第5話
文字数 10,257文字
諏訪野伸明氏が、私の入院する病室にやって来たのは、それから、まもなくだった…
やはり、藤原ナオキ同様、病院から、私、寿綾乃の意識が戻ったとの報告を受けていたのだろう…
ナオキ同様、仕事の都合で、すぐに、面会にやって来ることは、できなかったのだろう…
私が、ひとり、病室で、ベッドに寝ながら、ボンヤリと、天井を見上げてると、トントンと、私のいる病室のドアを叩く音がした…
「…どうぞ…」
私は、反射的に、言った…
すると、すぐに、
「…失礼します…」
という声がして、諏訪野伸明がやって来た…
彼の姿を見ても、私は、驚かなかった…
いずれは、姿を現すものと、思っていた…
むしろ、いつ、やって来るか、興味があった…
先日、藤原ナオキが、この病室に、私の見舞いにやって来て、諏訪野伸明の話題を持ち出して以来、
…いつ、やって来るのだろう?…
と、内心、いつも、思っていた…
興味津々だった…
…いまか…
…いまか…
と、待ちかねていたといってもいい…
なぜなら、私、寿綾乃の今後の人生は、おおげさに、いえば、この諏訪野伸明が握っている…
諏訪野伸明…いや、彼を頂点とする、五井家が、私をどう扱うかに、かかっている…
それゆえ、諏訪野伸明に会いたかった…
彼が、私に、なんというか、知りたかった…
私を励ますか?
それとも、
敵認定するか?
知りたかった…
それが、何度も言うように、私、寿綾乃の今後の人生を左右するからだ…
「…お久しぶりです…」
まずは、諏訪野伸明は、そう言って、会釈した…
相変わらず、爽やか…
いいところのお坊ちゃまだ…
ルックスも良く、長身で、お金持ち…
誰もが、羨むものを、すべて、持っている…
すべて、持って、生まれてきている…
にもかかわらず、本人は、決して、幸福そうには、見えなかった…
それは、やはり、彼の出自が影響しているのだろう…
諏訪野伸明は、先代の五井家の当主、諏訪野建造の息子ではなかった…
諏訪野建造の実子ではなかった…
血が繋がっていなかった…
すでに身ごもっていた、諏訪野伸明の母、昭子が、建造と、結婚した…
だから、当然、諏訪野建造の妻として、子供を出産したのだから、生まれた伸明は、誰もが、建造の子供と思っていた…
そして、その真相を知る人間は、ごく一部の人間のみ…
諏訪野伸明が、建造と血が繋がってないと知ったのは、後年だと、告白したが、いずれにしろ、諏訪野伸明は、容姿端麗、頭脳明晰、お金持ちと、三拍子すべて、揃っているにも、かかわらず、どこか、陰のある男だった…
そして、それが、私、寿綾乃の惹かれた要因だった…
どこか、陰のある諏訪野伸明に、私、寿綾乃と同じ要因を見つけたのかもしれない…
似た者同士…
そんな言葉が、似合う…
藤原ナオキは、会社では、私の上司だったが、プライベートでは、私の部下? だった(笑)…
明らかに、私が上…
上司?
母?
年上のお姉さん?
だった…
つまり、対等の関係ではない…
恋は、対等の関係の中でしか、生まれない…
対等の関係でない恋は、恋ではない…
それは、主人と、奴隷の関係(笑)…
どちらかが、どちらかに、従属、あるいは、寄生するのは、恋ではない…
それが、案外、わからない世間のひとは、多い…
私は、諏訪野伸明の姿を見て、それを思った…
「…こちらこそ、ご無沙汰しています…」
病室のベッドに寝ながら、言った…
「…こんな格好のまま、すいません…」
私は、諏訪野伸明に詫びた…
「…とんでもない…こちらが、勝手に押しかけて来ているので…」
「…勝手に?…」
私は、諏訪野伸明の言いようが、面白く、つい、言ってしまった…
「…生きていてくれて、よかった…」
しみじみと、言った…
私は、その言葉で、この諏訪野伸明が、私を好きなんだなと、あらためて、思った…
実感した…
だから、私は、
「…私は、案外、しぶといんです…」
と、答えた…
「…しぶとい?…」
諏訪野伸明が、目を丸くした…
「…ゴキブリと同じです…生命力が強いんです…」
私の言葉に、目を丸くしたままだった…
が、
すぐに、
「…こんな美人のゴキブリはいませんよ…」
と、笑った…
「…寿さんが、ゴキブリなら、世界中の女性が、ゴキブリになりたいと、憧れます…」
私は、なんと答えていいか、わからなかった…
それゆえ、
「…」
と、黙った…
「…お加減は、どうですか?…」
諏訪野伸明が、聞く…
「…悪くは、ないです…」
私は、正直に、言った…
「…こうして、諏訪野さんと、話していることが、その証拠です…」
私は笑みを浮かべて、言った…
私のその笑みを見て、
「…相変わらず、強い…そして、美しい…」
と、感嘆した…
「…美しい? そんな病人をからかっては、ダメ…」
私は、つい、口に出した…
やはり、この諏訪野伸明は、違う…
藤原ナオキとは、違う…
ナオキは、すでに、私の中で、パートナーを超えて、家族のようになっている…
それゆえ、例え、ナオキに、
「…美しい…」
と、言われても、
「…バカなことを言わないで…」
と、ナオキを叱るのが、オチだ…
あるいは、
「…今さら、そんなこと…」
と、呆れるのが、オチだ…
すでに、私とナオキは、家族だからだ…
しかし、この諏訪野伸明に言われると、つい、過剰反応するというか…
「…美しい…」
と、言われると、どう反応していいか、わからない…
誰もが、そうだろう…
昔から、知っている人間に、
「…綾乃さんは、美人だね…」
と、言われても、今さらというか…
本気で、言っているとは、思えない…
すでに、何年、いや、何十年前から、知っているからだ…
しかし、昨日今日知り合った人間に、
「…美人ですね…」
と、言われると、どう答えていいか、わからない…
まさか、
「…当たり前じゃない…」
とは、言えない(笑)…
せいぜい、
「…ありがとうございます…」
と、言って、頭を下げるのが、無難…
謙虚な姿を見せるのが、無難だ…
だから、私は、やはり
「…ありがとうございます…」
と、言い直そうとしたところ、
「…からかっているわけじゃ、ありません…」
と、真顔で、諏訪野伸明が、答えた…
「…病人は、当たり前ですが、やつれる…しかも、スッピン…それでいて、キレイなのだから、寿さんは、正真正銘の美人です…」
と、続けた…
私は、どう言っていいか、わからなかった…
ただ、
「…諏訪野さん…」
と、言った…
「…ハイ…なんでしょうか?…」
「…病室で、女を口説いても、その後、なにもできませんよ…」
と、からかった…
もちろん、冗談だ…
私の冗談に、諏訪野伸明は、目を白黒させて、驚いた…
それから、
「…そうだ…やはり、寿さんは、こうでなくちゃ…」
と、笑った…
実に、楽しそうだ…
「…寿綾乃さんは、こうでなくちゃ…」
楽しそうに、続ける…
「…これでこそ、寿綾乃さんだ…病室で、ベッドに横になっても、寿綾乃は、寿綾乃…全然、変わっていない…全然、気落ちしていない…安心した…」
諏訪野伸明が、言った…
私は、諏訪野伸明の気持ちがわかったというか…
私、寿綾乃を素直に、祝福するような人間では、ないことを、思い出した…
どこか、ひねくれているというか…
それゆえ、私、寿綾乃も惹かれたというか…
ひねくれもの同士、惹かれ合ったと、いっていい(笑)…
私は、それを思い出した…
「…随分な言い方ですね…」
私は、言った…
言いながらも、自分自身、言葉が、柔らかいのが、わかった…
言葉だけ、聞けば、とげとげしいが、言い方が、柔らかい…
だから、相手も、怒らない…
こちらが、本気で、怒っているとは、思わないからだ…
「…気に障ったのなら、謝ります…」
一転して、真顔で、言った…
「…とにかく、良かった…生きていて、良かった…」
しみじみと、言った…
それが、本音であることは、すぐに、わかった…
藤原ナオキも、同じことを言ったが、やはり、誰でも、自分が、生きていて、嬉しかったと、言われるのは、嬉しい…
他人から、大事にされていたのを、実感できる…
自分が、どれほど、愛されていたか、実感できる…
それになにより、藤原ナオキは、家族の立場から、同じことを、言ったが、この諏訪野伸明は、恋人? の立場から、言った…
その違いがあった…
そして、誰でも、同じだが、家族に、
「…生きていて、良かった…」
と、言われるより、恋人に、
「…生きていて、良かった…」
と、言われる方が、遥かに、嬉しい…
家族は、身内…
恋人は、他人だからだ…
身内に好かれるのは、当たり前だが、他人に好かれるのは、難しい…
それゆえだ…
私は、思った…
「…菊池さんは…」
と、つい、口を滑らせた…
この諏訪野伸明を頂点とする、五井家…
その五井家で、私、寿綾乃を監視する目的で、FK興産に送り込まれた、菊池リン…
彼女は、一体、どうしているのだろう?
また、諏訪野伸明は、その事実を知っていたのだろうか?
私の見るところ、なにも知らなかったのではないか?
諏訪野伸明と接した限り、そんな素振りは、私に見せなかった…
亡くなった先代当主、諏訪野建造は、知っていた…
いや、
諏訪野建造が、仕掛けた可能性が大…
高かった…
しかしながら、諏訪野建造が、たとえ、菊池リンを、私、寿綾乃を監視するスパイとして、FK興産に派遣していたとしても、憎めなかった…
建造と接していて、私やナオキを嫌っていないことは、明白だった…
だから、もし仮に、建造が、菊池リンをスパイとして、FK興産に送り込んだとしても、それは、五井家当主としての立場からだろう…
いい、悪い、のではない…
立場上、しなければ、ならないことがあるからだ…
私が、五井家の血が繋がった親族ならば、財産分与権が、生じる…
それを、恐れたのだろう…
なにしろ、五井だ…
莫大な資産を有している…
その一部とはいえ、それまで、存在の知らなかった親族が、突然、現れるのは、やはり、困るのだろう…
そういうことだ…
それゆえ、私を監視した…
そう思えば、怒る気にはならない…
五井家当主として、やらねばならぬことを、したまでだからだ…
そう考えたときだった…
「…リンちゃんは、今は、いない…」
「…いない、どういうこと?…」
「…海外に行った…当面は、帰って来ないだろう…」
意外な展開というか…
ちょっと、想定外だった…
藤原ナオキは、諏訪野伸明が、五井家当主に就任するに、伴い、それを支えるというか、手伝うようなことを言っていた…
それが…
「…社長に…藤原ナオキさんに、聞いたのでは、FK興産を辞めて、諏訪野さんを、お手伝いするようなことを、言っていたと聞きましたが…」
「…ボクも、そう聞いていましたが、本人が、ちょっと…」
諏訪野伸明が、言いづらそうに、言う…
私は、それを聞いて、以前、菊池リンは、諏訪野伸明の、結婚相手の一人だということを、思い出した…
五井家は、400年の歴史を持つ…
しかしながら、同じ一族とはいえ、400年も経てば、他人と呼べるほど、血の繋がりは、薄くなっている…
だから、積極的に、結婚相手は、一族の中から、見つける…
さもなければ、どんどん血が薄くなり、それが、一族の結束を弱めるからだ…
だから、菊池リンは、この諏訪野伸明の結婚相手の候補の一人だった…
しかながら、諏訪野伸明は、四十代前半…
片や、菊池リンは、大学を卒業したばかりの22歳…
歳が、20歳も違う…
だから、当然、菊池リンは、諏訪野伸明との結婚を嫌がった…
諏訪野伸明を嫌いなのではない…
諏訪野伸明は、長身で、イケメン…
ルックスに問題は、なにもない…
性格も問題ない…
ただ、歳が、二十歳も離れているのが、問題だった…
大学を出たばかりの22歳の女のコが、二十歳も離れた、四十代の男と結婚しろと言われれば、誰もが、眉をひそめる…
そういうことだ…
だから、諏訪野伸明を手伝えと言われて、会社を辞めたが、やはり、嫌で、海外に逃げ出したのだろう…
私は、そう思った…
諏訪野伸明の身近にいれば、
「…伸明と結婚しろ…」
と、周囲から急かされるのが、目に見えている…
だから、逃げ出したのだろう…
そう考えれば、納得できる…
そう思ったときに、
「…やはり、リンちゃんは、ボクとの結婚を嫌がった…」
と、諏訪野伸明が、言った…
「…いっしょにいれば、結婚しろ、と、周囲から急かされるのが、目に見えてる…だから、逃げ出した…」
諏訪野伸明が、自嘲気味に笑う…
「…リンちゃんの気持ちはよくわかる…」
私は、諏訪野伸明の告白に、
「…」
と、なにも、言わなかった…
いや、言えなかった…
他人の結婚事情に、おいそれと、口は出せない…
「…ボクが、リンちゃんでも、同じことをしますよ…」
諏訪野伸明は、断言する。
「…20歳も、歳の離れたオヤジと、結婚するのは、ゴメンです…」
この言葉にも、私は、
「…」
と、なにも、言わなかった…
どう返答していいか、わからなかったからだ…
「…逃げるのが、一番です…」
諏訪野伸明が繰り返す…
私は、諏訪野伸明が、何度も、同じことを繰り返したので、かえって、それが、本心かどうか、疑った…
嫌いは、好きの裏返しという言葉が、あるが、関心がなければ、何度も同じ言葉を繰り返さないものだからだ…
嫌いの真逆は、好きではない…
嫌いの真逆は、無関心…
関心がないだ…
関心がない=興味がないだ…
好きでも、嫌いでも、それは、相手を意識している証拠…
相手を意識しなければ、そもそも、そんな感情は起きない…
だから、
「…諏訪野さんは、リンちゃんが、好きなんじゃ…」
と、言った…
私の言葉に、諏訪野伸明は、一瞬固まったというか…
明らかに、表情がぎこちなかった…
それから、気を取り直すように、
「…好きか、嫌いか、問われれば、好きです…」
と、告白した…
「…リンちゃんは、五井家でもアイドル的存在です…ちょうど、皇室の中で、秋篠宮佳子様のような立ち位置です…それに、なにより、ボクはリンちゃんが、子供の頃から、知っています…」
「…」
「…ただ、結婚相手となると、どうも…お互いに、困惑するというか…」
諏訪野伸明が、言葉を濁す…
「…そうなるであろうことは、一族の掟から、ずっと前から、わかっていましたが、それが現実になると、やっぱり…」
と、残りの言葉は、飲み込んだ…
五井十三家…
400年の歴史のある五井家は、一族内の結婚が、原則…
そうしないと、血の繋がりが、どんどん薄くなってしまうからだ…
同じ一族といっても、近親結婚どころか、すでに、その血の繋がりは、他人に近い…
だから、これ以上、血が薄まらないように、一族内で、結婚を推奨する…
そして、五井十三家といえども、結婚適齢期の男女は、思いのほか、少ない…
ゆえに、結婚相手を選べと言われれば、最初から、数が限られる…
だから、最初から、菊池リンが、諏訪野伸明の結婚候補の一人であることは、わかっていた…
ただ、お互いに、それが、現実になってきた…
近づいてきたことで、困惑したのかもしれない…
なにより、子供の頃から、知っている、二十歳も歳の離れた相手と結婚となると、やはり、互いに困惑するに違いない…
私は、思った…
同時に、この眼前の諏訪野伸明の父であった、諏訪野建造を思い出した…
建造が、今、伸明が言ったように、菊池リンが、一族内で、アイドル的な存在と、以前、同じ言葉で言っていたのだ…
あるいは、当時から、建造が、菊池リンと、諏訪野伸明の結婚を、考えていたといったら、うがちすぎだろうか?
そんなことを、考えていると、
「…トントン…」
と、病室の部屋の扉を叩く音がして、
「…失礼します…」
という声がして、あの佐藤ナナが、やって来た…
「…寿さん…検診の時間です…」
佐藤ナナが言って、部屋に入ってきたが、私の傍らに、諏訪野伸明がいるのを見て、ビックリした表情になった…
心底、驚いた様子だった…
「…こ…これは…」
佐藤ナナが、顔を真っ赤にして、驚いていた…
「…どうも…」
「…ご無沙汰しています…以前、寿さんが、まだ意識を回復しないときに、この病院の理事長と、伺ったときに、お会いしましたね…」
諏訪野伸明が、椅子から立ち上がって、丁寧に、腰を折って、挨拶した…
佐藤ナナは、その様子に、ただ、ただ、困惑した様子だった…
「…やめて下さい…そんな真似…」
佐藤ナナが、声を上げた…
「…この病院の理事長と、同じ、一族の方に頭を下げられたら、困ります…」
「…それは、関係ない…」
諏訪野伸明が、声を上げた…
「…一族うんぬんは、関係ない…ボクの大切な友人の担当をしてもらってるんです…頭を下げるのは、当然です…」
諏訪野伸明の言葉に、佐藤ナナは、黙った…
そして、真っ赤の顔のまま、
「…検診を始めます…」
と、言って、てきぱきと、検診を始めた…
「…寿さん、どこか、具合が悪いところは、ありますか?…」
「…ありません…」
私は、答える…
佐藤ナナは、紅潮したままの顔だったが、検診は、しっかりしたものだった…
なにより、手際が良かった…
「…終わりました…また、なにか、あったら、呼んで下さい…ブザーを呼べば、いつでも、来ます…」
そう言うと、逃げるように、病室から、出て行った…
私と、諏訪野伸明は、その姿を呆気に取られて、見送った…
とりわけ、諏訪野伸明は、呆然とした様子だった…
だから、
「…きっと、諏訪野さんを好きなんですよ…」
私は、言った…
「…ボクを好き?…」
言いながら、再び、椅子に座った…
「…でも、今日で、会うのは、二度目じゃないかな…以前会った覚えはないし…」
「…諏訪野さんは、この病院の理事長と親しいのでしょ? もの凄いお金持ちだと思って、憧れているんだと思います…きっと、それは、藤原ナオキさんにも、同じ…」
「…藤原さんも同じ?…」
「…二人ともイケメンで、独身のお金持ち…若いあの看護師のお嬢さんが、憧れるのは、当然…」
私の説明に、諏訪野伸明は、苦笑した…
「…きっと、あのお嬢さんにとって、諏訪野さんは、テレビに出るイケメンの芸能人のようじゃないのかな? しかも、お金持ち…あのお嬢さんが、憧れるのは、わかる…」
私の指摘に、諏訪野伸明は、苦笑するばかりだった…
「…オヤジですよ…」
諏訪野伸明が言った…
「…四十を過ぎたオヤジです…あのお嬢さんは、二十代前半じゃないかな…歳が違い過ぎる…」
諏訪野伸明が、苦笑する…
「…でも、外見は、若々しい…とても、四十代には、見えませんよ…」
「…それでもです…歳が違い過ぎる…」
私は、諏訪野伸明の言葉に、ひょっとして、菊池リンのことを言っているのではないか?
と、思った…
彼女と菊池リンを重ねているのではないか?
と、推測した…
なにより、彼女と、菊池リンは似ている…
彼女、佐藤ナナと、菊池リンは似ている…
共に、人懐っこい笑顔で、たやすくひとの懐に入るというと、聞こえは悪いが、誰にでも好かれる…
それでいて、どこか、頼りなく、周囲の人間が、守ってあげたくなる…
ルックスも似ている…
菊池リンは、子供っぽく愛くるしいが、顔は、悪くない…
佐藤ナナは、東南アジア系ハーフだから、肌の色が、黒いが、純粋の日本人にはない目鼻立ちがはっきりした美人…
なにより、華やかだ…
だから、ルックスだけ見れば、佐藤ナナの圧勝だ…
が、
二人は、似ている…
目鼻立ちはともかく、全体的な印象が似ているのだ…
菊池リンを身近に見ていた、諏訪野伸明は、佐藤ナナを見て、菊池リンを、重ねるのは、自然なことだった…
だから、
「…似てますね…」
と、諏訪野伸明に言った…
「…誰にですか?…」
「…菊池さんに…」
私の言葉に、諏訪野伸明は、無言で、頷いた…
「…たしかに…」
相槌を打った…
「…二人は、似ている…」
実感を込めて、諏訪野伸明が、答える…
そんな諏訪野伸明を見ながら、今さらながら、私、寿綾乃を、この病院に入院する手配を、取ってくれた、礼をしていない事実に、気付いた…
「…諏訪野さん…」
「…なんでしょうか?…」
「…この病院に私が入院する手配をしてくれたのは、諏訪野さんと、お聞きしました…今さらですが…ありがとうございます…」
私の言葉に、
「…リンちゃんですよ…」
と、いきなり、諏訪野伸明が、答えた…
「…リンちゃん? …菊池さん?…」
「…ハイ…さっきも話題になった、菊池リン…彼女が急いで、この五井記念病院に電話して、手配したそうです…」
驚きの事実だった…
まさか、菊池リンが、私の入院の手配をするとは、思わなかった…
「…ちょうど、寿さんの事故を知って、すぐに、手配したと聞いてます…藤原さんに、聞けば、このあたりの事情も詳しいかと…」
…そうか?…
おそらく、ジュン君は、私をクルマではねた後、ナオキに電話したに違いない…
それを、菊池リンは、知ったに違いない…
ということは?
ということは、どうだ?
あるいは、社内に、誰か、菊池リンの協力者が、いたに違いない…
これも、今さらながら、気付いた…
菊池リンが、私、寿綾乃の動静を探るスパイだとしても、社内で、誰か、自分に情報をくれる協力者がいた方が、なにかと、便利に違いない…
だから、私以外にも、誰か、協力者が、いて、その協力者が、菊池リンに、私、寿綾乃が、クルマで、はねられたと、伝えたに違いない…
それで、菊池リンが、動いた…
それが、真相だろう…
そんな、ちょっと考えれば、当たり前のことに、今さらながら、気付く…
私という女は、相変わらず、トロい…
私という女は、相変わらず、頭の回転が、鈍い…
そんなことを思った…
だから、
「…だったら、私にとって、菊池さんは、恩人ですね…」
と、わざと、言った…
「…恩人?…」
ビックリした様子だった…
「…だって、こんな立派な病院に、入院させて、もらったんですよ…私には、分不相応…もったいない…」
私の言葉に、
「…」
と、諏訪野伸明は、反応しなかった…
ただ、
「…病院に、いい、悪いは、ないですよ…いい医者がいるか? …親身になって、面倒を見てくれるかです…」
と、言った…
ひどく、まともな回答だった…
私は、
「…それは、大丈夫です…」
と、念を押した…
「…どうして、大丈夫なんですか?…」
「…だって、五井記念病院に入院して、五井家の当主が、見舞いにくるような患者に、いい加減な扱いはできないでしょ?…」
私に言い分に、諏訪野伸明は、唖然としたが、すぐに、
「…そりゃ、そうです…」
と、爆笑した…
「…でしょ?…」
私も声を出して、笑った…
この諏訪野伸明も、藤原ナオキ同様、私と、同じ場所で、笑う…
笑う箇所が同じ…
だから、気が合う…
だから、話が合う…
いっしょにいて、疲れない…
いっしょにいて、気疲れしない…
なにより、楽しい…
それは、私のみならず、諏訪野伸明もまたいっしょだろう…
いっしょにいて、片方が楽しく、片方がつまらないというのは、普通、ありえない…
たとえば、一方が、並みの器量の持ち主で、もう一方が、美人だったり、イケメンだったり、する…
すると、初めて、デートをしたとき、並みの器量の持ち主は、美人や、イケメンと、デートできたことで、嬉しくて、舞い上がるような気持ちになるかもしれないが、すぐに、相手が、つまらないと感じていると、わかれば、自分の気持ちも冷めるというか…
萎えるのが、普通だ…
デートに誘って、いっしょに、どこかに行くのは、嬉しいが、やはり、自分では、ダメなんだと、感じてしまうのが、普通だ…
だから、お互いにうまくいかないのが、すぐにわかる…
私と、諏訪野伸明は、それとは、真逆…
うまくいく可能性が高い…
ただ、私の病気がある…
いつまで、生きれるか、わからない…
だから、好きになるわけには、いかない…
でも、惹かれる…
諏訪野伸明に惹かれる…
一方、諏訪野伸明に惹かれながらも、頭の片隅に、藤原ナオキの姿が、ある…
藤原ナオキが、頭の中に、常駐している…
つまり、これは?…
これは、まるで、二股…
二股を掛けている…
あるいは、
二重の恋…
恋をしてはいるが、どっちを選べばいいか、わからない…
私は、病院のベッドに横になりながら、そんなことを、考えていた…
そして、そんなことを、考える病人が、一体、どこの世界にいるだろうか? と、考えた…
余命いくばくもない患者が、どっちの男がいいか、迷う…
だが、これが、藤原ナオキが言った、生きる目的かもしれないと、気付いた…
そう考えると、我ながら、ちょっぴり楽しくなった…
生きる目的が、男選び(笑)…
あまりも、バカげているが、それをいえば、私、寿綾乃の人生そのものもまた、バカげている…
バカな女には、バカな生き方が似合っている…
バカな女には、バカな最期が似合っている…
当たり前のことだった…
やはり、藤原ナオキ同様、病院から、私、寿綾乃の意識が戻ったとの報告を受けていたのだろう…
ナオキ同様、仕事の都合で、すぐに、面会にやって来ることは、できなかったのだろう…
私が、ひとり、病室で、ベッドに寝ながら、ボンヤリと、天井を見上げてると、トントンと、私のいる病室のドアを叩く音がした…
「…どうぞ…」
私は、反射的に、言った…
すると、すぐに、
「…失礼します…」
という声がして、諏訪野伸明がやって来た…
彼の姿を見ても、私は、驚かなかった…
いずれは、姿を現すものと、思っていた…
むしろ、いつ、やって来るか、興味があった…
先日、藤原ナオキが、この病室に、私の見舞いにやって来て、諏訪野伸明の話題を持ち出して以来、
…いつ、やって来るのだろう?…
と、内心、いつも、思っていた…
興味津々だった…
…いまか…
…いまか…
と、待ちかねていたといってもいい…
なぜなら、私、寿綾乃の今後の人生は、おおげさに、いえば、この諏訪野伸明が握っている…
諏訪野伸明…いや、彼を頂点とする、五井家が、私をどう扱うかに、かかっている…
それゆえ、諏訪野伸明に会いたかった…
彼が、私に、なんというか、知りたかった…
私を励ますか?
それとも、
敵認定するか?
知りたかった…
それが、何度も言うように、私、寿綾乃の今後の人生を左右するからだ…
「…お久しぶりです…」
まずは、諏訪野伸明は、そう言って、会釈した…
相変わらず、爽やか…
いいところのお坊ちゃまだ…
ルックスも良く、長身で、お金持ち…
誰もが、羨むものを、すべて、持っている…
すべて、持って、生まれてきている…
にもかかわらず、本人は、決して、幸福そうには、見えなかった…
それは、やはり、彼の出自が影響しているのだろう…
諏訪野伸明は、先代の五井家の当主、諏訪野建造の息子ではなかった…
諏訪野建造の実子ではなかった…
血が繋がっていなかった…
すでに身ごもっていた、諏訪野伸明の母、昭子が、建造と、結婚した…
だから、当然、諏訪野建造の妻として、子供を出産したのだから、生まれた伸明は、誰もが、建造の子供と思っていた…
そして、その真相を知る人間は、ごく一部の人間のみ…
諏訪野伸明が、建造と血が繋がってないと知ったのは、後年だと、告白したが、いずれにしろ、諏訪野伸明は、容姿端麗、頭脳明晰、お金持ちと、三拍子すべて、揃っているにも、かかわらず、どこか、陰のある男だった…
そして、それが、私、寿綾乃の惹かれた要因だった…
どこか、陰のある諏訪野伸明に、私、寿綾乃と同じ要因を見つけたのかもしれない…
似た者同士…
そんな言葉が、似合う…
藤原ナオキは、会社では、私の上司だったが、プライベートでは、私の部下? だった(笑)…
明らかに、私が上…
上司?
母?
年上のお姉さん?
だった…
つまり、対等の関係ではない…
恋は、対等の関係の中でしか、生まれない…
対等の関係でない恋は、恋ではない…
それは、主人と、奴隷の関係(笑)…
どちらかが、どちらかに、従属、あるいは、寄生するのは、恋ではない…
それが、案外、わからない世間のひとは、多い…
私は、諏訪野伸明の姿を見て、それを思った…
「…こちらこそ、ご無沙汰しています…」
病室のベッドに寝ながら、言った…
「…こんな格好のまま、すいません…」
私は、諏訪野伸明に詫びた…
「…とんでもない…こちらが、勝手に押しかけて来ているので…」
「…勝手に?…」
私は、諏訪野伸明の言いようが、面白く、つい、言ってしまった…
「…生きていてくれて、よかった…」
しみじみと、言った…
私は、その言葉で、この諏訪野伸明が、私を好きなんだなと、あらためて、思った…
実感した…
だから、私は、
「…私は、案外、しぶといんです…」
と、答えた…
「…しぶとい?…」
諏訪野伸明が、目を丸くした…
「…ゴキブリと同じです…生命力が強いんです…」
私の言葉に、目を丸くしたままだった…
が、
すぐに、
「…こんな美人のゴキブリはいませんよ…」
と、笑った…
「…寿さんが、ゴキブリなら、世界中の女性が、ゴキブリになりたいと、憧れます…」
私は、なんと答えていいか、わからなかった…
それゆえ、
「…」
と、黙った…
「…お加減は、どうですか?…」
諏訪野伸明が、聞く…
「…悪くは、ないです…」
私は、正直に、言った…
「…こうして、諏訪野さんと、話していることが、その証拠です…」
私は笑みを浮かべて、言った…
私のその笑みを見て、
「…相変わらず、強い…そして、美しい…」
と、感嘆した…
「…美しい? そんな病人をからかっては、ダメ…」
私は、つい、口に出した…
やはり、この諏訪野伸明は、違う…
藤原ナオキとは、違う…
ナオキは、すでに、私の中で、パートナーを超えて、家族のようになっている…
それゆえ、例え、ナオキに、
「…美しい…」
と、言われても、
「…バカなことを言わないで…」
と、ナオキを叱るのが、オチだ…
あるいは、
「…今さら、そんなこと…」
と、呆れるのが、オチだ…
すでに、私とナオキは、家族だからだ…
しかし、この諏訪野伸明に言われると、つい、過剰反応するというか…
「…美しい…」
と、言われると、どう反応していいか、わからない…
誰もが、そうだろう…
昔から、知っている人間に、
「…綾乃さんは、美人だね…」
と、言われても、今さらというか…
本気で、言っているとは、思えない…
すでに、何年、いや、何十年前から、知っているからだ…
しかし、昨日今日知り合った人間に、
「…美人ですね…」
と、言われると、どう答えていいか、わからない…
まさか、
「…当たり前じゃない…」
とは、言えない(笑)…
せいぜい、
「…ありがとうございます…」
と、言って、頭を下げるのが、無難…
謙虚な姿を見せるのが、無難だ…
だから、私は、やはり
「…ありがとうございます…」
と、言い直そうとしたところ、
「…からかっているわけじゃ、ありません…」
と、真顔で、諏訪野伸明が、答えた…
「…病人は、当たり前ですが、やつれる…しかも、スッピン…それでいて、キレイなのだから、寿さんは、正真正銘の美人です…」
と、続けた…
私は、どう言っていいか、わからなかった…
ただ、
「…諏訪野さん…」
と、言った…
「…ハイ…なんでしょうか?…」
「…病室で、女を口説いても、その後、なにもできませんよ…」
と、からかった…
もちろん、冗談だ…
私の冗談に、諏訪野伸明は、目を白黒させて、驚いた…
それから、
「…そうだ…やはり、寿さんは、こうでなくちゃ…」
と、笑った…
実に、楽しそうだ…
「…寿綾乃さんは、こうでなくちゃ…」
楽しそうに、続ける…
「…これでこそ、寿綾乃さんだ…病室で、ベッドに横になっても、寿綾乃は、寿綾乃…全然、変わっていない…全然、気落ちしていない…安心した…」
諏訪野伸明が、言った…
私は、諏訪野伸明の気持ちがわかったというか…
私、寿綾乃を素直に、祝福するような人間では、ないことを、思い出した…
どこか、ひねくれているというか…
それゆえ、私、寿綾乃も惹かれたというか…
ひねくれもの同士、惹かれ合ったと、いっていい(笑)…
私は、それを思い出した…
「…随分な言い方ですね…」
私は、言った…
言いながらも、自分自身、言葉が、柔らかいのが、わかった…
言葉だけ、聞けば、とげとげしいが、言い方が、柔らかい…
だから、相手も、怒らない…
こちらが、本気で、怒っているとは、思わないからだ…
「…気に障ったのなら、謝ります…」
一転して、真顔で、言った…
「…とにかく、良かった…生きていて、良かった…」
しみじみと、言った…
それが、本音であることは、すぐに、わかった…
藤原ナオキも、同じことを言ったが、やはり、誰でも、自分が、生きていて、嬉しかったと、言われるのは、嬉しい…
他人から、大事にされていたのを、実感できる…
自分が、どれほど、愛されていたか、実感できる…
それになにより、藤原ナオキは、家族の立場から、同じことを、言ったが、この諏訪野伸明は、恋人? の立場から、言った…
その違いがあった…
そして、誰でも、同じだが、家族に、
「…生きていて、良かった…」
と、言われるより、恋人に、
「…生きていて、良かった…」
と、言われる方が、遥かに、嬉しい…
家族は、身内…
恋人は、他人だからだ…
身内に好かれるのは、当たり前だが、他人に好かれるのは、難しい…
それゆえだ…
私は、思った…
「…菊池さんは…」
と、つい、口を滑らせた…
この諏訪野伸明を頂点とする、五井家…
その五井家で、私、寿綾乃を監視する目的で、FK興産に送り込まれた、菊池リン…
彼女は、一体、どうしているのだろう?
また、諏訪野伸明は、その事実を知っていたのだろうか?
私の見るところ、なにも知らなかったのではないか?
諏訪野伸明と接した限り、そんな素振りは、私に見せなかった…
亡くなった先代当主、諏訪野建造は、知っていた…
いや、
諏訪野建造が、仕掛けた可能性が大…
高かった…
しかしながら、諏訪野建造が、たとえ、菊池リンを、私、寿綾乃を監視するスパイとして、FK興産に派遣していたとしても、憎めなかった…
建造と接していて、私やナオキを嫌っていないことは、明白だった…
だから、もし仮に、建造が、菊池リンをスパイとして、FK興産に送り込んだとしても、それは、五井家当主としての立場からだろう…
いい、悪い、のではない…
立場上、しなければ、ならないことがあるからだ…
私が、五井家の血が繋がった親族ならば、財産分与権が、生じる…
それを、恐れたのだろう…
なにしろ、五井だ…
莫大な資産を有している…
その一部とはいえ、それまで、存在の知らなかった親族が、突然、現れるのは、やはり、困るのだろう…
そういうことだ…
それゆえ、私を監視した…
そう思えば、怒る気にはならない…
五井家当主として、やらねばならぬことを、したまでだからだ…
そう考えたときだった…
「…リンちゃんは、今は、いない…」
「…いない、どういうこと?…」
「…海外に行った…当面は、帰って来ないだろう…」
意外な展開というか…
ちょっと、想定外だった…
藤原ナオキは、諏訪野伸明が、五井家当主に就任するに、伴い、それを支えるというか、手伝うようなことを言っていた…
それが…
「…社長に…藤原ナオキさんに、聞いたのでは、FK興産を辞めて、諏訪野さんを、お手伝いするようなことを、言っていたと聞きましたが…」
「…ボクも、そう聞いていましたが、本人が、ちょっと…」
諏訪野伸明が、言いづらそうに、言う…
私は、それを聞いて、以前、菊池リンは、諏訪野伸明の、結婚相手の一人だということを、思い出した…
五井家は、400年の歴史を持つ…
しかしながら、同じ一族とはいえ、400年も経てば、他人と呼べるほど、血の繋がりは、薄くなっている…
だから、積極的に、結婚相手は、一族の中から、見つける…
さもなければ、どんどん血が薄くなり、それが、一族の結束を弱めるからだ…
だから、菊池リンは、この諏訪野伸明の結婚相手の候補の一人だった…
しかながら、諏訪野伸明は、四十代前半…
片や、菊池リンは、大学を卒業したばかりの22歳…
歳が、20歳も違う…
だから、当然、菊池リンは、諏訪野伸明との結婚を嫌がった…
諏訪野伸明を嫌いなのではない…
諏訪野伸明は、長身で、イケメン…
ルックスに問題は、なにもない…
性格も問題ない…
ただ、歳が、二十歳も離れているのが、問題だった…
大学を出たばかりの22歳の女のコが、二十歳も離れた、四十代の男と結婚しろと言われれば、誰もが、眉をひそめる…
そういうことだ…
だから、諏訪野伸明を手伝えと言われて、会社を辞めたが、やはり、嫌で、海外に逃げ出したのだろう…
私は、そう思った…
諏訪野伸明の身近にいれば、
「…伸明と結婚しろ…」
と、周囲から急かされるのが、目に見えている…
だから、逃げ出したのだろう…
そう考えれば、納得できる…
そう思ったときに、
「…やはり、リンちゃんは、ボクとの結婚を嫌がった…」
と、諏訪野伸明が、言った…
「…いっしょにいれば、結婚しろ、と、周囲から急かされるのが、目に見えてる…だから、逃げ出した…」
諏訪野伸明が、自嘲気味に笑う…
「…リンちゃんの気持ちはよくわかる…」
私は、諏訪野伸明の告白に、
「…」
と、なにも、言わなかった…
いや、言えなかった…
他人の結婚事情に、おいそれと、口は出せない…
「…ボクが、リンちゃんでも、同じことをしますよ…」
諏訪野伸明は、断言する。
「…20歳も、歳の離れたオヤジと、結婚するのは、ゴメンです…」
この言葉にも、私は、
「…」
と、なにも、言わなかった…
どう返答していいか、わからなかったからだ…
「…逃げるのが、一番です…」
諏訪野伸明が繰り返す…
私は、諏訪野伸明が、何度も、同じことを繰り返したので、かえって、それが、本心かどうか、疑った…
嫌いは、好きの裏返しという言葉が、あるが、関心がなければ、何度も同じ言葉を繰り返さないものだからだ…
嫌いの真逆は、好きではない…
嫌いの真逆は、無関心…
関心がないだ…
関心がない=興味がないだ…
好きでも、嫌いでも、それは、相手を意識している証拠…
相手を意識しなければ、そもそも、そんな感情は起きない…
だから、
「…諏訪野さんは、リンちゃんが、好きなんじゃ…」
と、言った…
私の言葉に、諏訪野伸明は、一瞬固まったというか…
明らかに、表情がぎこちなかった…
それから、気を取り直すように、
「…好きか、嫌いか、問われれば、好きです…」
と、告白した…
「…リンちゃんは、五井家でもアイドル的存在です…ちょうど、皇室の中で、秋篠宮佳子様のような立ち位置です…それに、なにより、ボクはリンちゃんが、子供の頃から、知っています…」
「…」
「…ただ、結婚相手となると、どうも…お互いに、困惑するというか…」
諏訪野伸明が、言葉を濁す…
「…そうなるであろうことは、一族の掟から、ずっと前から、わかっていましたが、それが現実になると、やっぱり…」
と、残りの言葉は、飲み込んだ…
五井十三家…
400年の歴史のある五井家は、一族内の結婚が、原則…
そうしないと、血の繋がりが、どんどん薄くなってしまうからだ…
同じ一族といっても、近親結婚どころか、すでに、その血の繋がりは、他人に近い…
だから、これ以上、血が薄まらないように、一族内で、結婚を推奨する…
そして、五井十三家といえども、結婚適齢期の男女は、思いのほか、少ない…
ゆえに、結婚相手を選べと言われれば、最初から、数が限られる…
だから、最初から、菊池リンが、諏訪野伸明の結婚候補の一人であることは、わかっていた…
ただ、お互いに、それが、現実になってきた…
近づいてきたことで、困惑したのかもしれない…
なにより、子供の頃から、知っている、二十歳も歳の離れた相手と結婚となると、やはり、互いに困惑するに違いない…
私は、思った…
同時に、この眼前の諏訪野伸明の父であった、諏訪野建造を思い出した…
建造が、今、伸明が言ったように、菊池リンが、一族内で、アイドル的な存在と、以前、同じ言葉で言っていたのだ…
あるいは、当時から、建造が、菊池リンと、諏訪野伸明の結婚を、考えていたといったら、うがちすぎだろうか?
そんなことを、考えていると、
「…トントン…」
と、病室の部屋の扉を叩く音がして、
「…失礼します…」
という声がして、あの佐藤ナナが、やって来た…
「…寿さん…検診の時間です…」
佐藤ナナが言って、部屋に入ってきたが、私の傍らに、諏訪野伸明がいるのを見て、ビックリした表情になった…
心底、驚いた様子だった…
「…こ…これは…」
佐藤ナナが、顔を真っ赤にして、驚いていた…
「…どうも…」
「…ご無沙汰しています…以前、寿さんが、まだ意識を回復しないときに、この病院の理事長と、伺ったときに、お会いしましたね…」
諏訪野伸明が、椅子から立ち上がって、丁寧に、腰を折って、挨拶した…
佐藤ナナは、その様子に、ただ、ただ、困惑した様子だった…
「…やめて下さい…そんな真似…」
佐藤ナナが、声を上げた…
「…この病院の理事長と、同じ、一族の方に頭を下げられたら、困ります…」
「…それは、関係ない…」
諏訪野伸明が、声を上げた…
「…一族うんぬんは、関係ない…ボクの大切な友人の担当をしてもらってるんです…頭を下げるのは、当然です…」
諏訪野伸明の言葉に、佐藤ナナは、黙った…
そして、真っ赤の顔のまま、
「…検診を始めます…」
と、言って、てきぱきと、検診を始めた…
「…寿さん、どこか、具合が悪いところは、ありますか?…」
「…ありません…」
私は、答える…
佐藤ナナは、紅潮したままの顔だったが、検診は、しっかりしたものだった…
なにより、手際が良かった…
「…終わりました…また、なにか、あったら、呼んで下さい…ブザーを呼べば、いつでも、来ます…」
そう言うと、逃げるように、病室から、出て行った…
私と、諏訪野伸明は、その姿を呆気に取られて、見送った…
とりわけ、諏訪野伸明は、呆然とした様子だった…
だから、
「…きっと、諏訪野さんを好きなんですよ…」
私は、言った…
「…ボクを好き?…」
言いながら、再び、椅子に座った…
「…でも、今日で、会うのは、二度目じゃないかな…以前会った覚えはないし…」
「…諏訪野さんは、この病院の理事長と親しいのでしょ? もの凄いお金持ちだと思って、憧れているんだと思います…きっと、それは、藤原ナオキさんにも、同じ…」
「…藤原さんも同じ?…」
「…二人ともイケメンで、独身のお金持ち…若いあの看護師のお嬢さんが、憧れるのは、当然…」
私の説明に、諏訪野伸明は、苦笑した…
「…きっと、あのお嬢さんにとって、諏訪野さんは、テレビに出るイケメンの芸能人のようじゃないのかな? しかも、お金持ち…あのお嬢さんが、憧れるのは、わかる…」
私の指摘に、諏訪野伸明は、苦笑するばかりだった…
「…オヤジですよ…」
諏訪野伸明が言った…
「…四十を過ぎたオヤジです…あのお嬢さんは、二十代前半じゃないかな…歳が違い過ぎる…」
諏訪野伸明が、苦笑する…
「…でも、外見は、若々しい…とても、四十代には、見えませんよ…」
「…それでもです…歳が違い過ぎる…」
私は、諏訪野伸明の言葉に、ひょっとして、菊池リンのことを言っているのではないか?
と、思った…
彼女と菊池リンを重ねているのではないか?
と、推測した…
なにより、彼女と、菊池リンは似ている…
彼女、佐藤ナナと、菊池リンは似ている…
共に、人懐っこい笑顔で、たやすくひとの懐に入るというと、聞こえは悪いが、誰にでも好かれる…
それでいて、どこか、頼りなく、周囲の人間が、守ってあげたくなる…
ルックスも似ている…
菊池リンは、子供っぽく愛くるしいが、顔は、悪くない…
佐藤ナナは、東南アジア系ハーフだから、肌の色が、黒いが、純粋の日本人にはない目鼻立ちがはっきりした美人…
なにより、華やかだ…
だから、ルックスだけ見れば、佐藤ナナの圧勝だ…
が、
二人は、似ている…
目鼻立ちはともかく、全体的な印象が似ているのだ…
菊池リンを身近に見ていた、諏訪野伸明は、佐藤ナナを見て、菊池リンを、重ねるのは、自然なことだった…
だから、
「…似てますね…」
と、諏訪野伸明に言った…
「…誰にですか?…」
「…菊池さんに…」
私の言葉に、諏訪野伸明は、無言で、頷いた…
「…たしかに…」
相槌を打った…
「…二人は、似ている…」
実感を込めて、諏訪野伸明が、答える…
そんな諏訪野伸明を見ながら、今さらながら、私、寿綾乃を、この病院に入院する手配を、取ってくれた、礼をしていない事実に、気付いた…
「…諏訪野さん…」
「…なんでしょうか?…」
「…この病院に私が入院する手配をしてくれたのは、諏訪野さんと、お聞きしました…今さらですが…ありがとうございます…」
私の言葉に、
「…リンちゃんですよ…」
と、いきなり、諏訪野伸明が、答えた…
「…リンちゃん? …菊池さん?…」
「…ハイ…さっきも話題になった、菊池リン…彼女が急いで、この五井記念病院に電話して、手配したそうです…」
驚きの事実だった…
まさか、菊池リンが、私の入院の手配をするとは、思わなかった…
「…ちょうど、寿さんの事故を知って、すぐに、手配したと聞いてます…藤原さんに、聞けば、このあたりの事情も詳しいかと…」
…そうか?…
おそらく、ジュン君は、私をクルマではねた後、ナオキに電話したに違いない…
それを、菊池リンは、知ったに違いない…
ということは?
ということは、どうだ?
あるいは、社内に、誰か、菊池リンの協力者が、いたに違いない…
これも、今さらながら、気付いた…
菊池リンが、私、寿綾乃の動静を探るスパイだとしても、社内で、誰か、自分に情報をくれる協力者がいた方が、なにかと、便利に違いない…
だから、私以外にも、誰か、協力者が、いて、その協力者が、菊池リンに、私、寿綾乃が、クルマで、はねられたと、伝えたに違いない…
それで、菊池リンが、動いた…
それが、真相だろう…
そんな、ちょっと考えれば、当たり前のことに、今さらながら、気付く…
私という女は、相変わらず、トロい…
私という女は、相変わらず、頭の回転が、鈍い…
そんなことを思った…
だから、
「…だったら、私にとって、菊池さんは、恩人ですね…」
と、わざと、言った…
「…恩人?…」
ビックリした様子だった…
「…だって、こんな立派な病院に、入院させて、もらったんですよ…私には、分不相応…もったいない…」
私の言葉に、
「…」
と、諏訪野伸明は、反応しなかった…
ただ、
「…病院に、いい、悪いは、ないですよ…いい医者がいるか? …親身になって、面倒を見てくれるかです…」
と、言った…
ひどく、まともな回答だった…
私は、
「…それは、大丈夫です…」
と、念を押した…
「…どうして、大丈夫なんですか?…」
「…だって、五井記念病院に入院して、五井家の当主が、見舞いにくるような患者に、いい加減な扱いはできないでしょ?…」
私に言い分に、諏訪野伸明は、唖然としたが、すぐに、
「…そりゃ、そうです…」
と、爆笑した…
「…でしょ?…」
私も声を出して、笑った…
この諏訪野伸明も、藤原ナオキ同様、私と、同じ場所で、笑う…
笑う箇所が同じ…
だから、気が合う…
だから、話が合う…
いっしょにいて、疲れない…
いっしょにいて、気疲れしない…
なにより、楽しい…
それは、私のみならず、諏訪野伸明もまたいっしょだろう…
いっしょにいて、片方が楽しく、片方がつまらないというのは、普通、ありえない…
たとえば、一方が、並みの器量の持ち主で、もう一方が、美人だったり、イケメンだったり、する…
すると、初めて、デートをしたとき、並みの器量の持ち主は、美人や、イケメンと、デートできたことで、嬉しくて、舞い上がるような気持ちになるかもしれないが、すぐに、相手が、つまらないと感じていると、わかれば、自分の気持ちも冷めるというか…
萎えるのが、普通だ…
デートに誘って、いっしょに、どこかに行くのは、嬉しいが、やはり、自分では、ダメなんだと、感じてしまうのが、普通だ…
だから、お互いにうまくいかないのが、すぐにわかる…
私と、諏訪野伸明は、それとは、真逆…
うまくいく可能性が高い…
ただ、私の病気がある…
いつまで、生きれるか、わからない…
だから、好きになるわけには、いかない…
でも、惹かれる…
諏訪野伸明に惹かれる…
一方、諏訪野伸明に惹かれながらも、頭の片隅に、藤原ナオキの姿が、ある…
藤原ナオキが、頭の中に、常駐している…
つまり、これは?…
これは、まるで、二股…
二股を掛けている…
あるいは、
二重の恋…
恋をしてはいるが、どっちを選べばいいか、わからない…
私は、病院のベッドに横になりながら、そんなことを、考えていた…
そして、そんなことを、考える病人が、一体、どこの世界にいるだろうか? と、考えた…
余命いくばくもない患者が、どっちの男がいいか、迷う…
だが、これが、藤原ナオキが言った、生きる目的かもしれないと、気付いた…
そう考えると、我ながら、ちょっぴり楽しくなった…
生きる目的が、男選び(笑)…
あまりも、バカげているが、それをいえば、私、寿綾乃の人生そのものもまた、バカげている…
バカな女には、バカな生き方が似合っている…
バカな女には、バカな最期が似合っている…
当たり前のことだった…