赤い糸 ・2
文字数 1,335文字
︙
今日は当直日でもなく外来担当でもなく、急患の搬送もほとんどないことから、院内では普段よりも穏やかに過ごせていた。
あと1時間ほどで定時になるという頃、
「柚月せんせー!」
背後から、私の名を呼ぶ明るい声。
「…、え、ゆなちゃん!?」
「はーい!」
「わあ、久しぶりだね!」
担当した患者さんが順調に回復することはたまらなく嬉しい。
満面の笑顔で現れた少女・ゆなちゃんもその一人だった。
「柚月先生、元気だった?」
「ふふ、もちろん元気だよ」
「ゆなちゃんも元気そうだね」
「うん! 元気!」
幼稚園の年長だという彼女は、少しおませなところがあるとても可愛い子で。
昨年の夏、家族旅行に出かけた帰りに事故に遭い、ここに搬送されて私が担当医になった。
後部座席でシートベルトをせずに座っていた彼女は車外に放り出されて重傷だったが、
2度の手術を乗り越えて、3ヶ月ほど前に無事に退院していた。
「退院してからの体の具合はどう? どこか痛むところはない?」
「うん! 全然平気!」
「良かった」
「あのね、柚月先生…、」
母親と医局に訪れた彼女は、肩から下げたポシェットの中をごそごそと弄りながらこちらを見上げる。
「今日は、先生に渡したいものがあるの」
「…渡したいもの?」
「うん!」
愛らしい笑顔で小さな手を差し出したかと思えば、そこには、ゆなちゃんの手作りらしき招待状。
表紙には、カラフルな色どりの折り紙で作った小花が幾つも散りばめられている。
どうやら、もうすぐ幼稚園で発表会があり、舞台で活躍する姿を私に観に来て欲しいということらしい。
早速、勤務表を確認すると、
その日は外来担当でしかも宿直日だったが、ちょうど居合わせた先輩医師の久動先生が非番を代わってもいいと言ってくれた。
感謝しきりに頭を下げ、ゆなちゃんに向き直ってOKサインをして見せたとき、
「あっ…、と、」
大切な招待状が手元から床に滑り落ち、拾おうと慌てて手を伸ばしたところで、二通散らばっていることに気づいた。
(…招待状が、二つ…?)
「ごめん、気付かなくて。招待状、二つ渡してくれてたんだ?」
「うん! 柚月先生の恋人と二人で来てね!」
「えっ、恋人?!」
「うん!」
「それは困ったな…、」
「どうして?」
「恋人、いないんだ…」
「ええっ…!!」
その小さな全身から、<ガーン!>という絶望の効果音が聞こえてきそうなほどに、ゆなちゃんはとても残念そうに肩を落とした。
(…ほんと困ったな)
どうしたものかと苦笑めいて、彼女の目線まで膝を屈める。
「発表会を観に行くためには、恋人が必要なの?」
「柚月先生、恋人がいると思ってた…」
「いや…、うん、ごめんね、いないんだよね…」
「……はぁ…、そうなんだ…」
「…、」
「じゃあ、一人でもいいから、柚月先生は絶対に来てね?」
「それはもちろん行くよ」
落胆したように眉尻を下げていたゆなちゃんだったが、
最後にはにっこりとした笑顔を向けてくれたことに胸を撫で下ろして微笑む。
(……、)
ただ、それとは別に、少しギクリとしたことがあって。
それは、<恋人>というキーワードが巡ったときに、真っ先にある人物の画 がよぎったこと。
(…いやいやいや…、なんでよ、どうしてそうなるのよ…)
否定的な気持ちとは裏腹に、不思議な鼓動が胸の内側から打ち響いていた。
→
今日は当直日でもなく外来担当でもなく、急患の搬送もほとんどないことから、院内では普段よりも穏やかに過ごせていた。
あと1時間ほどで定時になるという頃、
「柚月せんせー!」
背後から、私の名を呼ぶ明るい声。
「…、え、ゆなちゃん!?」
「はーい!」
「わあ、久しぶりだね!」
担当した患者さんが順調に回復することはたまらなく嬉しい。
満面の笑顔で現れた少女・ゆなちゃんもその一人だった。
「柚月先生、元気だった?」
「ふふ、もちろん元気だよ」
「ゆなちゃんも元気そうだね」
「うん! 元気!」
幼稚園の年長だという彼女は、少しおませなところがあるとても可愛い子で。
昨年の夏、家族旅行に出かけた帰りに事故に遭い、ここに搬送されて私が担当医になった。
後部座席でシートベルトをせずに座っていた彼女は車外に放り出されて重傷だったが、
2度の手術を乗り越えて、3ヶ月ほど前に無事に退院していた。
「退院してからの体の具合はどう? どこか痛むところはない?」
「うん! 全然平気!」
「良かった」
「あのね、柚月先生…、」
母親と医局に訪れた彼女は、肩から下げたポシェットの中をごそごそと弄りながらこちらを見上げる。
「今日は、先生に渡したいものがあるの」
「…渡したいもの?」
「うん!」
愛らしい笑顔で小さな手を差し出したかと思えば、そこには、ゆなちゃんの手作りらしき招待状。
表紙には、カラフルな色どりの折り紙で作った小花が幾つも散りばめられている。
どうやら、もうすぐ幼稚園で発表会があり、舞台で活躍する姿を私に観に来て欲しいということらしい。
早速、勤務表を確認すると、
その日は外来担当でしかも宿直日だったが、ちょうど居合わせた先輩医師の久動先生が非番を代わってもいいと言ってくれた。
感謝しきりに頭を下げ、ゆなちゃんに向き直ってOKサインをして見せたとき、
「あっ…、と、」
大切な招待状が手元から床に滑り落ち、拾おうと慌てて手を伸ばしたところで、二通散らばっていることに気づいた。
(…招待状が、二つ…?)
「ごめん、気付かなくて。招待状、二つ渡してくれてたんだ?」
「うん! 柚月先生の恋人と二人で来てね!」
「えっ、恋人?!」
「うん!」
「それは困ったな…、」
「どうして?」
「恋人、いないんだ…」
「ええっ…!!」
その小さな全身から、<ガーン!>という絶望の効果音が聞こえてきそうなほどに、ゆなちゃんはとても残念そうに肩を落とした。
(…ほんと困ったな)
どうしたものかと苦笑めいて、彼女の目線まで膝を屈める。
「発表会を観に行くためには、恋人が必要なの?」
「柚月先生、恋人がいると思ってた…」
「いや…、うん、ごめんね、いないんだよね…」
「……はぁ…、そうなんだ…」
「…、」
「じゃあ、一人でもいいから、柚月先生は絶対に来てね?」
「それはもちろん行くよ」
落胆したように眉尻を下げていたゆなちゃんだったが、
最後にはにっこりとした笑顔を向けてくれたことに胸を撫で下ろして微笑む。
(……、)
ただ、それとは別に、少しギクリとしたことがあって。
それは、<恋人>というキーワードが巡ったときに、真っ先にある人物の
(…いやいやいや…、なんでよ、どうしてそうなるのよ…)
否定的な気持ちとは裏腹に、不思議な鼓動が胸の内側から打ち響いていた。
→