第92話 マンションには同棲する奈美がまだ寝ていた

文字数 909文字

 マンションに戻った遼司は直ぐに冷蔵庫から冷たいペットボトルを取り出して一気に水を飲んだ。それから気だるく隣の寝室へ入って行った。其処はエアコンが効いて心地良い空気が流れていたが、その中に鼻をつく女の体臭が篭ってもいた。女は未だベッドで眠りこけていた。
女はクラブのホステスで名を奈美と言った。
 二年ほど前、深夜に客や同輩と一緒に遼司の酒場へやって来た奈美が、客にしつこく絡まれたのを助けてやったのが契機だった。それから奈美は頻繁に遼司の店にやって来るようになり、いつしか二人は男と女の関係になった。
奈美は大学二年の二十歳の夏に、父親が事故に遭って半身不随になり働けなくなってしまった。母は父の介護に明け暮れ、六歳下の弟は未だ中学に入ったばかりだったので、奈美が大学を辞めて働きに出る他はなかった。一家四人の家計を助け、父の治療代を賄い、弟の学費の面倒を見る為には、大都会へ出て手っ取り早く稼げる夜の水商売に入って行くしかなかった。OLや店員の仕事では親子四人の生活費は賄えなかった。
 奈美は今、この街の歓楽街で一番の高級クラブに勤めている。二十一歳の時にスカウトされて、二十四歳の今では既に古参である。遼司と暮らすようになってからも奈美がそのクラブを辞めなかったのは、其処に長年居続けて居心地が良かったし、馴染みの常連客も大勢付いて店にも大事にされているからであった。奈美は、身持ちは硬かった。浮気をして来る様子は無かった。家を空けたことも無い。遼司が帰って来た時には、いつも奈美は眠っている。確たる証は無いが、何と無く、奈美が浮気はしていないだろうことは遼司には判る。
 だが、最近、奈美は、これまで小まめに熟して来た家事をあまりやらなくなった。時折、疲れて大儀そうな表情で、クラブへ出かける時刻までベッドで横たわっていたりする。
遼司は、奈美の気怠そうで疲れた様子を見ると気懸かりで、何度か尋ねてみたたこともある。
「何処か身体の具合でも悪いんじゃないのか?医者に診て貰ったらどうだ?」
「大丈夫よ、何とも無いったら」
何時も奈美はそう答えるだけだった。
要らぬ干渉とお節介は嫌がられる、と遼司は、それ以上は踏み込まなかった。
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