第33話 二人の心が一つに重なった瞬間だった

文字数 1,364文字

 案内されたのは、黒い大きな冠木門の中に駐車場が拡がり、その先に古民家風の平屋が建つ純和風の店だった。格子戸の入口には「うどん会席の店 つる幸」と記された小さな看板が架かっていた。
 引き戸を引いて中に入ると、三和土の奥の板の間に和服の女性が立って笑顔で迎えてくれた。
「いらっしゃいませ」
 導かれた小部屋には天井からオレンジ色の照明がひとつポツンと吊り下がっていた。古い昔の家の居間のような雰囲気に、宏一は安らぎと落ち着きを覚えた。
「お酒は呑みますか?」
「はい、少しなら・・・」
「じゃあ、僕は日本酒を熱燗で」
「私は白ワインのグラスを一杯だけ」
料理はこの店自慢の「ミニ寄せ鍋」二人分を美千代が注文した。
最初に、運ばれて来た食前酒で乾杯をして、二人のディナーが始まった。
「美味しい!」
「うん、旨い!」
鍋をつつきながら美千代が訊ねた。
「お母様のその後は如何ですか?」
「えっ、母のこと、知っていたんですか?」
「はい、少しだけ・・・」
「知っていて僕と交際ってくれたんですか?」
「ええ、まあ・・・」
宏一の胸に熱いものが込み上げて来た。
「お蔭さまで大分、癒くなって来ています。親父が一生懸命に介護し、僕が家に戻り、妹が結婚を先延ばしたりして、何年振りかで一家が全員で暮らすようになって母も気持が落ち着いたのだと思います。やっぱり家庭というのは大事なんだとつくづく思いました」
「そうですか、それは何よりですね」
宏一の盃が空いているのも見て、美千代が、どうぞ、と酌をした。
「わたし、この春に、大学時代から親しかった友人を亡くしたんです。彼女には婚約者がいて結納も済ませ挙式の日取りも決まっていたのですが、建築技師だった相手の方が、突然、現場の事故で亡くなられたんです。彼女は身を捩って泣きに泣きました。それから、もぬけの殻になって、活力も気力も無くし、自宅に引き籠ってしまいました。そして、相手の人の三回忌法要が終わった今年の春に自ら命を絶ちました。最愛の婚約者を失ったことが致命傷になったんです」
「そうですか。そんな哀しい、痛々しいことがあったんですか」
「彼女の葬儀に参列しその遺影をじっと見つめながら、私、思ったんです。私にもこれまで幾つかの恋愛経験はありました、が、別れて致命傷になるほどの人には出逢いませんでした。否、違うんです。私がそこまで、去られて致命的な痛手を受ける程にまで深く相手の人を愛してはいなかったんです。それを悟った時、もう一度、真剣に真摯に生き直さなければ、と思いました。婚活を始めたのはそれからです」
 人を愛し結婚し、家族となって家庭を作り、寄り添い合い支え合って生きて行く、それにはそれなりの覚悟が要るんだ、と美千代が言っているように宏一には思われた。
 テーブルナプキンを取ろうと延ばした美千代の手に、宏一は自分の掌をそっと重ねて力を込めた。美千代は恥ずかしそうな微笑いを見せ、それから、さり気なく引いた手で耳の後ろへ髪をかき上げて熱いうどんを啜った。その姿をじっと見詰める宏一の胸に温かいものがじわ~っと拡がった。二人の心が一つに重なった瞬間だった。
ハンドマッサージをしてくれたり、母親のことを気に懸けてくれたり、飾り気無くうどん啜ったりする美千代の姿を見て、宏一は今、彼女なら互いに大事にし合えるだろう、と思った。
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