1節
文字数 1,737文字
そこに今、ある男が若い看護婦に連れられて個室に入れられた。
「今更何の検査ですか?
もう傷はすっかり治っている事は見れば分かると思いますが?」
「まぁまぁ、とにかく座って。」
病院に呼び出されていたのはアルクだった。
1ヶ月前、アビィとの戦闘で酷く負傷し、1度ここに運び込まれたことのあるアルク。しかし魔獣である彼は脅威的な速度で回復し、その時はたった1日で退院した。
だが運び込まれた当初は全治3ヶ月の診断だった。それがたった1日で治るなんて前代未聞。もっと良く診断させて欲しいと病院から要請があったのだ。
自分が魔獣である事を知られるのはマズい。そう考え検診をずっと断り続けていたアルクだったが、病院側は諦め切れなかった様で遂には命令状を発効してきたのだ。
コスモスは医療先進国だけあって医療協会の権限はかなり強い。どうしても必要と判断した場合は、強制的に受診させる権限も持っているのだ。
この命令状を無視すると法的にアウト。警察が介入して来る。流石に無視できず、渋々こうして病院へやって来たのだ。
「前も言いましたが、最初の全治3ヶ月というのは誤診だったんですよ。
そんなに酷い傷じゃありませんでした。」
「ふ〜ん……
まぁアタシ医者じゃないから細かい事はわかんないの。
取り敢えずこの注射打って来いって言われてるから打つね。」
随分軽いノリで注射を首筋に打とうとする看護婦。しかし何かも分からないものを打たせる訳がない。アルクが拒否していると、看護婦は「アッ!」っとアルクの後ろを指差しながら叫んだ。
アルクはビックリして思わず後ろを振り向くがそこには特に何も無い。一体何があったのかと前を向き直すと、看護婦は空っぽになった注射器を持ちながら笑っていた。
「はい、おわり〜!」
「なっ!?いつの間に!?」
「スゴイ?
アタシ注射の早さだけで、ここで働かせて貰ってるんだ♪」
幾ら早いと言っても振り向いていた時間は3秒も無かった。それに刺された感覚が全く無かった。
並外れた五感を持つアルクに、気配も悟られず注射を打つとは……
只者じゃない相手にアルクが面を喰らっていると、険しい顔付きの白衣の老人が部屋に入って来る。
「どうかね?」
「あ、会長。
さっき打ったよ。」
(会長?医療協会のトップか?)
そうかと頷くと、その老人はアルクに前に座り、観察する様にジッと彼の顔を見つめる。
看護婦よりは明らかに事情に詳しそうな老人にアルクは尋ねる。
「一体何を打ったんですか?」
「命に関わる様なものじゃない。安心しなさい。」
「答えになっていない!
ちゃんと説明しろッ!!」
まるで実験動物にされているかの様な扱いにアルクがキレる。立ち上がって睨む彼を見て、老人はボソリと呟く。
「もう1分は経つか……
にも関わらず、勢いよく立ち上がれて大声も出せると言う事は……」
「アウトだね〜」
「???」
相変わらず何の説明無いまま勝手に結論を出す2人に、アルクがもう一度キレようとする。
しかしそれを遮るように老人は遂に核心に触れる。
「君に打ったのは麻酔だ。
それも、半日は動けないレベルのな。」
「なッ!?」
普通なら既に立つ事はおろか、意識を保つ事も難しい。
だがアルクには何の変化も無い。これは、アルクが普通の人間じゃないことを証明している。
魔獣の脅威的な回復力が麻酔の効果を打ち消したのだ。本人すら気付かないほど、あっという間に。
嵌められた。
苦虫を噛み潰した様な表情の彼に、老人はスッと1枚の紙を差し出す。
「明日の正午、この紙に書かれている場所に行きなさい。
君に会いたがっている人が待っておられる。」
「……誰だ?」
「行けば分かる。」
ひったくる様に紙を受け取ったアルクは足速に部屋を去った。
部屋の外で紙を睨みながら考える。
(一体誰だ?
医療協会のトップがわざわざ動いたんだ。それなりの権力者なのは間違い無いが……)
この呼び出しを無視する事は簡単だ。
だが相手が権力者なら無視した場合、強硬手段に出ないとも限らない。
そうなったら他の人の安全は?ミモザはどうなる?スピカの様に自分と関わった人達は?
アルクに選択肢などある筈も無く、大人しく指定された場所に向かう事にした。