守りたいもの ・2
文字数 2,123文字
「ほんと、柚月ちゃんって仕事熱心だよね」
助手席でノートパソコンにデータ入力を続ける私に、城崎さんが感心したように短く笑う。
視界の端でその姿を一瞥した後、パソコンの画面を注視したままで手を止めた。
「仕事虫って、よく言われます」
「だろうね」
「城崎さんも、仕事虫っぽいですけど」
「確かに。僕も、スタッフの子たちによく言われるかな」
「でしょうね」
「パソコン、普段から持ち歩いてるの?」
「必要なときは。…個人的に調べたいこととか、他にも色々とデータにしておきたくて…、今は、ある病理の臨床のデータをまとめてるところです」
「へえ、すごいね。…もしかして、今日大学病院へ行くのもその件に関して?」
「そうです。資料室で、ちょっと確認しておきたいことがあって」
「そうなんだ」
赤信号になり、ゆっくりとブレーキを踏み込んで車を停止させた城崎さんはこちらに振り向いた。
「遠回りさせてごめんね」
「…いえ」
「時間とか大丈夫?」
「別に、問題ないので気にしないでください。…タクシー代わりだって思えばいいだけですから」
「あははっ、僕よりも意地悪なこと言う」
楽しげに笑った城崎さんだったが、さらに視線を感じて今度は私が彼を見遣った。
「…なにか?」
「キミが意地悪なことを言う理由を考えてた」
「え?」
「……ほんと、優しいね」
「…、いきなりなんですか」
「柚月ちゃん、いつも優しいから」
「またそれ…。本当に優しい人は、ああいった意地悪なことを言わずに、もっと気遣うような言い方をしますよ」
「…でも、優しさの出し方って、人それぞれだから」
「………、あ。青になりましたよ」
フロントガラスの向こうを顎先で指し示すようにしてから、再びパソコンの画面に視線を落とす。
私に促された城崎さんは前に向き直ると、静かに運転を再開した。
(…優しさの出し方、か)
考えたこともないようなことをすらすらと並べる城崎さんは、本当に変わった人だ。
でも、たぶん、
タクシー代わりだと言った意味を、彼は気付いているのだろう。
少しでも、<ごめんね>の想いを軽くしてあげたいための、意地っ張りな私の偽言。
(ほんと、城崎さんは侮れない…)
こっそりと苦笑を漏らしつつ、またパソコンのキーを叩いた。
︙
心地よい静寂がしばらく続いて。
何度目かの青信号を通り過ぎたとき、ふと思いを馳せるように城崎さんは形のいい唇を開いた。
「僕ね…、受け継いでる探偵事務所の前所長には、すごくお世話になったんだ」
「…、そうなんですか」
あと数分もすれば、建替え中の事務所に着くからなのか。
不意に、城崎さんは現所長である自身の成り立ちについて語り始めて、私も静かに相槌を打つ。
「小さい頃に両親を亡くして…、兄が親代わりになって僕を育ててくれたんだけど、僕が16歳のときに、ある事件に巻き込まれて亡くなったんだ」
「…、」
「警察と連携して事件の調査に乗り出していた前所長がね、いきなりたった一人の肉親を亡くして途方に暮れていた僕のことを助けてくれて。周りには、前所長しか頼れる大人がいなかったから、ずっとお世話になりっぱなしだった。…高校も辞めることなく通わせてくれて…、僕、少しでも前所長に恩返しがしたいと思って、その頃から探偵の助手とか、結構頑張ってたんだよね」
穏やかなハンドル捌きで車を走らせる城崎さんは、フロントガラスの先に続く道路に視線を投じながらも、どこか別の遠くに想いを繋げるように言葉を刻む。
「大学にも行かせてくれて。世界を視ておいたほうがいいって、途中からアメリカの大学に編入させてくれたんだよね」
「そういえば、響也が言ってましたね…、城崎さんは途中からいきなり大学に現れて、そして、突然辞めたって…」
「…うん。実は、前所長が体を壊しちゃって…、心配だったから、大学辞めて帰って来ちゃったんだ」
「…、そうだったんですね…」
『失礼だなあ。僕なりのちゃんとした理由があったんだよ』
以前、退学の理由を訊ねた響也に対して放っていた城崎さんの言葉が甦る。
(それなりの理由…、)
あのときの城崎さんは軽い調子で言っていたように見えたが、その実、大切な事情があったのだと看取する。
「前所長ね…、末期の膵臓癌だったんだ」
「……、」
「柚月ちゃんなら、その病気がどれだけ深刻なものなのか…分かるよね?」
「…はい…」
膵臓癌は、癌の中でもとりわけ進行が早く、末期の場合、5年の生存率はほぼゼロに近いと言っても過言ではない。
実際、その病名を聞いただけで、余命期間の闘病生活がどんなに過酷だったのかも容易に想像がつくし、医師側のオペカンファレンスも、楽観的に進められることの方が少ない。
城崎さんはそのとき、どんな想いで、
敬愛する前所長の病名と余命宣告を受け止めたのか。
少し考えただけでも、胸が軋んだ。
「病院からの連絡で倒れたって知って、いてもたってもいられなくなって…。前所長には、どうして帰って来たんだって怒られちゃったけど、でも、余命わずかっていうのを聞かされて、どうしてもそばにいたくて…」
「……」
「最期までずっと前所長のそばにいたこと、僕は後悔してない」
信念を貫くような口調と達観したような強い微笑。
なのに、
城崎さんの目尻から、一筋の涙が伝うような錯覚を見た気がした。
→
助手席でノートパソコンにデータ入力を続ける私に、城崎さんが感心したように短く笑う。
視界の端でその姿を一瞥した後、パソコンの画面を注視したままで手を止めた。
「仕事虫って、よく言われます」
「だろうね」
「城崎さんも、仕事虫っぽいですけど」
「確かに。僕も、スタッフの子たちによく言われるかな」
「でしょうね」
「パソコン、普段から持ち歩いてるの?」
「必要なときは。…個人的に調べたいこととか、他にも色々とデータにしておきたくて…、今は、ある病理の臨床のデータをまとめてるところです」
「へえ、すごいね。…もしかして、今日大学病院へ行くのもその件に関して?」
「そうです。資料室で、ちょっと確認しておきたいことがあって」
「そうなんだ」
赤信号になり、ゆっくりとブレーキを踏み込んで車を停止させた城崎さんはこちらに振り向いた。
「遠回りさせてごめんね」
「…いえ」
「時間とか大丈夫?」
「別に、問題ないので気にしないでください。…タクシー代わりだって思えばいいだけですから」
「あははっ、僕よりも意地悪なこと言う」
楽しげに笑った城崎さんだったが、さらに視線を感じて今度は私が彼を見遣った。
「…なにか?」
「キミが意地悪なことを言う理由を考えてた」
「え?」
「……ほんと、優しいね」
「…、いきなりなんですか」
「柚月ちゃん、いつも優しいから」
「またそれ…。本当に優しい人は、ああいった意地悪なことを言わずに、もっと気遣うような言い方をしますよ」
「…でも、優しさの出し方って、人それぞれだから」
「………、あ。青になりましたよ」
フロントガラスの向こうを顎先で指し示すようにしてから、再びパソコンの画面に視線を落とす。
私に促された城崎さんは前に向き直ると、静かに運転を再開した。
(…優しさの出し方、か)
考えたこともないようなことをすらすらと並べる城崎さんは、本当に変わった人だ。
でも、たぶん、
タクシー代わりだと言った意味を、彼は気付いているのだろう。
少しでも、<ごめんね>の想いを軽くしてあげたいための、意地っ張りな私の偽言。
(ほんと、城崎さんは侮れない…)
こっそりと苦笑を漏らしつつ、またパソコンのキーを叩いた。
︙
心地よい静寂がしばらく続いて。
何度目かの青信号を通り過ぎたとき、ふと思いを馳せるように城崎さんは形のいい唇を開いた。
「僕ね…、受け継いでる探偵事務所の前所長には、すごくお世話になったんだ」
「…、そうなんですか」
あと数分もすれば、建替え中の事務所に着くからなのか。
不意に、城崎さんは現所長である自身の成り立ちについて語り始めて、私も静かに相槌を打つ。
「小さい頃に両親を亡くして…、兄が親代わりになって僕を育ててくれたんだけど、僕が16歳のときに、ある事件に巻き込まれて亡くなったんだ」
「…、」
「警察と連携して事件の調査に乗り出していた前所長がね、いきなりたった一人の肉親を亡くして途方に暮れていた僕のことを助けてくれて。周りには、前所長しか頼れる大人がいなかったから、ずっとお世話になりっぱなしだった。…高校も辞めることなく通わせてくれて…、僕、少しでも前所長に恩返しがしたいと思って、その頃から探偵の助手とか、結構頑張ってたんだよね」
穏やかなハンドル捌きで車を走らせる城崎さんは、フロントガラスの先に続く道路に視線を投じながらも、どこか別の遠くに想いを繋げるように言葉を刻む。
「大学にも行かせてくれて。世界を視ておいたほうがいいって、途中からアメリカの大学に編入させてくれたんだよね」
「そういえば、響也が言ってましたね…、城崎さんは途中からいきなり大学に現れて、そして、突然辞めたって…」
「…うん。実は、前所長が体を壊しちゃって…、心配だったから、大学辞めて帰って来ちゃったんだ」
「…、そうだったんですね…」
『失礼だなあ。僕なりのちゃんとした理由があったんだよ』
以前、退学の理由を訊ねた響也に対して放っていた城崎さんの言葉が甦る。
(それなりの理由…、)
あのときの城崎さんは軽い調子で言っていたように見えたが、その実、大切な事情があったのだと看取する。
「前所長ね…、末期の膵臓癌だったんだ」
「……、」
「柚月ちゃんなら、その病気がどれだけ深刻なものなのか…分かるよね?」
「…はい…」
膵臓癌は、癌の中でもとりわけ進行が早く、末期の場合、5年の生存率はほぼゼロに近いと言っても過言ではない。
実際、その病名を聞いただけで、余命期間の闘病生活がどんなに過酷だったのかも容易に想像がつくし、医師側のオペカンファレンスも、楽観的に進められることの方が少ない。
城崎さんはそのとき、どんな想いで、
敬愛する前所長の病名と余命宣告を受け止めたのか。
少し考えただけでも、胸が軋んだ。
「病院からの連絡で倒れたって知って、いてもたってもいられなくなって…。前所長には、どうして帰って来たんだって怒られちゃったけど、でも、余命わずかっていうのを聞かされて、どうしてもそばにいたくて…」
「……」
「最期までずっと前所長のそばにいたこと、僕は後悔してない」
信念を貫くような口調と達観したような強い微笑。
なのに、
城崎さんの目尻から、一筋の涙が伝うような錯覚を見た気がした。
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