第59話 斉木麗奈は相田健一と同じ人事課に配属されて来た

文字数 2,100文字

 斉木麗奈は相田健一が入社した二年後に同じ人事課に配属されて来た。健一の真向かいにデスクの席を与えられた麗奈は、程無く、健一とペアで仕事を行うことになった。
健一は教え導くなどと言う大それた考えは持たなかった。信頼される頼りになる先輩として振る舞うことを心掛けた。それは上から目線の強圧的なやり方ではなく、麗奈が示す疑問や質問には丁寧に答えて教え、麗奈の自主性と主体性を重んじる導き方だった。麗奈にはやらされる強制的な思いは無く、自ら進んで自主的に仕事に挑むことの面白さを彼女は次第に味わえるようになって行った。

 だが、入社三カ月後の新人フォロー研修で麗奈が失態を犯した。
それは二泊三日の合宿研修で、関西地区の新人達を集めて、京都嵐山の小さな日本旅館を借り切って行われた。
 合宿二日目の夜、夕食後の自由時間に新人達は連れ立って散策に出向いたが、市内の繁華街へ出かけた麗奈たち三人は門限時刻の十一時を過ぎても戻って来なかった。監督官として研修を取り仕切っていた健一は旅館玄関口の上がり框に腰掛けて麗奈たちが戻るのを一人待ち続けた。
門限時刻が一時間ほど過ぎた十二時前になって麗奈たちは帰って来た。玄関の引き戸を開けて三和土に立った三人は、其処に健一が腕を組んで座っているのを見て顔色を変えた。麗奈の他に男子一人と女子一人の同期生だった。彼等は何も言わず一斉に頭を低く垂れて畏まった。健一は取り立てて叱責はしなかった。ただ一言、こう言った。
「君たちが帰って来るまでの間、皆は心配顔で碌に話もせず、僕の横で立ったり座ったりして待って居たんだ。そのことだけは肝に銘じて置くんだな!」
 翌日、普段の仕事に戻った健一は係長に研修報告をする為に席を立った時、麗奈にも声を掛けた。
「さあ、一緒に行こう。君も研修担当者としての報告義務が有るだろうから、な」
報告の中には、当然のことながら、門限遅れの件も入れざるを得なかった。最後にそれを報告した後、健一は言った。
「責任は全て私に在ります。斉木君にも人事課員としての自覚の欠如があったかもしれませんが、然し、彼女は未だ入社三か月の新人です。門限時刻を徹底しなかった私の責任です。叱責は全て私がお受け致します」
話す健一の横顔を見ながら、麗奈は泣きたいくらいに胸が震えた。
 その日から、麗奈は健一に全幅の信頼を寄せるようになり、若い二人は急速に親しくなって行った。
 
 十二月の中頃だった。健一が麗奈に訊ねた。
「今年のクリスマスはもう予定を決めてあるのか?」
「特には未だ決めていないけど、学生時代の友達と逢えたら良いな、って思っているわ」
「それなら僕と一緒に過ごさないか?京都には素晴らしいクリスマススポットが幾つも在るからね」
 イブの晩に健一が麗奈を伴ったのは京都駅ビルのクリスマス・イルミネーションだった。
駅前広場からが既にときめきのイルミネーション・スクエアだった。光と音の演出で広場をクリスマスムード一色に染めていた。心に響く音楽と演出のスローガンは「感謝」と「未来」を表現したものだった。
「凄いわね、素晴らしい眺めだわ!」
「此処は京都のクリスマス・イルミネーションでランキング一位に選ばれている最高のスポットなんだよ」
 それから健一はイブの夜に相応しいディナーに麗奈を誘った。
それは駅ビルホテルの最上階、夜空が煌めく十五階のスタイリッシュなビュー・ダイニングで、豪華食材が特別な表情を見せている京キュイジーヌ・ディナーだった。
ディナーが後半にさしかかった辺りからライブ演奏がスタートし、珠玉のクリスマスソングが二人の気分をロマンチックに盛り上げた。
 健一が演出したクリスマス・イブの最後の締め括りは、大人の為の隠れ家風カクテルバーだった。都会の喧騒を忘れ、バーテンダー熟練の技によって生み出されたカクテルが二人を至福の時へと誘った。健一は柿のミモザを、麗奈は苺のシャンパンカクテルをそれぞれ注文し、フードはビーフジャーキーとミックスナッツを分け合って摘まんだ。
これまでに無いイブの夜を心行くまで十分に満喫した二人は、タクシーに同乗して京都駅ビルを後にした。
 川端四条のマンション前でタクシーを降りた麗奈が健一に言った。
「モンクのCDが手に入ったの。どう?ちょっと寄って聴いて行かない?」
「えっ、良いのか?」
「うん」
麗奈の部屋に上がった二人は横長のソファーに並んで腰かけて、モンクのCDに耳を傾けた。暫くして、麗奈が首を傾げて健一の肩に頭を乗せた。
短い沈黙があった。
健一が麗奈を見詰め、その肩に手を回した。麗奈は照れ臭そうに微笑ったが、直ぐに真顔になって顎を上げた。眼が訴え、唇が赤く膨らんでいた。健一は軽く唇に触れ、それから強く抱き締めた。麗奈は眼を閉じて健一に身体を預け、二人は縺れるように崩れて重なり合った。CDはモンクのジャズをムーディーに奏でていた。
 一度抱き合ってしまうとそれがデートの習慣になる。逢う度に抱き合う訳ではなかったが、それは以心伝心、コーヒーを飲んで居ても一緒に街を歩いていても、お互いが求め合う時は、その態度や素振り、顔の表情や眼の色で判った。
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