第76話

文字数 1,023文字

 しばらくして、店の奥の扉から意外な人物が登場した。
 神林典行である。
 オーナーなのだから不思議ではないが、かねてから店に来ることは滅多にないと聞かされていたし、奥さんである公子が殺された直後だ。偶然と考える方がどうかしている。
 向こうは水嶋に気づいたらしく、視線が合うなり歩き寄ってきた。
「これはこれは河本さん。この前はどうも。いや、水前寺堂乃丞とお呼びした方がよろしいですかな? 水嶋さん」
 ヤバイ。完全に正体を見破られている。
 しかも、それだけじゃないようで、美穂子に向かって眉根を寄せた。
「君も本当は志穂ママの妹さんなんだってな。偶然にしては出来過ぎていると思ったよ。どうしてそんな嘘をついてまで、この店に潜り込んだ? ……まあ、大方の予想はついているけどな」
 にやついた顔をしながら、神林は対面にどっしりと腰を落とす。それから席に着こうとしたみやびを追い払うと、「大事な話があるから、誰もよこさないように」と釘を刺し、そこは三人だけの空間となった。
 さてと、とでもいいたげに、神林はポンと手を叩き、首を回しながら水嶋と美穂子を交互に睨みつける。蛇ににらまれたカエルのように固まってしまい、美穂子からも緊張が伝わって、生唾を呑み込む音が聞こえてきそうだった。
「心配するな。株の話は聞かなかったことにしてやる。俺の部屋に侵入したこともな……だが、お前が志穂の妹であることを黙っていたのは、いただけないな」
 二人とも何も答えることが出来ずにいた。神林は二人の出方を待っているかの如く、葉巻を燻らせ、沈黙したまま二人を交互に睨みつけた。
 淀んだ空気が流れ、膠着状態がしばらく続く。
 しびれを切らした神林は、右手を上げてなにやら合図を出した。それを期に隣のテーブルにいたサングラスの男たちが立ち上がった。彼らは神林の横に立ちすくみ、にやけ顔でボキボキと指を鳴らしている。ひとりはひょろりと背の高く。もう一人は中背ながら百キロはあろうかと思えるほどの巨漢だった。二人の仕草からデブの方が兄貴分だと推測できる。
「何の真似だ」ようやく口に出た言葉がそれだった。
 神林は何も言わず、顎で指し示すと、二人の男たちは水嶋の腕を強引に取り、店の裏口から外へ連れ出した。

 階段を降り、人気のない裏路地に連れていかれると、水嶋はデブとノッポから袋叩きにあった。抵抗できないまま一方的にボコられると、彼らはようやく満足したのか、唾を吐き捨て、何処かへと消えていった。
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