第72話

文字数 6,775文字

 …かかった!…

 …引っかかった!…

 私は、内心、飛び上がらんばかりだった…

 やはりというか…

 この菊池重方(しげかた)の背後には、誰かいる…

 この重方(しげかた)が、誰の操り人形か、わからないが、この重方(しげかた)は、一人ではない…

 誰かの操り人間とまでは、思わないが、協力者がいるのだろう…

 と、そこまで、考えていると、

 「…お久しぶりです…」

 と、重方(しげかた)が、口を開いた…

 「…たしかに、アナタと会うのは、二度目ですね…」

 私は、

 「…」

 と、無言だった…

 黙って、頭を下げた…

 「…アナタは、美人だから、覚えています…」

 重方(しげかた)が、言った…

 「…ありがとうございます…」

 私は、その言葉に、再び、頭を下げた…

 「…でも、ボクは、美人じゃない…イケメンでもない…」

 「…」

 「…そんなボクのことを、覚えているのは、驚きました…」

 私は、その言葉が、重方(しげかた)の皮肉であることに、気付いた…

 「…アナタの記憶力に驚嘆します…」

 この言葉に、私は、この菊池重方(しげかた)という男が、あの昭子が毛嫌いするほど、愚かな人物ではないことに、気付いた…

 言葉は、悪いが、ひとは、会話をすれば、相手の中身=頭は、わかってくる…

 自分が、直接、会話をしなくても、誰かと誰かが、しゃべっていて、それを見ていれば、その人間たちが、高卒か、大卒か、わかってくる…

 高卒にしても、大卒にしても、偏差値レベルが、どうなのか?

 例えば、大卒ならば、MARCH(明治、青山、立教、中央、法政)レベルか、それ以下かなど、なんとなく、わかってくる…

 いや、

 中には、わからない者もいる…

 が、

 それは、一部の人間のみ…

 少なくとも、私の身の回りの人間で、わからない人間は、皆無…

 誰もいない…

 私は、そんなことを、考えながら、

 「…あちらで、ご一緒に…」

 と、重方(しげかた)を誘った…

 私の申し出に、

 「…わかりました…」

 と、重方(しげかた)が、席を立った…

 飲んでいたコーヒーを手に、私と、佐藤ナナが、いる席に、重方(しげかた)が、やって来た…

 ちょうど、私と向かい合わせ…

 重方(しげかた)は、佐藤ナナと、並んで、座った…

 「…両手に花ですね…」

 重方(しげかた)が、冗談を言った…

 私は、その言葉で、この菊池重方(しげかた)が、案外ジョークの素質も持っていることに、気付いた…

 それまで、重方(しげかた)に持っていた、無能で、ただ、権力や地位を求める男といったイメージが、ガタガタと音を立てて、崩れた…

 と、同時に、それが、当たり前だとも、思った…

 なんといっても、この菊池重方(しげかた)は、国会議員…

 自民党、大場派の幹部だった人間だ…

 いかに、五井の財力をバックに、国会議員に当選したとしても、バカでは務まらない…

 まして、派閥の幹部は、務まらない…

 当たり前のことだった…

 が、

 私は、この重方(しげかた)と、面と向かって、なにを話していいか、わからなかった…

 この重方(しげかた)が、佐藤ナナと繋がっていることは、わかった…

 だが、どう繋がっているか、わからなかった…

 ひょっとしたら、米倉平造と、繋がっているかもしれない…

 その可能性に気付いた…

 なんといっても、米倉平造は、この佐藤ナナと、五井情報を交換させた男だった…

 この五井南家の血を引く、佐藤ナナを、手に入れて、彼女を、五井家の養女とする代わりに、格安で、五井情報を手に入れた…

 やり手の経営者だった…

 そして、それほどのやり手の経営者ならば、五井の一族の中で、協力者がいても、おかしくはない…

 まして、この菊池重方(しげかた)は、国会議員…

 さまざまな人間と会うのが、仕事だ…

 なにより、二人は、顔見知りの可能性が高い…

 共に、経団連など、経済団体を通じて、すでに知っている可能性が、高かった…

 私は、それを思った…

 「…一度、重方(しげかた)さんと、お話ししたかった…」

 私は、言った…

 「…それは、ボクも同じです…」

 重方(しげかた)が、応じる…

 「…失礼ですが、どうして、私と…」

 「…伸明クンと、結婚するかもしれない女性じゃないですか?…」

 当たり前のことだった…

 この菊池重方(しげかた)は、五井一族…

 追放されたとはいえ、五井一族の血を引くことに変わりはない…

 だから、当主である、伸明が結婚する相手が、気になるのは、当然…

 なにより、伸明は、この重方(しげかた)の甥…

 伸明が、子供の頃から、知っているに決まっている…

 だから、その伸明が、どんな女と、結婚するか、気になるのだろう…

 「…伸明クンが、アナタに惹かれたのは、わかる…」

 「…」

 「…たしかに、アナタなら、任せられる…」

 「…任せられる?…」

 「…失礼だが、アナタには、ボクの二人の姉、昭子と和子と同じ匂いがする…」

 「…同じ匂い?…」

 「…昔でいえば、源頼朝の妻の北条政子と、同じ…頼れる…」

 「…」

 「…もしかしたら、伸明クンは、寿さんのそういうところに、惹かれたのかもしれない…」

 …ウソ?…

 思わず、口から、そんな言葉が出るところだった…

 あの沈着冷静な諏訪野伸明が、私に憧れる原因は、あの母にあった…

 あの昭子にあった?

 いや、

 昭子だけではない!

 あの和子にもあった?

 実に、意外…

 意外といえば、意外だった…

 が、

 そういえば、わかる…

 そういえば、理解できる…

 たしかに、私と、あの昭子と和子は、同じ匂いがする…

 一言で、いえば、キャラが、似ているのだ…

 七十代の昭子と和子と、32歳の私をいっしょにするのは、おかしいが、たしかに似ている…

 いや、

 これは、以前、あの和子から、はっきりと、言われている…

 五井家…

 その実態は、強い女たちに支えられていると…

 それまで、愛人の子ゆえに、一族から、半端者と思われていた、あの諏訪野マミもまた、実際は、五井家の強い女たちに支援されていた…

 そう、和子に言われた…

 そして、それは、おそらく、事実であろうことは、すぐにわかった…

 なぜなら、諏訪野マミは、先代当主、諏訪野建造の愛人の子供…

 にもかかわらず、五井の関連会社の社長をしている…

 そして、建造の死去後も、その地位は揺らがない…

 相変わらず、社長のまま…

 諏訪野マミが、ただの建造の愛人の子供に過ぎないのならば、そもそも、五井の関連の会社の社長には、なれないし、その後ろ盾である、建造が、亡くなったのならば、とっくに、五井家から追放されているはずだ…

 にもかかわらず、社長のまま…

 それは、誰かが、バックアップしていることを、意味する…

 助けていることを、意味する…

 そして、和子は、諏訪野マミが、五井の女たちの支持を受けていると、明かした…

 五井の強い女たちの支援を受けていると、明かした…

 それゆえ、実父の建造亡き後も、マミの地位は変わらないと…

 それが、真実だった…

 それが、事実だった…

 だが、実際は、マミは、五井家から、半端にされていたと、言った…

 そして、私は、それを信じた…

 ウソではないと、思った…

 ならば、誰が、マミを、半端にするのか?

 それは、おそらく、五井の男たち…

 五井の各分家の当主ではないのか?

 ふと、気付いた…

 五井を代表するのは、当然、男たち…

 女ではない…

 男の妻ではない…

 その男たちに、毛嫌いされていたのではないか?

 ふと、思った…

 だから、公では、マミは、毛嫌いされている…

 が、

 裏では、五井の強い女たちに支えられている…

 あの昭子や、和子に支えられているのだろう…

 そして、伸明は、当たり前だが、その事実に気付いている…

 五井という世間に知られた一族が、強い女たちに支えられている現実に、気付いている…

 だから、私に惹かれた?

 昭子や和子と同じ匂いのする私に惹かれた?

 そう言われれば、わかる…

 そう言われれば、理解できる…

 だが、本当にそうだろうか?
 
 ひとは、自分の母と、同じ匂いのする女を妻にする男と、そうでない男に分かれる…

 同じ匂いのする女を好きな男は、一言で、いえば、安心できるからだろう…

 生まれたときから、身近にいる母親と同じ匂いがする…

 同じキャラ…

 だから、どう対処すればいいか、経験上、わかっている…

 また、真逆に、母と別のタイプを好きな男は、母に反発しているか、あるいは、母を好きでない場合が多い…

 だから、意図的に、母と、違うタイプを選ぶ…

 母と同じ匂いのする女を選ばない…

 そもそも、母と同じタイプの女では、母と別れて暮らしても、家にもうひとりの母が、いるようなものだ…

 例えば、面倒見のいい、女と結婚して、後日、その女が、

 「…私は、あのひとのセックス付きのお母さんじゃない!…」

 と、怒るのを、聞いて、爆笑した覚えがある…

 事実、母親と似ていないタイプでも、ただ女に母性を求める男もいる…

 癒しを求める男もいる…

 つまりは、お母さん…

 妻に、母親の役を求めているのだ…

 変な話、大会社の社長クラスの男でも、風俗で、若い女のコの前で、幼児プレイというか、子供になりきって、遊ぶのが好きというのを、聞いたことがある…

 ある意味、母親は、男にとって、永遠の憧れというか…


 だから、もしかしたら…

 もしかしたら、あの諏訪野伸明も同じ…

 私に母性を求めているのかもしれない…

 私が、昭子や和子に似ているとか、いうのではなく、ただ、私に母性を求めているのかもしれない…

 そういう考えもできる…

 つまりは、ただ、私のような女が、タイプだということだ…

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…伸明クンは、気が弱い…だから、姉は、伸明クンを支える女性を選ぼうとしている…」

 「…支える…でも、五井家は、五井の血を引く一族と、結婚するのが、ルールじゃ…」

 「…残念ながら、今の五井では、伸明クンを支えることができる女がいない…」

 「…いない?…」

 「…そう、いない…五井は、すべて、女で支えられている…五井の実態は、女系一族…」

 「…女系一族?…」

 「…だから、苗字が違う…五井本家は、諏訪野…ボクの出身の東家は、菊池…そして、南家は、佐藤…皆、苗字が違う…それは、皆、他家に嫁いだ女の苗字だから…五井の血は引くが、それぞれ他家に嫁いでいる…にも、かかわらず、一族として、団結する…だから、五井一族と名乗っても、実際は、その血は、女の血…ちょうど、天皇家と真逆…天皇家が、代々、男系で、長子優先でいるのと、真逆…五井は、基本女系で、五井の強い女たちが、まるで、狩りをするように、優秀な男たちと、結婚して、一族に組み入れてきた…それが、五井の歴史…だから、同じ一族でも、苗字が、違う…」

 菊池重方(しげかた)の告白に、私は、開いた口が、塞がらなかった…

 まさか…

 まさか、五井が女系一族とは、思わなかった…

 普通、日本の名家といえば、すべて、男系…

 男系の長子優先だ…

 女系の一族など、聞いたこともない…

 だが、冷静に考えれば、それは、わかる…

 なぜ、五井一族と名乗っても、一族の苗字がバラバラのか、わかった…

 気付いてみれば、あまりにも単純…

 わかりやすいこと、この上ない…

 いや、だからか…

 あまりにも、わかりやすい故に、かえって、気付かなかった…

 そういうことだった…

 「…五井は、女系一族です…ですが、400年、ずっと、そうだったわけでもない…」

 重方(しげかた)が、続けた…

 「…どういうことですか?…」

 「…基本は、日本の名家と同じ、男系です…男が、継ぎます…女系であったのは、五井の創業期と、危機のとき…」

 「…危機のとき?…」

 「…創業期は、寿さんにも、わかるでしょう…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…要するに、創業者に、娘が多かったんですよ…だから、それぞれ他家に嫁ぐから、苗字が、違ってくる…それも、創業者の子供、孫、ひ孫あたりまで、その調子でいって、優秀な男たちと結婚した…その男たちが、一致団結して、五井の基礎を作った…」

 「…」

 「…そして、その基礎を作ったのが、本家を支える、東西南北の分家…そして、その下の分家の8家は、東西南北の子孫の中で、五井が、時代の波に奔走され、危機に陥ったときに、現れたものたちの子孫です…だから、分家を許され、五井一族に加わった…」

 「…」

 「…そして、女たち…五井とて、基本は、男系だが、危機があったときに、現れたのが、五井の血を引く、女たちが、選んだ男たちだった…」

 私は、その説明を聞きながら、まったく、別のことを考えていた…

 なぜ、諏訪野伸明が、前当主、建造の血を引かないにもかかわらず、五井家の当主になれたのか? という疑問だ…

 だが、今の重方(しげかた)の説明で、わかった…

 五井は、本来は、女系…

 女が力を持っている…

 だから、伸明は、建造の血を引かないにも、かかわらず、五井を継げたのだ…

 それは、母の昭子が、五井の血を引いているから…

 五井は伝統的にアマゾネスではないが、女が、強いのだろう…

 だから、他の一族の者も了承したということだろう…

 そうでなければ、普通は無理…

 先代の当主の血を引かない当主など、日本の伝統ある一族で、存在しない…

 だが、この五井のように、基本、女系一族であり、一族の中で、女の血を引いていれば、良し、とする風潮が出来上がっているのかもしれない…

 また、その前提として、伸明が、優秀である必要があるが、伸明と接していて、劣っていると、考えたことは、一度もない…

 だから、能力はクリアしている…

 ゆえに、問題は、ないのだろう…

 私は、思った…

 「…伸明クンは、おとなしい…」

 重方(しげかた)が、続けた…

 「…が、無能ではない…」

 「…」

 「…当たり前だが、優れている…」

 「…」

 「…しかしながら、五井の分家の当主たちに、伸明クンの若さでは、まだ軽んじられるというか…」

 「…」

 「…五井の分家の当主は、皆、70代、80代…40代の伸明クンでは、まだまだひよっこ扱い…一人前とは、見なされない…」

 「…」

 「…だから、姉は、考えた…」

 「…なにを、です?…」

 「…伸明クンのお嫁さん探し…」

 「…」

 「…最初は、一族で、見つけようとした…だけれども、一族では、リンちゃん…菊池リンちゃんしか、該当者がいない…」

 「…」

 「…リンちゃんは、五井家の本家、分家にかかわらず、一族の誰からも愛される、いわば、五井家のアイドルだった…」

 「…それは、亡き建造さんから、お聞きしました…」

 「…そうですか…なら、話が早い…だから、本当は、伸明クンのお嫁さんには、リンちゃんが、良かった…」

 「…」

 「…でも、リンちゃんでは、伸明クンを支えられない…」

 「…」

 「…伸明クンには、リンちゃんではなく、もっと、自分のような、しっかりした女性がいいと、姉は、考えた…そこへ、寿さんが、現れた…」

 「…私が?…」

 「…リンちゃんには、悪いが、彼女では、伸明クンを支えられない…共に、似た者同士…」

 「…なにが、似ているんですか?…」

 「…二人とも、おとなしい…」

 「…おとなしい?…」

 「…そのおとなしい二人が、結婚して、これからの五井を率いていけるのか、不安があった…」

 重方(しげかた)が、続けた…

 が、

 私は、その話を聞きながら、半信半疑だった…

 重方(しげかた)の言うことは、わかる…

 ウソでは、ないだろう…

 しかしながら、それが、すべてとは、思えない…

 昔のレコードや、コインに例えれば、今、この重方(しげかた)は、表の話をしている…

 私は、そう思った…

 レコードなら、A面の話をしている…

 が、

 レコードには、B面もある…

 そういうことだ…

 A面の話をしていても、ウソはない…

 真実に違いない…

 が、

 実は、B面もあった…

 コインに例えれば、裏もあった…

 そういうことだ…

 つまりは、事実で、いえば、今、話しているのは、片方のみ…

 話していない事実もある…

 そういうことだ…

 だから、この重方(しげかた)は、ウソは、言っていない…

 だが、

 ホントのことをすべて、言っているわけでもない…

 そういうことだ…

 私は、この菊池重方(しげかた)と、対峙しながら、この重方(しげかた)の本当の目的はなんだろう?

 と、考えた…

 この佐藤ナナを呼び出して、私に会わせ、二人の会話を、背後で、聞き耳を立てて、聞いている…

 当然、佐藤ナナを、私に会わせた目的がある…

 が、

 その目的が、わからない…

 私は、菊池重方(しげかた)の話を聞きながら、一方で、そんなことを、頭の中で、考えた…

 考え続けた…

                
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