第35話

文字数 957文字

緊張の糸が切れたのか、マンション・ハイグランデを出た途端に足元がふらついた。視線の先にベンチを見つけると、水嶋はネクタイを緩めながら腰を沈め、深い溜息を吐く。美穂子はベンチの横に設置された自動販売機にコインを入れ、スポーツドリンクを二つ買った。一つを受け取ると、一息で半分ほど飲み下す。ようやく落ち着いてきて、深呼吸をした後で軽く伸びをした。
 だが、美穂子は、恨めしそうな表情で睨みつけているので、水嶋は弁解した。
「……俺のせいじゃないからな。向こうが葉巻を吸いたいと言い出したんだ。止めようがないだろう?」
「もっと早く姉の話を切り出せばよかったじゃないの。たかが一千万くらいに目がくらんじゃってさ。せっかく真相を掴めそうだったのに、みすみす逃すなんて、探偵の風上にも置けないわ」
「俺は探偵じゃないって。ただの占い師だ」
「インチキのね!」
 そう言われて、何も言い返せない自分に腹が立った。彼女の言う通り、詐欺の契約よりも、やはり志穂の件を優先させるべきだった。千載一遇のチャンスをみすみす棒に振ったのだから、責められても仕方がない。ふて腐れても当然である。
 だが、嘆いてばかりもいられなかい。こうなったら、気持ちを切り替えて、別のアプローチで攻めるしかなかった。
「確か、神林の奥さんは、今、別居中のはずだ。君も気づいただろう? 匂いの事」
 神林の部屋で嗅いだ生ごみの悪臭を打ち明けると、やはり、美穂子も感じたらしく、今度は神林の配偶者である公子夫人をターゲットに据えた。
「もしかすると公子さんは、夫の不倫を知ってしまい、嫉妬のあまり姉を殺したのかもしれないわね」決めつけんばかりの勢いである。
「あり得なくもないな。だが、住所は判るかい? こればっかりは調べようがないだろうな」
「いっそのこと、本物の探偵に依頼してみたりして」美穂子はからかうような素振りで言った。
「私立探偵に? そこまでする必要あるかな。探偵ってどこか怪しいイメージし、いまいち信用できない」占い師が言うなと突っ込まれそうだったが、美穂子は触れてこなかった。
「そうね、私たちだけで何とかなりそう。あなたの

もあることだし」
「だろ? この水前寺堂之丞にまかせなさい! 探偵なんて糞くらえだ!」
 水嶋は自慢げに胸をどんと叩き、ふたりは笑い転げた。
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