第63話

文字数 7,310文字

 この諏訪野和子という女傑…

 この女傑を前にして、あらためて、自分との違いを、思った…

 仮に、同じ年齢だとしても、とても、叶わない…

 歯が立たない…

 持っているものが、違う…

 生まれ持った能力が、違い過ぎる…

 そして、そこに、年齢は、関係ない…

 仮に、私と、この和子の年齢が、逆転しても、同じ…

 70代の私が、30代の和子に勝てないと、感じただろう…

 歳を重ねれば、能力が、増すというのは、幻想…

 ありえない話だ…

 それは、例えば、長年、勉強すれば、東大に受かると信じるようなもの…

 頭がよくなければ、いくら勉強しても、受からない…

 それと、同じだ…

 人それぞれ、持って生まれた能力が違う…

 残念ながら、それが、真実…

 現実だ…

 ただし、能力があれば、必ずしも、成功するわけではない…

 現に、藤原ナオキは、頭脳明晰ゆえに、成功したが、東大を出るほど、頭が良くはない…

 だから、頭が良ければ、必ずしも、社会で、成功するわけではない…

 むしろ、成功するのに、必須なのは、運だろう…

 東大を出れば、必ずしも、会社で、出世できるわけではない…

 こう言えば、誰にでも、わかる話だ…

 東大を出れば、当然、頭はいいが、要は、その頭の良さを、仕事に生かせない…

 だから、出世できない…

 それが、出世できない理由に他ならない…

 勉強ではないのだから、仕事に、そこまでの、頭を使う仕事は少ない…

 東大を出る頭脳がなければ、できない仕事など、普通は、存在しない…

 だから、それよりも、その仕事に適した能力があるか否かが大切になる…

 例えば、誰にでも、わかりやすい例であれば、セブンイレブンや、マクドナルドの社長であれば、少しでも、売り上げを上げ、会社の利益を上げることが、社長という役職に与えられた仕事となる…

 だから、会社の売り上げや利益を上げることが、仕事となる…

 そして、それができなければ、社長としての能力を問われる…

 そういうことだ…

 これは、話が大きすぎたが、東大を出ていようが、職場で、与えられた、仕事を、うまくこなせなければ、仕事ができないと、周囲に烙印を押される…

 そして、東大を出ていても、その仕事が、本人に合わない場合は、頻繁にある…

 いや、

 非常に、よく聞く話だ…

 が、

 これを、出世した人間に話しても、無駄…

 なぜなら、出世した=うまくいった人間は、たまたま、自分の適性や能力が、その仕事にあって、職場で、自分の能力を発揮できただけだからだ…

 自分以外の人間の失敗を聞いても、本質的なことは、わからない…

 なぜなら、自分には、そんな経験がないからだ(笑)…

 経験がないから、本質的には、理解できない…

 当たり前のことだ…

 ヤクザではないが、仮に、刑務所に収監されて、10年過ごした人間がいて、いかに、刑務所の生活が過酷だったのか、周囲に話しても、大抵の人間は、その過酷さがわからない…

 なぜなら、大抵の人間は、刑務所に入ったことがないからだ…

 それと同じだ…

 私は、目の前の和子を見ながら、そんなことを、考えた…

 すると、

 「…なにを、考えてるの?…」

 と、和子が聞いた…

 私は、どう言おうか、一瞬、迷ったが、

 「…ひとは、生まれつき、能力が決まっていると…」

 と、遠慮がちに言った…

 「…どうして、そんなことを?…」

 「…失礼ですが、和子さんや、姉の昭子さんを見ていると、とても、私など足元にも及ばない能力があります…」

 「…謙遜よ…」

 「…謙遜? …ですか?…」

 「…寿さん、アナタは、自分のことがわかっていない…」

 「…自分のことがわかってない?…」

 「…要するに、自己評価と、周囲の評価…これに、差がある…」

 「…」

 「…寿さん…アナタの評価が低ければ、伸明も、アナタと付き合いたいとは、思わない…」

 「…」

 「…アナタの場合は、自己評価が低いの…これは、稀有な例ね…」

 「…どういう意味でしょうか?…」

 「…ひとは、大抵、自己評価が高い…周囲の評価よりも、自分の評価が高い…会社でいえば、仕事は、誰が見ても、人並みなのに、オレは、仕事ができるとか…若い女でいえば、人並みのルックスでも、自分は、モテると、勘違いする輩(やから)は多い…」

 「…」

 「…でも、寿さんは違う…おそらく、周囲の評価よりも、自分の評価の方が、低い…そこに、伸明は惹かれるのだと思う…」

 「…」

 「…自分が、自分をどう思っているのかは、大抵が、その人間の言動を見ていれば、わかる…伸明が、寿さんに、惹かれるのは、私にも、わかる…」

 「…ですが、その伸明さんを、菊池さんが…」

 「…リンが、結婚したいと、言い出したことね…」

 「…ハイ…」

 「…好きにすればいい…」

 「…好きに?…」

 「…リンの人生は、リンのもの…だから、彼女の好きにすればいい…」

 「…でも、それでは、私は、どうすれば…」

 「…寿さんは、寿さん…これもまた自分の好きにすればいい…」

 「…」

 「…ひとの恋路を邪魔するものは、馬に蹴られて死んじまえという言葉があります…まさに、その通り…」

 「…」

 「…私は、寿さんが、リンと、伸明を争っても、邪魔はしません…これは、姉の昭子も同じ…」

 「…昭子さんも…ですか?…」

 「…誰もが、自分の思い通りに、動くわけじゃない…リンも、伸明も、私や姉の思い通りに、動くわけじゃない…あの子たちは、私たちの操り人形じゃない…」

 「…」

 「…正直に言って、伸明に、私や姉が、リンと結婚しろと、迫れば、伸明は、リンと結婚するかもしれません…でも、その先が、わからない…」

 「…先?…」

 「…離婚するかもしれないでしょ?…」

 和子が笑った…

 「…接着剤じゃないけれども、私や姉が強引に結婚させても、うまく、付かないかもしれない…すぐに剥がれてしまうかもしれない…」

 和子が、苦笑する…

 「…つまり、そういうこと…男女には、相性がある…友人同士でいれば、問題ない場合でも、夫婦となれば、うまくいかない場合もある…要するに、友情と愛情の違いね…」

 「…」

 「…男同士、女同士の友情と、男女の愛情は違う…恋人や夫婦になることは、違う…」

 「…」

 「…だから、言ってみれば、私や姉は、放任主義…伸明やリンの行動に口は挟まない…なにより、自分たちが、どういう立ち位置にいるかは、わかっているでしょう…だから…」

 和子は、笑った…

 そして、この言葉が、一番、和子の本音を言っていると、思った…

 つまりは、和子は、伸明も、リンも、信頼しているということだ…

 だから、無用な言葉をかけないのだろう…

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…でも、寿さん…」

 と、いきなり、声をかけた…

 「…なんでしょうか?…」

 「…佐藤ナナ…彼女は、不確定要因…まったく掴めない…」

 意外な発言だった…

 「…彼女が、どう動くか、わからない…読めない…」

 「…」

 「…私たちは、彼女のことを、知らな過ぎる…」

 和子が、吐露する…

 言われてみれば、その通り…

 まさに、その通りだった…

 佐藤ナナが、本当は、どういう人間か、私もまったく知らない…

 五井記念病院で、私の担当看護師だった…

 その程度の知識だった…

 彼女のことを、知らな過ぎた…

 「…この点では、私は、不安を持っている…姉の昭子の決断を…」

 和子がこぼす…

 「…五井南家を本家側につかせるのは、いい…でも、肝心の佐藤ナナの素性を、もっと調べてから、養女にした方が、良かった…」

 「…彼女になにか、不安があるんですか?…例えば、五井の血を引いてないとか…」

 「…それはない…キチンとDNA検査をして、一族の血を引いていることに、間違いはない…ただ、肝心なのは、彼女の性格…」

 「…性格…ですか?…」

 「…どういう性格か、さっぱり、わからない…だから、行動が読めない…」

 「…」

 「…それが、伸明やリンとの違い…」

 和子が、ため息をついた…

 たしかに、そう言われれば、わかる…

 和子の不安がわかる…

 佐藤ナナが、どんな性格なのか、さっぱり、わからない…

 そう言われれば、私も反論できない…

 佐藤ナナは、私が、五井記念病院に入院しているときに、担当看護師だった…

 が、

 あらためて、考えると、

 …どんなひとなの?…

 と、問われても、返答に詰まる…

 患者の私から見て、佐藤ナナは、非の打ちどころがない、看護師だった…

 彼女に不満を感じたことはない…

 が、

 どんなひとなの? と、問われても、返答に詰まる…

 彼女は、菊池リン同様の愛くるしい顔で、いつもニコニコしている、陽気な看護師でもあった…

 日本人とベトナム人とのハーフなので、肌が、褐色に浅黒かったが、その褐色の肌が、また魅力的だった…

 純粋の日本人にはない、華やかさがあった…

 同時に、日本人には、ない、目鼻立ちの整った美人でもあった…

 が、

 それ以外に、彼女のことは、なにもしらない…

 どこに、住んでいるとか、それまで、どんな暮らしをしていたのか、などは、なにも、知らなかった…

 思えば、以前、会社で、同僚と、立ち話をしていたとき、偶然、他の同僚の女性の話になり、その同僚が、

 「…でも、オレ、彼女が、どんなひとなんだか、よく知らないんだ…」

 と、言っていたのを、思い出した…

 その同僚は、妻帯者の男性で、その女性と、よく会社で、楽しそうに、世間話をしていた…

 しかしながら、その男性が、同じように、私と世間話をしていたときに、なにかのきっかけで、
 
 「…でも、オレ、彼女が、どんなひとなんだか、よく知らないんだ…」

 と、言ったのを、聞いたときは、ある意味、衝撃的だった…

 なぜなら、その男性が、その女性と、親しげに世間話をしているのを、私は、何度も目撃していたからだ…

 いや、私だけでなく、社内で、目撃した人間は多い…

 が、

 少し考えて、その男性が、言う意味がわかった…

 その男性は、妻帯者だったから、奥さんと、結婚して、初めて、わかったことがあったのかもしれないと、思った…

 付き合っただけのときと、違って、いっしょに暮して、初めて、わかったことがあったのかもしれないと、気付いた…

 たとえば、結構、だらしがないとか…

 小言が多いとか…

 24時間、いっしょにいて、初めて、知った事実もあるのだろう…

 ときどき、会うだけでは、わからない事実も、多いに違いない…

 私は、それを、思い出した…

 たしか、以前にも、このことは、書いたことがある…

 要するに、会社で、立ち話をしている程度では、どんな人間か、わからないということだ(笑)…

 私は、それを思った…

 「…もしかしたら、姉は、急ぎ過ぎたのかもしれない…」

 ポツリと、和子は、漏らした…

 「…伸明かわいさに、急ぎ過ぎたかもしれない…」

 和子が、繰り返す…

 「…これは、私の思い過ごしだと、すれば、いいけど…」

 和子が、漏らした言葉が、印象的だった…

 
 結局、その日は、それだけだった…

 和子と再会しただけだった…

 正直、和子の目的がわからなかった…

 なにを、目的に、私に会おうとしたのか、わからなかった…

 が、

 それを聞くわけにも、いかなかった…

 思うに、私の体調や、私が、どんな人間か、あらためて、見定めたいと思ったのではないか?

 私は、勝手に、そう解釈した…

 自分の孫の菊池リンと、伸明さんを巡って、争っている…

 それが、事実ならば、あらためて、私に会いたいと思うのが、普通だった…

 どんな人間か、あらためて、この目で、見たい…

 そう思うのが、人情だった…

 そして、私はといえば、和子の口から、

 …なぜ、私を、伸明さんが、選んだのか?…

 わかった事実が、大きい…

 率直に言って、これまで、諏訪野伸明が、なぜ、私を選らんのか? 

 謎だった…

 諏訪野伸明は、五井家の若き当主…

 大金持ちのボンボンだ…

 そんなボンボンが、なぜ、私に惹かれるのか、わからなかった…

 なぜなら、伸明の立場ならば、もっと若くきれいな女や、モデルや女優のような女を、選べるからだ…

 それが、なぜ私を?

 それが、謎だった…

 が、

 和子と会ったことで、その謎が解けた…

 要するに、私が、思っていた以上に、伸明は、気が弱い…

 そして、自信がない…

 なぜ、自信がないかと問われれば、おそらく、自分が、前当主、建造の実子ではないから…

 血が繋がってないから、当主としての自信が持てない…

 生まれ持った性格もあるが、やはり、それが、大きいに違いない…

 真逆に、それが、わかっている母の昭子は、それを補うために、佐藤ナナを、自分の養女とした…

 佐藤ナナは、五井南家の血を引く…

 彼女を養女とすることで、南家を、本家側に呼び込み、五井家を仕切る当主の伸明を助けようとしたのだ…

 それゆえ、五井情報を、米倉平造に売った…

 すでに、佐藤ナナを養女としていた、米倉平造に、彼女と縁組を解消してもらうために、格安で、五井情報を売却したのだ…

 すべては、伸明のことを、思ってのことだった…

 そして、伸明は、その気の弱さから、私に憧れた…

 私、寿綾乃の強さに憧れた…

 ある意味、これ以上、バカバカしい展開はなかった…

 本物の寿綾乃は、建造が、外に作った娘だった…

 が、

 それを知らない、伸明は、私と出会い、私を好きになった…

 もし、私が、本物の寿綾乃であったならば、建造の娘を好きになったことになる…

 建造の娘であれば、伸明の妹ということになる…

 血は繋がってないが、妹ということになる…

 いや、

 だとすれば、もしかしたら、伸明は、もっと、私を好きになった可能性もある…

 なぜなら、本物の寿綾乃は、建造の血を引いていた…

 伸明は、建造を尊敬している…

 自分と、血が繋がってないにもかかわらず、後継者に推してくれた、建造を尊敬している…

 ならば、伸明は、建造と血が繋がった私をもっと好きになるではないか?

 そう気付いた…

 これには、良い例がある…

 マイケル・ジャクソンは、エルヴィス・プレスリーの娘と結婚した…

 なぜなら、マイケル・ジャクソンはエルヴィス・プレスリーを尊敬していたからだ…

 だから、プレスリーの娘と結婚した…

 尊敬するプレスリーの娘と結婚することで、プレスリーのものを、手に入れた快感があったのでは? と、当時、その心境を推察された…

 だから、伸明の場合も同じかも、と考えたが、実は違うかもしれない…

 なぜなら、諏訪野マミがいるからだ…

 マミは文字通り、建造が、外に作った娘だった…

 だから、伸明が、マミを好きならば、血が繋がってない以上、結婚できる…

 が、

 誰がどう見ても、二人が恋愛しているようには、思えない…

 仲が悪くもなく、良くもない…

 普通の関係に思える…

 私は、家に戻って、そんなことを、考えた…

 考え続けた…

 すると、やはりというか、ドッと、疲れが出てきた…

 和子には、悪いが、やはり、和子のせいだと、思った…

 あの女傑と会っただけで、私は、緊張して、堪らなかった…

 伸明が、私が好きなのは、私が、強いからだ…

 その強さに憧れたのだ、と、和子は言ったが、冗談ではない!

 強さで言えば、私など、和子の足元にも、及ばなかった…

 昭子の足元にも、及ばなかった…

 私より、はるかに強い、和子から、寿さんは、強いと、言われたのは、皮肉…

 皮肉以外の何物でもなかった…

 今、冷静に考えれば、わかる…

 と、そこまで、考えて、あらためて、気付いた…

 なぜ、伸明は、自分の周りに、そんな強い女が、いるにも、かかわらず、私に憧れるのか?

 私が、伸明ならば、憧れない…

 強い女は、まっぴらだ…

 むしろ、強い女とは、真逆の弱い女…

 菊池リンのような、愛くるしい女と、結婚したいと、思う…

 心底、願う…

 と、同時に、気付いた…

 以前、好きだった作家や、実際に見聞きした例でいえば、女好きな男は、女が多い家庭に育ったものが、多かった…

 例えば、自分と父親を除けば、家族全員が、女という具合…

 その女も例えば、姉妹が、4人も5人もいる…

 あるいは、父親もすでに亡くなり、自分以外が、家族全員女という具合…

 例えば、男一人に、女四人という家族…

 その女は、母や姉や妹という具合…

 稀には、祖母もいるかもしれない…

 いずれにしろ、家庭は女だらけ…

 だから、女というものが、どういうものか、よくわかっている…

 にもかかわらず、女が好き…

 生まれつき、女だらけの中で、育ったにも、かかわらず、女が好き…

 これは、普通に考えれば、理解に苦しむ(笑)…

 女だらけの中に生まれれば、女の嫌な部分も、十分見ていると、思うからだ…

 にも、かかわらず、女が好き…

 だから、理解に苦しむのだ…

 これを、諏訪野伸明に、当てはめれば、同じかもしれない…

 私は、思った…

 昭子、和子といった強い女を見て、育ったにも、かかわらず、強い女を求める…

 強い女を欲する…

 女だらけの過程で育った男が、女好きになったように、強い女を目の当たりにして、育った伸明は、無意識に、強い女を欲するのかもしれないと、思った…

 いわば、ないものねだりの真逆で、自分にないものだから、欲するのではなく、あって当たり前の世界…

 女好きな男にとっては、生まれながらに、身近に女がいっぱいいるのが、普通…

 当たり前の世界…

 だから、無意識に女を欲する…

 それと、同じで、伸明もまた、強い女が、身近にいるから、強い女を欲するのかもしれない…

 そう、思った…

 また、そう、思うことで、なんだか、伸明を身近に感じた…

 それまで、私風情が、会ったことのない、大金持ちのボンボン…

 しかも、長身のイケメン…

 にも、かかわらず、身近に感じた…

 私と大差ないとまでは、いわないが、同じ人間に感じた…

 これは、これまでにない感覚だった…

 同じように、悩み、同じように、苦しむ人間…

 そこには、金のある、なしは、関係がなかった…

 ただ、ないものねだりだったり、あるいは、普通に、悩む、等身大の諏訪野伸明の姿があった…

                

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