第85話

文字数 6,294文字

 無病息災という言葉がある…

 要するに、病気をせず、元気でいることだ…

 若いときは、その言葉の意味を知っても、実感が湧かなかった…

 そんなことは、当たり前だからだ…

 が、

 32歳になり、癌とわかった…

 すると、その意味が、身に染みてわかった…

 無病息災の意味が、身に染みて、わかった…

 私は、冬馬の死の後、自分の死を考えた…

 考えざるを得なかった…

 私は、癌…

 完治は、無理…

 五井記念病院の長谷川センセイに、言われた…

 そして、それを、ウソだと、思ったことは、一度もない…

 自分のカラダだ…

 自分のことは、よくわかる…

 自分のカラダの不調は、誰よりも、よくわかる…

 それを考えれば、今、やることがあるのでは?

 と、思った…

 大げさにいえば、生きている間に、私が、できることがあるのではないか?

 今さらながら、考えた…

 明日、明後日に、すぐに死ぬわけではないが、生きている間に、私にできること…

 それが、なにか、考えた…

 冬馬の死が、私にそんなことを、考えさせる結果になった…

 そして、今、私にとって、最も、大切なこと…

 それは、ナオキだった…

 藤原ナオキだった…

 そして、ナオキの今後だった…

 ナオキは、FK興産の創業社長であり、成功者だった…

 ITバブルの波に乗り、成功した一握りの人間…

 ソフトバンクの孫や、楽天の三木谷に比べれば、比較にならないほどの小物だが、世間に知られていた…

 が、

 その地位は、決して盤石なものではない…

 FK興産の従業員は、千人は、超えるが、決して、大手と呼べる規模ではない…

 それを、考えると、今さらというか、諏訪野伸明と縁を切ることは、できないと、考えた…

 私のためではない…

 ナオキのためだ…

 なんといっても、諏訪野伸明は、五井家当主…

 五井家の王様だ…

 私は、金輪際、会いたくなかったが、やはり、伸明と会い、それとなくナオキのことを、頼みたかった…

 五井が、ナオキの背後につけば、鬼に金棒というか…

 五井銀行の支援も、常時、得られる…

 悪い話ではなかった…

 なにより、伸明と、ナオキは、傍目にも、馬が合った…

 息が合った…

 だから、今さら、私が、口出しすることではないのかもしれない…

 が、

 あらためて、念を押しておきたかったというか…

 私が、いなくなった後も、仲良くやってもらいたい…

 心の底から、そう思った…

 そして、そのためには、どうするべきか、考えた…

 計画を練った…

 やはりというか…

 諏訪野伸明と会わざるを得ない…

 が、

 伸明に直接、私から、電話をかけることはできない…

 ワンクッション置くというか…

 誰かに間に入ってもらうのが、一番というか…

 そう、考えた…

 では、一体、誰に間に入ってもらうべきか?

 考えた…

 一番は、やはりというか…

 諏訪野マミだった…

 やはり、間に入るには、五井家の人間に限る…

 別に、諏訪野マミに限定するわけではないが、一番話しやすい…

 あとは、

 菊池リン…

 佐藤ナナ…

 菊池重方(しげかた)といるが、どれも話しづらいというか…

 菊池リンとは、以前は、仲が良かったが、彼女が、五井家のスパイと知ってから、疎遠になった…

 佐藤ナナも同じ…

 五井記念病院の私の担当看護師だったときは、いいが、五井家の血を引くとわかった時点で、疎遠になった…

 一方、名前は挙げなかったが、伸明の母、昭子や昭子の妹の和子もいた…

 彼女たちに、ナオキのことを、頼んでもいいが、やはりというか、それは、躊躇われた…

 いくらなんでも、彼女たちに頼むのは、畏れ多いというか…

 正直、頼みづらい…

 だから、リストから外した…

 つまり、以上、挙げた、五井家の人間の誰かに、頼んで、諏訪野伸明に会い、ナオキのことを、頼みたいと、思った…

 そして、それが、この寿綾乃が、生きている間に、できる、唯一のことであり、同時に、それが、最大限のことだった…

 が、

 いざ、それを実行に移そうと考えると、足がすくんだと、いうか…

 実行が躊躇われた…

 やはり、今さら、私が五井家の人間に関わるのが、嫌だったというか…

 一体、なぜ、なんの関係もない、アンタが、そんなことに口を出すんだと、言われそうだった…

 以前は、少なくとも、伸明の交際相手として、周囲に見られていた…

 五井家当主、諏訪野伸明が、結婚するかもしれない相手として、見られていた…

 が、

 今は、もうなんの関係もない…

 もうなんの関係もない、アンタが、なにをノコノコと…

 と、陰口を叩かれる可能性もあった…

 なにより、諏訪野伸明自身が、私と会いたいはずがなかった…

 あくまで、私は、隠れ蓑…

 私と付き合っていると、油断させることで、その陰に隠れて、五井の改革を行いたかった…

 五井家の改革を行いたかった…

 それが、伸明の本心だった…

 そして、それは、ある程度、成功した…

 五井は、十三家…

 五井本家を中心に、東西南北の4分家と、その下に8家の分家がある…

 だが、実際は、これまで、五井本家と、五井東家が、五井の中心だった…

 五井家は、連合体というか、いわゆる、五井家の持ち株団体が、五井の主要な会社の株を持ち、支配している構造だった…

 その事実上のトップである、持ち株会社の株式を、本家が、30%、東西南北の分家が、10%、残りの30%を、残りの8家で、所有している…

 それが、五井の実態だった…

 が、

 五井本家は、事実上、五井東家が、主体であり、五井本家と、五井東家が、いっしょになっても、全体の40%の力しかない…

 だから、最低でも、東を除いた西南北の各分家のどれかに、本家側についてもらいたい…

 それが、願いだった…

 東を除いた西南北の分家が、ひとつつけば、持ち株の比率が、50%になり、半分になる…

 国家の政権運営ではないが、半分を超えれば、後は、五井の残りの8家のいくつかが、いわゆる与党というか、本家側につくことで、政権が、安定する…

 それが、夢だった…

 そして、その夢の原点は、先代、建造の見た夢だった…

 建造、義春兄弟の見た夢だった…

 建造、義春兄弟は、五井本家に生まれながらも、自分の結婚相手すら、自由に選ぶことができなかった…

 五井本家の力が弱かったからだ…

 だから、建造、義春とも、いかに、五井家内で、五井本家の力を強めるかに腐心した…

 本家の力を強めれば、少なくとも、自分の結婚相手ぐらい、自分の力で、決められると考えたからだ…

 結局のところ、伸明は今、その建造の夢を実現したといえる…

 五井南家が、本家側につき、本家の力が増した…

 だから、以前に比べ、本家の意向が、五井家内で、通るようになった…

 それが、夢だった…

 そして、その夢を叶えるために、私を利用した…

 私と付き合うと、見せかけることで、他の五井家の人間を、油断させ、最終的には、五井南家を取り込んだことで、五井本家の力を強めたのだ…

 五井南家出身だと、思われた、佐藤ナナは、実は、菊池重方(しげかた)の娘だった…

 前五井東家当主、菊池重方(しげかた)の娘だった…

 つまり、伸明にとっては、従妹ということだ…

 伸明の母、昭子は、菊池重方(しげかた)の姉…

 だから、伸明と、佐藤ナナは、母方の従妹ということになる…

 ということは、どうだ?

 最初、五井南家出身と思われた佐藤ナナは、伸明と結婚したいと、言った…

 しかし、それは、ウソだった…

 今さらながら、気付いた…

 いや、

 佐藤ナナは、本気だったかもしれないが、最初から、伸明の母、昭子は、佐藤ナナが、菊池重方(しげかた)の娘であることに、気付いていたに違いない…

 だから、伸明の妻ではなく、自分の養女とした…

 戸籍上は、伸明の妹にした…

 今さらながら、その事実に気付いた…

 従妹同士を結婚させるのは、嫌だったのだろう…

 従妹同士でも、結婚は、できるが、それは、嫌だったのだろう…

 私は、考えた…

 だから、伸明の妹にした…

 そして、佐藤ナナを、五井南家の血を引く娘と、思わせることで、五井南家を、本家側につけた…

 南家にとっては、佐藤ナナが、南家の人間で、ある必要はなかったに違いない…

 いわば、名目が欲しかっただけだろう…

 五井南家の血を引く、娘が、本家の養女となる…

 そして、それを契機に、政権に参加する…

 五井南家が本家側につく…

 それが、必要だったのだろう…

 必要なのは、あくまで、名目…

 たとえば、羽柴秀吉が、朝廷から豊臣の姓を賜り、関白に就任する…

 関白になることで、天下に号令を発することができる…
 
 それと似ている…

 関白という肩書と、五井南家という肩書…

 その肩書が、必要だったのだ…

 と、そこまで、考えて、気付いた…

 菊池重方(しげかた)のことだ…

 佐藤ナナは、何度もいうが、重方(しげかた)の実の娘に違いない…

 ということは、どうだ?

 佐藤ナナは、今、伸明の妹になっている…

 伸明の母、昭子が、自分の養女としたからだ…

 なにを言いたいかといえば、これは、一体、なにを意味するかだ…

 昭子は、実弟の重方(しげかた)の娘を養女とした…

 姪を養女とした…

 これは、重方(しげかた)を、救ったことにならないだろうか?

 私は、思った…

 重方(しげかた)は、五井家を追放された…

 が、

 その娘は、五井本家の養女となった…

 つまりは、父親の重方(しげかた)を援助できるということだ…

 国会議員としての、重方(しげかた)を、援助するとは、到底思えないが、実の娘の面倒を見ることで、昭子は、重方(しげかた)を見捨てていないというメッセージにも、受け取れる…

 ということは、どうだ?

 私は、ふと、冬馬を思った…

 重方(しげかた)は、おそらく、昭子の子供である、冬馬の面倒を見ていた…

 甥の冬馬を自分の息子として、面倒を見ていた…

 だから、重方(しげかた)は、昭子の言うことを聞かずに、国会議員になるなど、好き勝手なことができたに違いない…

 いわば、見方を変えれば、昭子の弱みを握っていたともいえる…

 が、

 今、重方(しげかた)の実の娘、佐藤ナナが、五井本家の養女となった…

 昭子の養女となった…

 ということは、どうだ?

 いわば、冬馬抜きで、重方(しげかた)は、昭子に恩を売ることができたことになったのではないか?

 つまり、これまでは、言葉は悪いが、冬馬は、重方(しげかた)の人質だった…

 重方(しげかた)は、冬馬の面倒を見ることで、昭子の弱みを握っていた…

 あるいは、昭子に恩を売っていたわけだ…

 ところが、重方(しげかた)は、実の娘である佐藤ナナを、昭子の養女とすることで、真逆に、昭子に恩を売ったことになる…

 佐藤ナナを、養女とすることで、五井南家が、本家側についた…

 本家の力が増した…

 つまり、見方を変えれば、冬馬は、用無しになったのではないか?

 それが、冬馬の自殺した原因ではないのか?

 ふと、思った…

 五井東家を、菊池リンが継ぐ…

 その菊池リンの夫として、菊池冬馬が、五井東家に復帰する…

 ただし、あくまで、菊池リンの夫として…

 以前のように、次期当主としてではない…

 だから、権力は、制限される…

 が、

 復帰は、復帰だ…

 その復帰が絶望的になった…

 菊池リンが、伸明と結婚したいと言い出したからだ…

 その原因は、佐藤ナナ…

 彼女は、最初、伸明と結婚したいと言い出した…

 五井は、原則、五井の血を引く、一族と結婚する…

 これが、五井一族の結婚の原則…

 なぜなら、五井の歴史は400年…

 創始者から、400年の時が経った…

 だから、一族とは、名ばかり…

 血の濃さでいえば、他人に近い…

 だから、これ以上、一族の血を薄めないために、一族同士の結婚を推奨した…

 一族同士が結婚することで、一族の団結心を高めることができるからだ…

 それを、佐藤ナナは逆手に取った…

 できるならば、五井本家に入るにあたり、当主夫人となりたかったに違いない…

 これに焦った菊池リンは、自ら、伸明と結婚したいと言い出した…

 いきなり、現れた佐藤ナナに、本家の当主である、伸明と結婚されては、たまらないと思ったに違いない…

 また、同じ五井一族であることも、佐藤ナナに対抗心を抱いた理由だろう…

 全然、自分とは、縁もゆかりもない人間が、伸明と結婚したいといっても、関係ないが、同じ五井一族の人間が、言い出したから、自分も対抗心を燃やしたのだろう…

 以前は、二十歳も歳も離れた伸明と結婚するのは、嫌だといっていたのが、豹変した…

 が、

 菊池リンが、豹変することで、冬馬は、自分の行き場がなくなった…

 つまり、冬馬は追い詰められたのだ…

 重方(しげかた)は、冬馬の面倒を見ることで、姉の昭子の弱みを握っていたが、真逆に、娘の佐藤ナナを昭子の養女とすることで、昭子に恩を売った…

 つまり、これで、冬馬の役割はなくなった…

 冬馬の価値は、なくなった…

 だから、冬馬に、居場所はなくなったといえる…

 そして、もうひとつのことに気付いた…

 なぜ、菊池リンが、いきなり、伸明と結婚したいと言い出したかだ…

 それは、きっと、菊池リンの祖母の和子の意思が、そこにあるのではないか?

 ふと、気付いた…

 つまり、佐藤ナナと、伸明を結婚させるわけにはいかないと、和子が、考え、孫の菊池リンに、伸明との結婚を勧めたのではないか?

 ふと、思った…

 そして、その和子の背後には、あの昭子がいる…

 和子の一卵性双生児の姉、昭子がいる…

 おそらく、昭子に頼まれて、和子は、菊池リンに、伸明と結婚するフリをしなさいとでも、言わせたのではないか?

 そうすることで、佐藤ナナが、伸明と結婚することを回避することができるのではないか?

 そう考えたのではないか?

 気付いた…

 が、

 冬馬としては、どうだろう?

 冬馬の立場としては、どうだろう?

 もし、

 もしも、

 冬馬が、自分が、昭子の実の息子だと気付いていたら、昭子に見捨てられたと、思うのではないか?

 そう、気付いた…

 伸明が、佐藤ナナと、結婚するのを、阻止するために、昭子が、菊池リンを使って、伸明と結婚させるフリをさせることは、同時に、冬馬を見捨てることになるからだ…

 冬馬は、何度もいうように、菊池リンと結婚することで、五井家に復帰できた…

 その菊池リンが、伸明と結婚したいと言い出せば、冬馬の復帰はなくなる…

 菊池リンが、五井東家を継ぎ、当主となり、冬馬が、その夫となることで、五井に復帰できたからだ…

 嫌われ者の冬馬が、以前のように、五井に復帰することは、困難…

 できない…

 だから、以前のように、五井東家の当主ではなく、当主の夫として、復帰させようとした…

 つまり、以前のように権力や地位を与えることはなく、復帰させようとした…

 そうすることで、冬馬の復帰を快く思わない、五井家の人間に配慮することができるからだ…

 が、

 菊池リンは、五井東家の当主ではなく、五井本家の当主である、伸明と、結婚しようとした…

 つまりは、冬馬を見捨てたのだ…

 そして、誰が、冬馬を見捨てたといえば、それは、菊池リンではなく、昭子ということになる…

 昭子が、妹の和子に頼んで、佐藤ナナに対抗すべく、和子の孫の菊池リンに、伸明と結婚したいと言わせたに違いないからだ…

 言わば、二者択一…

 昭子が、伸明と冬馬を秤にかけて、冬馬を見捨てたということだ…

 そして、それに、気付いた冬馬が、自殺した…

 冬馬の自殺の真相は、まさに、そうなのではないか?

 私は、そう思った…

                
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