第70話

文字数 909文字

 尿意を催し、トイレに入ったところで、美穂子が戻ってきた。慌てて用を済ませると、彼女は、ゼイゼイと息を乱しながら、冷蔵庫を開けてビールの缶を開けた。
「おい、いくら姉妹だからって、勝手に飲んじゃまずいだろう。警察が調べたらどうするんだ?」水嶋は手を洗いながら小言を垂れる。
「とっくに調べ終わったんだから、問題ないでしょう? それに、どうせ処分するんだから、飲まないと勿体ないし」平気な顔で二缶目を開ける。今度は酎ハイだった。
 やよいさんはどうなったのかと問いただすも、「下に降りた時には、もう誰もいなくて……しばらくその辺を探してみたけれど、やっぱり見つけることが出来なかったわ」と悔しそうに、空になった缶を握りつぶした。
「見間違えじゃないのか?」美穂子は、そうかもしれないと返事をしながら、冷蔵庫の飲み物を我が物顔でバッグに収めだした。

 ひと通り調べ終わり、特に収穫がないまま、今度は神林公子の部屋のある二つ下の五階まで移動することに。
 エレベーターを降りて角を曲がると、公子の部屋である五一二号室に足を向ける。だが、部屋の前には誰かの後ろ姿が見えた。黒のジャンバーに同色のデニム。ハンチング帽を目深にかぶり、その上サングラスをしていたが、あの風貌は神林典行だと確信した。彼は少し猫背になり、周りを気にしながらチャイムを鳴らしているところだった。
 幸いなことに気づかれた様子はないが、二人は素早く元の通路まで後ずさりした。二人は壁に手を当てながらゆっくりと顔を出し、神林の行動を、つばを飲み込みながら見守る。
 と、信じられない光景が水嶋の眼に飛び込んできた。
 何と、神林の姿が一瞬にして消えたのである。
「まさか……」美穂子も驚いた様子で、顔を見合わせると、同じタイミングで頷き合った。
「間違いない。テレポーテーションだ。おそらく公子さんの部屋を訪れたものの、呼び鈴を押しても反応が無く、鍵も持っていないので、テレポートを使って、中に入ったんだよ」
 これで推理の根底が崩れてしまった。まさか公子夫人ではなく、夫の典行にテレポーテーションの能力があっただなんて。
 だとすると森村を殺害したのは、おのずと彼ということになる。
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