第31話

文字数 1,116文字

 牛丼屋で昼食を済ませると、スーツを新調するため、江東区にある高級紳士服店の扉をくぐる。これまでTシャツや革ジャンといった、ラフな格好しかしてこなかった水嶋にとって、入店するのに勇気がいった。だが、神林に合うためには、カジュアルな恰好のままというわけにはいかない。
 さすがは一流店だけあって、半分白髪でどぎついライダージャケットの水嶋でも、分け隔てなく丁寧に接客してくれた。最初はスーツだけのつもりが、あれよあれよという間に、シャツやネクタイ、それに靴までも買い揃えた。
 決して安くない金額だったが、不思議とそれを感じなくなるほどの満足感を得られたのは、水嶋としても意外だった。
 
 次に理容室で髪を黒に染め直し、その後ドン・キホーテにて伊達メガネとつけ髭を購入した。トイレの個室でそれらを装着し、洗面台に立つと、鏡の中の自分がなんだか滑稽に思えて仕方がなかった。

 正午まであと少しとなり、水嶋は幸田美穂子との待ち合わせている西葛西駅のロータリーに向かった。美穂子の説明によると、駅から歩いて数分のところに神林のマンションがあるとの事。
 予定より少し遅れて、駅の駐車場で合流すると、変わり果てた水嶋をひと目見るなり、「今日はハロウィンだっけ?」とからかってきた。
 今朝のニュースとネットで得た情報を元に考案した作戦を説明すると、美穂子の表情は不安そうなそれに一変した。それでも他に策が浮かばず、彼女は渋々了承した。
 その後、二人は入念に打ち合わせをしながら神林のマンションを目指す。
 駅から十分ほど歩いた先に、問題の建物が見えた。そこは西葛西でも指折りの四十五階建て高級タワーマンション『ハイグランデ』。部屋を出る前に画像では確認していたが、実際に目にすると思った以上の高さと豪華さに圧倒される。志穂の居住していたポインセチアよりもさらにハイレベルで、エントランスホールには大理石が敷き詰められていた。事前にネットで仕入れた情報によると、入り口は専用のコンシェルジュが、二十四時間体制で常駐しているらしい。地下には大型のフィットネスやプールがあり、最上階にはミシュランに掲載されるほどの一流レストランやラウンジまであるという。平たくいうとブルジョワ御用達のマンションであり、水嶋のような一般市民には、一生、手の届かない聖域であることに間違いはない。
 神林の部屋は、居住スペースとしては最上階である四十四階の四四〇二号室。志垣から聞いた話によると、その部屋で神林夫妻が二人きりで生活しているのだという。彼らには二人の息子がいるらしいが、共に結婚していて、長男は薬剤師を、次男は中堅どころのカラオケボックスの支配人をしているとの事だった。
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