消せない想い ・6
文字数 1,718文字
「どうかしました…?」
「…何気ないよね、いつも」
「え?」
「誰でも言うよね、社交辞令で言うときもあるし…」
「…、?」
「『無理しないで』なんて、普通の言葉なのに。柚月ちゃんに言われると、どうしてこんなに嬉しくて…切なくなるのかな…」
「…——」
凝り固めてきたはずの心に、ピシリと甘い亀裂が走る。
ただでさえ、響也に諭されて、自分に課した決意が頼りなくぐらついているというのに。
きっと人を好きになると、自分の想いを制御できなくなっても不思議ではないのだ。
…けれど。
「それじゃ、事務所にお邪魔する日は、今度の休みの日ということでお願いしますね」
半ば受け流すように、それでいて穏やかな微笑を惜しみなく向けてソファーから立ち上がった。
「…どうかしてるね、僕」
「え?」
「……」
「いきなりどうしたんですか?」
「……、」
「まさか、実は体調が悪いとかじゃないですよね?」
「…ううん。今のところ元気だよ。ただ…、もう少しキミと一緒に居たいなと思って…」
「…え、」
「ごめん、ちょっとした独り言」
らしくなく、儚く笑う。
端麗な瞳をそっと伏せたその表情に、計算ずくといった虚言の色は見られない。
いつものように強引に主張してくれば、その態度を逆手に取って無情に切り離すことができるのに。
(こんなときに限って…、)
「なんでそんなにしおらしいんですか…」
「えっ…?」
「……はぁぁ…」
大袈裟に肩を上下させて、長嘆息を吐き出す。
「今、新たに気付きました」
「…なにを?」
「どうも私は、城崎さんのそんな顔に弱いみたいです」
「———」
「…意外ですか?」
「とても、意外です…」
「ふふ。城崎さんって、時々そうやって敬語になりますよね」
「そうかな…」
「そうですよ」
普段の自分を振り返るように視線を上に泳がせた城崎さんを見遣ってから、コートハンガーに歩み寄りダウンジャケットを手に取る。
「…さてと。ちょっとだけ、ドライブにでも行こうかな」
「今から一人で? 危ないよ」
途端に眉間に縦皺を刻んでかぶりを振った城崎さんを、ツンと顎先を上げたしたたかな表情で見つめる。
「まさか。一人で行くと思います?」
「えっ、」
「元気についてくる人、手を挙げて?」
「——っ、はいっ…!」
言葉の意味を理解した様子の城崎さんは、咄嗟の挙手とともに遠慮がちに小首を傾げた。
「柚月ちゃん…、いいの?」
「ドライブに行きたくなったんです。付いてきてくれないなら、余裕で一人で行きますけど」
「もちろん一緒に行く」
「それじゃ、行きましょう。外は寒いですから、風邪引かないように暖かくしてください。先に行って、車内を暖めておきますね」
「…あ、待って、僕も一緒に出るよ。ダウン着てくるから、少し待ってて」
「分かりました、じゃあ、ここで待ってます」
「あと、僕が運転するから」
「ドライブに行くって言いだしたのは私だし、運転しますよ」
「だーめ。柚月ちゃん、確か明日は当直日でしょ? 疲れを残さないほうがいいよ」
「…んー…、では、お言葉に甘えさせていただきます」
「うん! じゃ、ちょっと待っててね、すぐに戻るから」
無邪気な子どものように嬉々として綻ぶ笑顔で、城崎さんは急いで踵を返す。
「そんなに慌てると、スリッパが脱げて階段で転びますよ?」
「大丈夫! こう見えて僕、運動神経良いから!」
「……」
(『こう見えて』って…、もともと運動神経が良いように見えるけど…)
クスッと笑って、
城崎さんが立ち去った後の、開いたままのドアの先を見つめた。
︙
寒い冬の夜。
夜気が透き通る暗闇を明るく照らし出すように。
深夜のドライブを少しだけ。
二人きりの時間を少しだけ。
運転席でハンドルを握る城崎さんの明るい笑顔が、どれほど安らぎをもたらしてくれるのかを強く実感してしまう。
(やばいな、もう…)
結局、一度抱いた恋情をそう簡単に消し去ることなんてできない。
消せない想いの行く先は、自分にとってのバッドエンドでなければならないのに。
「もう少し遠くまで走ってもいい?」
「…いいですよ。城崎さんがしんどくなければ、ですが」
「僕は全然平気!」
「…ふふ、元気いっぱいですね」
私の中で、
大団円を阻む自分の決断が、ゆっくりと崩れていく音を感じていた。
volume.6 消せない想い END
「…何気ないよね、いつも」
「え?」
「誰でも言うよね、社交辞令で言うときもあるし…」
「…、?」
「『無理しないで』なんて、普通の言葉なのに。柚月ちゃんに言われると、どうしてこんなに嬉しくて…切なくなるのかな…」
「…——」
凝り固めてきたはずの心に、ピシリと甘い亀裂が走る。
ただでさえ、響也に諭されて、自分に課した決意が頼りなくぐらついているというのに。
きっと人を好きになると、自分の想いを制御できなくなっても不思議ではないのだ。
…けれど。
「それじゃ、事務所にお邪魔する日は、今度の休みの日ということでお願いしますね」
半ば受け流すように、それでいて穏やかな微笑を惜しみなく向けてソファーから立ち上がった。
「…どうかしてるね、僕」
「え?」
「……」
「いきなりどうしたんですか?」
「……、」
「まさか、実は体調が悪いとかじゃないですよね?」
「…ううん。今のところ元気だよ。ただ…、もう少しキミと一緒に居たいなと思って…」
「…え、」
「ごめん、ちょっとした独り言」
らしくなく、儚く笑う。
端麗な瞳をそっと伏せたその表情に、計算ずくといった虚言の色は見られない。
いつものように強引に主張してくれば、その態度を逆手に取って無情に切り離すことができるのに。
(こんなときに限って…、)
「なんでそんなにしおらしいんですか…」
「えっ…?」
「……はぁぁ…」
大袈裟に肩を上下させて、長嘆息を吐き出す。
「今、新たに気付きました」
「…なにを?」
「どうも私は、城崎さんのそんな顔に弱いみたいです」
「———」
「…意外ですか?」
「とても、意外です…」
「ふふ。城崎さんって、時々そうやって敬語になりますよね」
「そうかな…」
「そうですよ」
普段の自分を振り返るように視線を上に泳がせた城崎さんを見遣ってから、コートハンガーに歩み寄りダウンジャケットを手に取る。
「…さてと。ちょっとだけ、ドライブにでも行こうかな」
「今から一人で? 危ないよ」
途端に眉間に縦皺を刻んでかぶりを振った城崎さんを、ツンと顎先を上げたしたたかな表情で見つめる。
「まさか。一人で行くと思います?」
「えっ、」
「元気についてくる人、手を挙げて?」
「——っ、はいっ…!」
言葉の意味を理解した様子の城崎さんは、咄嗟の挙手とともに遠慮がちに小首を傾げた。
「柚月ちゃん…、いいの?」
「ドライブに行きたくなったんです。付いてきてくれないなら、余裕で一人で行きますけど」
「もちろん一緒に行く」
「それじゃ、行きましょう。外は寒いですから、風邪引かないように暖かくしてください。先に行って、車内を暖めておきますね」
「…あ、待って、僕も一緒に出るよ。ダウン着てくるから、少し待ってて」
「分かりました、じゃあ、ここで待ってます」
「あと、僕が運転するから」
「ドライブに行くって言いだしたのは私だし、運転しますよ」
「だーめ。柚月ちゃん、確か明日は当直日でしょ? 疲れを残さないほうがいいよ」
「…んー…、では、お言葉に甘えさせていただきます」
「うん! じゃ、ちょっと待っててね、すぐに戻るから」
無邪気な子どものように嬉々として綻ぶ笑顔で、城崎さんは急いで踵を返す。
「そんなに慌てると、スリッパが脱げて階段で転びますよ?」
「大丈夫! こう見えて僕、運動神経良いから!」
「……」
(『こう見えて』って…、もともと運動神経が良いように見えるけど…)
クスッと笑って、
城崎さんが立ち去った後の、開いたままのドアの先を見つめた。
︙
寒い冬の夜。
夜気が透き通る暗闇を明るく照らし出すように。
深夜のドライブを少しだけ。
二人きりの時間を少しだけ。
運転席でハンドルを握る城崎さんの明るい笑顔が、どれほど安らぎをもたらしてくれるのかを強く実感してしまう。
(やばいな、もう…)
結局、一度抱いた恋情をそう簡単に消し去ることなんてできない。
消せない想いの行く先は、自分にとってのバッドエンドでなければならないのに。
「もう少し遠くまで走ってもいい?」
「…いいですよ。城崎さんがしんどくなければ、ですが」
「僕は全然平気!」
「…ふふ、元気いっぱいですね」
私の中で、
大団円を阻む自分の決断が、ゆっくりと崩れていく音を感じていた。
volume.6 消せない想い END