4節
文字数 3,127文字
それはスピカ達がちょうど大穴を目指して町を飛び立った頃の出来事だ。
「アスピが最後にミアの気配を感じたと言っていたのはこの辺りね。
ミアったらこんな何も無い場所で何をしていたのかしら?」
漆黒の馬に引かれた馬車の中から、黒いドレスの女性は窓の外に広がる森を眺めながらそう呟いた。誰の目にも触れていない車中でも姿勢を正し、優美に眼下の森を見つめる姿はさながら女王様といったところか。
彼女の名前はカノープス。愛称はカノー。
特徴は腰まで伸びた艶やかな黒髪。同性の目すら釘付けにする魅惑のボディ。
そして、王者の風格漂う2本の大角。
そう、彼女は人間ではない。悪魔である。
先程”眼下の森”という表現を使ったがこれは誤用ではない。実際に今彼女は地上よりも雲が近い程の上空にいる。空飛ぶ馬車に乗って上空を走っているのだ。
するとふとあるものがカノーの目に止まる。それは樹々が密集する森に空いた不自然な空間。スピカ達が目指している大穴と同じだ。
彼女はすぐにそこへ向かって馬を走らせ、穴の上空10メートルぐらいの位置に停車させた。
そしてフードを被ってドアを開けると、なんの躊躇もなく飛び降りた。
〈ズドンッッ!!〉
シンプルに自由落下の速度のまま一切減速せず地面に着地する。常人なら全身複雑骨折して当然の衝撃があった事は着地音から容易に想像できる。
だがカノーは涼しい顔。軽くホコリをはたき落とすと、何事もなかった様に目の前の穴を覗き込む。
この穴は何なのだろうか?捜しているミアと関係があるのだろうか?
そんな事を考えていると……
「そこのご婦人!」
1人の男性が木々の間から現れカノーを呼び止めた。
腰に剣と拳銃が挿さっている。ちょっとした刃物なら防げるぐらいの防具も付けている。足場が不安定な森でも動き易い軽装版だが完全武装と言って言い。
最もいずれも新品の様にピカピカであるところを見るに実戦経験は浅そうだ。
「ここは立ち入り禁止だ。早く立ち去りなさい!
……というか、いつの間に入り込んだんだ?」
どうやらさっきの着地音で侵入者に気付き、様子を見に来た大穴の見張りの様だ。
一度は男に目を向けたカノーだが、すぐに目線を外し再び穴を覗き込む。無言の立ち退き拒否を示した彼女を力強くで追い出すため、男は彼女の腕を掴もうとする。直後、逆にカノーが伸びてきた腕を掴む。
「触るな。人間風情が。」
「グッ、グァ…ッ!!」
男から苦痛に歪む声が漏れる。腕を護るはずのガントレットがまるで紙のようにクシャクシャに握り潰される。男は何とか手を振り解こうともがくも、その手はピクリとも動かない。
カノーは表情1つ変えないまま腕を振ると、自分よりも大きい男性を軽々と放り投げ木に叩きつけた。
「何だ!?何かあったのか!?」
騒ぎに気付き他の見張り4人が一斉に集まって来る。投げ飛ばされた男が「気を付けろ!」「只者じゃない!」と、ヨロヨロと起き上がりながら仲間に警告する。
この女性が?半信半疑のまま男達は武器を手に取り戦闘態勢に移行する。
しかしカノーは全く動じない。寧ろこの状況は好都合と捉えた。
(丁度いいわ。この穴について聞き出しましょう。
もしかするとミアの事も知っているかも。)
カノーがゆっくりと男達に向かい合う。たったそれだけで相手は皆本能的に恐怖した。
蛇に睨まれた蛙の様に身動きが取れず、武器を握る手にも汗が滲み無意識に両手持ちになる。
恐怖心を振り払う様に1人が悲鳴にも似た雄叫びを上げた。
その時、カノーと男達の間に黒馬が空から割って入る。
男達の方を向き鼻息を荒くする黒馬。するとその足元から黒い煙の様な物が立ち昇り始める。
徐々にそれは大きい塊となりバチバチという音と共に青白い閃光を迸らせる。
動揺を隠せない男達を更に追い詰める様に、黒馬は後ろ足で立ち上がり咆哮を上げる。
同時に額から2本の角が生えた!周りの黒い煙から轟音が鳴り、一斉に雷が落ちる!
「ウワアアァァーーーッ!!」
「バケモノ馬だ!!逃げろッッ!!!」
悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らす様に男達は逃げて行く。その姿が見えなくなると黒馬はすぐに平静を取り戻し、角も雷雲もあっという間に消えた。
その後、黒馬はじゃれ付く様にカノーに頭を擦り付ける。それに応えカノーは微笑みながら頭を撫でる。
「もう、逃げちゃったじゃない。
でもありがとう。私が危ないと思って助けてくれたのね。優しい子。」
しばらくこの辺を調べるから散歩でもして来なさい。そう言われると黒馬は意気揚々と空へと走り出した。
(さて、調べると言ってもどうしようかしら……)
——数分後——
穴を観察しながらしばらく考え込んでいると、遠くから何者かの声が聞こえて来た。
その声は徐々に大きくなっていく。どうやらこちらに向かって来ている様だ。
「……正体は悪魔だろ!」
「そう呼ばれてた時代もあったわね。」
声のした方向から現れたのはスピカ達3人だった。
偶然の邂逅を果たしたカノーとスピカ一行。お互いに存在に気付き無言で様子を伺っていた時、カノーはこんな事を考えていた。
(さっき『正体は悪魔』って言ってたわね。
人間なら脅かして追い返すべきだけど、同族だったら失礼になってしまうわ。
どうしましょう……)
悩んでいると背後から熊が出没する。これをスピカは大きな破裂音を出す事で追い返した訳だが、熊の方を向いており音だけを聞いたカノーは起きた出来事をこの様に捉えた。
(見ていなかったけど今の音は爆破系の魔法?
音から察するにかなりの威力だわ。人間の魔力では到底発現は不可能な筈。
やっぱりこの方達は悪魔なのね。)
この瞬間、カノーの中でスピカ達は全員悪魔と認識された。そして誤った認識はそのまま固定観念となり思考の前提となる。
「ピ、ピクニックしてたら偶然この穴を見つけて!」
(こんな森の奥でピクニック?
……そうか。人間がいる様な場所でうっかり悪魔の力を使ったら大騒ぎになるから仕方ないわよね。)
「こんな場所でないと小さな子を思い切り遊ばせられませんものね。」
スピカの苦しい誤魔化しもカノーは勝手に情報を補完し納得する。多少不自然な点があっても肯定的に捉えてしまう程、カノーは親切にしてくれたスピカを信じ込んでいた。
更に面倒な事にスピカは逆にカノーを人間だと思い込んでいた。だからこそ彼女を前にしても一切動じず、怪しまれる事もなかった。
ビエラはどうだったのかと言うと……
「( ・_・)ジーーー」
夢中で見つめる先にあるもの。それはカノーの胸だった。
触ってみたい。それで頭がいっぱいだった。
だがビエラを責める事はできない。そこに未知の感触が待っているかもしれない。そう思えば彼女の素性など取るに足らない事なのだから。
だがしかし!
たった1人だけカノーが悪魔である事に気付いている者がいた!
(な、何だコイツから感じる魔力は!?
量も質もワシとは比べ物にならない……ッ!!)
ビエラがカノーの”胸囲”に目を奪われていた時、アークもまたカノーの”脅威”に慄いていた。
魔女であるアークは魔力だけならば悪魔に匹敵する。その彼女でも臆してしまう程の脅威的魔力の大きさ。それはカノーが悪魔の中でも突出した力の持ち主である事を示していた。
「どうしたのアーク?汗なんかかいて?」
「……えッ!?
あ、ああ、何でもない……」
(どうする?逃げるか?
いや、とても逃げられる気がしない……ッ!!
よくわからんが攻撃してくる意志は無い様だ。
とにかくコイツを刺激しない様にしないと……!)
そしてここから、魔女アークの孤軍奮闘が始まるのだった。