第107話

文字数 1,410文字

 村崎は、感謝を述べる代わりに深く頭を下げ、ポケットに手を入れると、微かに音が鳴った。そして、さもそれが目的とばかりにハンカチを取り出し、汗のないサラサラの顔を不器用に拭き始めた。
「ここまで言えば、もうお判りかと思いますが、改めて順を追って説明しましょう。まずは、事件の発端となった幸田志穂さんの転落事故です。その時、美穂子は部屋にいたのです。彼女は以前から神林と交際していて、深い関係にあったと思われます。神林の部屋に侵入した際も、パスワードの書かれたメモを見ていました。どこでパスワードを手に入れたのか訊いてみたのですが、みごとにはぐらかされました。実際は、最初から暗証番号を知っていたのは間違いなく、神林の自宅を訪問した際、猫のミーコがじゃれついてきたことも、それを証明しています。それにメモリーを取り返すために神林と共謀して、人質になったふりをしていたんでしょうし、彼に銃を向けたのも、私を騙すための演技だった。きっと志穂さんも二人の仲に気づいていたに違いありません。やがて彼を巡って口論となり、思わず突き飛ばしてしまった。……つまり最初から殺意はなかった。……これは憶測というより、むしろ私の希望なんですがね」
 それからおもむろに立ち上がると、机に仕舞っていた写真を村崎に見せる。志穂と神崎のツーショットだ。神林の寝室で発見した写真の中の一枚で、美穂子の目を盗んで、ひそかにポケットに入れた代物だった。
「鼻の右側にホクロがある。つまり神林典行と一緒に写っているのは幸田志穂で間違いないわけですよね。これがどうかしましたか?」
「私も同じく、姉の幸田志穂さんと思い込んだ。ですが……」
 水嶋は写真をテーブルに乗せると、表面を指でこすった。
「……これは!」村崎は驚愕の声を上げた。ホクロが消え去っていたのである。
「この通り、ホクロはあとからマジックで書かれたものだったのです」
 
 なるほどと頷いた後で、村崎は自分も煙草を吸ってもいいですかと断りを入れてきた。拒否する理由もなく、どうぞと促すと、二人して白い煙を吐き出す。
 水嶋の言葉を受けて、彼もトリックを見破ったらしく、密室のからくりを語りだした。
「つまり幸田志穂の鍵の仕掛けは神林邸の時と逆で、幸田美穂子は姉を突き飛ばした後、室内に鍵を置いたままに部屋を出て、外からサイコキネシスで施錠した――と言う訳ですな」
 ご名答と、水嶋は軽く拍手をした。もっとも、ここまで説明すれば、子どもでも判りそうな問題だと、内心、見下していた。
「次は森村直哉の事件です。もっと奇抜ですが、これしか考えられない。彼のアパートである茂田名荘に向かった時、美穂子は車で待っていると言いながら、実はこっそりと後を付けて、裏庭からガラス越しに部屋の中を覗いた。そして念力を使って包丁を動かし、布団の上で胡坐をかいている森村の背中に突き刺した。これが事件の真相です。室内に森村以外の誰の痕跡も発見できなかったのは、そのためです。……あとは死体を発見させるために、わざとカーテンを開けたままにしておいた。当然ながら警察に通報されることは予想できたでしょうし、私が美穂子の存在を隠すことも想定していた」
 そこで一旦、区切りをつけると、水嶋は二杯目のコーヒーを淹れた。
 村崎にも勧めると、最初は遠慮していたが、コーヒーの香りに負けたのか、水嶋の分を淹れ終わる頃になって、ようやくお代わりを求めてきた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み