第89話

文字数 1,480文字

 森村直哉の場合はどうだろう。
 かねてからやよいに付きまとっていて、志穂殺害の証拠を掴んだ森村が、彼女を恐喝していたと仮定しよう。
 だとすれば、やよいは以前から森村を殺す機会をうかがっていたに違いない。そして、俺たちが森村のアパートを訪ねるという情報を入手したやよいは、事前に先回りし、俺が到着する前に、犯行に及んだのだろう。
 おそらく彼女は脅迫に応じるふりをして中に入った。考えたくはないが、森村が布団の上で刺されたことを鑑みれば、体の関係をちらつかせたのかもしれない。そして、こっそりと包丁を台所から取り出して、油断した森村の背中に突き刺した。そのまま、鍵を盗んでロックを掛けると、俺が来る前に逃亡した。
 だが、人が侵入した形跡がないという警察の見立てと矛盾する。もし、やよいにテレポーテーションの能力がないとしたら、森村だけは神林の犯行かもしれない。

 では、神林公子の殺害はどうだろうか?
 これまでの推理では、神林がテレポーテーションを使って部屋に侵入し、殺害してから逃走を図ったことになっていた。実際に奴が消えたり現れたりする場面を目の前で目撃しているし、直後に俺たちが入った時には、すでに息絶えていて、犯行直後のように思えた。
 しかし、神林は夫人にメールで呼び出され、部屋に入った時は既に死亡していたと語っていた。それにもし、神林に殺意があったとするならば、わざわざ自分の鉄アレイを凶器に選んだのも不自然と言えば不自然だ。やはり公子殺しに関しても、彼はシロなのかもしれない。
 だとしたら、彼が受け取ったというメールは誰からなのだろうか?
 本当に公子夫人からなのかもしれないが、何故わざわざ自分の部屋に呼びつけたのだろう。もし、公子が夫の命を狙っていたとすれば、普通は自分の部屋で殺人を犯したりはしない。
 もし、本気で殺すつもりならば、疑われないように配慮するのが自然だ。
 例えば人気(ひとけ)のない路上で襲うとか、殺し屋に依頼するとか。せめて、勝手知ったる神林の自宅で、部屋を荒らし、強盗に見せかけて殺した方がよっぽど理にかなっている。

 もし、これもやよいの犯行だとすればどうだろうか。
 公子とやよいが、以前から知り合いだったとすれば、公子の部屋を知っていたとしても不思議ではない。公子が殺害された日はやよいも店を休んでいたし、公子の部屋を訪れていたとするならば、彼女がトイレにでも行っている時に携帯を盗み、夫人のふりをしてメールを送信し、再び戻したとも考えられる。その後、神林典行がポインセチアに来るのを窓から確認し、公子を撲殺してから、トイレかバスルームに身を隠した。
 本来であれば、神林を第一発見者に仕立てたかったのだろう。だが部屋の鍵は掛けっぱなしで、開錠しておくのを失念したために、神林が中に入ることが出来なかった。
 まさか神林がテレポーテーションの使い手だとは思いもしなかったに違いない。さらに神林は死体発見後も通報することはなく、慌てて部屋を出ていった。やよいとしては全くの計算外であり、すぐさま逃げようとしただろう。
 だが、今度は美穂子がピッキングで開錠し、俺たちが中へ入った。きっとやよいは息を殺しながら新たな侵入者の動向を伺っていたに違いない。もし、あの時に部屋中を探せば、どこかに潜んでいる彼女を発見できたかもしれないと思うと、後悔が胸をよぎった。
 その後、俺たちが帰った後で部屋を出て、逃げ果(おお)せたのだろう。

 これらの推理はあくまでも仮説であり、ただの妄想に過ぎない。だが、今や、やよいの犯行に思えてきて仕方がなかった。
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