第112話

文字数 1,557文字

 荷物をあらかた運び終えると、がらんとなった室内で休憩を取る。
 コーヒーメーカーは、既にトラックへ詰め込んでいたので、表にある自動販売機でブラックを二本購入し、そのうちの一本を探偵に渡した。
 彼は礼を述べると、プルトップを空けて一気に煽った。軽い荷物ばかり運んでいたくせに、やたら休んでばかりだったが、一丁前に喉は乾くようだ。
 空き缶をゴミ袋に放り込むと、探偵は警察での取り調べについて愚痴り出す。どうやら神林のマンションで逃走した際、村崎たちにレクサスの車両ナンバーを見られたらしい。それでも見つからないように注意していたようだったが、やよいの事件の後に、確保されたとの事だった。
「取り調べは何度も受けているが、なかなか慣れないもんだな。特にあの村崎って警部にはしてやられたぜ」警部じゃなくて警部補だが、敢えて聞き流すことにしながら、コーヒーの缶をゆっくりと傾ける。
「とにかく、しつこいったらありゃしない。同じことを何べん答えりゃいいんだ? あれでよく警部が務まるよな。それに黒木とかいう巡査長も生意気で、年下のクセに俺を見下しやがってさ」
 黒木も巡査部長なのに巡査長に間違われて、ワザと高野内をイラつかせたのだろう。彼は人を惹きつける才能がある反面、無意識に人を毛嫌いさせる特性も持ち合わせている。
 水嶋は、むしろ二人の刑事に同情した。

 愚痴を話し切ったおかげでスッキリしたのか、自称名探偵は、別の話題を振ってきた。
「そういえば、あれからゴールドヘヴンに行ったか?」
 探偵の問いかけに、水嶋は事件以来ご無沙汰だと答えた。
「じゃあ、知らないと思うが、どうやら閉店したらしいぜ。らしいってのは、実際にこの目で確認したわけじゃないから、何ともいえないってことだがな。噂によると、幸田美穂子が自殺した翌日から、ずっと閉めていたようなんだ」
 過去の経営者である森村を含めると、ゴールドヘヴンの関係者が六人も死んだことになる。とても営業どころじゃないことは、容易に想像できた。
 水嶋は占いを廃業して以来、ニュースやネットなどは見ていない。だから、一連の事件がどうなったのか、知る由もないのだ。就活や引っ越しで忙しいという建前だったが、実のところ、美穂子の事を思い出したくないというのが本音である。
 ふと、志垣店長の顔が頭に浮かぶ。融通が利かない上に、どこか掴みどころがない印象だった。オーナー夫妻やホステスが三人も亡くなって、さぞや、てんてこ舞いになったことだろうと、同情せずにはいられない。確か、彼は勘が鋭い所があったようだが、それだけでは再就職なんて、とてもままならないだろう。

 その後、話の流れでみやびの近況について高野内は語った。あの騒動以来、他のナイトクラブからスカウトされて移籍しているとの事だった。彼女であれば、何処の店であっても、きっとナンバーワンとして活躍できると確信していた。
 それより、ゴールドヘヴンが閉店した

と曖昧な言い方をした割には、そこら辺の情報をちゃっかり収集している。水嶋に気を使っているというより、探偵としての好奇心からくるのかもしれない。

 神林とその妻公子、それからやよいの面影を思い浮かべると、急に目頭が熱くなった。
 だが、なぜか美穂子の姿は浮かんで来ない。毎日のように会っていたにもかかわらず、顔に靄がかかり、どうしても思い出せないのだ。まるで、初めからこの世に存在していなかったのではないか、という錯覚にさえ陥った。
 
 最後のごみを出し終えると、水嶋は高野内探偵に別れを告げた。請求された報酬は決して安くはなかったが、水嶋にはそれほど高額とは思えなかった。彼がいなければ、今頃はどうなっていたか判らない。もしかすると命を落としていたかもしれないと思うと、頭の中で頭を下げた。
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