消せない想い ・5
文字数 1,608文字
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その日の夜。
就寝前にリビングで英字新聞に目を通していると、
「…遅くなるから晩御飯はいらないと連絡があったようだが、きちんと食事は摂ったかい?」
「はい、ちゃんと食べました。お気遣いありがとうございます」
廊下に続く観音開きのドアが薄く開いたそこから、父と城崎さんの会話が聞こえてきた。
「……」
オーロラサウンドを響かせるからくり時計を一瞥すると、日付が変わる深夜帯であることを当たり前に示している。
(今日も遅くまで…、体調とか大丈夫なのかな)
響也のことを案じたときとはまた違う、強い憂慮。
押し留めてるはずの深層に触れただけで、きゅっと切なくなる。
「…そうか、来週の土曜日にはもう出て行くか」
「はい。今までお世話になりました。本当は、今週の土曜日に出ることを考えていたんですが、もうしばらく時間がかかりそうなので…すみません」
「いやいや、構わんよ、居たいだけ居ればいい。なんなら、ずっとうちに居ても構わないんだがな?」
「ありがとうございます。でも、そういうわけには」
「まあ、君にもいろいろと都合があるだろうが…、せめて、ここを実家のように思ってくれればいい。いつでも帰っておいで」
「……本当に、ありがとうございます」
雄大な海を思わせるような寛闊 な父の声と、どこか吹っ切れたような城崎さんの清々しい澄声が耳に届いた。
(城崎さん…、この家からもういなくなっちゃうんだ…)
二人のやり取りを聞き齧 って、ぼんやりと思う。
自分だって、もう少ししたら家から出るどころか日本からいなくなるのに。
城崎さんとこれまでのようにこの家で顔を合わせられなくなるのだと改めて思うと、ぽっかりと心に穴が開くような寂しさに包まれた。
「あ、柚月ちゃん。これ、アメリカの大学から届いてたよ?」
「…、」
城崎さんの呼声に我に返り、そちらに目を遣る。
いつの間にか父との対話を終えてリビングに入っていた彼は、私に向けていつもの微笑みを寄越した。
「はい、これ」
「ありがとうございます…」
目の前に差し出されたA4サイズの封筒は、城崎さんの言う通り大学から郵送されたもので、
要約はメールで確認していたが、おそらくこれには、研究チームに在籍するための関連書類などが入っているのだろう。
「……」
封を開け、英字が連なる中身に軽く目を通して傍らにしまった。
「ね、柚月ちゃん」
「…はい?」
「今度、新しくなった事務所を見に来てもらえないかな?」
「……私が、ですか?」
「うん。まだちゃんと片付いてないんだけど、完成した事務所を誰よりも先に柚月ちゃんに見てもらいたいんだよね」
「…いいんですか? 私なんかで…」
「もちろん。…そうそう、この間の輩なら、もう検挙されたから安心だよ」
「この間の……、あっ、あのときの男の人ですか…!」
「うん」
「良かった、そうなんですね」
「狙い通りに動いてくれて、他の仲間も芋づる式にね」
「それは快挙ですね…、お疲れさまでした」
「ありがとう。だからね、もう前みたいに治安も悪くないし、これからは気兼ねなく事務所に来てもらえるよ」
「…、」
『これからは』と綴られた言葉にぴくりと反応してしまう。
当分の間、気兼ねなく行ける距離に私はいない。
「とにかく、近いうちに一度見に来て欲しいんだ」
「……分かりました」
「やった!」
「…あの、」
「うん?」
「事務所に行く日なんですが、できれば早めにお願いしてもいいですか? ちょっと予定が込み合ってきそうなので」
「そっか…、分かった。じゃあ、次の柚月ちゃんの休みの日でもいい?」
「…いいですよ。予定を空けておきます」
「じゃあ、それまでには、事務所の中をできるだけ綺麗に片付けておくね」
「あの、たとえ散らかってても全然気にしないので、どうか無理しないでください。それでなくても、城崎さん、最近すごく忙しそうなのに…」
「……、」
そう告げた私の言葉に、城崎さんの整った眉がわずかばかり切なげに歪んだ気がして、思わず訝るように彼を見つめた。
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その日の夜。
就寝前にリビングで英字新聞に目を通していると、
「…遅くなるから晩御飯はいらないと連絡があったようだが、きちんと食事は摂ったかい?」
「はい、ちゃんと食べました。お気遣いありがとうございます」
廊下に続く観音開きのドアが薄く開いたそこから、父と城崎さんの会話が聞こえてきた。
「……」
オーロラサウンドを響かせるからくり時計を一瞥すると、日付が変わる深夜帯であることを当たり前に示している。
(今日も遅くまで…、体調とか大丈夫なのかな)
響也のことを案じたときとはまた違う、強い憂慮。
押し留めてるはずの深層に触れただけで、きゅっと切なくなる。
「…そうか、来週の土曜日にはもう出て行くか」
「はい。今までお世話になりました。本当は、今週の土曜日に出ることを考えていたんですが、もうしばらく時間がかかりそうなので…すみません」
「いやいや、構わんよ、居たいだけ居ればいい。なんなら、ずっとうちに居ても構わないんだがな?」
「ありがとうございます。でも、そういうわけには」
「まあ、君にもいろいろと都合があるだろうが…、せめて、ここを実家のように思ってくれればいい。いつでも帰っておいで」
「……本当に、ありがとうございます」
雄大な海を思わせるような
(城崎さん…、この家からもういなくなっちゃうんだ…)
二人のやり取りを聞き
自分だって、もう少ししたら家から出るどころか日本からいなくなるのに。
城崎さんとこれまでのようにこの家で顔を合わせられなくなるのだと改めて思うと、ぽっかりと心に穴が開くような寂しさに包まれた。
「あ、柚月ちゃん。これ、アメリカの大学から届いてたよ?」
「…、」
城崎さんの呼声に我に返り、そちらに目を遣る。
いつの間にか父との対話を終えてリビングに入っていた彼は、私に向けていつもの微笑みを寄越した。
「はい、これ」
「ありがとうございます…」
目の前に差し出されたA4サイズの封筒は、城崎さんの言う通り大学から郵送されたもので、
要約はメールで確認していたが、おそらくこれには、研究チームに在籍するための関連書類などが入っているのだろう。
「……」
封を開け、英字が連なる中身に軽く目を通して傍らにしまった。
「ね、柚月ちゃん」
「…はい?」
「今度、新しくなった事務所を見に来てもらえないかな?」
「……私が、ですか?」
「うん。まだちゃんと片付いてないんだけど、完成した事務所を誰よりも先に柚月ちゃんに見てもらいたいんだよね」
「…いいんですか? 私なんかで…」
「もちろん。…そうそう、この間の輩なら、もう検挙されたから安心だよ」
「この間の……、あっ、あのときの男の人ですか…!」
「うん」
「良かった、そうなんですね」
「狙い通りに動いてくれて、他の仲間も芋づる式にね」
「それは快挙ですね…、お疲れさまでした」
「ありがとう。だからね、もう前みたいに治安も悪くないし、これからは気兼ねなく事務所に来てもらえるよ」
「…、」
『これからは』と綴られた言葉にぴくりと反応してしまう。
当分の間、気兼ねなく行ける距離に私はいない。
「とにかく、近いうちに一度見に来て欲しいんだ」
「……分かりました」
「やった!」
「…あの、」
「うん?」
「事務所に行く日なんですが、できれば早めにお願いしてもいいですか? ちょっと予定が込み合ってきそうなので」
「そっか…、分かった。じゃあ、次の柚月ちゃんの休みの日でもいい?」
「…いいですよ。予定を空けておきます」
「じゃあ、それまでには、事務所の中をできるだけ綺麗に片付けておくね」
「あの、たとえ散らかってても全然気にしないので、どうか無理しないでください。それでなくても、城崎さん、最近すごく忙しそうなのに…」
「……、」
そう告げた私の言葉に、城崎さんの整った眉がわずかばかり切なげに歪んだ気がして、思わず訝るように彼を見つめた。
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