第68話

文字数 1,715文字

 二回コールが鳴った後で相手が出た。声ですぐに、みやびだと判別できる。
「すみません、水嶋ですけど、“このは”さんはもう出勤していますか?」
「あら水嶋さん、こんばんは。みやびです。このは、はまだ来てないわよ。シフトは入っているから、もうすぐ来ると思うわ。リザーブしておきましょうか?」
 いえ、大丈夫ですと断りを入れると、すぐに電話を切り、部屋を飛び出す。
 ところが車に乗り込もうとしたところで、美穂子から着信があった。
 『ごめんなさい。電話したんでしょう? マナーモードにしていたから、気づかなかったわ。何かあったの?』
 さっき浮かんだ公子犯人説を説明すると、もうすぐ店だから、明日マンションに行きましょう、という流れになり、明日の正午に迎えに行く段取りとなった。どうやらポインセチアには、まだ行っていないようで、取り敢えず安心した。だが、明日の日曜は営業日なので、甲の館を閉めなければならない。これ以上キャンセルするわけにはいかなかったが、どうしても、事件を解決する方向へと舵が向いているので、明日の営業は諦めることにした。水嶋としても、中途半端な気持ちで占いなんてしたくはない。実際は八百長であるが、それでも客と真剣に向き合わなければならないという使命感が、徐々に芽生え始めてきていたのだった。
 きびすを返して部屋に戻ると、明日の予約分をすべてキャンセルし、早々にベッドへ入った。

 次の日になり、美穂子をホテルの前で拾うと、早めの昼食を取った後でポインセチアへ向かった。今日の美穂子は、大きめのバッグを携えている。
 そのバッグはどうしたと指摘すると、美穂子は「姉の部屋にめぼしいものがあれば、持って帰ろうと思って」と説明した。それにしては、大きすぎるような気がするし、今日でなくてもいいような気がしないでもない。多分、食料品があれば、目一杯持ち帰る気なのだろうと結論づけた。

 まずはエレベーターで七階まで昇り、七〇七号室の志穂の部屋へと到着した。扉の前でしゃがみ込むと、美穂子は人目をはばかりながらピッキングを行う。神林の部屋の扉が上手くいったからといって、今回もそうだとは限らない。むしろ神林の時は偶然だったのかもしれないという思いが膨れ上がった。
 だが、今度は一分足らずでロックが外れた。美穂子にしてみれば、神林の時よりもスムーズだったらしい。どうだ、と自慢げにのたまいながら、素早く扉を開き、部屋へと上がり込む。水嶋も感心しながらそれに続いた。
 1DKの部屋は、思いのほか広く感じた。それは家具が少ないせいもあったが、実際、部屋のサイズも広めなのかもしれない。
 キッチンを通り抜けて、まずは奥の部屋に行くと、正面にはベランダへと続く大きなガラス戸があり、クリーム色のカーテンが引かれている。八畳ほどのその部屋にはダブルベッドと衣装ダンス、それに化粧台と小さな液晶テレビくらいしか目につかない。あとはエアコンくらいか。そこにはビデオやステレオといった娯楽家電は一切無く、生活感を匂わせるものは、隅に置かれていたファッション誌や女性向け週刊誌くらいだった。一流ナイトクラブのチーママにしては、意外なほど質素な暮らしぶりに思えてならない。もし、この部屋が神林からあてがわれたものだとしたら、彼女の稼いだお金はどこに消えたのだろうか。
 タンスの上にはフォトスタンドがあり、志穂と美穂子が仲睦まじげに並んだ写真が飾られていた。美穂子は、それを両手に持ちながらベッドに腰を下ろすと、頭を伏せながら肩を震わせる。
 それが視界に入らないよう、彼女から顔を背け、カーテンを開けてからクレセント式の鍵を解除すると、アルミサッシのガラス戸を開放した。置きっぱなしになっている桃色のクロックスを履き、志穂が墜落したと思われるベランダへ出た。
 冷たい風が頬を叩き、戸惑いながら手すりに両手をかけ、恐怖心をこらえながら首を出して下を見下ろす。当たり前だが、真下に志穂の遺体があった箇所がはっきりと確認できた。
 めまいがして身体を戻す。遠目から見ている分は、開放的な眺めで心が癒されるものの、美穂子の事を思えば、とてもリラックスできるものではなかった。

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