第1話

文字数 1,075文字

 女の手は、想像以上にしなやかだった。

 目の前に座る三十代半ばの女性は、目鼻立ちがはっきりとした美人で、右の鼻袋にある小さなホクロが、妖艶さをさらに際立たせている。裾の長い薄紫のナイトドレスに、艶のある黒髪を後ろにまとめていた。
 少し後ろに誰かと電話している男がいる。女と一緒に来店した男だ。彼は太いサングラスをかけ、派手な柄のアロハシャツに短パンの中年で、スマートフォンで会話をしながら、訝し気な視線をこちらにちらちら向けている。女より十は歳上の印象で、見るからに堅気ではなく、チンピラ風情の形相を漂わせていた。
 二人が夫婦でないことは、この後すぐに判明した。
 しばらく澄んだ瞳に見とれた後で、水嶋猛(みずしま、たける)は「失礼します」と断りを入れてから、差し出された右手の甲を握ると、その手をじっと見つめる。人差し指の付け根には、プラチナの指輪が輝いていた。
「予約の際、名字はお伺いしていますが、改めてフルネームを伺ってもいいですか?」
 本当は訊かずとも判るのだが、疑われないようにわざと質問をする。
「こうだ、しほと申します」そう、小声で言いながら、目の前に置かれた小さなメモ紙に『幸田志穂』とペンを走らせた。外見と同じく整った文字で、几帳面な性格がくみ取れた。
「あなたの家族を思い浮かべてください。甲相に出ますので」
 まぶたをしっかりと閉じて、志穂は少しうつむき加減となる。
 甲相とは、水嶋が独自に考案した、まったく新しい占術である。
 店のホームページの宣伝文句には、『八十八パーセント以上の的中率!』と謳っている。本当は百パーセントなのだが、あまり完璧すぎると却って怪しまれるので、敢えて控えめの数字を出していた。ちなみに八十八パーセントの根拠は特になく、ただ、末広がりの数字を並べて縁起を担いだに過ぎなかった。
 占い師なのに験(げん)を担ぐとは、水嶋自身も占者の風上に置けないと自覚している。
「……あなたには妹さんがいますね。年齢は……」そして、一呼吸おいてから、「あなたの八つ……いや九つ下だ」と断定した。
 志穂は驚いたようすで、口に左手を当てながら目を丸くしている。
 その後も質問を交えながら彼女がナイトクラブに勤めている事や、同伴の男性とは結婚していないことまで淡々と言い当てていく。左手の薬指に指輪をはめていないことが理由ではない。背後にいる男性には別に奥さんがいて、志穂は愛人であることまで判っていた。だが、それを敢えて口には出さないのが、水嶋の鉄則だ。かつて、馬鹿正直に語り過ぎて、修羅場になったことが、少なからずあったからだ。
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