1節
文字数 2,867文字
寒気が強くなり、初雪も間も無くかという秋の終わり。
コスモスの東端。中心部とは打って変わって緑溢れる農園区。
そこで働く農夫達がとある畑に大集合していた。
その畑には芽吹いてまだ1月程と思われる小さな稲が青々と生茂っている。
集まった人々は畑の前で横一列に整列し始める。その列の中央に立っているのは、ここに住む魔女アークだ。
「ほ、本当にこれでいいのか?
絶対だな!?」
「大丈夫よ、アークちゃん。
さ、初めの一歩はあなたの仕事よ。」
祖母に当たる程歳上の女性に促され、アークは恐る恐る一歩前に踏み出す。
足が地に付く直前、足元の稲が目に入る。まだ傷1つない生き生きとした若葉。生命力に溢れている様で、同時に弱々しい危うさがある。
今、その稲を踏み潰そうとしている。
これは『麦踏み』という麦類の手入れ方の1つ。
冬の前に成長し過ぎることを防ぎ、根張りをよくする効果がある。それにより耐寒性が高められ、冬を乗り越える事ができるのだ。
そう教えられてはいるが躊躇して足を空中で止めてしまうアーク。
この若い稲を踏み潰す行為は、ようやく一人歩きを始めた赤子を、崖下に突き落とすぐらい酷い事の様に感じてしまう。
ましてやこの畑はアークが農夫達に助けられながら、やっとの思いでここまで育て上げたもの。躊躇するのは当然と言える。
アークは再び隣のお婆さんに助けを求める様な眼差しを向ける。
お婆さんは何も言わずに笑顔を返す。周りを見渡せば他の農夫達も後押しする様にアークを見つめている。皆お婆さんと同じくらいの歳だ。
多くの祖父、祖母に見守れながらアークは浮かせていた足をグッと踏み降ろした。
——1時間後。
「お疲れ様です、アークトゥルス様。」
カボチャ頭の執事ネカルが紅茶を入れてアークに差し入れる。
続いて同じ物を人形達に手渡し、受け取った者から手伝ってくれた農夫達一人一人の元へ運んで行く。
半年前は農夫達にとって、声を上げて逃げ出す程の恐怖の対象だった人形。しかし今ではペットと接する様に、笑顔で頭を撫でながら紅茶を受け取っている。
一見すると不気味な光景。だがこれが今の農園区の日常なのだ。
「無事に冬を越えてくれると良いですね。」
「ワシが育てたんだ。大丈夫に決まってる!」
「仰る通りでございます。
かの名高い『畑の魔女』が育てる麦でございますから、きっと豊作になるでしょう。」
「う……
その呼び方をするな!」
クワに跨って飛ぶ、麦わら帽子を被った『畑の魔女』。
誰が言い出したか定かではないが、それがアークの通り名。
威厳が感じられないとアーク自身はお気に召していないが、周囲からのウケは良い。
では、いつから彼女はそう呼ばれる様になったのか?
その経緯は2ヶ月前まで遡る。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「フゥ、今日も疲れた……
明日は天気悪いかもって言ってたな。帰ったら雨具の準備しとくか。」
「もう明日の作業を考えておられるとは、やる気満々でございますね。」
「し、仕方なくだ!仕方なく!!」
アークは以前、本意ではなかったとは言え、農園区に多大な迷惑を掛けた。
そのお詫びに農作業を手伝えとスピカに命じられて数ヶ月。根が真面目で勉強熱心なアークは、農業のイロハをどんどん習得していた。
その真摯な姿勢は農夫達からも気に入られ、皆孫の様にアークを可愛がった。
汗水を流して働き、終わればキチンとお礼を言って貰える。今ではお小遣い程度だが給料も貰える様になった。
働いて得たお金は趣味の人形作りや人形集めに使って、休日も楽しく過ごした。
“充実”。或いはそれ以上の”幸福”。
意識する事は無かったが、アークは確かにそれを感じていた。
そんなある日、アークの目に農園区ではまず見かけない自動車の姿が目に止まった。
中から出てきたのは土に汚れていない小綺麗な服に、舗装された道しか歩いていないのが丸わかりのピカピカの革靴を履いた男。
それを出迎えたのは、農夫達の中でも特にアークを可愛がっているお婆さん。
かつてアークが処刑されようとした時、唯一それに反対しスピカと協力して助けてくれたハマルだった。
「場違いな男だな……
ハマル婆さんに何の用だ……?」
「如何なさいますか?」
「ちょっと気になる。後をつけるぞ。」
2人が向かった先は先日収穫を終えたばかりの1つの畑だった。そこで何かの話を始めた。
アークは気付かれない位置から、こっそりその会話を盗み聞きする。
その内容は土地取引に関する事だった。ハマルはこの男に、畑の土地を売ろうとしていたのだ。
男は売買契約について税金やら規約やらの説明を、小難しい言葉を並び立てながら、まくしたてる様に話す。
ハマルは口を半開きにしたまま、ただ頷いて話を聴くだけ。ほぼほぼ理解していないのは、誰の目にも明らかだ。
にも関わらず男は一方的に話し終えると、紙束を彼女に手渡す。
「ではよろしければこちらにサインを。」
「はいはい……」
「婆さん!早まるな!!」
アークも男の話は半分も理解できなかった。だが契約を急ごうとする男の動きを不審に思い、咄嗟にハマルから契約書を奪い取った。
その書類に目を通す。しかし契約についてビッシリ書き込まれていて、すぐには理解できない。
でもとにかくサインするのは早過ぎる。そんな確信に近い予感がした。
内容をよく確認するから、後日また来いと言うと男は反論する。
「なんだ君は!?
これは私とこちらの御婦人との契約だ!邪魔をするな!」
「なんだよ?
調べられちゃ困る理由でもあるのか?」
「し、失礼なっ……!」
「アークトゥルス様、少々その契約書をお見せ頂けますか?」
「ウワァ!?
何だお前!!?」
奇妙な見た目のネカルの登場に、男は驚き尻餅をつく。その隙にネカルは契約書に目を通す。
「どうだ?ちゃんとした契約書か?」
「ふむ……、特に問題はございません。
先程の説明も分からせようとする努力があったかはともかく、嘘などはございませんでした。」
「そ、そうか……
ワシの早とちりか……」
「ですが、この提示されている買値は相場を遥かに下回っております。
この土地の広さから目算で見積もっても、些か不釣り合いかと。」
「(ギク……っ!?)
確かに少し安いかもしれないが、ちゃんと理由が……!!」
男は安値になっている理由を話す。
言葉巧みにもっともらしい事を並べ立てていたが、それにしても安過ぎる。
どうやら商談相手が土地売買に無知である事を良いことに、安く買い付けようという腹だった様だ。
結局、もっと良い条件で買ってくれる人がいるだろう、というネカルのアドバイスもあり契約は不成立。
男は渋々諦めて帰って行った。
「ありがとね、アークちゃんにネカルさん。
大事な財産を捨て値で手放すところだったよ。」
「まったく、気を付けろよ!
っていうか何でこの畑を売ろうなんてしたんだ?
また次の作物を育てなきゃいけないのに。」
「…………
実はね、もう農家を辞めようと思って……」
「えっ!?辞める……!?」