第24話 「あたし、初めてなの」 

文字数 2,077文字

 喉が乾き切っていた。
二人は大通りに在る蕎麦屋に入ってかき氷の氷いちごを注文した。
「氷いちごは、今はフラッペって言うのよ」
その氷いちごが運ばれて来た。
 二人は白い雪を崩し、赤い雪に掻き混ぜ、それを口に運んだ。だが、氷水を飲みながら淳一も美穂も次第に口数が少なくなっていった。二人の脳裏には、先刻見た卑猥な踊りやエロティックなお面、縮みのシャツの老人が語った猥雑な話が鮮明に蘇えっていた。躰の奥で何かが蠢き、何かが熱く火照っていた。何かに突き動かされる気配が在った。
 淳一が氷水を飲み終えた時、美穂が未だ半分ほど残っている赤い水を横に押しやりながら語り掛けた。
「ねえ・・・」
そう切り出すだけで美穂の心は溶け出しかけて来た。未体験であるにも係らず、否、未体験であるからこそイマジネーションが浮遊して、好きな男の腕の中で一糸纏わぬ心と躰を解き放って忘我する未だ見ぬ甘美な魅惑に蕩けかけたのである。
彼女の声の調子は今までとはすっかり変わっていたが、淳一は気付かなかった。
彼は「えっ?」いう表情で美穂の顔を見た。
「ねえ、先ほどのことだけど・・・」
次にどう言おうかと美穂が迷っていると、淳一が言葉を受けた。
「うん、解かっている、解っているよ」
「?」
「うん、図書館へ戻ろう」
「バカ!」
美穂は思わず叫んだ。溶けかかった心がピンとした。
淳一はきょとんとしている。
 美穂は、今度は少し小さな声で優しく言った。彼女の心はまた溶け出しかかって来た。
「そうじゃなくて・・・あなた、先ほど言ったでしょう、ほら・・・あのことだったら、あたしは良いのよ・・・」
「・・・・・?」
「行きましょう、あなたの部屋へ」
淳一は驚いて美穂を見詰めた。
白く華やかな美穂の顔が照れ臭そうに微笑った。
淳一は興奮してどぎまぎしながら、大きな声で店の者に言った。
「お勘定、幾らですか?」
 蕎麦屋を出ると、日盛りの道で二人はごく自然に手を繋いだ。手を繋いで歩くのは初めてではなかったが、今は、淳一の手の中の美穂の手の、小ささも柔らかさも湿り具合も、一つ一つがこれから行うことの露わな象徴であった。
だが、部屋へ帰り着くと、美穂は躰を強張らせて小声で話し、壁に寄りかかるようにして立った。つい先ほど迄の快活な感じはすっかり失せて、まるで別人のようになっていた。
淳一は何か気の利いたことを言おうとしたが、言葉が思い浮かばなかったので、バスルームのドアを指差した。美穂の後姿が暗い浴室へ消えた。
 シャワーを浴びた淳一がいつものパジャマを着て寝室へ入って行くと、美穂はベッドに腰掛けて居て、上衣を脱ぎかけた淳一に、まるで秘密を打ち明けるかのように言った。
「あたし、初めてなの」
「うん、僕も経験豊かな訳じゃない」
淳一は美穂をベッドに倒して唇を押し宛てた。新しいシーツの上でのことは、淳一が思っていた以上にスムーズに運んだ。
淳一は美穂の躰に覆い被さり、草花のように優しい肉体が自分の四肢の下に温かく息づいているのを快く感じた。美穂がそれに応えるように頬を寄せた。
淳一は力強く突き進んだ。美穂は淳一の躰の中で可愛い小鳥が救いを求めるように彼の胴にしがみ付いた。
二人は励まし合うようにゆっくり時間をかけて行為を進めた。そして、美穂の黒い恥毛が汗に濡れていることに気付いた淳一は突然に興奮を覚え、遮二無二奮い立った。押しては退き、引いては押す激しい繰り返しの中で淳一の男が起ち上り、悶え捩れて、男の蜜が白い紐となって猛々しく淳一の中を駆け巡り、彼は「うう~っ!」と呻いて仰け反った。その時、美穂も眉を顰めて顔を歪め、身を捩って藻掻き、笛のような声を挙げて躰を痙攣させた。
「ああっ!電撃が、走った!」
 
 翌日の朝、淳一はいつもの時刻に図書館の閲覧室にやって来て、本を読み始めた。暫くすると、そっと美穂が現れた。二人は、表面上は読書の喜びを表しつつ、実のところは互いを又ベッドに誘っているのだった。
二人は逢う度に抱き合う訳ではなかったが、抱き合いたい時には表情や仕草や短い言葉でそれと判った。
美穂は照れ臭そうに微笑みながら淳一を誘った。
「ねえ・・・」
淳一は美穂の顔を見詰めて肩を抱いた。
「なあ・・・」
互いに以心伝心・・・
 美穂と淳一の二人は気楽にのんびりと男と女の交際を愉しんでいる心算だった。つい一月前の二人は何の疑いも無く簡潔明瞭にそう言うことが出来たのだが、ベッド・タイムを共にするようになってから少し様子が変わって来ていた。それまでの軽やかな二人の間柄が些か真面目で心に纏わり付く関係に変質して来たようだった。無論、それで二人の間柄が具体的にどう変わったと言うことはなかったし、相変わらず土日祝日などの休日には図書館で顔を合わせ、本を読み、愉しいベッドプレイを怠らなかった。だが、何かが少し違っていた。二人の心が一歩深くしがらみ出して、その分、互いの心を捉まえ難くなったようだった。それは、二人の関係に於いて、相手の心をしっかり掴むことが出来ないと言う、将に古典的な恋の初相の悩みに二人して落ち込んでしまったのかも知れなかった。
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