第15話

文字数 2,085文字

「……神林には奥さんがいたはずだから、あなたの言う通り、姉とはただならない関係。平たくいうと愛人ってわけね」ウェイターが離れた途端、美穂子は口を開いた。
 最後の方は、軽蔑の念が込められているような気がした。無理もない。自分の姉が誰かと愛人関係になっていたら、良い気なんてするはずがないだろう。
「……警察の発表通り、君はお姉さんが自殺したと思っているのかい? その神林とやらとの関係がこじれて」
 美穂子はテーブルをバンと叩き、厳めしい顔つきになった。他の客から注目を浴びたが、そんなことなど一向に構わないといった風情で、
「そんな訳ない! 姉はフラれたくらいで自殺するような人じゃありません。きっと誰かに殺されていたに違いないわ! きっと、神林とかいう下衆野郎にね!!」
 あまりの勢いと口の悪さに押され、お代わりのコーヒーを持ってきたウェイターも、目を丸くしながら、カップを置いて良いものやら戸惑っている様子だった。
「あっ、すみません。何でもありませんから」冷静にカップを受け取ると、彼は怪訝な顔で奥へと消えた。「気持ちはわかるけど興奮しすぎだよ。少しは落ち着いてくれないか」水嶋は声を潜めた。
 美穂子も奮起しすぎているのを自覚した模様で、途端にしゅんとなる。
「……あなたもそう思うでしょう? 自殺する人が助けを求めますか?」
 そうとは言い切れないと一瞬胸をよぎったが、ここはあえて黙っておくことにした。
「そうかもね。だけど、たとえ他殺だとしても神林が殺したとは限らない。もっと詳しく話を聞かせてもらえないかな?」
 すると美穂子は、それも占いで当てたらと、冗談めかして答えた後で、自身の生い立ちから喋り出した。
 幸田姉妹は静岡県出身で、現在美穂子は両親と共に実家暮らし。去年までは、地元の小さな銀行に勤めていたようだが、現在は退職して家事手伝いをしている。
 姉の志穂は高校を卒業してから東京の大学に進学して大手企業に就職した。十年ほどで同僚と結婚し、寿退社した。その後、一児を設けるも、子どもがまだ二歳の頃に小児麻痺で他界してしまい、それがきっかけで離婚していた。美穂子や彼女たちの両親は、実家に帰って来いと何度も誘ったらしいが、今さら合わす顔がないと、住み慣れた東京にしがみつく姿勢を見せていた。
 その後、再就職のあてもなく、いつの間にかお酒に溺れるようになった上に、悪い男に入れ込み、気が付けば借金を背負わされていたようだ。その借金を返すために、水商売に手を染めた。それが今勤めているナイトクラブであり、そこでオーナーの神林と出会ったとの事だった。マンションの部屋は三年ほど前、その神林にあてがわれたらしい――そんなところだった。
 確かにそれだけを聞けば、神林が怪しいような気がする。だが、そう結論付けるのは早計だ。
 美穂子は頬杖をつきながら、二、三回瞬きをみせた。水嶋は今度は砂糖を入れないブラックコーヒーで口先を濡らす。
「それじゃあ、静岡からわざわざ出てきたの?」
 水嶋の質問に、「ええ」と頷いた後で、
「今朝早くに警察から電話があったの。姉らしき遺体が発見されたから、確認して欲しいって。……最初は信じられなくて、何かの間違いであって欲しいと、姉の携帯電話にかけてみたけれど、やっぱり通じなかったわ。両親は泣きじゃくるばかりで、動けそうもなかったから、代わりに私が来たの。新幹線でね……実はさっきまで警察にいたのよ。もちろん遺体は姉のものに間違いはなかったし、刑事さんからは参考までにと称しながら、姉の事をやたら質問された。……まるで容疑者扱いね」美穂子は口を尖らせた。「おかげで悲しむ暇なんてなかったから、その点で言えば刑事さんに感謝しているわ」愁いを帯びた瞳が涙でうっすらと輝いて見えた。遠く離れていたとはいえ、二人は強いきずなで結ばれていたに違いない。
「そして、あのマンション……ポインセチアに来たっていう訳だね」水嶋は念を押した。
 そうよ、とばかりにこくりと頷く。「こうなったら仕方がないわね」そう言って美穂子はすっと立ち上がった。
 何となく予想がついたが、一応、訊いてみた。「何が?」
「決まっているじゃない。犯人を捜すのよ。もちろん、私たちの手でね」
 やっぱり……。水嶋は怯まずにいられなかった。
 だが同時に、毒を喰らわば皿までとも思い、こうなったら、とことん付き合うと決めた。このままでは目覚めも悪いし、幸田志穂のことが気になって仕方がない。彼女から助けを感じたにも関わらず、何もできなかった自分を戒めるためにも、ここは美穂子と協力し、真犯人を挙げなければならないという使命感に駆られた。
 あわよくば、美穂子と深い関係になるかもしれないという、一抹の期待もないでもなかった。
 今こそ、テレパシー能力が役に立つかもしれない。いや、立たせるべきだ――。
 
 会計を割り勘で済ませ、素人探偵の二人は事件の真相を探るためにはどうするか、まとまらないままレストランを後にした。

 ふたりの行き先に、最悪の結末が待っていることなど、この時の彼らには知る由もなかった……。
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