第93話

文字数 947文字

 志垣店長のことはともかく、ハガキを無くしてしまったことを思い出し、水嶋は落胆しながらヴィオレッタに戻った。
 店内は客やスタッフらが騒然としていて、あちこちで奇声が挙がっている。
 突然、客の一人が苦しみだし、その後絶命したのだから、混乱するのは当然といえた。
 何かしなければと思いつつ、結局、何もすることができず、しばらく遠巻きで、横たわるやよいの亡骸を眺めていると、やがてサイレンが聞こえてきた。

 救急車が到着し、数名の救急隊員が駆けつけてきた。少し遅れてパトカーも駐車場に停まった。
 彼らはやよいの状態を診るも、既に手遅れといった感じで、パトカーから降りたばかりの警察官たちに向かい、窓越しに頭を左右に振っている。担架に乗せられる頃には、完全にお通夜のムードが漂っていた。

 救急隊員に付き添いを求められたが、水嶋は「たまたまナンパしただけで、知り合いではありません」と、他人のふりをした。
 それでもかまわないと、今度は警官が迫ってくるので、「急用がありますので」と、彼らを強引に振り切り、逃げるように店を出た。自分でも冷たく感じたが、これ以上関わりたくはなかった。

 興奮した心と身体を沈めようと、煙草をふかしながら駐車場に戻り、ひと息ついたところで車に乗り込んだ。
 すぐさま美穂子にメールを入れると、すぐに返信があり、『今から行くから、そこで待っていて』とあった。水嶋は座席を倒し、車の天井を眺めた。そして美穂子を待つあいだ、みやびの残したハガキについて考察することにした。
 あの裏に何が書いてあったのかまでは判読できなかったが、左下に幸田という文字が書かれていたことだけは確かだ。美穂子の筈がないのだから、志穂が送ったハガキで間違いない。おそらくだが、やよいは志穂との仲を告白したくて、呼びつけたのだろう。
 だとすれば、やよいは志穂の死に関係があるだろうし、ヴィオレッタに呼び出してまで、俺に犯行を打ち明けるつもりだったとしてもおかしくはない。

  担架が運び出されてやよいを乗せると、救急車は無音のまま走り去っていった。やはり、ついていくべきではなかったのだろうかとの懸念が胸を締めつける。しかし、今さら一緒にいったところで、どうにもなるまいという思いに駆られる気持ちも否定できなかった。
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