第100話 良美、煮しめを焚いて母親を偲ぶ

文字数 2,047文字

 良美は直ぐに正月の飾りつけにかかった。
先ずは鏡餅である。家にお迎えした歳の神の居場所、拠り所となるのが鏡餅であり、家の中で一番上座とされる場所に飾らなければいけない。良美は毎年、床の間に飾ることにしている。鏡餅が丸いのは「人の魂を模している」とされ、大小二つ重ねるのは「陰陽、月と日」を表して縁起が良いからである。従って、この飾り付けも二十九日と三十一日は避けなければならない。
玄関に飾るしめ飾りは、その家に神様をお迎えする準備が既に整っていることや神様の居場所が在ることを示すものであり、色々な縁起物の植物が一緒に飾られる。子孫繁栄のゆずり葉、家運隆盛・子孫継続の橙の実、不老長寿・誠実・清廉潔白を象徴するうら白の葉、などがそれである。
 
 飾り付けを終えた良美は煮しめ物の具材を洗って刻み始めた。
材料は里芋、牛蒡、筍、蒟蒻、蓮根、人参、干し椎茸、きぬさやなどであった。
 先ず、里芋は六角に皮を剥き、塩で揉んでぬめりを取る。筍は一口大に切って白いあくを水で流す。牛蒡は洗って皮をこそげ取り、乱切りにする。蓮根は輪切りにして花形に切る。牛蒡と蓮根はそれぞれ暫く水に浸けて置いた。蒟蒻は塩で揉み洗いし、真中に切り目を入れて手綱の形にする。干し椎茸はぬるま湯で戻し亀甲型に切る。人参は輪切りにして梅花の形に飾り切りする。
 次に、里芋、筍、蒟蒻を鍋に入れて下茹でし、笊に上げて水を切っておく。
それから、大きめの鍋に塩以外の調味料と下茹でした具材を入れて一煮立ちさせる。その後、落し蓋をして弱火で二、三十分ほどじっくり煮込む。煮物は味付けが難しいので、良美は市販の白だしをいつも使う。白だしは具材の色を染めずに煮込める為、見た目が鮮やかなままに深い味わいに仕上げることが出来る。
煮込んでいる間に、きぬさやの筋を取った。これは盛り付けを彩り良くする為である。
 鍋をコンロにかけた頃には日は既に沈んで外は暗くなっていた。後は鍋の煮しめが煮上がり、百貨店へ注文したおせち料理の三段重が大晦日の夕刻に届けば迎春準備は粗方が整う。良美はダイニング・キッチンの食卓の椅子に座ってホッと一息ついた。

 良美は毎年、煮しめを作る段になると、母親のことを思い出して胸がきゅんとなる。
高校生の頃だった。長い間キッチンに立って調理をしている母親に聞いたことがあった。
「ねえ、どうしてこんなに沢山の物を一杯入れるの?何か意味でもあるの?具材に」
「そうよ、ちゃんと一つ一つに意味が有るのよ」
そう言って母親が詳しく教えてくれた。
「“煮しめ”って言う名前の由来は、煮汁が無くなるまで時間をかけてじっくり煮るという調理法の“煮しめる”から来ているの。おせち料理の元祖とも言われていて、お正月は勿論、お祝い事や節句など、人がたくさん集まる時に振舞われる縁起の良い料理なのよ」
更に母親は続けて説明した。
「根菜類や蒟蒻、鶏肉、椎茸など色々な食材を一つの鍋で煮ることから、家族が仲良く一緒に結ばれ、末永く繁盛しますように、って言う願いが込められているの」
入っている食材の一つ一つにもそれぞれ意味が有るのだと母親は言った。
「里芋は、種芋に沢山の子芋が付くことから、子宝に恵まれますようにと言う願いが込められているし、里芋の一種である“八つ頭”は子宝や子孫繁栄の意味の他にも“八”に末広がりの意味を懸けて、縁起の良い食べ物として使われるの」
「へえ~そうなんだ」
「牛蒡は、地中深くまでじっくりと根を張る野菜なので、其処から転じて、家族や家業の土台が安定し、その土地に根を張って末永く繁栄するようにと言う意味が込められているわ」
「たたき牛蒡と言うのも有るじゃない?」
「それはね、豊作を象徴する瑞鳥に似ていることから豊作豊穣の意味が有るのね」
先を見通せるように願う蓮根、「富貴」とも書く蕗は生活の豊かさを願うもの、長寿の縁起物である亀に見立てる椎茸、目出度い梅に見立てる人参は梅花の形に飾切りして「ねじり梅」とも言う。真中が捩れた蒟蒻は手綱に似ていることから「手綱蒟蒻」と言われ、結び目と縁結びを懸けて良縁や夫婦円満の縁起物として用いられるし、武家社会の名残から手綱を引き締めるように心を引き締めて己を戒めると言う意味もある。
「この“くわい”は冬野菜の一つで、大きな芽が出ることから出世の願いが込められているの。芽が出る、芽出度い、から縁起物として用いられるのよ」
旬の食材や山の幸をたっぷりと使って作る煮しめは、日本古来から伝わる家庭料理の一つだ、と母親は言った。
良美は胸の中で「お母さん」と呼びかけていた。
 残るは“にらみ鯛”だけである。
まるまる一匹買って来た鯛の内臓と鱗を取除き、胴に三、四本の飾り包丁を入れて塩をまぶし、鰭と尾っぽには沢山の塩をつけて焦げ落ちないように注意しながらガスオーブンレンジで焼いた。。何せ縁起物として三が日は、毎回食膳には出すものの、箸をつけずに飾って置くものである。睨むだけで箸をつけないから“にらみ鯛”と言うのだった。
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