きっと、朝はまた来る ・2

文字数 2,415文字

「颯太ー…」

インターホンをもう何度押したのか、記憶は曖昧なまま。
颯太が一人暮らしをしているハイツの玄関ドアの前で、扉が開かれるのをゆらゆらと待つ。
アルコールで十二分に満たされた自分の体は、コントロールが難しい。
じっと立っているのも気怠くて、玄関ドアの横壁にゴツンと額を押し当てた。

「……」

冷たくて硬い壁の感触に、額をもう一度、今度は強めに打ち付ける。
ギザギザした痛みが自分を諫めるみたいで、気分がスッとした。

朝からの雨は一向に止む気配がなく、今もなお降り続いている。

でもこんな日は、雨の冷たさも耳障りなくらいの雨音も、今の自分には心地いい。


「……」

しばらくすると、急くようにドアが開いて、当惑したような双眸が私を見つめた。

「柚月っ、どうしたんだよ、こんな時間に?」
「仕事帰りだから、遅くなった…」
「遅いのは別にいいけど、仕事帰りにうちに寄るとか珍しいじゃん?」
「……、久しぶりに、颯太の顔見ようかなと思って…」
「この間会ったばかりだけどな?」

笑顔を貼り付けた颯太だったが、改めて私の風采を見定めてすぐに訝る。

「つーか、結構雨に濡れてね?」
「…そんなに濡れてないよ」
「いや、濡れてるって。しかも、おまえ…、もしかして、酒飲んでる?」
「うん…。ね、颯太、ちょっとこれから一緒に飲まない?」
「いやいや、おまえ、もう結構飲んでるじゃん」
「まだ飲み足りない気分なんだけど…、」
「ダメダメ、今日はもう飲むな。とりあえず、風邪引いたらマズイから、中入れよ」

私の心許ない足取りを気にした颯太は、手を繋いで室内へと連れ立ってくれた。

「……」

髪から滴り落ちる雨の水滴が点々と私の小さな痕跡を廊下に残して、それをぼんやりと眺めながら足を進める。

何度か遊びに訪れたことのある、さほど広くないリビングは前に来たときと変わらずなかなかの散らかりようで。

でも、

(…なんだか、ホッとするな…)

どこか太陽みたいに暖かくて、優しい匂いがした。


「どこで飲んだんだ? いつもの店か?」
「違う…、コンビニで買って…外で飲んでた」
「はあ?! バカヤロ、雨降ってんのに何やってんだよっ。だから濡れてんだな、ったく…」
「…雨に濡れるのも、そんなに悪くないときだってある…」
「なに訳分かんねーこと言ってんだ。…とにかくまずは、着替えねーと風邪引くな…、なんか探してくるからちょっと待ってろ。俺の服でいいよな? …つーか、ここには俺の服しかないけど」
「このままでいいよ…、大丈夫だって」
「ダメだっ」

自分が愛用している座椅子に問答無用で私を座らせた颯太は、矢継ぎ早に隣の寝室に駆け込むと、着替えの服を見繕いながら続けた。

「そういえば、この間の同窓会で会った女子がさ、さっき俺のところに電話あったぞ、『柚月と連絡が取れない』って」
「……、ああ、そういえば、他にも何件か入ってたかな…」
「なんだ、知ってたのか。それなら折り返してやれば良かったのに」
「…まあ、後でね…」
「どうせなら、飲むの付き合ってもらおうって思わなかったのかよ?」
「こんな夜遅くに…、女の子に危ない真似させられないよ」
「いやいや。おまえも女だろ?」
「…ふふ、そうでした」

薄く笑って、座椅子の背もたれに身を預ける。
開け放ったクローゼットで衣類を物色し続けている颯太に、緩く視線を巡らせた。

「……ね、颯太」
「んー?」
「明日休みだし……、今日、泊ってもいい?」
「…ええっ!?」
「家に帰りたくないんだよね…」
「な、なんでだよ?」

両手に服を抱えてリビングに飛び込むように舞い戻った颯太は、動揺しながら私を見下ろす。

「『なんで』って…まあ、その…、」

戸惑いつつも深意を探り当てようと射抜いてくる颯太と視線を合わせないまま、
一瞬言い淀んで、溜め息に乗せるように声を紡いだ。

「居候が、いるから…」
「…は? 咲也くんのことか?」
「うん…」
「なんでだよ、一緒に住んでわりと経つのに、今更別にいいじゃんか」
「……なんとなく、」
「『なんとなく』?」
「うん…。なんとなく……、城崎さんに見られたくない」
「なにを?」
「………弱った自分」
「…、」
「颯太、時々私の家に泊まったりするじゃん。たまには私がここに泊っても良くない?」
「…い、いや、でも、俺は一人暮らしだしさ、常に他の家族がいるおまえの家に俺が泊まるのとでは、訳が違うだろ…」
「いいよ、それでも」
「よくねえよ!」
「…なんで?」

酩酊しているせいもあってか、聞き分けのない子どものようにムッと颯太を睨んでしまう。

散らばった答えをかき集めるかのように逡巡した様子の颯太はしばらく押し黙って、
やがてその場に静かに膝を着くと、戻した視線の先で私を捉えながら、決まりが悪そうに目尻を歪めた。

「それは…、やっぱほら、いくら幼馴染でも大人の男と女だし、色々と気を遣うっつうか…」
「……そか」
「おう」
「颯太なりに、気を遣ってくれてるんだ」
「ま、まあな」
「……分かった」
「着替えが済んだら、家まで送ってやるからさ」
「うん、分かった…、じゃ、野宿する」

よろよろと立ち上がって、元来た廊下へと足を向ける。

「っ! ちょっ…、おまえ、人の話をちゃんと聞いてねーだろ!?」

焦燥に満ちたような颯太がすぐさま立ち上がり、すでに数歩進む私のコートの袖口を引っ張った。

「いいよっ、分かったから! 外で一晩過ごすよりは、ここの方がまだマシだ」
「…ありがと、颯太」
「ったく、仕方ねーな」
「ふふ…、っ、あれ…?」

満足げにゆるゆると微笑んだが、くらりとよろめいて颯太の肩口に頭を預ける。

「…う。ごめん、なんか、目が回る…」
「ほらみろ、大丈夫か? 酔いが回ってきたんだろ…、とりあえず、コレ、隣の部屋使っていいから先に着替えろ…な?」
「…うん、分かった」
「俺、ちょっとドライヤー取ってくるから。洗面所寒いから、髪はこっちの部屋で乾かせよ」

私の肩をぽんぽんとやった颯太は、そのとき指に触れた髪の濡れ具合を気にしながら、洗面所へと姿を消した。



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登場人物紹介

藤沢柚月(フジサワ ユヅキ)23歳

主人公

特異な経歴ゆえに若くして医師


H162cm

城崎咲也(キザキ サクヤ)26歳

私立探偵事務所の所長


H179cm

真鍋颯太(マナベ ソウタ)23歳
柚月の幼馴染


H170cm

石羽 響也(イシバ キョウヤ)27歳

柚月の友人


H175cm


久動 琉成(クドウ リュウセイ)28歳

柚月が勤める大学病院の先輩医師


H176cm

倉橋 舞雪(クラハシ マユキ)23歳

柚月の親友


H156cm

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