第107話 「面白い所が有るわよ、行ってみない?」

文字数 1,214文字

 それは中学二年生の春だった。
「面白い所が有るわよ、行ってみない?」
昼休みが終わって教室へ戻る、どさくさ紛れの素早い耳打ちだった。聡亮がきょとんとしている間に香織はもう仲間の女生徒達と一緒に教室へ入って行った。
 聡亮と香織は小学校からの仲の良いクラスメイトだった。香織は眼のくるりと大きい色白の可愛い貌で、勉強も良く出来た。だが、中学生になった二人はそれまでろくに口を利いたことも無かった。聡亮も香織も、思春期になって、急に相手が他人に見え、それを何と無く意識して照れ臭くもあったし、眩しくもあった。
 聡亮は香織の誘いが意外だった。香織はその後、耳打ちしたことなど忘れたかのように素知らぬ態で振る舞っていた。帰り際になって、彼女は「落とし物よ」と言って丸めた紙切れを聡亮の手に渡した。紙切れには空き家の場所が書かれていた。家に帰ると聡亮は直ぐに私服に着替えて空き家へ急いだ。好奇心に駆られても居たが、何しろ、女の子からの誘いである。心が浮き立っていた。
 
 空き家は袋小路の奥に在って表通りからは眼につき難かった。
聡亮が空き家の庭に忍び込むと、古びた母屋の前に古びた物置小屋が在った。庭は荒れ放題で雑草が生い茂り、今が盛りの花々も野生の花のように猛々しかった。
 空き家の母屋は玄関にも窓にも板が打ち着けられていた。が、物置小屋の方には板は打ち着けられておらず、物置にしては大きな中二階の小屋だった。階下には窓は無かったが、中二階には小さな南向きの窓があり、日の光が窓ガラスにきらきらと反射していた。香織は先に来て物置小屋の前で待って居た。
 聡亮は物置小屋に近寄って戸を開けた。中二階の窓には陽が当たっていたが、戸口からは陽が差し込まず、内部は仄暗くて黴臭かった。
 正面に中二階へ上る短い梯子があった。香織が先に立って梯子を上った。上部を固定した梯子であったが、殆ど垂直に架けられていた。彼女に続いて聡亮が上ると、短いスカートの裾からパンティが覗き、彼の心は落ち着きを失ってどぎまぎした。香織は手足の長い女の子であったが、太腿は思いがけぬほど肉付きが良かった。
 上へ上がると、いつの間にか香織がきっちりと聡亮の手を握っていた。女の子と手を握り合うのは幼稚園に通っていた頃以来であった。否、その頃は、正確には、手を握り合っていたとは言えない。だから、香織の手を感じた瞬間、聡亮は爪先から肩まで棒のようにしゃちこばって、身動き出来なくなった。彼女の手は冷たく汗ばんでいた。それから、香織は聡亮の顔をじっと見上げて、不意にその唇にチュッと触れた。それはまろやかな少女の唇だった。 
もしもその時、手を繋ぎ合い、唇を触れ合わなければ、聡亮は二度と空き家へは行かなかったかも知れない。それから二人は、その空き家の物置小屋で頻繁に逢うようになり、急速に親しさを取り戻して行った。物置小屋は、二人にとって、奥深い森の中の眩い城みたいな存在になった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み