第70話

文字数 6,500文字

 佐藤ナナから、連絡があったのは、それから、まもなくだった…

 いきなり、私のスマホに連絡があった…

 私は、スマホに表示されたのが、見知らぬ番号なので、一瞬、電話に出るのを、躊躇った…

 どうするべきか、迷った…

 が、

 スマホに電話をかけてくる人間が、皆、私の知り合いとは、限らない…

 いや、

 知り合いでは、あるが、私が、相手の電話番号を、スマホに登録していない場合も多い…

 この場合が、そうだった…

 私は、用心のために、留守電にして、メッセージを聞いた…

 「…寿さん…ご無沙汰しています…五井記念病院で、寿さんの担当看護師だった佐藤です…」

 可愛らしい、女の声が、流れた…

 …佐藤さん?…

 驚いた…

 まさか、あの佐藤ナナから、連絡があるとは、思わなかった…

 が、

 冷静に考えれば、連絡があっても、おかしくはない…

 佐藤ナナ…彼女の正体は、五井南家の人間だった…

 五井の血を引く者だった…

 しかも、今は、五井本家の養女…

 五井家当主、諏訪野伸明の妹になっている…

 だから、伸明の妹だから、今、現在、伸明と交際中の私に、電話があっても、おかしなことでもなかった…

 私の頭の中で、そんな思いが、目まぐるしく、回転した…

 それから、慌てて、電話をとった…

 「…もしもし、寿です…」

 私が、言うと、相手が、驚いた…

 「…こ、寿さん…いらっしゃったんですか?…」

 「…ええ…」

 私は、短く、言った…

 「…じゃ、どうして、留守電なんですか?…」

 「…いえ、どんな相手から、電話がかかってくるか、わからないから…」

 私は、答えた…

 私の返答に、

 「…」

 と、沈黙した…

 それから、私は、

 「…今日は、一体?…」

 と、聞いた…

 一体全体、どうして、いきなり、電話をかけてきたのか、不思議だった…

 「…担当看護師として、患者さんの体調が、気になって…」

 佐藤ナナが、自信たっぷりに、言う…

 「…ウソね…」

 私は、佐藤ナナの言葉を否定した…

 「…ウソ? …どうして、ウソなんですか?…」

 「…だって、担当看護師が、直接、患者に電話をかけてくるなんて、おかしいでしょ?…それなら、長谷川センセイから、連絡がくるはず…」

 私の言葉に、佐藤ナナは、

 「…」

 と、黙った…

 どう反論していいか、わからなかったのかもしれない…

 「…佐藤さん…」

 「…ハイ…」

 「…ウソは、いけないわ…」

 「…」

 「…しかも、すぐにバレるウソは…」

 私の言葉に、

 「…スイマセン…」

 と、小さな声で、電話の向こう側から、詫びる声が、聞こえてきた…

 「…ウソでした…」

 「…で、ホントは、どんな用事?…」

 「…五井のことです…」

 「…五井のこと?…どんな…」

 「…それは、まだ、お会いして、直接…」

 当たり前のことだった…

 いきなり、電話をかけてきて、確信に触れる話をする者は、普通いない…

 あくまで、さわりというか…

 匂わしに過ぎない…

 つまりは、メインディッシュではなく、前菜…

 メインディッシュは、直接会ってから、ということだろう…

 「…わかったわ…会いましょう…」

 私は、言った…

 どんな話が出てくるのか、興味があった…

 なにしろ、電話の主の佐藤ナナは、今は、五井本家の養女…

 身分上というか、戸籍上は、諏訪野伸明の妹…

 そんな身分になった佐藤ナナから、一体、どんな話が出てくるのか、興味があった…

 「…で、場所は…」

 佐藤ナナが、聞いた…

 私は、しばし、悩んだが、私の住む自宅近くのカフェにした…

 自宅に、佐藤ナナを招くのは、やはり、嫌というか…

 それほど、親しい間柄ではない…

 だから、自宅に招くのは、嫌…

 当たり前のことだった…

 「…じゃ、その場所で…」

 佐藤ナナが、了承する…

 「…で、時間は? …佐藤さん…五井記念病院に勤務しているから、時間は? …いつでも、いいというわけではないでしょ?…」

 私の質問に、

 「…」

 と、間があった…

 それから、小さな声で、

 「…辞めちゃったんです…」

 と、言った…

 「…辞めた? 五井記念病院を?…」

 「…ハイ…」

 「…どうして?…どうして、辞めちゃったの?…」

 言いながら、思った…

 たしか、諏訪野伸明か誰か、聞いた相手は、忘れたが、この佐藤ナナは、五井本家の養女となった後も、変わらず、五井記念病院に勤めていると、聞いた…

 いや、

 たしか、聞いた相手は、あの菊池リンの祖母、和子だったかもしれない…

 思い出した…

 そして、それを聞きながら、私も、佐藤ナナの堅実な生き方に、内心、賞賛したというか…

 感服した…

 五井家という、お金持ちの家に、養女として、招かれたにも、かかわらず、看護師の仕事に邁進する…

 そんな堅実な生き方を、賞賛した…

 が、

 それが、辞めたとは…

 やはり、お金に目がくらんだんだろうか?

 ふと、思った…

 残念ながら、五井という大金持ちの養女に招かれたから、すでに、大金は、手に入れた…

 だから、まともに、汗水垂らして、働くことが、バカバカしくなったのか?…

 そう、思った…

 そして、それは、誰もが、ありうること…

 この佐藤ナナを責めることはできない…

 私にしても、同じ…

 佐藤ナナと同じ立場なら、五井記念病院の看護師を辞めてしまうかもしれない…

 五井家の養女となったことに、舞い上がってしまい、仕事を辞めてしまう可能性を否定できない…

 私は、そんなことを、思った…

 なにより、佐藤ナナが、看護師の道を断念したことは、残念だが、私は、彼女の進路に口を出す権利はない…

 赤の他人…

 仮に、私が、諏訪野伸明と結婚しても、そのスタンスは、変わらない…

 伸明の義理の妹ならば、私にとっても、義理の妹にもなるわけだが、おいそれと、口を出すつもりは、毛頭ない…

 私は、冷たいようだが、基本的に、他人の生き方に無関心…

 関心があるのは、自分のことだけだ(笑)…

 元々、そんな傾向が強かったが、病気になって、その傾向がさらに、加速した…

 要するに、自分が、癌になって、面倒を見るのは、自分だけで、精一杯…

 とてもじゃないが、他人様の面倒を見るどころじゃない…

 そういうことだ…

 そして、元々、他人に関心が薄いというか…

 自分にしか、興味がない性格ゆえに、余計に、他人に関心がなくなったというのが、本当のところだろう…

 私は、思った…

 冷たい人間…

 私を一言で、言えば、他人に興味がない…

 他人に興味を持てない…

 冷たい人間に、他ならない…

 しかしながら、そんな冷たい人間に、この佐藤ナナが、電話をかけてくる…

 おそらくは、自分自身の身の振り方を、相談に来るのだろう…

 つくづく、ひとを見る目がない…

 こんな他人に、興味がない、私に、人生相談をして、なんになるのだろう?

 きっと、ろくでもない、アドバイスをするだけだ…

 それを、思うと、内心、爆笑した…


 結局、翌日に、佐藤ナナと、自宅近くで、会うことにした…

 以前、諏訪野和子と、会ったとき、同様、どうしても、自宅近くで、会うことにした…

 これは、ひとえに、私の体力的な問題…

 このカラダでは、遠くへ、いけない…

 まだ、五井記念病院を退院したばかり…

 とてもじゃないが、遠くへ、外出するなど、大げさにいえば、自殺行為に他ならない…

 例えは、おかしいかもしれないが、重度のスギ花粉症の人間に、スギ林の下を歩いて来てくれと、言われているようなものだ…

 それこそ、命懸けだ…

 途中で、自分が、どうなってしまうのか、わからない…

 途中で、倒れて、誰かに助けてもらえば、いいが、最悪、誰もいないところで、倒れて、そのまま、息が絶えるかも、しれない…

 大げさかもしれないが、私の中で、そんな危険があると、思っている…

 私が、そんなことを、思いながら、指定したカフェに行くと、すでに、佐藤ナナは、来ていた…

 が、

 すぐには、気付かなかった…

 彼女が、私服だったからだ…

 当たり前だが、いつもの白いナース服ではない…

 真逆に、黒いTシャツに、ジーンズという派手さのかけらもない地味な服装をしているにも、かかわらず、やはりというか、彼女は、目立っていた…

 それは、肌の黒さだろう…

 黒人ほどではないが、褐色の肌は、日本人の中では、嫌でも目立つ…

 だからだろう…

 ふと、思った…

 白い服を着れば、余計に、肌の黒さが目立つ…

 だから、素肌の色に近い、黒いTシャツを着ているのだろう、と、気付いた…

 そして、黒いTシャツを着ることで、彼女が、思いがけず、巨乳の持ち主だと気付いた…

 ナース服では、そこまで、気付かなかった…

 やはり、純粋の日本人では、ないから、胸も大きいのかもしれない…

 ただ、その肌の黒さも、胸の大きさも、彼女、佐藤ナナの魅力を損なうものではなかった…

 むしろ、逆…

 質素というか、地味にしているにも、かかわらず、なんとなく華やかなのだ…

 ひとつには、彼女の若さのせいだろう…

 まだ、二十三歳と、若い…

 その若さが、華やかさに繋がっている…

 だから、目立つ…

 褐色の肌のキレイな女のコがいると、いう具合に、だ…

 私は、彼女の姿を見つけると、まっすぐに、彼女のいる席へと、歩いていった…

 そして、

 「…お久しぶり…」

 と、声をかけた…

 彼女、佐藤ナナは、私の姿を見ると、席から立ち上がり、

 「…ご無沙汰しています…」

 と、一礼した…

 彼女が、ベトナムで、誰に教わったのか、わからないが、一般の日本人よりも、はるかに礼儀正しい…

 私は、それを思い出した…

 それから、すぐに、

 「…お加減は、どうですか?…」

 と、彼女は、続けた…

 やはり、元、看護師というだけはある…

 「…いいと言いたいけれども、それほど、良くはないわ…」

 私は、答えた…

 「…そうでなければ、自宅近くまで、佐藤さんを、呼び出すことはない…」

 「…」

 「…どうしても、このカラダでは、遠出はできない…だから、自宅近くで、なにか、あったら、誰かが、すぐに、救急車を呼んでくれるような環境でないと…」

 私が、続けると、佐藤ナナが、申し訳ないような表情になった…

 「…スイマセン…そんなに体調が、良くないのに、呼び出したりして…」

 「…いえ、いいの…私にとっては、平常運転というか…これが、今の日常…それに、佐藤さんと、こうして、外で会うことで、気分転換になる…ずっと、家に閉じこもっているので…」

 「…」

 「…とにかく、座って…ゆっくりしましょう…」

 私は、言って、立ったままの佐藤ナナに、席につくことを、促した…

 私が、席につくと、それを、見届けてから、佐藤ナナも、席についた…

 実に礼儀正しいというか…

 いまどき、珍しいと、思った…

 「…ハイ…」

 言ってから、席に座った…

 「…今日は、やはり、五井のこと?…」

 私は、直球で、質問した…

 ウルトラマンではないが、あまり、長い間、彼女といる自信が、なかった…

 ウルトラマンは、地球にいる時間が、3分と決まられている…

 それを過ぎると、死んでしまう…

 私も同じとまでは、言わないが、長く佐藤ナナと、このカフェで、おしゃべりを続けては、体調に不安があった…

 事実、家にいるときは、寝たり起きたり…

 ベッドの上で、寝ているときもあれば、起きて、パソコンをしているときもある…

 それだから、自宅近くで、会うしかなかった…

 どうしても、自宅を離れると、どうなるか、わからない不安があった…

 「…やっぱり、苦しいですか?…」

 席に着いた佐藤ナナが、聞いた…

 やはりというか、私が、苦しげに見えたのかもしれない…

 「…正直、それほどでもないわ…ただ、佐藤さんの目から見ると、随分、大変そうに、見えるのかもしれない…」

 「…」

 「…なんというか、だるいのね…薬の副作用かな…どうしようもなく、だるいときがある…」

 「…」

 「…でも、まだ今日はいい方…それほどじゃない…」

 私の言葉に、佐藤ナナは、複雑な表情を浮かべた…

 「…そんなに、体調が、悪いのに、今日は、スイマセン…」

 「…別にいいの…今日は、体調が、いい方なの…それに、一度、佐藤さんと、話したかったし…」

 「…私と…」

 「…だって、佐藤さんは、今は、伸明さんの妹でしょ?…」

 私の言葉に、佐藤ナナの表情が、凍り付いた…

 固まった…

 予想外というか…

 まさか、こんな言葉で、佐藤ナナが、固まるとは、思わなかった…

 一体、どうしてだろ?

 考えた…

 疑問に、思った…

 「…どうしたの?…」

 「…私が、望んだことではないです…」

 あまりにも、意外な言葉が、彼女の口から出た…

 「…望んでない?…」

 「…ハイ…」

 「…なら、どうして?…」

 「…米倉平造…」

 いきなり、名前が出た…

 その名前は、聞き覚えがある…

 たしか、この佐藤ナナを養女にした人間…

 たしか、五井には、遠く及ばないが、お金持ちの会社経営者のはずだ…

 「…彼に行けと言われました…」

 「…彼って、米倉平造のこと?…」

 「…そうです…」

 「…佐藤さんって、たしか、その米倉平造の養女だったのよね…」

 「…それは、形だけです…」

 「…形だけ? …どういうこと?…」

 「…彼は、あしながおじさんです…」

 「…どういう意味?…」

 「…私が、日本に来るために、養女とした…それで、日本にやって来た、私の生活の面倒を見た…けれでも、それは、あしながおじさんといっしょで、あくまで、お金を出して、サポートするだけ…もちろん、彼が直接ではなくて、人を介して、マンションを、始め、衣食住の世話をしてくれました…そのことに、感謝しているけれども、それだけ…」

 「…それだけ…」

 「…彼が、私の生活に立ち入ることは、一切なかった…ただ、お金をくれただけ…だから、あしながおじさん…」

 佐藤ナナが、強い口調で語る…

 その口調では、佐藤ナナが、米倉平造に、感謝しているのか、憎んでいるのか、わからなかった…

 普通に考えれば、憎んでいるようにも、聞こえる…

 だとすれば、やはり、米倉平造を憎んでいるのだろうか?

 「…ひょっとして、米倉さんを、恨んでいる?…」

 私は、直球の質問をした…

 が、

 彼女の表情は、固まったままだった…

 「…恨んでいるとか、そういうことではないです…ただ…」

 「…ただ、なに?…」

 「…私の人生が変わってしまった…」

 「…どういうこと?…」

 「…私は、日本に来て、看護師の資格を取り、日本で働きたかった…それだけです…」

 「…」

 「…変なお金持ちの争いに巻き込まれるのは、嫌です…」

 「…お金持ちの争い?…」

 「…五井家の争いです…」

 「…」

 「…本家だ、南家だ…私には、なんの関係もないことです…」

 「…関係ない? だったら、なぜ、アナタは、伸明さんと結婚したいなんて…」

 「…私が、伸明さんと結婚したい? …誰が、そんなことを、言ったんですか?…」

 「…エッ?…」

 絶句した…

 たしか…

 たしか…

 それは、菊池リン…

 菊池リンの口からだったと思う…

 それとも、

 諏訪野伸明だったろうか?

 悩んだ…

 いずれにしろ、いきなり、現れた佐藤ナナが、伸明と結婚したいという…

 五井家当主と結婚したいという…

 なぜなら、佐藤ナナは、五井家の血を引く人間…

 五井家の血を引く者は、五井家の人間の血を引く者と、結婚するのが、不文律…

 なぜなら、五井の歴史は、400年…

 創業者から、400年のときが経っている…

 だから、血の濃さでいえば、他人に近い…

 だから、これ以上、一族の血を薄めないためにも、一族同士の結婚を推奨する…

 これ以上、血を薄めれば、一族の団結に、支障をきたすからだ…

 まして、今、諏訪野伸明は、五井家当主…

 だから、本当は、自ら、その不文律を、実践しなければならない立場だ…

 それを逆手にとって、この佐藤ナナは、伸明と結婚したいと、言い出したのではないのか?

 それは、ウソだったのか?

 それとも、誤りだったのか?

 考えた…

 「…一体…誰が、そんなことを…」

 佐藤ナナが、その褐色の顔で、私をジッと睨んで言った…

                
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