第41話 早希と理恵は高校時代からの親友だった 

文字数 2,255文字

 三月末の大安の夜で、成田空港のロビーは新婚旅行への旅立ちで賑わっていた。
「また、後輩に先を越されたわね」
早希と並んでロビーの椅子に腰かけていた理恵が不機嫌に呟いた。
二人は高校時代からの親友であった。大学も同じであったが、理恵は卒業と同時に新聞社へ勤め、今はファッション専門の編集に携わっている。三十二歳であるが、早希同様に未だに独身であった。マスコミで生きている所為で舌鋒は鋭いが、腹の中はあっけらかんとして涙脆い。
新婦が早希たちの処へ挨拶にやって来た。
「今日はお忙しいところを、わざわざ有難うございました」
「愉しい旅行を、ね」
新婦は手を振りながら遠ざかり、通関の階段を新郎と連れだって降りて行った。
空港での見送りは呆気無く終わった。
理恵が腰を上げ、早希も彼女の後に従った。
「お茶でも喫んで行こうよ」
「そうね」
ティールームの隅に二人は腰を下ろした。
「あなた、あれから、恋愛をしたこと、有るの?」
ちょっと考え込んでいた理恵が、不意に、悪戯っぽく笑いながら早希に訊いた。
「恋愛?」
「そう、フィアンセを亡くした後よ。あの後、男に言い寄られたことは無いの?」
「無いわよ」
「だったら、今から男友達でも作って恋をしたらどう?そうでもないと、あなた、このままでは直ぐに老けちゃうわよ」
「相手が居ないわよ」
「その気になれば出来るものよ。あなたの場合、二十代は、中半は浩介さんに夢中だったし、終半はその亡骸にしがみ付いて居たから、他の男なんて目に入らなかったでしょう。恐らく、男の方でも声をかける隙が無かったんじゃないの?」
その時、ティールームの入口に一人の男が立って店内を見回した。
何処かで観たことがある顔だと早希は思ったが、愕いたことに、理恵が男に向かって手を挙げた。
「此処よ!」
男が近づいて来て理恵の隣に腰掛けた。
「紹介するわ、細川崇さん。新劇俳優だけど、テレビにも出ているから、早希も知っているでしょう?」
番組の名前を言われて早希は頷いた。道理で、何処かで観た顔だと思った訳である。
「私の親友の笹本早希さん」
細川が眼元に微笑を湛えた。
「今日はお知合いの方の結婚式だったそうで、何はともあれ、お疲れさまでした」
話す声の響きがテレビで訊いた声と同じだった。
理恵が本音とも取れる感想を漏らした。
「結婚式もこの歳になると心が浮き立つことも無く、何か複雑な気分なのよね・・・それより、あなた、コーヒー、飲む?」
細川が、否、と言うように首を横に振った。
「東京へ帰ってから飲みましょうよ」
理恵と早希を待たせておいて、細川は駐車場から車を出して来た。洒落た欧州車だった。細川が後部のドアを開けて、女性二人を乗せた。
「あなた、前でなくて良いの?」
早希がそっと囁いたが、理恵は含み笑いを貌に滲ませただけで、何も言わなかった。
道路は暗く、空いていた。
東京からの長い道程を、彼は、わざわざ理恵を迎える為だけに、車を飛ばして来たのだろうか?とすれば、二人の仲は相当に格別なものと考えなければならない・・・
これまで、理恵の口から彼の名前を聞いたことは無かった。尤も、ここ暫く、理恵とは電話で話しただけで、直接逢うのは久し振りであった。
「早希はね、喫茶店を経営しているのよ。彼女の店、コーヒーがとても美味しいの」
後部座席から理恵が細川に言った。
「じゃ、今から行きましょうか?」
「残念でした。十時で閉店。第一、今日はお休みなの」
理恵の言う通り、今日は臨時休業だった。
「わたし、適当な処で降ろして貰えれば、タクシーで帰るから」
二人の邪魔になるような気がして早希がそう言うと、理恵が愉快そうに笑い飛ばした。
「何、僻んでいるの、ちゃんとマンションまで送るわよ」
細川もちょっと振り向いて、言った。
「ご心配無く、僕は車の運転は大好きですから」
一日の疲れが出て、早希はクッションに凭れて眼を閉じた。その方が、理恵が細川と話し易いだろうと思ったのだが、理恵はあまり口を利かず、時折、細川の世間話に鬱としそうな返事をした。
成田空港から青山まで凡そ一時間半ほどだった。
「良いマンションですね」
早希を降ろしながら細川は十一階建てのマンションを見上げた。

やがて、一週間が経って、隣家のソメイヨシノは満開になった。そんな時、細川が早希の喫茶店へ顔を出した。
早希が慌てて先日の礼を言うと、彼は照れ臭そうに微笑った。
「旨いコーヒーを一杯、飲ませて貰おうと思って・・・」
店の客の何人かが細川の顔を知っていて、小声で彼の名前を囁き合った。そんな雰囲気の中で居心地が悪かったのか、細川はコーヒーを飲むと、早々に、店を出て行った。
その翌日、理恵が店へあたふたとやって来た。
「細川さんが来たでしょう?」
店へ入るなり、いきなり言った。
「何か、言っていた?」
「別に何も。お店のお客が細川さんを知っていて、振り返って見たりするから、不愉快だったのか、直ぐお帰りになったわ」
理恵の訊き方が、いつもより剣が在るようだった。畳み込んだ喋り方をするのは彼女の癖であるが、語気に嫌なものが感じられた。普段の理恵には無いことであった。
 もう来ないだろう、と思ったのに、細川は、屡々、早希の喫茶店へやって来た。一人の時も在れば俳優仲間と一緒のこともあった。コーヒーを、旨い、と褒めてくれたが、時にはペパーミントやカモミールのお茶も飲んだ。
「撮影で夜明けまでかかった」と言い乍ら開店早々に飛び込んで来て、トーストとコーヒーで朝食を摂ることもあった。
「ロケで旅に出た」と言って土地の名産を持って来ることもあった。
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