第60話 「もうこれっ切りにしましょ!」

文字数 1,850文字

 そうして年が変わり一月が過ぎて、早や三月の桃の節句を迎えた。
麗奈が突然に言った。
「わたし、故郷の徳島へ帰るわ」
「えっ?どうして又、急に?」
「母校の高校で歴史の先生をやることに決まったの」
「どういうこと?」
「わたし、もともと教師志望だったの、高校の。大学で教育課程は履修したし単位も取った。でも一昨年は公立高校の教師を目指して受験したけど落っこちちゃった。で、去年は併せて母校の教師も受けてみたら、これが運良く合格したってわけ」
「そうだったのか・・・然し、何で教師になりたかったんだ?」
「本格的に教師になりたいと思い始めたのは高校に入ってからだった。担任の先生に刺激を受けたの。その先生の担当教科は日本史だったけど、正直、授業自体は解り易いものではなかった。けれど、その先生の熱心さに心惹かれたの。何よりもまず、私たち生徒のことを第一に考えてくれる先生だった。質問に対して一生懸命に考えてくれ、あの手この手を使ってどうにかして解り易く伝えようとしてくれた。ホームルーム・クラスでは校外授業での写真を教室に貼ってくれたり、ハロウィンの時にはかぼちゃの飾りを買って来てくれたり、クリスマスの季節にはクリスマスツリーを飾ってくれたりもした。私の高校は進学校だったので、高校一年生からもう本格的な受験勉強よね。担任の先生が色々と教室の雰囲気を工夫してくれたことによってみんな楽しい気持ちで学校生活を送ることが出来たの。先生の誕生日には、クラスのみんなで一人一ページずつノートにメッセージを書いてプレゼントをしたし、先生の結婚式に私たちからのプレゼントであるそのノートが飾られていたの。それを見た校長先生が“あなたは生徒からとても愛されているのですね”と仰ったらしいのね。その時、先生が“私の自慢の生徒たちです”と言ってくれたそうで、その話を聞いたとき、わたしは涙が出そうになるほど嬉しくなったことを今でも覚えているわ。私たちが「自慢の生徒」と言って貰えたことよりも、担任の先生が“みんなから愛されている”と言われたことが嬉しかったのね。そう感じたクラスメイトは凄く多かったし、自分ではなく、自分の周りの人が褒められてこれほど嬉しかったことはそれまで無かった。それほど、その先生を慕っていたのよね。自分がどれほどその先生を好きなのかを実感した時、私もこんな人になりたい、みんなに愛される先生になりたい、そう思ったの」
「そうか・・・良い話だね」
「まあ、これが、私が教師を目指す理由です。とても簡単な理由かも知れないけれど、この先生に影響を受けたことは間違いないし、この先生に出会っていなかったら、これほど真剣に教師を目指すことはなかったかも知れない。私の目標は、この担任の先生なの。いつかこの先生を超えられるような人になりたい、そんな人間になり、みんなに愛される、生徒に夢を与えられる教師になって、そして、この先生に感謝の気持ちを伝えることがわたしの将来の目標なの」
「偉いね、君は・・・」

 麗奈は四月一日からの高校赴任に間に合うように三月の二十日で会社を辞めた。辞めて行く麗奈の送別会が、課長以下の人事課員が全員出席して賑々しく盛り上がって行われたが、別れ行く人を送る、と言う一抹の寂しさは拭いようも無かった。
「その辺まで送って行くよ」
健一がそう言って麗奈と肩を並べた。
麗奈の部屋へ上がると直ぐに二人は抱き合った。
「愈々これが最後ね」
麗奈は奔放に乱れた。自分を与え尽くし、健一を奪い尽くすかのような激しさだった。
長い交わりが終わった後、少し身を起こして健一が言った。
「君が徳島へ帰っても、俺たちの仲が切れる訳でもないだろう」
麗奈が余韻に眼を光らせながら健一を睨むようにして言った。
「私、独占欲が強くて嫉妬深いのよ」
「あ、そう」
健一は笑った。
「凄いやきもち焼きなの」
「誰だってそうだろう」
「特にそうなの」
麗奈が髪をかき上げながら続けた。
「もうこれっ切りにしましょ!」
「うん?」
「私、さそり座の女なの。直截的で奔放でうじうじしないの。徳島と京都の間で、顔も見えない、声も聞こえない遠距離恋愛なんて私には出来っこない、耐えられない」
さそり座の女は情熱的で一点熱中タイプ、浮気はせず独占欲が強く一途に愛情を注ぐ。揺るぎ無い信念を持って、他人の言うことを聞かず、頑固。
「だから、もうこれっ切り、最後にしましょう」
麗奈はそう言ってベッドから立ち上がりバスルームへ入って行った。
翌日、麗奈は京都を去り、健一の前から姿を消した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み