第55話

文字数 1,482文字

 ひと通り謝罪した後で部屋に入ると、ソファーに深く腰を沈めた水嶋は、茂田名荘での出来事について詳細を語った。
 ひとしきり聞き終えた美穂子は、「私の事を黙っていてくれてありがとう」素直に礼を言いつつも、「でも、これで動きにくくなったのも事実ね」と眉をひそめた。
 彼女の言う通り、冷静に判断すればそういうことになる。だが、水嶋はこの状況を逆手に取る手段を思いついていた。
「いや、却って良かったのかもしれない。これで警察しか知り得ない情報を読み取ることが出来るかもしれないからな。何か口実を見つけ、村崎とかいう警部補と、もう一度会ってみようと思う」
 水嶋自身は無実なのだから、いくら疑われても構わない。だとすれば村崎と積極的に接触して、事件に関する情報を引き出そうという作戦だ。
 それはいいアイデアねと、美穂子は笑みをこぼす。だが、すぐに真顔に戻り、「でも、誰が森村を殺したのかしら?」そう、つぶやいた。
 当然の疑問だ。水嶋も取り調べの最中から、ずっとそのことについて頭を捻っていた。今回の事件は、志穂の転落事故から十日しか経っていないわけだから、関連がない方がおかしい。
 犯人として真っ先に浮かぶのは、もちろん神林だ。彼は水嶋たちと同じように興信所を使い、森村の居場所を突き止めたのかもしれない。仮にそうだとすれば、奴のアリバイさえ崩せれば、事件は一気に片付くと考えた。
 それに公子の可能性も小さくない。彼女と森村が深い仲であるとすれば、むしろ彼女こそが本命と思えてくる。
 だが、もしどちらかが犯人で、森村の部屋に出入りしていたとすれば、何かしらの痕跡が残っていてもおかしくない。村崎警部補が話した通り、本当に森村以外の人物があの部屋にいた形跡がないとすれば、犯人はいないとしか考えられない。
 森村の件は事故、または自殺なのだろうか?
 しかし、彼はうつ伏せの状態で背中に包丁を刺されていた。よって自殺とは考えづらいし、事故となると、もっとあり得なかった。
 やはり犯人が侵入した証拠を消したに違いなかった。
 そう話したところで、「でも、それだと最大の疑問があるわ」美穂子は左手で頬杖を突きながらもう片方の指先で鼻の頭を掻いた。
 水嶋もピンときて、「判ってる。密室のトリックだろ? 犯人はどうやって森村を殺したあとで部屋を抜け出したか。もちろん合鍵を持っていたのかもしれないが、それでも納得いかないことがある」
 美穂子は感心ありげに前かがみになりながら、それは何と、質問を放った。
「どうしてカーテンが開いたままになっていたかだ。もし、犯人が死体発見を遅らせるために施錠したのであれば、なぜカーテンは閉めなかったのだろう。あの部屋は一階だ。室内に痕跡を残さない程慎重な犯人が、外から簡単に見つかるような間抜けな事をするはずがない。現に初めて茂田名荘に来た俺でさえ、直ぐに森崎を発見できたくらいだからな。単なる閉め忘れとは思えない」
 ひと呼吸置いて、美穂子は歯をかちかち鳴らした。
「だったら、犯人がワザと開けたっていうの?」
「もしくは最初から開いていて、敢えて締めなかったのかもな。……そこにヒントが隠されているような気がしてならないんだ」
 脳内に漂う霧を晴らすかの如く、水嶋は考えをめぐらすが、濃霧は一向に薄くならない。
 身体の疲労が若干取れ、台所に立った水嶋は、コーヒーメーカーを棚から出すと、半年ぶりに豆を挽いた。

 淹れたてのコーヒーを二つのカップに注ぎ、テーブルに置く。香りを楽しんだ後、水嶋はひとくち口含み、味を堪能した。見ると美穂子も満足そうにカップを傾けている。
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