第94話

文字数 1,223文字

 誰かが車の窓を叩いてきた。
 警官かと思い、焦りながら体を起こして顔を向けると、音の正体は美穂子だった。息を切らし、肩で息をしているところを見ると、よほど急いで駆け付けたに違いない。
 ロックを解除して、美穂子が助手席に乗り込むと、水嶋は座席を起こし、車を走らせた。
「店の方は良いのかい?」
 水嶋の問いかけに、彼女は息を整えながら大きく頷く。今夜はもうゴールドヘヴンに戻る気は無いらしく、虚ろな目で窓外の夜景を眺めていた。

 ヴィオレッタで起きた出来事を出来るだけ淡々と話し、やよいが真犯人である可能性を告げた。美穂子も何となく気づいていたらしく、何も訊き返しては来ない。
 話が終わると、やよいの事で胸がいっぱいになり、運転に集中できない。途中で何度かハンドルを逆に切ったり、アクセルとブレーキを踏み違えそうになり、美穂子から苦言を呈される。そのうち運転を代わると言いだし、免許は持っているかと問いただすと、原付だけねと舌を出してきた。

 このままでは事故を起こしそうなので、コンビニの駐車場に車を乗り入れると、しばらく休憩を取ることにした。
 シートを倒し、両手を枕にしながら、「そういえば、すみれって新人の娘がいたよな」先ほどハガキを探している時に志垣店長と一緒だったことが気になり、何気ないふうを装いながら尋ねてみた。
 美穂子は伏し目がちに口を開ける。
「……実は彼女、昨日で辞めてしまったらしいの。……というより辞めさせられたんだけどね」
「えっ?」 
 水嶋は思わず上体を起こした。それがもし本当だとしたら、志垣と出会った時の、すみれの気分が悪いから、気分転換のために一緒に散歩をしていた、という話は、真実ではないということになる。
 どういうことなのか、詳しい説明を求めると、美穂子はためらいがちに言った。
「……彼女、履歴書には十九歳と書いていたみたいだけど、本当はまだ十七歳だったみたいなの。それを志垣店長に指摘されて……」美穂子は視線を落とし、ため息を吐く。
 初めてすみれと会った時、彼女が年齢を偽っていた事実を読み取っていたが、ついにそれが発覚してしまったというわけか。
「そのせいでみやびさんがすみれから責められていたわ。あなたがチクったんでしょうって」
「そうなのか?」
「確証はないけれど、たぶん違うと思う。彼女は他人の足をひっぱるような卑怯な人じゃないわ」
 だとすれば誰が? 
 可能性の一つに過ぎないが、よもや、やよいだったのかもしれない。彼女のことだから、きっとすみれを陥れようとしたのではなく、何らかのきっかけですみれの実年齢を知り、正義感に駆られ、志垣に報告したのだろう。
 ヴィオレッタのすぐ近くにすみれが居たのは、やはり偶然ではない。やよいを逆恨みして、付け狙っていたとすれば辻褄が合う。それを危惧した志垣が、彼女を心配して追いかけた。
 やよいがあんなことになったのは偶然だろうが、もし、なんらかのトリックが介入していたとしたら……。
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