第84話

文字数 6,818文字

 私、寿綾乃は、32歳…

 わずか、32歳にかかわらず、多くの死を見てきた…

 父の死…

 母の死…

 身内は、二人だけだが、五井家の人間と知り会い、

 当主の建造、

 建造の弟の義春、

 伸明の弟の秀樹、

 と、立て続けに五井家の人間の死を目の当たりにした…

 そして、今、その死に、冬馬が、加わった…

 人間というものは、実にあっけない…

 もろいものだと思う…

 はかないものと、思う…

 死というものを意識したとき、死とは、なにかを、考えた…

 すると、私にとっては、

 …もう会えないこと…

 だった…

 生きていれば、どこかで、会える可能性がある…

 たとえ、地球の裏側に住んでいても、会える可能性がある…

 しかし、死んでは、もう二度と会えない…

 その違いだ…

 そして、二度と会えないから、かえって、会いたくなる…

 そういうものだ…

 もう一度、会って話したい…

 そう、思えるのは、母親だった…

 私の産みの母だった…

 私は、お母さん子…

 私、寿綾乃ではなく、矢代綾子は、お母さん子だった…

 できるなら、今でも、母に会いたいと、思う…

 もう二度と、会えないから、会いたいと思う…

 その母が、遺言で、その死に際して、

 「…綾子…これからは、矢代綾子ではなく、寿綾乃として、生きなさい…死んだ、従妹の寿綾乃になりすまして、生きなさい…寿綾乃は、お金持ちの血を引く娘…綾子が、寿綾乃になりすますことで、莫大な財産を受け取ることができる…それを、肝に銘じて、生きなさい…私が死んだら、この田舎から出て、都会で、暮らしなさい…誰も綾子を知らない都会で、生きなさい…寿綾乃として生きなさい…」

 そう、母が、厳命した…

 そして、

 「…強い男を見つけなさい…綾子を守ってくれる強い男を見つけなさい…この場合の強さは、腕力ではなく、財力…お金のある男…」

 「…どうして、お金のある男なの?…」

 私が、瀕死の母に聞くと、

 「…従妹の寿綾乃は、お金持ちの血を引く娘…寿綾乃の存在が、わかれば、莫大な財産は、もらえるけど、きっと、遺産相続の争いに巻き込まれる…だから、そのときに、必要なのは、綾子を守ってくれる、お金持ちで、頭のいい男…」

 「…頭のいい男?…」

 「…お金持ちで、頭が良ければ、その頭の良さで、争いに巻き込まれた綾子のために、動くことが、できる…綾子を守ってくれることができる…」

 「…」

 「…もちろん、少々のお金持ちで構わない…要するに、金持ちで、頭が良く、綾子を守ってくれる男を探しなさい…それが、綾子には、この先、必要になるから…」

 それが、母の遺言だった…

 そして、私は、偶然か、はたまた、運命か…

 母の指摘する、要件を満たす人間と、労せずして、出会うことができた…

 それが、藤原ナオキだった…

 ナオキは、出会った当時は、貧乏だったが、間違いなく才能のある男だった…

 それは、出会って、すぐに感じた…

 母の遺言は、頭の隅にいつもあったが、それは、置いといていても、私は、ナオキに惹かれた…

 長身のイケメンで、才能のある男…

 当時は、貧乏だが、その才能を、私は、愛した…

 そして、ナオキは、階段を駆け上がるように、瞬く間に、成功した…

 ITバブルの波に乗り、成功した…

 楽天の三木谷や、ホリエモンに比べれば、小さな成功だったが、それでも、成功者であることに、変わりはなかった…

 やがて、ナオキは、そのルックスの良さから、テレビのキャスターも兼ねるようになった…

 私は、諏訪野マミと、電話をしながら、自分自身の半生…

 とりわけ、矢代綾子ではなく、寿綾乃と名乗ってからの人生を考えた…

 思えば、私は、上京して、寿綾乃を名乗るようになってから、人生が激変した(笑)…

 それは、まるで、それまで、無名の一般人だったのが、芸能界で、スターになるようなものだった…

 突然、世間に現れて、誰もが、知る存在になる…

 おおげさにいえば、それと似ていた…

 そして、そんなことを漠然と考えていると、

 「…寿さん…」

 と、諏訪野マミが、スマホの向こう側から、私の名前を呼んだ…

 「…なんですか?…」

 「…こんなことを、言うのは、変だけど、気をしっかり、持ってね…」

 「…」

 「…寿さんは、強い…私から見ても…でも、それは、私が、思うだけ…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…言いづらいんだけれども、他人が、思っているのと、寿さん自身が、思っているのとは、違う…」

 「…」

 「…自分が、自分をどう思っているのかと、他人が、そのひとを、どう思っているのかとは、違う…落差がある…だから…」

 それって、もしかしたら…

 私が、思ったよりも、強くないかも…

 と、言っているのでは?

 と、気付いた…

 「…冬馬のこともある…」

 「…」

 「…まさか、冬馬が、自殺するとは、思わなかった…」

 「…」

 「…だから…」

 言いづらそうに、続ける…

 たしかに、そう言われれば、諏訪野マミの言うことは、わかる…

 人は、見かけでは、わからない…

 強いように、見えて、その実、強くない人間は、珍しくない…

 短期間、接しただけなら、その人間について、よくわからないものだが、長期間、接していても、

 「…このひと、こんなひとだったんだ!…」

 と、驚くことは、稀にある…

 昨今では、企業でいえば、リストラだろう…
 
 リストラされて、自殺する人間を、見たり、聞いたりした人間は、多い…

 その中で、

「…まさか、あのひとが、自殺するなんて…」

というのも、よく聞く話といえば、おおげさだが、まったくない話でもない…

つまり、強く、見えて、実は、それほど、強くない人間は、世の中にありふれているということだ…

諏訪野マミは、だから、私を心配したのだろう…

まさかとは、思うが、冬馬の自殺に動揺して、私が、なにか、しでかさないか、心配したのだろう…

私は、そう思った…

「…とにかく、寿さん…自分を大事にして…」

「…自分を大事に…」

「…どんなときも、自分を第一に思って…他人は、二の次…三の次…」

「…約束して…」

「…ハイ…約束します…」

「…よかった…これで、安心した…」

そう言って、諏訪野マミは、電話を切った…

私は、電話を切ると、考え込んだ…

…どうして、マミさんは、あんなことを言うのだろう?…

不思議だった…

私が、冬馬の死に動揺するのは、わかっているが、そこまで、心配するものだろうか?

考え込んだ…

が、

その理由は、まもなくわかった…

伸明だった…

五井家当主、諏訪野伸明のメンタルが、不調になったのだ…

諏訪野マミの言う通りだった…

ネットや新聞、週刊誌に冬馬の死が報じられると、同時に、憔悴した、伸明の姿が、映っていた…

冬馬は、元は、五井一族…

葬儀は、盛大に行われた…

なにしろ、冬馬は、衆議院議員、菊池重方(しげかた)の息子でもある…

実際は、重方(しげかた)の息子ではなく、姉の昭子の産んだ、息子に違いないが、とにかく、世間では、そう見られている…

だから、葬儀も盛大だった…

政界、財界の大物が、葬儀に顔を見せた…

その中には、あの大場小太郎もいた…

菊池重方(しげかた)の属した、自民党、大場派の領袖、大場小太郎…

今、最も、総理に近いと言われている男もいた…

私は、それを、ネットで、知った…

私自身は、冬馬の葬儀に、行かなかった…

私は、五井一族でも、なんでもない…

また、五井家当主、諏訪野伸明と、付き合っていたが、それも、伸明が、私との交際を隠れ蓑にして、五井の一族を油断させて、その間に、五井を改革したいというのが、本音だと知った…

だから、行かなかった…

実をいえば、あの後、諏訪野マミから、冬馬の葬儀に行くのを誘われていた…

冬馬が、私に憧れていた…

だから、その冬馬が死んで、葬儀を行うんだから、ぜひ、顔を見せて欲しいと、言われた…

当たり前のことだった…

だが、私は、行かなかった…

行かない理由は、ただ一つ…

諏訪野伸明の存在だった…

伸明は、私を、五井家の改革を行うに際して、私との交際を隠れ蓑にしようとした…

私は、それを知って、落胆したが、一方で、さもありなんと、納得した…

伸明と、私では、所詮、住む世界が、違う…

一瞬でも、本気で、結婚を夢見た私が、悪かったのだ…

バカだったのだ…

そうは、言うものの、やはり、伸明が、私を利用しようとしたのは、許せなかった…

伸明の事情は、わかるが、それでも、私を利用しようとしたのは、許せなかった…

当たり前だ…

しかしながら、そうは、言うものの、菊池重方(しげかた)も、諏訪野マミも、本当は、伸明は、私に憧れていたと、告白した…

伸明自身の口から、出た言葉ではないが、やはり、こう言われると、悪い気はしなかった…

どんな人間も、自分を好きだと、言われて、悪い気がする人間は、普通いない…

が、

何度も、言うように、それは、伸明自身の口から、言われたことではない…

あくまで、菊池重方(しげかた)や、諏訪野マミから、聞いただけ…

だから、それほど、説得力がないというか…

やはり、伸明自身の口から、聞きたい(笑)…

が、

そうはいうものの、伸明と顔を合わせるのは、やはり、嫌だった…

バツが悪かった…

これは、伸明もまた、同じだろう…

本当に、伸明が、私を好きだったかどうかは、わからない…

ただ、今さら、顔を合わせて、実は、私のことが、好きだったと言われても、どうなるものでもない…

すべては、終わったのだ…

諏訪野マミは、冬馬が、本当は、私を好きだったから、せめて、冬馬の葬儀ぐらい、顔を出してくれと、電話口で、私に懇願したが、それも、同じだった…

諏訪野マミが、言うことは、ウソだとは、思わない…

冬馬が、私を好きだったということは、ウソだったとは、思わない…

だが、

それも、冬馬の口から、直接聞いた話ではなかった…

冬馬が、亡くなって、諏訪野マミの口から、聞いたに過ぎない…

だから、こういっては、なんだが、本当のことはわからない…

諏訪野マミの言葉を疑うわけではないが、本当のところは、わからなかった…

そんなことを、あれこれ、考えた結果、私は、冬馬の葬儀に顔を出さないことを、決めた…

冬馬が、本当に、私を好きかどうかはわからない…

本当は、冬馬の葬儀に行ってあげたかったが、やはり、諏訪野伸明と、顔を合わせるのは嫌だった…

なんだかんだ言っても、それが、真相だったのかもしれない…

それが、本音だったのかもしれない…

私は、冬馬の葬儀の日に、ただボンヤリと、過ごした…

私と冬馬との思い出は、数えるほど…

しかしながら、今さらではあるが、私を好きだと言われて、悪い気はしなかった…

本当に、私を好きだったかどうかは、いざ知らず、自分を好きだと言った男の葬儀の日だ…

たとえ、葬儀に出席せずとも、家で、ボンヤリと、冬馬との思い出に浸った…

菊池冬馬との思い出に浸った…

そして、冬馬の冥福を祈った…


その日の夜になると、自宅に戻って来た、ナオキが、私の異変に気付いた…

私が、すでに辺りが、真っ暗闇になっているにも、かかわらず、ボンヤリと、デスクに座って、身じろぎもしなかったからだ…

「…どうしたの? …綾乃さん?…」

私のいる部屋に一歩入ってきたナオキは、驚いて、部屋の電気をつけようとした…

が、

私は、

「…このままにしていて…」

と、ナオキに懇願した…

ナオキは、当惑した…

「…なに、どうしたの? …綾乃さん?…」

私は、答える気力もなかった…

なんだか、一気にカラダの力が抜けていた…

「…今日は、葬式だったの…」

私は、答えた…

「…誰の葬式?…」

ナオキが、聞く…

「…菊池冬馬…五井一族の…」

「…五井一族?…」

「…私を好きだった男の…」

「…綾乃さんを好きだった?…」

ナオキが、驚いた…

それから、少し間を置いて、

「…だから、こうして、真っ暗闇の部屋にいて、そのひとの喪に服しているの?…」

と、聞いた…

と、

これには、私も驚いた…

が、

たぶん、傍目には、そう見えるのかもしれない…

「…そんな大げさなものじゃない…」

「…だったら、どうして、こんな真っ暗な部屋に…」

「…なんというか…ただ、落ち込んでいるだけ…」

「…落ち込んでいるだけ?…」

「…だって、自殺した男が、私を好きだったなんて…自殺した後に、マミさんから、知らされて…」

私の言葉に、ナオキは、絶句した…

「…マミさんから…」

ナオキが、反射的に、声を上げた…

ナオキは、マミさんが、苦手…

そのマミさんの名前が出たから、動揺したに違いない…

ずっと以前、マミさんは、藤原ナオキに公開プロポーズした…

ナオキと結婚しようとした…

雑誌の対談で、ナオキと知り合ったことが、きっかけで、ナオキに一目惚れ…

ナオキをモノにしようとした…

が、

それは、表向き…

本当は、私に近付くためだった…

マミは、五井家前当主、諏訪野建造の愛人の子供…

建造の指示により、密かに、私に接点を持とうとした…

私が、本物の寿綾乃と思っていたから…

本物の寿綾乃は、建造の血を引いた娘だったからだ…

だから、私に近付こうとした…

だから、ナオキは、当て馬…

いわば、将を射んと欲すれば先ず馬を射よのことわざ通り、私に近付くため、ナオキに近付いた…

が、

ナオキにとって、それは、トラウマになった…

元々、ナオキは、オタク…

だから、女には、奥手だ…

それが、マミが、強引に、メディアを通じて、ナオキにアプローチを続けたことで、すっかりナオキは、マミにトラウマを持った…

苦手意識を持った…

恐怖を感じたといえば、大げさだが、実際は、その通りだった…

マミの行動に怖気づいたのだ…

だから、ナオキの前で、諏訪野マミの名前は、禁句だった…

いや、

原則禁句といおうか…

が、

今は、どうしても、マミの名前を出すしかなかった…

申し訳ないが、マミの名前を出さないと、説明ができなかったからだ…

「…なんていうか…自殺した後に、その男が私を好きだったなんて、言われても、もう遅いわよね…」

私は、笑った…

笑いながら、うっかり涙が出そうになった…

「…綾乃さんが、魅力があるからさ…」

ナオキが、私を慰めた…

私は、笑いながら、

「…ナオキ…ちょっと、こんなときに、私を口説くつもり?…」

と、抗議した…

無論、冗談だ…

が、

冗談を言うことで、今、自分の置かれた状況が、少しでも好転すればと、思った…

気分が、転換すればと、思った…

「…そう、口説くつもり…」

ナオキが、笑った…

真っ暗闇だが、ナオキが、笑った姿が、わかったというか…

表情は、見えずとも、声で、わかった…

「…まあ…なんて、卑怯な男…女が弱ったときを狙って口説くなんて…」

「…その通り…」

ナオキが、同意した…

「…ボクは、卑怯な男さ…」

そう言いながら、ナオキは、私のカラダに指一本触れなかった…

一体、どうしてだろう?

考えた…

「…その通り、ボクは、卑怯な男さ…」

ナオキが、繰り返す…

が、

そうは、言いながら、相変わらず、指一本、私のカラダに触れようとは、しなかった…

それで、気付いた…

ナオキは、今、私を、励ましているというか…

わざと、私を口説くフリをして、落ち込んだ私を元気づけようとしているんだ、と、気付いた…

だから、私も、

「…そう、卑怯な男…」

と、ナオキの罠にかかったフリをした…

「…でも、指一本、触れて来ないのね…」

「…ゴメン…今日は、会社で、クタクタで…」

「…そうね…ナオキも、四十を超えてるものね…」

私は、笑った…

「…気持ちだけ、先走っても、体力は、続かない…カラダがついてこない…」

私が、言うと、

「…そんなことない…まだまだ、若いヤツには…」

と、反論した…

「…年寄の冷や水ね…」

私が、言うと、黙り込んだ…

「…反論しないってことは、その通りってこと?…」

私が、さらに、問い詰めると、ナオキが、黙った…

それから、いきなり、椅子に座った私を、背後から抱き締めた…

「…綾乃さん…」

「…ナオキ、一体、どうしたの?…」

「…元気を出して…」

「…」

「…ただ、元気を出して…」

ナオキが、言った…

泣いているようだった…

「…綾乃さんが、元気を出してくれないと、ボクは…」

ナオキが、泣いていることに、気付いた…

私のために、泣いていることに、気付いた…

「…バカね…男のくせにメソメソと…」

私は、まるで、子供を叱るように、ナオキを叱った…

そして、ナオキを叱りながら、ナオキの罠にはまったことを、悟った…

きっと、ナオキは、こんな展開を望んだに違いないからだ…

自分を叱ることで、私が元気を出す…

こんな展開を望んだに違いないからだ…

しっかり者の、寿綾乃…

強い寿綾乃の姿を望んだに違いないからだ…

と、同時に、気付いた…

自分が、必要とされている事実を…

藤原ナオキに、必要とされている事実を…

それに、気付くと、悪い気は、しなかった…

自分が、誰かに必要とされる…

それ以上の喜びは、ないからだ…

私は、ナオキの罠にかかったふりをしたものの、結局は、ナオキの勝ちかもしれない…

私を喜ばせたナオキの勝ちかもしれない…

そう、思った…

               
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