守りたいもの ・5
文字数 2,151文字
「…ねえ。早くその手を離しなよ…、」
穏やかなのに、強圧的な声色。
城崎さんのこんな声を今までに聞いたことがない。
「…聞いてる?」
顎先を軽く上に、男に向ける視線は強い怒りを孕んでいて。
それは紛れもなく、私が初めて見る城崎さんだった。
「早く離さないと、君、どうなっても知らないよ?」
ブンッと力強く下方に角材を一振りし、鋭利に空 を切る。
「て、てめえ…っ」
「今の僕、前よりもずっと怖いもの知らずだから。そういえば、前にも一度、軽く痛い目に合わせた気がするけど?」
「…!」
「今日は、前以上の経験をしてみる?」
手にした角材を男の鼻柱寸前の場所まで掲げて、
その尖った先端は、今にも鼻先を砕きそうに威圧感を放った。
「ッ、ち、ちくしょう…、」
「うん?」
「こ、今度会ったときには、ただじゃおかねえからな!」
ビリビリとした殺気を漲らせた城崎さんの態様に男は歯が立たないと判断したのか、怯えた様子で慌てて踵を返す。
「お、覚えてろよっ…!」
「忘れる」
逃げ去るその背に向けてケロリとして短く切り返した城崎さんは、手にしていた角材を元にあった場所に軽く投げ入れる。
そして、男が立ち去ったのを見届けてすぐ、こちらに駆け寄った。
「ダメじゃない、柚月ちゃん。キミが何かされたかと思って、心臓が止まりそうになったよ」
「ご、ごめん…!」
「車からは出ないでって言ってたでしょ?」
「ほんとにごめんなさい…」
「怖かったよね…、もう大丈夫だから」
城崎さんのいつもの優しい声と眼差しが私を包む。
男に対してはあんなに冷酷に振舞っていたのに、今、私を労わるように耳に届く彼の声は少しばかり震えていた。
「……、」
そっと肩に乗せた手の温もりが、どれほど心配したのかを伝えてくるから。
「…っ、!」
そのまま引き寄せられて強く抱き締められても、おとなしく従ってしまった。
素直に身を委ねた対価のように、次第に恐怖が安堵に置き換わってゆく。
「……文句、言わないんだね…」
「…、」
「ごめん、意地悪な言い方しちゃった…、怖い思いした女の子に言う言葉じゃないよね」
「い、いえ…」
「寄りにもよって、アイツに会うなんてね…」
「…あの男の人…、城崎さんは前から知ってるんですか?」
「うん。知ってるも何も…久しぶりに僕と再会して、向こうは厄日だと思ってるだろうね」
「…あの男が、放火の犯人だったんですね?」
「…、」
先ほどの二人の会話を回顧しながら問うと、
城崎さんは私の頭上で、うん…、と小さく頷いた。
もっと早い段階から目星が付いていたが、警察に情報提供しないままでいるのは、それよりももっと大きな事件に絡んでいることを突き止めるためだったと、
あの男はいわゆる半グレで、今までにも巧い話で女の子を誘う場面に遭遇しては阻止してきたのだと、静かに続けた。
「ほんと良かった…、柚月ちゃんに何もなくて…」
「ありがとうございました、ほんとに…」
「気にしなくていいよ。僕がキミを守りたいだけだし…、それに今、ちゃんとお礼もらってるから」
「…、お礼?」
「こうやって、柚月ちゃんを抱き締めること」
「…っ、」
「…照れた?」
「べ、別に…っ、…こんなのがお礼だなんて、ほんと物好きですね」
「なんとでも。……ねえ、柚月ちゃん」
「…なんですか?」
「何かのときは、僕が守ってあげるからね」
「…、」
「柚月ちゃんの為なら、僕、なんでもするよ?」
「……『なんでも』?」
「うん」
「ほんとですか?」
「ほんと」
「じゃあ…、まずは、そろそろ離れてもらってもいいですか?」
「あっ、上手いこと言うなあ」
一本取られました、というように、城崎さんは苦笑いしながら素直に私を解放する。
少し後方に下がった私は、その普段通りの笑顔に背中を押されるように、前から疑問に思っていたことを訊ねることにした。
「あの、」
「…なあに?」
「最近、その…、私に触れたり、抱きつこうとするの…多くないですか?」
「そう?」
「できれば、その、止めてもらいたいんですけど…」
「イヤ」
「——なっ…、即答!?」
「うん」
「あ、あなたには、遠慮ってものはないんですかっ」
「うーん…、ないなあ」
「——」
ここまで豪快に開き直られると、唖然として反論する気も責める気も失せる。
「……城崎さんって、もしかして甘えっ子?」
「うん」
「…おまけに、くっつき魔?」
「うん」
「やっぱり…、そうやって見境なく女性に、」
「ううん、違う」
「え?」
「僕がくっつきたいって思うのはただ一人…、柚月ちゃんだけ」
「——!」
「本当のことだよ?」
「…やっぱり、相当物好きですね…」
「なんとでも」
「……」
(相変わらず飄々と…)
本気とも冗談とも取れる城崎さんの言葉に混乱しつつも、なんだか今は、この距離感が嫌ではない。
「…さてと。事務所の様子も見れたし、そろそろ柚月ちゃんを大学病院に送り届けなきゃね」
「…、よろしくお願いします」
助手席のドアを開けてくれた城崎さんに頭を下げて、車に乗り込む。
「ねえ、柚月ちゃん」
「…はい」
「僕、駐車場で待ってるから、病院での用事が終わったら、どこかでご飯食べて帰らない?」
「………考えておきます」
即行で断るという選択肢が、近頃の自分にとっての最優先事項になっていない。
そして。
城崎さんと出会えたことを、ほんの少しだけ嬉しく思う自分がそこにいた。
volume.8 守りたいもの END
穏やかなのに、強圧的な声色。
城崎さんのこんな声を今までに聞いたことがない。
「…聞いてる?」
顎先を軽く上に、男に向ける視線は強い怒りを孕んでいて。
それは紛れもなく、私が初めて見る城崎さんだった。
「早く離さないと、君、どうなっても知らないよ?」
ブンッと力強く下方に角材を一振りし、鋭利に
「て、てめえ…っ」
「今の僕、前よりもずっと怖いもの知らずだから。そういえば、前にも一度、軽く痛い目に合わせた気がするけど?」
「…!」
「今日は、前以上の経験をしてみる?」
手にした角材を男の鼻柱寸前の場所まで掲げて、
その尖った先端は、今にも鼻先を砕きそうに威圧感を放った。
「ッ、ち、ちくしょう…、」
「うん?」
「こ、今度会ったときには、ただじゃおかねえからな!」
ビリビリとした殺気を漲らせた城崎さんの態様に男は歯が立たないと判断したのか、怯えた様子で慌てて踵を返す。
「お、覚えてろよっ…!」
「忘れる」
逃げ去るその背に向けてケロリとして短く切り返した城崎さんは、手にしていた角材を元にあった場所に軽く投げ入れる。
そして、男が立ち去ったのを見届けてすぐ、こちらに駆け寄った。
「ダメじゃない、柚月ちゃん。キミが何かされたかと思って、心臓が止まりそうになったよ」
「ご、ごめん…!」
「車からは出ないでって言ってたでしょ?」
「ほんとにごめんなさい…」
「怖かったよね…、もう大丈夫だから」
城崎さんのいつもの優しい声と眼差しが私を包む。
男に対してはあんなに冷酷に振舞っていたのに、今、私を労わるように耳に届く彼の声は少しばかり震えていた。
「……、」
そっと肩に乗せた手の温もりが、どれほど心配したのかを伝えてくるから。
「…っ、!」
そのまま引き寄せられて強く抱き締められても、おとなしく従ってしまった。
素直に身を委ねた対価のように、次第に恐怖が安堵に置き換わってゆく。
「……文句、言わないんだね…」
「…、」
「ごめん、意地悪な言い方しちゃった…、怖い思いした女の子に言う言葉じゃないよね」
「い、いえ…」
「寄りにもよって、アイツに会うなんてね…」
「…あの男の人…、城崎さんは前から知ってるんですか?」
「うん。知ってるも何も…久しぶりに僕と再会して、向こうは厄日だと思ってるだろうね」
「…あの男が、放火の犯人だったんですね?」
「…、」
先ほどの二人の会話を回顧しながら問うと、
城崎さんは私の頭上で、うん…、と小さく頷いた。
もっと早い段階から目星が付いていたが、警察に情報提供しないままでいるのは、それよりももっと大きな事件に絡んでいることを突き止めるためだったと、
あの男はいわゆる半グレで、今までにも巧い話で女の子を誘う場面に遭遇しては阻止してきたのだと、静かに続けた。
「ほんと良かった…、柚月ちゃんに何もなくて…」
「ありがとうございました、ほんとに…」
「気にしなくていいよ。僕がキミを守りたいだけだし…、それに今、ちゃんとお礼もらってるから」
「…、お礼?」
「こうやって、柚月ちゃんを抱き締めること」
「…っ、」
「…照れた?」
「べ、別に…っ、…こんなのがお礼だなんて、ほんと物好きですね」
「なんとでも。……ねえ、柚月ちゃん」
「…なんですか?」
「何かのときは、僕が守ってあげるからね」
「…、」
「柚月ちゃんの為なら、僕、なんでもするよ?」
「……『なんでも』?」
「うん」
「ほんとですか?」
「ほんと」
「じゃあ…、まずは、そろそろ離れてもらってもいいですか?」
「あっ、上手いこと言うなあ」
一本取られました、というように、城崎さんは苦笑いしながら素直に私を解放する。
少し後方に下がった私は、その普段通りの笑顔に背中を押されるように、前から疑問に思っていたことを訊ねることにした。
「あの、」
「…なあに?」
「最近、その…、私に触れたり、抱きつこうとするの…多くないですか?」
「そう?」
「できれば、その、止めてもらいたいんですけど…」
「イヤ」
「——なっ…、即答!?」
「うん」
「あ、あなたには、遠慮ってものはないんですかっ」
「うーん…、ないなあ」
「——」
ここまで豪快に開き直られると、唖然として反論する気も責める気も失せる。
「……城崎さんって、もしかして甘えっ子?」
「うん」
「…おまけに、くっつき魔?」
「うん」
「やっぱり…、そうやって見境なく女性に、」
「ううん、違う」
「え?」
「僕がくっつきたいって思うのはただ一人…、柚月ちゃんだけ」
「——!」
「本当のことだよ?」
「…やっぱり、相当物好きですね…」
「なんとでも」
「……」
(相変わらず飄々と…)
本気とも冗談とも取れる城崎さんの言葉に混乱しつつも、なんだか今は、この距離感が嫌ではない。
「…さてと。事務所の様子も見れたし、そろそろ柚月ちゃんを大学病院に送り届けなきゃね」
「…、よろしくお願いします」
助手席のドアを開けてくれた城崎さんに頭を下げて、車に乗り込む。
「ねえ、柚月ちゃん」
「…はい」
「僕、駐車場で待ってるから、病院での用事が終わったら、どこかでご飯食べて帰らない?」
「………考えておきます」
即行で断るという選択肢が、近頃の自分にとっての最優先事項になっていない。
そして。
城崎さんと出会えたことを、ほんの少しだけ嬉しく思う自分がそこにいた。
volume.8 守りたいもの END