第90話

文字数 1,142文字

 ちょうどそこまで考えたところでCDが終わった。
 別のアルバムに入れ替えようとして、立ち上がりかけた時にスマートフォンが鳴り響く。
 見ると非通知とあり、訝りながら通話をタッチした。
 『……もしもし、水嶋さんですか? 私です。判りますか?』
 直ぐにピンときた。その声は彼女に間違いはない。いずれ話を訊こうと思っていた矢先だっただけに、驚きもひとしおだった。
「やよいさん? ずっと店を休んでいたそうですね。体の具合でも悪いんですか?」
 本音は、やよいが殺人を犯し、それで欠勤していると睨んでいた。
 が、今は敢えて触れないでおくことにした。
 『ご心配をおかけして申し訳ございません。実はお話ししたいことがありまして。今から会えませんでしょうか?』
 電話では駄目ですかと訊いてみたが、やよいは直接会って話したいと言って聞かない。
「では、どこに行けば良いですか。ゴールドヘヴン?」
 しかし返事はイエスではなく、店の近くのイタリアンレストランで落ち合うこととなった。奇しくもそこは美穂子と打ち合わせをするために、度々通ったヴィオレッタであり、散々自腹を切らされた記憶が脳裏をかすめた。
 このはも一緒に連れてきて構わないかと訊いてみたが、必ず一人で来て欲しいとの事だった。きっと美穂子にも聞かれたくない話なのだろう。
 今すぐ行きますと返事をして通話を終えると、部屋を飛び出した。まだ顔や喉に痛みを感じるが、そんな事に構っている場合ではない。

 一応、美穂子に連絡を入れ、今からやよいと会うため、ヴィオレッタに向かうことを伝えた。もちろん彼女を疑っていることは伏せた上で、だ。事が事だけに、確信を得てから打ち明けようと決めていたからだ。
 私も一緒に行きたいと懇願されたが、必ず一人で来て欲しいと言われたことを説明すると、美穂子は渋々引き下がった。

 軽自動車に乗り、二時間ほどでヴィオレッタに到着すると、駐車場に停めた。時刻は午後九時半を少し回ったところで、車は七割ほど埋まっている。

 やよいの話が何であるか、全く想像つかないが、とりあえず何も知らないふりをすることにした。作り笑顔でドアを開けると、店内はほぼ満席状態だった。
 通路を歩きながらやよいを探すと、窓際の奥から二番目の席に座っている彼女を見つける事が出来た。
 やよいは黒いキャップに、黒ぶちのメガネをかけていて、まるで人目をはばかるかのような恰好をしている。
 軽く頭をさげながら対面に腰を下ろし、注文を取りに来たウェイターにコーヒーを注文すると、改めて彼女を見据えた。
 左手首にはもう包帯は巻かれていなかったが、まだ痛みが残っているようで、しきりにさすっている。窓は道路に面していて、車のライトがひっきりなしに目に入り、なんだか落ち着かない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み