第39話

文字数 8,545文字

 米倉平造は、やり手である…

 戦前、米倉財閥はあったが、とりたてて、世間の耳目を引くものでは、なかった…

 戦後、とりわけバブル以前に、米倉平造が、米倉を率いるようになって、まさに、見違えるように、大きくなった…

 基本は、大日グループ…

 米倉は、大日不動産、大日商事といった、総合グループ、いわゆる、コングロマリット=複合企業だった…

 ある意味、ハイエナではないが、目についた企業を、とりあえず、自社に買い取る形で、大きくなった企業の典型だった…

 ひとつの会社を立ち上げ、大きくするには、時間がかかる…

 いわゆる、ゼロから、立ち上げて、大きくするのは、時間がかかる…

 それならば、既存の企業を、金を出して、買い取り、自社のグループに、組み込めば、いい…

 米倉平造のやり方は、まさに、それだった…

 ひとつのグループとしての一体感には、欠けるが、会社を短期間に、大きくする最善の方法だったからだ…

 米倉は、今は、弱っているが、潜在力が、高い、企業を、見つけるのが、うまかった…

 先見の明があるといってしまえば、それまでだが、直観が冴えていた…

 以前、女の直感について、触れたが、大雑把にいえば、それと似たようなものだ…

 米倉は、会社の、買収を繰り返し、短期間で、大きくなった…

 そして、今、米倉の目は、五井に向かった…


 五井財閥…

 五井の起源は、江戸時代…

 江戸時代の呉服屋が起源だ…

 江戸時代に現銀掛け値なしという商法で、成り上がった…

 いわゆる、掛け値=つまり、店員との交渉で、値段を決めないということだ…

 当時は、店員と客が、相談して、着物の反物の価格を決めるのが、普通だった…

 それが、誰でも、同じ価格で売る…

 これが、画期的だった…

 ちなみに、現銀掛け値なしというのは、大坂だったから…

 当時、大坂は、銀本位制…

 江戸は、金本位制だった…

 つまり、大坂は、貨幣の基本は、銀であり、江戸は、金であったということだ…

 だから、もし、五井が、江戸で、呉服屋をやれば、現金掛け値なしということだった…

 そして、販売方法…

 当時は、着物の反物は、一反が、基本だった…

 それを五井は、お客が、ここまで、売って下さいというと、その通りにして売った…

 簡単にいえば、1メートルでも、3メートルでも売るということだ…

 これが、また、当時は画期的だった…

 つまり、一言でいえば、五井は、江戸時代のディスカウンター=安売り屋だったわけだ…

 その呉服屋を元に、展開した五井だったが、現在は、団結力に乏しかった…

 なにしろ、五井の歴史は、400年…

 一族といっても、血の濃さでいえば、もはや他人だ(笑)…

 だから、結婚は、一族同士で、結婚するのが、基本だった…

 理由は、これ以上、血を薄めないためだ…

 五井十三家といっても、事実上は、もはや、血の繋がりは、ないに等しい…

 だから、これ以上、血を薄めないために、一族同士の結婚を推奨した…

 結婚すれば、親戚になり、身近になるためだ…

 だから、五井の先代当主、建造、義春の兄弟は、五井東家の、昭子、和子の姉妹と結婚した…

 が、今、その昭子は、自分の息子で、当代の当主である、伸明を、一族の菊池リンではなく、私、寿綾乃と結婚させようとしている…

 これは、一体、どういうことなのか?

 謎がある…

 そして、それは、普通に考えれば、今、五井は、騒動の最中だから…

 騒動の最中=混乱の中にいるからだと、考えられる…

 平時であれば、一族同士で、結婚すればいい…

 その方が、道理に叶っているというか…

 しかしながら、混乱時=非常時だと、能力が優先される…

 自分でいうのも、くちはばったいが、菊池リンよりも、私、寿綾乃の方が、経験豊か…

 修羅場を潜り抜けている…

 それゆえ、五井が危機にある現在、伸明の妻として、支えるのは、菊池リンよりも、私の方が、ふさわしいと、判断したに違いない…

 私は、昭子の胸中を、そう読んだ…


 話を元に、戻そう…

 米倉…米倉平造のことだ…

 米倉が五井を狙ったのは、わかるが、基本的には、なにをするかだった…

 米倉平造が、五井を狙ったのは、わかるが、なにを仕掛けてくるか、わからなかった…

 具体的に、米倉平造が、動いたのは、五井の末端というか、あまり、話題にならない一族の持つ、株式を手に入れたことだ…

 五井一族とはいえ、十三家もあると、当たり前だが、一族の主流派というか、日の当たる場所に出る人間は、少ない…

 これは、トヨタで、働く、豊田一族もまた、同じだろう…

 社長や、会長となる、人間は、一族の中でも、一握りの人間に過ぎない…

 本部長や、その他、会社の目立った幹部にすら、なれない豊田一族は、大勢いるに違いない…

 いわば、そういう日陰者といってしまえば、失礼だが、そういう人間に、米倉平造は、目をつけた…

 そういう人間は、当たり前だが、不満を持っている…

 会社の株を握っていれば、条件次第で、株を手放す公算も強い…

 米倉平造は、そういった、五井一族の中でも、末端というか、あまり目立たない人間に目を付けた…

 そして、粘り強く、交渉した…

 その結果、決して多くはないが、株を手放す人間が出た…

 これが、米倉平造の狙いだった…

 最初は、小さくても良い…

 とりあえず、どんな小さな株でも、握れば、五井に橋頭保を築いたことになる…

 五井の関連会社の株主になる…

 筆頭株主にほど遠くても、株主である事実は、変わらない…

 上場企業であれば、株主総会にも、出席できる…

 そして、事前に、自分の息がかかったマスコミ関係者を呼び寄せ、メディアに露出させ、注目させる…

 あの米倉平造が、五井の関連企業の株を買ったことを、大々的に、放送する…

 そうすることで、世間に注目させ、さらには、親しいメディア関係者を使って、五井の危機と呼ばせ、ネガティブキャンペーンを張る…

 そうすることで、五井の脆弱さを世間に印象づけようとした…

 まったく、狡猾な手段だ(苦笑)…

 なにも知らない世間の人は、五井の危機だと、疑いもなく、信じるし、五井が大丈夫と信じている人間も、やはり、もしや?と、内心不安になる…

 そういう、五井の経営状態ではなく、風評というか、人間の心理状態につけ入った…

 やはりというか、米倉平造は、狡猾な男だった…

 そして、狡猾=有能な男だった…

 私は、それをテレビやネットで知った…

 私自身は、基本的に、ジュン君と暮らしたマンションに、住んでいた…

 以前、藤原ナオキが言ったように、ナオキも、住んだが、やはりというか、思ったよりも、家にいる時間が少なかった…

 今流行の、リモートワークでは、やはりというか、できないことも、多々あった…

 だから、結果的に、会社に出社せざるを得なかった…

 それでも、家には、戻って来た…

 やはり、私の体調が心配だったからだ…

 それゆえ、ナオキを通じて、五井の置かれた状況が、私にもわかった…

 当事者ではないから、実際に、諏訪野伸明が、なにをどう考えてるか、までは、わからないが、藤原ナオキを通じて、五井の置かれた状況が、わかった…

 これは、私の強みだった…

 夕食時に、藤原ナオキは、言った…

 「…諏訪野さんは、悩んでいると思うよ…」

 ナオキが、ボソッと呟いた…

 「…まさか、米倉平造が、こうも露骨に、五井に仕掛けてくるとは、思わなかった…」

 「…」

 「…まさに、煮ても焼いても食えない者の典型だ…」

 ナオキが、笑う…

 「…米倉の狙いはなに?…」

 「…たぶん、五井の関連会社をいくつか、取得することだろう…米倉平造率いる、大日グループは、企業を、買収して、それを、自分のグループに引き入れることで、大きくなった…」

 「…」

 「…だから、今回も、それを狙ってるんだと、思う…」

 「…でも、それだけじゃ、ちょっと、大げさ過ぎない?…」

 「…大げさ? …どういうこと?…」

 「…だって、五井の関連会社を、買収するだけでしょ? まさか、五井本体を狙っているわけじゃないでしょ?…」

 「…それは、規模が違う…米倉は、いわば、新興財閥に過ぎない…戦前から、存在したが、規模は、それほどでもなかった…今の米倉平造が、当主になり、飛躍的に大きくなったに過ぎない…」

 「…」

 「…だが、五井は、違う…戦前どころか、江戸時代から、続く、名門だ…日本中、誰もが、知っている…」

 「…だから、米倉は、五井の関連会社というか、子会社を狙っていると思うの?…」

 「…そうだ…綾乃さんは、違うと思うの?…」

 「…わからない…ただ、米倉の目的が、本当に、五井の会社の買収にあるか、どうかも、わからない…」

 「…どういうこと?…」

 「…だって、米倉平造は、やり手なんでしょ?…」

 「…そうだ…」

 「…そういうひとって、案外裏で、コソコソというとアレだけど、別の狙いを持っていても、おかしくはない…」

 「…どういうこと?…」

 「…陽動作戦ではないけれど、派手に、五井の関連会社の買収に向かって、動いている姿を、マスコミに取材させて、本当の目的は、別の会社の株を取得することだったり…」

 私の言葉に、ナオキは、考え込んだ…

 「…綾乃さんの視点は、面白い…でも、本当に、そんなことがあるんだろうか? …もちろん、可能性としては、あるんだろうけど…」

 「…私だって、それが現実とか、真相だとか、言っているわけじゃない…あくまで、仮定の話…」

 「…たしかに、仮定の話なら、それもありかもしれない…」

 ナオキが、考えながら、一語一語、ゆっくりと、呟く…

 「…仮定の話なら、ありかもしれない…」

 繰り返す…

 そして、私は、別の質問をした…

 「…ナオキ、五井の強みは、なに?…」

 「…強みって?…」

 「…米倉にはない、五井の強み…会社の規模の違いじゃなくて…」

 私の質問に、ナオキは、黙り込んだ…

 しばし、考え込んだ後、

 「…それは、やっぱり歴史かな…」

 「…歴史?…」

 「…なにしろ、五井は400年の歴史がある…そして、その400年の歴史は、イコール人脈の歴史でもある…」

 「…どういう意味?…」

 「…ボクが、会社を立ち上げて、曲がりなりにも成功した…でも、ボクに足りないものと、いえば、真っ先に挙げるのが、人脈…」

 「…」

 「…これは、小なりとも成功すれば、わかるが、やはり、事業を大きくするには、人脈が大きい…誰々は、高校時代の同級生だとか、あいつは、従妹とか…つまり、名家とか、名門出身だと、そういう繋がりができる…だから、銀行から、金を借りることもそうだけど、事業を拡大する上で、最初から、信用が得られるというか…これは、おそらく、米倉も同じだと思う…」

 「…米倉も同じ?…」

 「…まあ、まったくの新参者のボクと、米倉をいっしょにしちゃ、米倉に悪いけど、米倉も、財閥だけど、戦前は、それほど、ぱっとしなかったらしい…だから、それなりに、歴史はあるけど、五井のような、名家、名門とは、レベルが違う…つまり、それほど、人脈を持ってないってこと…」

 「…ナオキ…人脈、人脈っていうけど、それほど、人脈の力って大きいの?…」

 「…それは、やはり、デカい…」

 ナオキが、即答した…

 「…だから、お金持ちは、子供を有名幼稚園とか、有名小学校に入れるだろ…あれは、手っ取り早い人脈作りだ…」

 「…どういう意味?…」

 「…慶応や青山に入れば、そこには、有名芸能人や、有名なオーナー企業の子息や、有名政治家の子息が、大勢いる…そこで、過ごせば、いわば、将来の日本を代表するかもしれない人間と、知り合いになれる…」

 「…知り合い?…」

 「…そう…知り合い…友達と呼べるほど、仲が良くなくても、知り合いにはなれる…知り合いになれば、将来、なにか、するときに、役にたつというか…誰でもそうだが、まったくの初対面の人間より、子供の頃でも、見知った人間ならば、安心できる…まあ、そいつが、よっぽど、性格が悪かったりしない限り、気を許すというか…」

 「…」

 「…仮に仕事を直接しなくても、アイツとは、中学時代仲が良かったとかいえば、会話ができる…相手も、同じレベルの出身の人間ならば、共通の知人もいる可能性が高い…」

 「…」

 「…それが、人脈作り…もっと、簡単にいえば、キャリア官僚なんて、みんな東大卒だから、東大時代に見知った人間ばかりだろ…」

 ナオキが、笑う…

 私は、それを聞きながら、つくづく、人間は、差があると、思った…

 頭が良かったり、生まれが良かったりすることで、すでに、普通の人間とは、スタート地点が、違うと思った…

 最初から、違う…

 生まれた時点から、違う…

 ずっと昔、一億総中流と呼ばれた頃は、それが、わかっていても、無視していたというか…

 年収が、500万円でも、中流…

 年収が、1000万円でも、中流だった(笑)…

 年収が、倍でも、同じ中流だった(笑)…

 誰だって、そんなことがないことが、頭の中では、分かっている(笑)…

 にもかかわらず、誰も表立って、異を唱えなかった…

 それは、亡くなった母が言っていたが、世の中が、平穏というか…成長期にあったから…

 成長期=社会に余裕があったから…

 だから、誰も、表立って、異を唱えなかった…

 そして、時代が変わった…

 バブル崩壊以降、あからさまに、会社で、能力主義が、唱えられるようになったのは、社会に余裕がなくなったから…

 そう、母が告げた…

 社会に余裕がなくなったから、これまで、目をつぶってきた問題を、はっきりと、表に出した…

 それと、真逆なのが、バブル期…

 偏差値40の工業高校卒でも、大企業に入社して、頑張れば、課長になれると、言われ、それを本気で、信じる者もいた(笑)…

 誰が見ても、無理だとわかっている人間にも、誰も、それを指摘しなかった…

 それゆえ、それを本気で信じ込んだ…

 ある意味、喜劇…

 喜劇だった…

 本人が、能力があり、人間的にも素晴らしいのならば、それはありかもしれないが、普通は、そんなことは、ありえない…

 あっても、百人に一人か、それに近い競争率…

 なにより、能力があれば、自分を客観視できる…

 それは、おおげさにいえば、学歴の有無は、あまり関係がない…

 学歴が高くても、自分を客観的に見れない人間は、存在するし、学歴が低くても、自分を客観的に見れる人間も、存在する…

 そういうことだ…

 そして、社会に余裕がなくなり、そういう幻想はなくなった…

 幻想は、余裕があるから、生まれるからだ…

 そして、余裕がなくなることは、世間から、ブランドが必要なくなるということ…

 余裕=金銭的な余裕…

 その余裕がなくなれば、ユニクロの服を着ることを、誰も恥ずかしがらない…

 ブランド=余裕だからだ…

 余裕がなくなれば、ブランドはいらない…

 ブランド=高いものは、売れなくなる…

 安いもので、十分となる…

 それが、百貨店の衰退で明らかになった…

 百貨店=高級品=ブランドだからだ…

 百貨店の衰退は、ブランドを買う客が、少なくなったことを意味するからだ…

 安物で、構わないという層が、主流になったことを、意味した…

 社会に余裕がなくなり、ブランド=高級品を求める層が、激減した…

 残念ながら、それが、日本社会の今を現わしている…

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…人脈か…」

 と、ナオキが、呟いた…

 「…おそらく、五井は、人脈を駆使するのかもしれない…」

 「…どういうこと?…」

 「…米倉にはない、五井の強み…それは、人脈に他ならない…五井には、400年の歴史がある…五井が、本気で、怒り出せば、米倉は、真逆に窮地に陥るかもしれない…」

 「…窮地?…」

 「…さっきも言った人脈さ…五井の四百年の歴史は伊達じゃない…あらゆるところに、一族が、網の目のように、入り込んでる…どこかの歴史ある企業でも、創業者一族の家に、婿養子とか、お嫁さんとかで、入り込んでる…ネットを見れば、豊田家の系譜を見れば、嫌でもわかる…」

 そういって、ナオキは笑った…

 事実、ナオキが言う通りだった…

 米倉平造は、大々的に、五井の関連会社の株を取得し、そのまま、株を買いまして、五井の関連会社を手中に収めると、思ったが、そうは、しなかった…

 はっきり言えば、動きがまるで、なくなった…

 そんなときだった…


 諏訪野マミから、電話があったのだ…

 これは、意外だった…

 諏訪野マミは、伸明の腹違いの妹…

 一族の鼻つまみ者と思われた人間だった…

 が、

 違った…

 諏訪野マミは、父の建造が、外に作った子供だから、建造が、生きていた頃は、良かった…

 建造が、後ろ盾になってくれるからだ…

 しかし、建造なき今、諏訪野マミは、五井一族で、微妙な立場になったと、思いきや、そんなことはなかった…

 むしろ、諏訪野マミは、五井一族の中にしっかりと、根を張っていた…

 五井一族の別動隊ともいうべき、存在だった…

 諏訪野マミは、五井の関連会社の社長でもあったが、気軽にあちこちに顔を出し、人脈を作った…

 だから、諏訪野マミ本人は、決して、認めないだろうが、私自身は、諏訪野マミは、五井の情報担当と、睨んでいる…

 五井一族で、鼻つまみ者という立場を演じながら、その実、フットワーク軽く、色々な場所に顔を出し、人脈を作ると、同時に、情報を得る…

 諏訪野マミ自身は、芸能人で、言えば、元AKBの総監督の高橋みなみを、少しばかり、大きくした外観だった…

 身長は、155㎝…

 しかし、常にエネルギッシュ…

 だから、35歳の実年齢よりも、若く見える…

 その証拠に、いつもミニスカを穿いているが、全然おかしくない(笑)…

 私は、諏訪野マミの電話を受けながら、そんなことを、思い出した…

 「…寿さん…元気?…」

 「…元気じゃないですよ…」

 「…エッ? 元気じゃない?…」

 電話の向こうの諏訪野マミが、驚いた…

 「…だって、病院を退院したと聞いたから…」

 「…冗談です…元気です…」

 私は、言った…

 すると、少しの間を置いて、

 「…寿さんも、ひとが悪い…」

 と、続けた…

 実は、以前も言ったように、この諏訪野マミは、藤原ナオキを除けば、私のもっとも、気の合う友人だった…

 なにをどうということではなく、なんとなく気が合った…

 それは、おそらく、諏訪野マミも同じ…

 うぬぼれではなく、私と話すときは、電話の向こうでも、諏訪野マミは、楽しそうだった…

 これは、私も同じ…

 同じだった…

 そして、この諏訪野マミと真逆なのは、あの藤原ユリコだった…

 藤原ナオキの元の妻、ユリコ…

 したたかで、有能な才女…

 やり手だった…

 私の脳裏に、そんな思いが、浮かんだ…

 「…マミさん…今日は、一体?…」

 私が、呟くと、

 「…寿さんの退院祝いに決まってるでしょ?…」

 と、諏訪野マミが、電話の向こうで、笑った…

 「…寿さんも、ズルい…いつ退院するのか、知らせてくれなかったから、お祝いにいけなかったじゃない…」

 諏訪野マミの言葉に、

 「…」

 と、私は、答えなかった…

 どう返答していいか、わからなかったからだ…

 そして、おそらく、本当は、諏訪野マミは、私の退院日を事前に知っていたに違いなかった…

 私の担当の看護師の佐藤ナナや、担当医である、長谷川センセイから、事前に、聞いていたに違いなかった…

 それでも、私の退院日にやって来れなかった理由は、たぶん、忙しいからに違いなかった…

 すでに、何度も言ったように、諏訪野マミは、五井一族の一人であり、五井の関連会社の社長を務める多忙な人物だ…

 あらかじめ、私の退院日は、知っていても、その日が、都合がつかなかったのだろう…

 多忙な人間ならば、誰にでもあることだ…

 私が、そんなことを、考え、黙っていると、

 「…寿さん…今度、寿さんの自宅に伺っていい?…」

 と、いきなり言ってきた…

 私は、驚いた…

 まさか、諏訪野マミが、私の自宅に、やって来たいと言うとは、思わなかった…

 動揺して、言葉を失った…

 すると、

 「…だって、病院を退院したばかりの人間に、どこかで、パーティーかなにか、盛大に開くのは、失礼でしょ? …退院したばかりの人間だから、体力だって、まだ、完全に回復したわけじゃないでしょうから…」

 「…パーティー?…」

 思わず、口に出した…

 まさか、この流れで、パーティーなんて、言葉が出てくるとは、思わなかった(苦笑)…

 そして、口にしてから、それが、諏訪野マミの冗談であることに、気付いた…

 いくらなんでも、パーティーは大げさすぎるからだ…

 すると、諏訪野マミも、

 「…パーティーは、冗談…案外、寿さんって、真面目に、ひとの言葉を素直に受け取るのね…」

 と、笑った…

 私は、

 「…」

 と、言葉を失った…

 どう返答して、いいか、わからなかった…

 口ごもる私に、諏訪野マミが、

 「…じゃ、今度、伺うわ…日には、直近では、今度の土日が空いてるけど、寿さんは、土曜日か、日曜日のどっちがいい…」

 一方的に、諏訪野マミが、電話の向こうから、告げた…

                
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