第126話 三十一歳の女がたった一人、取り残されたねぇ

文字数 798文字

 肌寒さに身震いして美香は眼が覚めた。慌てて起き上がったが、当然ながら、部屋には誰も居なかった。少しふらついたが、頭が少々痛むだけで、気分はそんなに悪くはなかった。美香は薄暗いキッチンで、冷蔵庫からミネラルウォーターを出して、ボトルのまま水を二口、三口飲んだ。喉を滑り落ちる冷たい水が、この上なく美味かった。
それから、徐に寝室に入って行った美香は、鏡台に向かって、自分の顔を覗き込んだ。少し顔に浮腫みが来ていた。
つまらぬことを言っちゃったな・・・ぼんやりとそう思った。
弟が一人前になったということか?結構なことじゃないか!それなのに、結婚式の日取りがどうの、身内がどうの、と下らないことを言ったものだ、と美香は思った。
 突然、美香は自己嫌悪に襲われた。
二人揃って、姉ちゃん有難う、とでも言ってくれると思っていたのか?馬鹿じゃないか、私は・・・小さい時に親代わりみたいなことをやったと言っても、弟は男である。一人前になればいずれ離れていくものである。今日がその日になったのかもしれない。それなら、あんな言い方をしないで黙って祝福してやれば良かったのだ。ひょっとして私は、あの智恵という娘に弟を持って行かれるのが淋しかったのではなかろうか、美香はそう思って、一瞬、はっとした。
「しかし、つまらないねぇ、生きるっていうことは・・・」
美香はふと、独り言を言った。身体を売ってまでして、あんな嫌やな思いまでして、生きる為に金を稼いで、それが何になると言うのだろう、美香は空しさに胸が塞がる思いがした。
三十一歳か・・・三十一の女がたった一人、取り残されたねぇ、と思った。
誰も居ない淋しい道に、ぽつんと一人で立っている自分の姿が見えた。その姿は此方に背を向けて、途方に暮れているようである。寂しさがひしと身体を締め付けて来て、美香は自分の胸を強く抱いた。そうしないと心のすすり泣きが外に洩れてしまいそうだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み