは、一卵性姉妹の昭子と、和子の仲も、怪しくなる…

 今は、仲が良いが、菊池リンが、伸明に、どう振る舞うかによって、最悪、姉妹の仲が引き裂かれる…

 それを狙って、重方(しげかた)は、菊池リンを帰国させた…

 それゆえ、激怒した昭子は、重方(しげかた)を、五井家から、追放しようと、心に決めたに違いない…

 私は、それを思った…

 つまり、菊池重方(しげかた)は、一方で、私のパートナーであり、庇護者でもある、藤原ナオキに近付き、もう一方で、私の婚約者に近い、諏訪野伸明の前に、本来、婚約者として、もっとも、ふさわしい、菊池リンを、帰国させて、伸明の前に姿を見させたのだ…

 まさに、敵ながら、あっぱれ…

 見事というほかはない…

 十分、混乱させてくれる…

 私は、思った…

 そして、なにより、これは、強敵…

 強敵に他ならない…

 容易ならざる敵に他ならない…

 それが、わかっているからこそ、伸明の母、昭子は、弟の重方(しげかた)を、五井家から、追放しようと、固く心に決めたに違いない…

 私は、思った…

 五井家から、丸裸にして、追放する…

 具体的には、所属する五井家の会社から、肩書を取り去って、社外に追放するのだろう…

 さもなくば、危険…

 血の繋がった実の弟ゆえに、手管はわかっている…

 なにより、その危険性は、わかっていると、言いたいのかもしれない…

 今、菊池リンが、諏訪野伸明の前に姿を現したことで、菊池重方(しげかた)の老練な手腕が、剥き出しになった…

 これは、その一つなのかもしれない…

 私は、思った…

                
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