守りたいもの ・3
文字数 1,439文字
こんなとき、どんな言葉を掛ければ、その人の気持ちに寄り添えるのか。
はっきり言って、私には、医学書一冊を丸暗記するよりも難しい気がした。
だけど、自分がどんなに不器用でも、
城崎さんの見えない涙を拭ってあげたい…、素直にそう思った。
「前所長さんも、最期まで城崎さんがそばにいてくれて、心強かったと思います」
「……、そうかな」
「そうですよ。…最期までそばにいたこと、城崎さんは後悔してないんですよね?」
「もちろん、そうなんだけど…、」
頷いて、一旦言い淀む。
言葉を模索するような静黙の後、城崎さんは再び言葉を綴った。
「…前所長が自分の力で建てた大切な事務所を火事なんかで失くしちゃって、放火なら尚更、結局は僕の不手際…。ほんと僕、なにやってるんだろうね」
「……」
(…ああ、そういうことか…。城崎さんはどうしてもそのことが…、自分のことが、許せないのか…)
だから、アメリカの大学を辞めてまで帰国し前所長のそばにいたことまでも、やってはいけないことだったのではないかと、心が彷徨うに違いない。
車がまた信号の赤で停車して、横断歩道を歩く人々を眺める城崎さんの横顔は、現所長として歩むことになった自分を蔑んでいるようにすら見えた。
「……きっと、『気にするな』って言うと思います」
「…え?」
「一人になった城崎さんを引き取って面倒を見るくらい器の広い前所長さんなら、自分の病気のことよりも、アメリカから帰国したことを咎めた前所長さんなら…、火事が起きたときに、城崎さんの身に被害が及ばなくて良かったって、事務所がどうなったとしても、城崎さんが無事ならそれでいいって。きっと、そう言うと思います」
「……、」
「『今度は、おまえ自身の手で、新たに作り上げていくんだ』」
「——」
「…私は、前所長にお会いしたことはないですが、城崎さんの話を聞く限り、城崎さんのことをとても大切に思っていたことが分かるから。『そんなことで落ち込まなくていい』って言うと思います」
「…、」
「今も天国で…、城崎さんの無事を笑顔で喜んでいると私は思います」
言いながら、空の彼方で笑顔でいるはずの前所長に思いを馳せる。
「それに、前所長から受け継いだものって事務所だけじゃなくて、目に見えない大切なものもいっぱいあるはずで。それってずっと、城崎さんの心の中にあり続けるわけで…、城崎さんは、それをずっとしっかり守ってるから、そのことも、前所長には伝わってるはずです」
「……」
「…と、まあ、その…」
「……」
「なんか、その…、つまりは偉そうなことを言っちゃいましたね…、すみません…」
勢いに乗せて言い切ってしまった後で気恥ずかしくなってしまい、こめかみの辺りを指先で掻く。
でも、ハンドルを握りしめたままの城崎さんは、まるで子どものようにふるふると首を振って。
「ありがとう、柚月ちゃん…、気持ちが楽になったよ」
ほんの少しだけ震える声で、嬉しそうに微笑んだ。
「キミに出会えて、本当に良かった」
「…残念ですが、出会ったことを今に後悔することになるかもしれないですよ、」
ふふふ…と。
珍しく企むような悪い顔をして見せると、城崎さんは一拍子の間の後、肩を揺らして大きく笑いだす。
「あはははっ、柚月ちゃん…っ、ほんとに、最高っ…、」
「……、」
「ッ、」
「……ちょっと。あまりにも笑いすぎですよ?」
「あははっ、ごめんごめん…っ、」
「……」
(…でもまあ、とりあえずは、良かったかな…)
三日月のようになった城崎さんの眦には、もう涙の粒の幻影が映ることはなかった。
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はっきり言って、私には、医学書一冊を丸暗記するよりも難しい気がした。
だけど、自分がどんなに不器用でも、
城崎さんの見えない涙を拭ってあげたい…、素直にそう思った。
「前所長さんも、最期まで城崎さんがそばにいてくれて、心強かったと思います」
「……、そうかな」
「そうですよ。…最期までそばにいたこと、城崎さんは後悔してないんですよね?」
「もちろん、そうなんだけど…、」
頷いて、一旦言い淀む。
言葉を模索するような静黙の後、城崎さんは再び言葉を綴った。
「…前所長が自分の力で建てた大切な事務所を火事なんかで失くしちゃって、放火なら尚更、結局は僕の不手際…。ほんと僕、なにやってるんだろうね」
「……」
(…ああ、そういうことか…。城崎さんはどうしてもそのことが…、自分のことが、許せないのか…)
だから、アメリカの大学を辞めてまで帰国し前所長のそばにいたことまでも、やってはいけないことだったのではないかと、心が彷徨うに違いない。
車がまた信号の赤で停車して、横断歩道を歩く人々を眺める城崎さんの横顔は、現所長として歩むことになった自分を蔑んでいるようにすら見えた。
「……きっと、『気にするな』って言うと思います」
「…え?」
「一人になった城崎さんを引き取って面倒を見るくらい器の広い前所長さんなら、自分の病気のことよりも、アメリカから帰国したことを咎めた前所長さんなら…、火事が起きたときに、城崎さんの身に被害が及ばなくて良かったって、事務所がどうなったとしても、城崎さんが無事ならそれでいいって。きっと、そう言うと思います」
「……、」
「『今度は、おまえ自身の手で、新たに作り上げていくんだ』」
「——」
「…私は、前所長にお会いしたことはないですが、城崎さんの話を聞く限り、城崎さんのことをとても大切に思っていたことが分かるから。『そんなことで落ち込まなくていい』って言うと思います」
「…、」
「今も天国で…、城崎さんの無事を笑顔で喜んでいると私は思います」
言いながら、空の彼方で笑顔でいるはずの前所長に思いを馳せる。
「それに、前所長から受け継いだものって事務所だけじゃなくて、目に見えない大切なものもいっぱいあるはずで。それってずっと、城崎さんの心の中にあり続けるわけで…、城崎さんは、それをずっとしっかり守ってるから、そのことも、前所長には伝わってるはずです」
「……」
「…と、まあ、その…」
「……」
「なんか、その…、つまりは偉そうなことを言っちゃいましたね…、すみません…」
勢いに乗せて言い切ってしまった後で気恥ずかしくなってしまい、こめかみの辺りを指先で掻く。
でも、ハンドルを握りしめたままの城崎さんは、まるで子どものようにふるふると首を振って。
「ありがとう、柚月ちゃん…、気持ちが楽になったよ」
ほんの少しだけ震える声で、嬉しそうに微笑んだ。
「キミに出会えて、本当に良かった」
「…残念ですが、出会ったことを今に後悔することになるかもしれないですよ、」
ふふふ…と。
珍しく企むような悪い顔をして見せると、城崎さんは一拍子の間の後、肩を揺らして大きく笑いだす。
「あはははっ、柚月ちゃん…っ、ほんとに、最高っ…、」
「……、」
「ッ、」
「……ちょっと。あまりにも笑いすぎですよ?」
「あははっ、ごめんごめん…っ、」
「……」
(…でもまあ、とりあえずは、良かったかな…)
三日月のようになった城崎さんの眦には、もう涙の粒の幻影が映ることはなかった。
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