第65話

文字数 1,049文字

 パリン!
 ガラスの割れる音がした。他に誰もいないはずなのに、一体どうして……?
 脳内に疑問が広がっていくが、今は考えている余裕などなかった。
 『何だ、キッチンにいたのか。気を付けろよ。疲れているんじゃないのか?』
 足音が遠ざかっていく。ほっと胸をなでおろした二人は慎重に扉を開け、身をかがめながら廊下に出た。そこに神林の姿は無く、キッチンから物音が聞こえた。

 玄関に戻り、扉を開けると、二人は連れ立って素早く外に出て、慎重にドアを閉じる。その間際、『なんだ。ミーコだったのか。電気をつけたのもお前の仕業か?』と神林の呆れる声が耳に入ってきた。
 人生で初めて猫に感謝をしながら、水嶋は美穂子の手を取り、小走りで部屋から遠ざかった。

 エレベーターを下り、ハイグランデの外に出たところで、ようやく気持ちが落ち着いてきた。だが、同時に疑問が湧く。ガラスのコップ(と思わしき物)を落としたのは、本当にミーコだったのだろうか。先ほど水を飲んだ時に、ガラスのコップは台の上に置かれていなかった。水を飲むときに使ったコップも、棚に仕舞った覚えがある。だが、それは自分の記憶違いかもしれないと、美穂子に確認してみることにした。
「なあ、さっきキッチンを調べた時、コップとかのガラス製品がどこかに置いてあった? 食器棚以外に」
 美穂子は数秒間首を捻り、
「ううん。無かったと思うわ」だが、そこで何かを思い出したらしく、表情がパッと明るくなった「そういえば、流し台に置物があったかも。小さくて目立たないから、形は覚えていないけど、ガラスであったのは間違いないわ」
 そうだったのか。
 自分の記憶はあてにならないと反省し、水嶋は頭を小突きながら車に向かった。しかし、まだ疑問は消えていない。
 ミーコがガラスの置物を落としたとしても、まるで計ったかのようなタイミングだった。都合が良すぎるほどだ。まさかと思うが、キッチンに他の誰かがいたのだろうか?
 たまらず美穂子に疑問をぶつけてみるも、
「考え過ぎよ。ミーコのおかげで逃げることができたのに変わりはないでしょう? むしろラッキーと考えるべきよ」
 果たしてそうだろうか? 
「わざわざキッチンに登って? だとすれば、余程、器用な猫だな」
「そうかもしれないわね。私は偶然だと思うけど」何でもないような顔をしながら、美穂子はこともなげに言った。
 悩んでいてもしようがない。これは天の思し召しだ。ポジティヴに捉えようと、気持ちを切り替えながら車に乗り込み、水嶋たちはハイグランデを離れた。
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