第83話

文字数 840文字

 シャッターの下りた十八番倉庫の右端にある小さなドアを開けて、慎重に足を踏み入れる。電気が点いていないせいか、昼間だというのに中は薄暗く、窓灯りのわずかな光を頼りに奥へと足を動かした。大量に汗が吹き出し、心臓が激しく脈打つ。時々、嗚咽が漏れそうになるのを必死に我慢していると、奥に誰かがいる気配を感じた。
 足の震えが止まらず、今すぐにでも逃げ出しそうな気持で一杯だった。
 だが、それでも一歩ずつ前に進み、やがて開けた場所に出ると、姿勢よく佇む神林を視界に捉えた。
 神林の隣には、ロープで縛られ、猿ぐつわをされた美穂子が椅子に座らせられていた。彼女は何かを喋ろうと口をモゴモゴさせていたが、猿ぐつわのせいで言葉にならない。神林の脇には小さな台があり、そこにはノートパソコンが乗せられていた。
 黒い皮手袋をはめた手で、神林は美穂子の頭を掴み、もう一方の手でナイフを彼女の喉元に構えると、声にならない彼女の声は、無言の叫びへと変わった。
「……例のものは持って来たんだろうな」神林の低い声が響き渡る。
 ポケットからUSBメモリーを取り出すと、水嶋はそれを前に掲げた。「もちろんだ。早く美穂子を離せ!」
「そっちが先だ。偽物かもしれないからな。確認が終わるまではこいつを渡すわけにはいかない」
 水嶋はしばらくためらったが、美穂子の安全を優先し、メモリーを投げ渡した。
 受け取った神林は、パソコンのポートに刺すとキーボードを操作し、やがてにやりと顔を曲げる。
「コピーは取っていないだろうな?」
「そんなことするわけがないだろう。早く美穂子を解放しろ!」
 神林は、いいだろうと返事をし、美穂子の猿ぐつわを外してロープを切り落とす。彼女は椅子からよろよろと立ち上がり、水嶋の胸に飛び込んだ。
 固く抱き合う二人。
 やがて美穂子はゆっくりと水嶋の瞳を見つめ、涙を滲ませながら、安堵の笑顔になった。美穂子は水嶋の右手を震えるそれで握った。もちろん水嶋も握り返す。浮かんだ言葉はもちろん『ありがとう』だった。
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