第72話
文字数 6,775文字
…かかった!…
…引っかかった!…
私は、内心、飛び上がらんばかりだった…
やはりというか…
この菊池重方(しげかた)の背後には、誰かいる…
この重方(しげかた)が、誰の操り人形か、わからないが、この重方(しげかた)は、一人ではない…
誰かの操り人間とまでは、思わないが、協力者がいるのだろう…
と、そこまで、考えていると、
「…お久しぶりです…」
と、重方(しげかた)が、口を開いた…
「…たしかに、アナタと会うのは、二度目ですね…」
私は、
「…」
と、無言だった…
黙って、頭を下げた…
「…アナタは、美人だから、覚えています…」
重方(しげかた)が、言った…
「…ありがとうございます…」
私は、その言葉に、再び、頭を下げた…
「…でも、ボクは、美人じゃない…イケメンでもない…」
「…」
「…そんなボクのことを、覚えているのは、驚きました…」
私は、その言葉が、重方(しげかた)の皮肉であることに、気付いた…
「…アナタの記憶力に驚嘆します…」
この言葉に、私は、この菊池重方(しげかた)という男が、あの昭子が毛嫌いするほど、愚かな人物ではないことに、気付いた…
言葉は、悪いが、ひとは、会話をすれば、相手の中身=頭は、わかってくる…
自分が、直接、会話をしなくても、誰かと誰かが、しゃべっていて、それを見ていれば、その人間たちが、高卒か、大卒か、わかってくる…
高卒にしても、大卒にしても、偏差値レベルが、どうなのか?
例えば、大卒ならば、MARCH(明治、青山、立教、中央、法政)レベルか、それ以下かなど、なんとなく、わかってくる…
いや、
中には、わからない者もいる…
が、
それは、一部の人間のみ…
少なくとも、私の身の回りの人間で、わからない人間は、皆無…
誰もいない…
私は、そんなことを、考えながら、
「…あちらで、ご一緒に…」
と、重方(しげかた)を誘った…
私の申し出に、
「…わかりました…」
と、重方(しげかた)が、席を立った…
飲んでいたコーヒーを手に、私と、佐藤ナナが、いる席に、重方(しげかた)が、やって来た…
ちょうど、私と向かい合わせ…
重方(しげかた)は、佐藤ナナと、並んで、座った…
「…両手に花ですね…」
重方(しげかた)が、冗談を言った…
私は、その言葉で、この菊池重方(しげかた)が、案外ジョークの素質も持っていることに、気付いた…
それまで、重方(しげかた)に持っていた、無能で、ただ、権力や地位を求める男といったイメージが、ガタガタと音を立てて、崩れた…
と、同時に、それが、当たり前だとも、思った…
なんといっても、この菊池重方(しげかた)は、国会議員…
自民党、大場派の幹部だった人間だ…
いかに、五井の財力をバックに、国会議員に当選したとしても、バカでは務まらない…
まして、派閥の幹部は、務まらない…
当たり前のことだった…
が、
私は、この重方(しげかた)と、面と向かって、なにを話していいか、わからなかった…
この重方(しげかた)が、佐藤ナナと繋がっていることは、わかった…
だが、どう繋がっているか、わからなかった…
ひょっとしたら、米倉平造と、繋がっているかもしれない…
その可能性に気付いた…
なんといっても、米倉平造は、この佐藤ナナと、五井情報を交換させた男だった…
この五井南家の血を引く、佐藤ナナを、手に入れて、彼女を、五井家の養女とする代わりに、格安で、五井情報を手に入れた…
やり手の経営者だった…
そして、それほどのやり手の経営者ならば、五井の一族の中で、協力者がいても、おかしくはない…
まして、この菊池重方(しげかた)は、国会議員…
さまざまな人間と会うのが、仕事だ…
なにより、二人は、顔見知りの可能性が高い…
共に、経団連など、経済団体を通じて、すでに知っている可能性が、高かった…
私は、それを思った…
「…一度、重方(しげかた)さんと、お話ししたかった…」
私は、言った…
「…それは、ボクも同じです…」
重方(しげかた)が、応じる…
「…失礼ですが、どうして、私と…」
「…伸明クンと、結婚するかもしれない女性じゃないですか?…」
当たり前のことだった…
この菊池重方(しげかた)は、五井一族…
追放されたとはいえ、五井一族の血を引くことに変わりはない…
だから、当主である、伸明が結婚する相手が、気になるのは、当然…
なにより、伸明は、この重方(しげかた)の甥…
伸明が、子供の頃から、知っているに決まっている…
だから、その伸明が、どんな女と、結婚するか、気になるのだろう…
「…伸明クンが、アナタに惹かれたのは、わかる…」
「…」
「…たしかに、アナタなら、任せられる…」
「…任せられる?…」
「…失礼だが、アナタには、ボクの二人の姉、昭子と和子と同じ匂いがする…」
「…同じ匂い?…」
「…昔でいえば、源頼朝の妻の北条政子と、同じ…頼れる…」
「…」
「…もしかしたら、伸明クンは、寿さんのそういうところに、惹かれたのかもしれない…」
…ウソ?…
思わず、口から、そんな言葉が出るところだった…
あの沈着冷静な諏訪野伸明が、私に憧れる原因は、あの母にあった…
あの昭子にあった?
いや、
昭子だけではない!
あの和子にもあった?
実に、意外…
意外といえば、意外だった…
が、
そういえば、わかる…
そういえば、理解できる…
たしかに、私と、あの昭子と和子は、同じ匂いがする…
一言で、いえば、キャラが、似ているのだ…
七十代の昭子と和子と、32歳の私をいっしょにするのは、おかしいが、たしかに似ている…
いや、
これは、以前、あの和子から、はっきりと、言われている…
五井家…
その実態は、強い女たちに支えられていると…
それまで、愛人の子ゆえに、一族から、半端者と思われていた、あの諏訪野マミもまた、実際は、五井家の強い女たちに支援されていた…
そう、和子に言われた…
そして、それは、おそらく、事実であろうことは、すぐにわかった…
なぜなら、諏訪野マミは、先代当主、諏訪野建造の愛人の子供…
にもかかわらず、五井の関連会社の社長をしている…
そして、建造の死去後も、その地位は揺らがない…
相変わらず、社長のまま…
諏訪野マミが、ただの建造の愛人の子供に過ぎないのならば、そもそも、五井の関連の会社の社長には、なれないし、その後ろ盾である、建造が、亡くなったのならば、とっくに、五井家から追放されているはずだ…
にもかかわらず、社長のまま…
それは、誰かが、バックアップしていることを、意味する…
助けていることを、意味する…
そして、和子は、諏訪野マミが、五井の女たちの支持を受けていると、明かした…
五井の強い女たちの支援を受けていると、明かした…
それゆえ、実父の建造亡き後も、マミの地位は変わらないと…
それが、真実だった…
それが、事実だった…
だが、実際は、マミは、五井家から、半端にされていたと、言った…
そして、私は、それを信じた…
ウソではないと、思った…
ならば、誰が、マミを、半端にするのか?
それは、おそらく、五井の男たち…
五井の各分家の当主ではないのか?
ふと、気付いた…
五井を代表するのは、当然、男たち…
女ではない…
男の妻ではない…
その男たちに、毛嫌いされていたのではないか?
ふと、思った…
だから、公では、マミは、毛嫌いされている…
が、
裏では、五井の強い女たちに支えられている…
あの昭子や、和子に支えられているのだろう…
そして、伸明は、当たり前だが、その事実に気付いている…
五井という世間に知られた一族が、強い女たちに支えられている現実に、気付いている…
だから、私に惹かれた?
昭子や和子と同じ匂いのする私に惹かれた?
そう言われれば、わかる…
そう言われれば、理解できる…
だが、本当にそうだろうか?
ひとは、自分の母と、同じ匂いのする女を妻にする男と、そうでない男に分かれる…
同じ匂いのする女を好きな男は、一言で、いえば、安心できるからだろう…
生まれたときから、身近にいる母親と同じ匂いがする…
同じキャラ…
だから、どう対処すればいいか、経験上、わかっている…
また、真逆に、母と別のタイプを好きな男は、母に反発しているか、あるいは、母を好きでない場合が多い…
だから、意図的に、母と、違うタイプを選ぶ…
母と同じ匂いのする女を選ばない…
そもそも、母と同じタイプの女では、母と別れて暮らしても、家にもうひとりの母が、いるようなものだ…
例えば、面倒見のいい、女と結婚して、後日、その女が、
「…私は、あのひとのセックス付きのお母さんじゃない!…」
と、怒るのを、聞いて、爆笑した覚えがある…
事実、母親と似ていないタイプでも、ただ女に母性を求める男もいる…
癒しを求める男もいる…
つまりは、お母さん…
妻に、母親の役を求めているのだ…
変な話、大会社の社長クラスの男でも、風俗で、若い女のコの前で、幼児プレイというか、子供になりきって、遊ぶのが好きというのを、聞いたことがある…
ある意味、母親は、男にとって、永遠の憧れというか…
だから、もしかしたら…
もしかしたら、あの諏訪野伸明も同じ…
私に母性を求めているのかもしれない…
私が、昭子や和子に似ているとか、いうのではなく、ただ、私に母性を求めているのかもしれない…
そういう考えもできる…
つまりは、ただ、私のような女が、タイプだということだ…
私が、そんなことを、考えていると、
「…伸明クンは、気が弱い…だから、姉は、伸明クンを支える女性を選ぼうとしている…」
「…支える…でも、五井家は、五井の血を引く一族と、結婚するのが、ルールじゃ…」
「…残念ながら、今の五井では、伸明クンを支えることができる女がいない…」
「…いない?…」
「…そう、いない…五井は、すべて、女で支えられている…五井の実態は、女系一族…」
「…女系一族?…」
「…だから、苗字が違う…五井本家は、諏訪野…ボクの出身の東家は、菊池…そして、南家は、佐藤…皆、苗字が違う…それは、皆、他家に嫁いだ女の苗字だから…五井の血は引くが、それぞれ他家に嫁いでいる…にも、かかわらず、一族として、団結する…だから、五井一族と名乗っても、実際は、その血は、女の血…ちょうど、天皇家と真逆…天皇家が、代々、男系で、長子優先でいるのと、真逆…五井は、基本女系で、五井の強い女たちが、まるで、狩りをするように、優秀な男たちと、結婚して、一族に組み入れてきた…それが、五井の歴史…だから、同じ一族でも、苗字が、違う…」
菊池重方(しげかた)の告白に、私は、開いた口が、塞がらなかった…
まさか…
まさか、五井が女系一族とは、思わなかった…
普通、日本の名家といえば、すべて、男系…
男系の長子優先だ…
女系の一族など、聞いたこともない…
だが、冷静に考えれば、それは、わかる…
なぜ、五井一族と名乗っても、一族の苗字がバラバラのか、わかった…
気付いてみれば、あまりにも単純…
わかりやすいこと、この上ない…
いや、だからか…
あまりにも、わかりやすい故に、かえって、気付かなかった…
そういうことだった…
「…五井は、女系一族です…ですが、400年、ずっと、そうだったわけでもない…」
重方(しげかた)が、続けた…
「…どういうことですか?…」
「…基本は、日本の名家と同じ、男系です…男が、継ぎます…女系であったのは、五井の創業期と、危機のとき…」
「…危機のとき?…」
「…創業期は、寿さんにも、わかるでしょう…」
「…どういう意味ですか?…」
「…要するに、創業者に、娘が多かったんですよ…だから、それぞれ他家に嫁ぐから、苗字が、違ってくる…それも、創業者の子供、孫、ひ孫あたりまで、その調子でいって、優秀な男たちと結婚した…その男たちが、一致団結して、五井の基礎を作った…」
「…」
「…そして、その基礎を作ったのが、本家を支える、東西南北の分家…そして、その下の分家の8家は、東西南北の子孫の中で、五井が、時代の波に奔走され、危機に陥ったときに、現れたものたちの子孫です…だから、分家を許され、五井一族に加わった…」
「…」
「…そして、女たち…五井とて、基本は、男系だが、危機があったときに、現れたのが、五井の血を引く、女たちが、選んだ男たちだった…」
私は、その説明を聞きながら、まったく、別のことを考えていた…
なぜ、諏訪野伸明が、前当主、建造の血を引かないにもかかわらず、五井家の当主になれたのか? という疑問だ…
だが、今の重方(しげかた)の説明で、わかった…
五井は、本来は、女系…
女が力を持っている…
だから、伸明は、建造の血を引かないにも、かかわらず、五井を継げたのだ…
それは、母の昭子が、五井の血を引いているから…
五井は伝統的にアマゾネスではないが、女が、強いのだろう…
だから、他の一族の者も了承したということだろう…
そうでなければ、普通は無理…
先代の当主の血を引かない当主など、日本の伝統ある一族で、存在しない…
だが、この五井のように、基本、女系一族であり、一族の中で、女の血を引いていれば、良し、とする風潮が出来上がっているのかもしれない…
また、その前提として、伸明が、優秀である必要があるが、伸明と接していて、劣っていると、考えたことは、一度もない…
だから、能力はクリアしている…
ゆえに、問題は、ないのだろう…
私は、思った…
「…伸明クンは、おとなしい…」
重方(しげかた)が、続けた…
「…が、無能ではない…」
「…」
「…当たり前だが、優れている…」
「…」
「…しかしながら、五井の分家の当主たちに、伸明クンの若さでは、まだ軽んじられるというか…」
「…」
「…五井の分家の当主は、皆、70代、80代…40代の伸明クンでは、まだまだひよっこ扱い…一人前とは、見なされない…」
「…」
「…だから、姉は、考えた…」
「…なにを、です?…」
「…伸明クンのお嫁さん探し…」
「…」
「…最初は、一族で、見つけようとした…だけれども、一族では、リンちゃん…菊池リンちゃんしか、該当者がいない…」
「…」
「…リンちゃんは、五井家の本家、分家にかかわらず、一族の誰からも愛される、いわば、五井家のアイドルだった…」
「…それは、亡き建造さんから、お聞きしました…」
「…そうですか…なら、話が早い…だから、本当は、伸明クンのお嫁さんには、リンちゃんが、良かった…」
「…」
「…でも、リンちゃんでは、伸明クンを支えられない…」
「…」
「…伸明クンには、リンちゃんではなく、もっと、自分のような、しっかりした女性がいいと、姉は、考えた…そこへ、寿さんが、現れた…」
「…私が?…」
「…リンちゃんには、悪いが、彼女では、伸明クンを支えられない…共に、似た者同士…」
「…なにが、似ているんですか?…」
「…二人とも、おとなしい…」
「…おとなしい?…」
「…そのおとなしい二人が、結婚して、これからの五井を率いていけるのか、不安があった…」
重方(しげかた)が、続けた…
が、
私は、その話を聞きながら、半信半疑だった…
重方(しげかた)の言うことは、わかる…
ウソでは、ないだろう…
しかしながら、それが、すべてとは、思えない…
昔のレコードや、コインに例えれば、今、この重方(しげかた)は、表の話をしている…
私は、そう思った…
レコードなら、A面の話をしている…
が、
レコードには、B面もある…
そういうことだ…
A面の話をしていても、ウソはない…
真実に違いない…
が、
実は、B面もあった…
コインに例えれば、裏もあった…
そういうことだ…
つまりは、事実で、いえば、今、話しているのは、片方のみ…
話していない事実もある…
そういうことだ…
だから、この重方(しげかた)は、ウソは、言っていない…
だが、
ホントのことをすべて、言っているわけでもない…
そういうことだ…
私は、この菊池重方(しげかた)と、対峙しながら、この重方(しげかた)の本当の目的はなんだろう?
と、考えた…
この佐藤ナナを呼び出して、私に会わせ、二人の会話を、背後で、聞き耳を立てて、聞いている…
当然、佐藤ナナを、私に会わせた目的がある…
が、
その目的が、わからない…
私は、菊池重方(しげかた)の話を聞きながら、一方で、そんなことを、頭の中で、考えた…
考え続けた…
…引っかかった!…
私は、内心、飛び上がらんばかりだった…
やはりというか…
この菊池重方(しげかた)の背後には、誰かいる…
この重方(しげかた)が、誰の操り人形か、わからないが、この重方(しげかた)は、一人ではない…
誰かの操り人間とまでは、思わないが、協力者がいるのだろう…
と、そこまで、考えていると、
「…お久しぶりです…」
と、重方(しげかた)が、口を開いた…
「…たしかに、アナタと会うのは、二度目ですね…」
私は、
「…」
と、無言だった…
黙って、頭を下げた…
「…アナタは、美人だから、覚えています…」
重方(しげかた)が、言った…
「…ありがとうございます…」
私は、その言葉に、再び、頭を下げた…
「…でも、ボクは、美人じゃない…イケメンでもない…」
「…」
「…そんなボクのことを、覚えているのは、驚きました…」
私は、その言葉が、重方(しげかた)の皮肉であることに、気付いた…
「…アナタの記憶力に驚嘆します…」
この言葉に、私は、この菊池重方(しげかた)という男が、あの昭子が毛嫌いするほど、愚かな人物ではないことに、気付いた…
言葉は、悪いが、ひとは、会話をすれば、相手の中身=頭は、わかってくる…
自分が、直接、会話をしなくても、誰かと誰かが、しゃべっていて、それを見ていれば、その人間たちが、高卒か、大卒か、わかってくる…
高卒にしても、大卒にしても、偏差値レベルが、どうなのか?
例えば、大卒ならば、MARCH(明治、青山、立教、中央、法政)レベルか、それ以下かなど、なんとなく、わかってくる…
いや、
中には、わからない者もいる…
が、
それは、一部の人間のみ…
少なくとも、私の身の回りの人間で、わからない人間は、皆無…
誰もいない…
私は、そんなことを、考えながら、
「…あちらで、ご一緒に…」
と、重方(しげかた)を誘った…
私の申し出に、
「…わかりました…」
と、重方(しげかた)が、席を立った…
飲んでいたコーヒーを手に、私と、佐藤ナナが、いる席に、重方(しげかた)が、やって来た…
ちょうど、私と向かい合わせ…
重方(しげかた)は、佐藤ナナと、並んで、座った…
「…両手に花ですね…」
重方(しげかた)が、冗談を言った…
私は、その言葉で、この菊池重方(しげかた)が、案外ジョークの素質も持っていることに、気付いた…
それまで、重方(しげかた)に持っていた、無能で、ただ、権力や地位を求める男といったイメージが、ガタガタと音を立てて、崩れた…
と、同時に、それが、当たり前だとも、思った…
なんといっても、この菊池重方(しげかた)は、国会議員…
自民党、大場派の幹部だった人間だ…
いかに、五井の財力をバックに、国会議員に当選したとしても、バカでは務まらない…
まして、派閥の幹部は、務まらない…
当たり前のことだった…
が、
私は、この重方(しげかた)と、面と向かって、なにを話していいか、わからなかった…
この重方(しげかた)が、佐藤ナナと繋がっていることは、わかった…
だが、どう繋がっているか、わからなかった…
ひょっとしたら、米倉平造と、繋がっているかもしれない…
その可能性に気付いた…
なんといっても、米倉平造は、この佐藤ナナと、五井情報を交換させた男だった…
この五井南家の血を引く、佐藤ナナを、手に入れて、彼女を、五井家の養女とする代わりに、格安で、五井情報を手に入れた…
やり手の経営者だった…
そして、それほどのやり手の経営者ならば、五井の一族の中で、協力者がいても、おかしくはない…
まして、この菊池重方(しげかた)は、国会議員…
さまざまな人間と会うのが、仕事だ…
なにより、二人は、顔見知りの可能性が高い…
共に、経団連など、経済団体を通じて、すでに知っている可能性が、高かった…
私は、それを思った…
「…一度、重方(しげかた)さんと、お話ししたかった…」
私は、言った…
「…それは、ボクも同じです…」
重方(しげかた)が、応じる…
「…失礼ですが、どうして、私と…」
「…伸明クンと、結婚するかもしれない女性じゃないですか?…」
当たり前のことだった…
この菊池重方(しげかた)は、五井一族…
追放されたとはいえ、五井一族の血を引くことに変わりはない…
だから、当主である、伸明が結婚する相手が、気になるのは、当然…
なにより、伸明は、この重方(しげかた)の甥…
伸明が、子供の頃から、知っているに決まっている…
だから、その伸明が、どんな女と、結婚するか、気になるのだろう…
「…伸明クンが、アナタに惹かれたのは、わかる…」
「…」
「…たしかに、アナタなら、任せられる…」
「…任せられる?…」
「…失礼だが、アナタには、ボクの二人の姉、昭子と和子と同じ匂いがする…」
「…同じ匂い?…」
「…昔でいえば、源頼朝の妻の北条政子と、同じ…頼れる…」
「…」
「…もしかしたら、伸明クンは、寿さんのそういうところに、惹かれたのかもしれない…」
…ウソ?…
思わず、口から、そんな言葉が出るところだった…
あの沈着冷静な諏訪野伸明が、私に憧れる原因は、あの母にあった…
あの昭子にあった?
いや、
昭子だけではない!
あの和子にもあった?
実に、意外…
意外といえば、意外だった…
が、
そういえば、わかる…
そういえば、理解できる…
たしかに、私と、あの昭子と和子は、同じ匂いがする…
一言で、いえば、キャラが、似ているのだ…
七十代の昭子と和子と、32歳の私をいっしょにするのは、おかしいが、たしかに似ている…
いや、
これは、以前、あの和子から、はっきりと、言われている…
五井家…
その実態は、強い女たちに支えられていると…
それまで、愛人の子ゆえに、一族から、半端者と思われていた、あの諏訪野マミもまた、実際は、五井家の強い女たちに支援されていた…
そう、和子に言われた…
そして、それは、おそらく、事実であろうことは、すぐにわかった…
なぜなら、諏訪野マミは、先代当主、諏訪野建造の愛人の子供…
にもかかわらず、五井の関連会社の社長をしている…
そして、建造の死去後も、その地位は揺らがない…
相変わらず、社長のまま…
諏訪野マミが、ただの建造の愛人の子供に過ぎないのならば、そもそも、五井の関連の会社の社長には、なれないし、その後ろ盾である、建造が、亡くなったのならば、とっくに、五井家から追放されているはずだ…
にもかかわらず、社長のまま…
それは、誰かが、バックアップしていることを、意味する…
助けていることを、意味する…
そして、和子は、諏訪野マミが、五井の女たちの支持を受けていると、明かした…
五井の強い女たちの支援を受けていると、明かした…
それゆえ、実父の建造亡き後も、マミの地位は変わらないと…
それが、真実だった…
それが、事実だった…
だが、実際は、マミは、五井家から、半端にされていたと、言った…
そして、私は、それを信じた…
ウソではないと、思った…
ならば、誰が、マミを、半端にするのか?
それは、おそらく、五井の男たち…
五井の各分家の当主ではないのか?
ふと、気付いた…
五井を代表するのは、当然、男たち…
女ではない…
男の妻ではない…
その男たちに、毛嫌いされていたのではないか?
ふと、思った…
だから、公では、マミは、毛嫌いされている…
が、
裏では、五井の強い女たちに支えられている…
あの昭子や、和子に支えられているのだろう…
そして、伸明は、当たり前だが、その事実に気付いている…
五井という世間に知られた一族が、強い女たちに支えられている現実に、気付いている…
だから、私に惹かれた?
昭子や和子と同じ匂いのする私に惹かれた?
そう言われれば、わかる…
そう言われれば、理解できる…
だが、本当にそうだろうか?
ひとは、自分の母と、同じ匂いのする女を妻にする男と、そうでない男に分かれる…
同じ匂いのする女を好きな男は、一言で、いえば、安心できるからだろう…
生まれたときから、身近にいる母親と同じ匂いがする…
同じキャラ…
だから、どう対処すればいいか、経験上、わかっている…
また、真逆に、母と別のタイプを好きな男は、母に反発しているか、あるいは、母を好きでない場合が多い…
だから、意図的に、母と、違うタイプを選ぶ…
母と同じ匂いのする女を選ばない…
そもそも、母と同じタイプの女では、母と別れて暮らしても、家にもうひとりの母が、いるようなものだ…
例えば、面倒見のいい、女と結婚して、後日、その女が、
「…私は、あのひとのセックス付きのお母さんじゃない!…」
と、怒るのを、聞いて、爆笑した覚えがある…
事実、母親と似ていないタイプでも、ただ女に母性を求める男もいる…
癒しを求める男もいる…
つまりは、お母さん…
妻に、母親の役を求めているのだ…
変な話、大会社の社長クラスの男でも、風俗で、若い女のコの前で、幼児プレイというか、子供になりきって、遊ぶのが好きというのを、聞いたことがある…
ある意味、母親は、男にとって、永遠の憧れというか…
だから、もしかしたら…
もしかしたら、あの諏訪野伸明も同じ…
私に母性を求めているのかもしれない…
私が、昭子や和子に似ているとか、いうのではなく、ただ、私に母性を求めているのかもしれない…
そういう考えもできる…
つまりは、ただ、私のような女が、タイプだということだ…
私が、そんなことを、考えていると、
「…伸明クンは、気が弱い…だから、姉は、伸明クンを支える女性を選ぼうとしている…」
「…支える…でも、五井家は、五井の血を引く一族と、結婚するのが、ルールじゃ…」
「…残念ながら、今の五井では、伸明クンを支えることができる女がいない…」
「…いない?…」
「…そう、いない…五井は、すべて、女で支えられている…五井の実態は、女系一族…」
「…女系一族?…」
「…だから、苗字が違う…五井本家は、諏訪野…ボクの出身の東家は、菊池…そして、南家は、佐藤…皆、苗字が違う…それは、皆、他家に嫁いだ女の苗字だから…五井の血は引くが、それぞれ他家に嫁いでいる…にも、かかわらず、一族として、団結する…だから、五井一族と名乗っても、実際は、その血は、女の血…ちょうど、天皇家と真逆…天皇家が、代々、男系で、長子優先でいるのと、真逆…五井は、基本女系で、五井の強い女たちが、まるで、狩りをするように、優秀な男たちと、結婚して、一族に組み入れてきた…それが、五井の歴史…だから、同じ一族でも、苗字が、違う…」
菊池重方(しげかた)の告白に、私は、開いた口が、塞がらなかった…
まさか…
まさか、五井が女系一族とは、思わなかった…
普通、日本の名家といえば、すべて、男系…
男系の長子優先だ…
女系の一族など、聞いたこともない…
だが、冷静に考えれば、それは、わかる…
なぜ、五井一族と名乗っても、一族の苗字がバラバラのか、わかった…
気付いてみれば、あまりにも単純…
わかりやすいこと、この上ない…
いや、だからか…
あまりにも、わかりやすい故に、かえって、気付かなかった…
そういうことだった…
「…五井は、女系一族です…ですが、400年、ずっと、そうだったわけでもない…」
重方(しげかた)が、続けた…
「…どういうことですか?…」
「…基本は、日本の名家と同じ、男系です…男が、継ぎます…女系であったのは、五井の創業期と、危機のとき…」
「…危機のとき?…」
「…創業期は、寿さんにも、わかるでしょう…」
「…どういう意味ですか?…」
「…要するに、創業者に、娘が多かったんですよ…だから、それぞれ他家に嫁ぐから、苗字が、違ってくる…それも、創業者の子供、孫、ひ孫あたりまで、その調子でいって、優秀な男たちと結婚した…その男たちが、一致団結して、五井の基礎を作った…」
「…」
「…そして、その基礎を作ったのが、本家を支える、東西南北の分家…そして、その下の分家の8家は、東西南北の子孫の中で、五井が、時代の波に奔走され、危機に陥ったときに、現れたものたちの子孫です…だから、分家を許され、五井一族に加わった…」
「…」
「…そして、女たち…五井とて、基本は、男系だが、危機があったときに、現れたのが、五井の血を引く、女たちが、選んだ男たちだった…」
私は、その説明を聞きながら、まったく、別のことを考えていた…
なぜ、諏訪野伸明が、前当主、建造の血を引かないにもかかわらず、五井家の当主になれたのか? という疑問だ…
だが、今の重方(しげかた)の説明で、わかった…
五井は、本来は、女系…
女が力を持っている…
だから、伸明は、建造の血を引かないにも、かかわらず、五井を継げたのだ…
それは、母の昭子が、五井の血を引いているから…
五井は伝統的にアマゾネスではないが、女が、強いのだろう…
だから、他の一族の者も了承したということだろう…
そうでなければ、普通は無理…
先代の当主の血を引かない当主など、日本の伝統ある一族で、存在しない…
だが、この五井のように、基本、女系一族であり、一族の中で、女の血を引いていれば、良し、とする風潮が出来上がっているのかもしれない…
また、その前提として、伸明が、優秀である必要があるが、伸明と接していて、劣っていると、考えたことは、一度もない…
だから、能力はクリアしている…
ゆえに、問題は、ないのだろう…
私は、思った…
「…伸明クンは、おとなしい…」
重方(しげかた)が、続けた…
「…が、無能ではない…」
「…」
「…当たり前だが、優れている…」
「…」
「…しかしながら、五井の分家の当主たちに、伸明クンの若さでは、まだ軽んじられるというか…」
「…」
「…五井の分家の当主は、皆、70代、80代…40代の伸明クンでは、まだまだひよっこ扱い…一人前とは、見なされない…」
「…」
「…だから、姉は、考えた…」
「…なにを、です?…」
「…伸明クンのお嫁さん探し…」
「…」
「…最初は、一族で、見つけようとした…だけれども、一族では、リンちゃん…菊池リンちゃんしか、該当者がいない…」
「…」
「…リンちゃんは、五井家の本家、分家にかかわらず、一族の誰からも愛される、いわば、五井家のアイドルだった…」
「…それは、亡き建造さんから、お聞きしました…」
「…そうですか…なら、話が早い…だから、本当は、伸明クンのお嫁さんには、リンちゃんが、良かった…」
「…」
「…でも、リンちゃんでは、伸明クンを支えられない…」
「…」
「…伸明クンには、リンちゃんではなく、もっと、自分のような、しっかりした女性がいいと、姉は、考えた…そこへ、寿さんが、現れた…」
「…私が?…」
「…リンちゃんには、悪いが、彼女では、伸明クンを支えられない…共に、似た者同士…」
「…なにが、似ているんですか?…」
「…二人とも、おとなしい…」
「…おとなしい?…」
「…そのおとなしい二人が、結婚して、これからの五井を率いていけるのか、不安があった…」
重方(しげかた)が、続けた…
が、
私は、その話を聞きながら、半信半疑だった…
重方(しげかた)の言うことは、わかる…
ウソでは、ないだろう…
しかしながら、それが、すべてとは、思えない…
昔のレコードや、コインに例えれば、今、この重方(しげかた)は、表の話をしている…
私は、そう思った…
レコードなら、A面の話をしている…
が、
レコードには、B面もある…
そういうことだ…
A面の話をしていても、ウソはない…
真実に違いない…
が、
実は、B面もあった…
コインに例えれば、裏もあった…
そういうことだ…
つまりは、事実で、いえば、今、話しているのは、片方のみ…
話していない事実もある…
そういうことだ…
だから、この重方(しげかた)は、ウソは、言っていない…
だが、
ホントのことをすべて、言っているわけでもない…
そういうことだ…
私は、この菊池重方(しげかた)と、対峙しながら、この重方(しげかた)の本当の目的はなんだろう?
と、考えた…
この佐藤ナナを呼び出して、私に会わせ、二人の会話を、背後で、聞き耳を立てて、聞いている…
当然、佐藤ナナを、私に会わせた目的がある…
が、
その目的が、わからない…
私は、菊池重方(しげかた)の話を聞きながら、一方で、そんなことを、頭の中で、考えた…
考え続けた…