第100話

文字数 1,256文字

 それまで口を閉じていた美穂子は、いよいよ反撃の狼煙を上げた。
「ちょっと待って。そんな曖昧な理由で、やよいさんを無実と言い張るつもりなの? 呆れた。さっきから的を射ない推論ばかり。あなたの事、少し買いかぶり過ぎたようね。もっと論理的な人かと思っていたわ」美穂子は勢いよく煙を吐く。「もし、あなたの言う通り、私が殺したのであれば、もっとちゃんとした証拠を出しなさいよ! もう、うんざりだわ」
 明らかに憤慨しているようで、煙草が灰になるペースが、さらに激しくなった。
「それだけじゃない。根拠はもう一つあるんだ。神林公子の殺害がやよいさんの犯行であるならば、彼女はなぜ鉄アレイを凶器に選んだのか。君も知っての通り、彼女は左手首を捻挫していた。しかも俺たちがゴールドヘヴンに行く前からだ。とても偽装とは思えない。もし彼女が犯人だとすれば、重量のある鉄アレイじゃなくて、もっと軽いもの……例えばナイフや包丁なんかを選んだ筈だ。いくら利き腕ではなかったとしても、あの鉄アレイは女性が片手で持ち上げるには重すぎる」
 そこで水嶋は一旦口を閉じ、美穂子の顔色をうかがった。だが、彼女の表情に変化はない。ただ、雄弁に語る甲相占い師の瞳を、射るような視線で睨みつけた。
「……君は初めてこの部屋に来た時、ベランダでやよいさんを見かけたといって、外へ確かめに行ったよな。あの時は見失ったと言っていたが、本当は神林公子の部屋を訪れていたんじゃないかな」
 美穂子が不意に立ち上がり、水嶋に近づいてきた。このまま殺されるのではないかというほどの鬼気迫る殺気を感じ、全身が硬直した。

 だが、彼女は水嶋の横を素通りすると、やかんに水を入れてお湯を沸かし始めた。棚にあるインスタントラーメンを抜き取り、「あなたのせいでお蕎麦を全部食べられなかったから、まだお腹が空いているの」とビニールを破り取った。「あなたも食べる?」
 ふふふと笑い声をこぼしたが、やはりその眼は笑ってなどいない。

 要らないと返事をして、休憩とばかりにガラス戸を開けて水嶋はベランダに出る。
 手すりに両肘を乗せながら、夜景を見下ろすと、眼下に広がる街の明かりが、幻想的な雰囲気を演出していた。厚い雲で覆われているらしく、ほとんど星の見えない夜空を眺めては、溜息をつき、湿った空気を感じると、ひと雨来そうな予感がした。
 一陣の風が頬を打ち、以前来た時よりも冷たく感じる。それはきっと夜のせいばかりでないのだろう。

 再び煙草を取り出して煙を堪能する。その味は今までで一番苦く感じた。

 煙草を二本、灰にしたところで、部屋の中へと戻る。
 もしこの間に、美穂子が逃げ出しても構わないと覚悟を決めていたが、彼女はどんぶりに入ったラーメンをすすっていた。余裕の表れなのか、それとも余程空腹が我慢できないのか、どちらにせよ最後まで推理を聞き終わるまでは、この部屋に留まる決意なのかもしれない。
 余程、自分のトリックに自信があるに違いない。現に水嶋自身でさえ、未だに信じられないくらいなのだから……。

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