第29話 慎一、キャサリンと出逢う 

文字数 1,655文字

 それは広岡慎一がニューヨーク支社に勤めて二年目の、アメリカ独立記念日のことだった。
支社長が徐に彼に命じた。
「今日はこれから、この街の名士が集うパーティーに出席する。君も後学の為に一緒に来給え」
支社長専用のベンツに乗り込んでマンハッタンから北へ一時間ほど走ると、美しい邸宅や歴史的建造物が建ち並ぶ古き良きアメリカの面影が残るハドソン渓谷沿いの町「スリーピーホロウ」に到着した。
 門を潜って玄関へ、と思いきや、邸宅は見えなかった。緑の綺麗なゴルフコースと遠くにプレイハウスが現れ、丘の上までくねくね上って行くと漸く屋敷が見えて来た。正面にはハドソン渓谷を見下ろすように噴水と彫刻がド~ンと構えて在った。
 パーティーの行われている大きな部屋へ入って行くと、大勢の人が居た。支社長たちは直ぐに知り合い客と握手をしたりハグをし合ったりして談笑し始めた。慎一は暫く彼らの傍でその様子を窺っていたが、やがて、奥の方に見えるダイニング・バーへ向かって歩き出した。
バーにも数多くの先客が居た。
慎一は行き交ったウエイターに声を掛けてシャンパンをワングラス頼んだ。彼は立ったまま、運ばれて来たグラスを飲み干した。
 バーを後にした真一は庭へ出て見た。隣の建物はカジノのようだった。
中へ入るとルーレットやゲームテーブル、スロットマシーンやゲームマシンなどが在り、奥にはビリヤードの台も在った。慎一は学生時代に少し手掛けた懐かしさを思い起こして、立て掛けて在ったキューの一本に手を触れた。
「其処で何をなさっているの?」
不意に背後から声を掛けられてハッと愕き、振り返った彼の視線の先に一人の若い女性が立っていた。
「済みません、勝手に入ってしまって・・・」
彼女は優しく微笑みを湛えて近付いて来た。
胸元の大きく開いた白いロングドレスが流れるように揺れた。
ブロンドの髪が肩先まで垂れ、蒼い眼には底深い光が宿って居た。
「あなたも、お見えになったお客様のお一人でしょうけど、退屈なさっていたようね」
「いえ、僕は別に・・・」
「いいのよ、私も、良い加減、うんざりしているのだから」
慎一が、それでは、と頭を下げて部屋を出ようとすると、彼女が呼び止めるように言った。
「あなた、日本の方のようね。商社の方とお見受けしましたけど、お名前は何とおっしゃるのかしら?」
「えっ?・・・いや、申し遅れました・・・」
彼は胸ポケットから名刺を取り出して手渡した。無論、英語で書かれた名刺だった。
受け取った彼女はゆっくりと確かめるように名前を口に出して読んだ。
「シンイチ・ヒロオカ さん?」
「そうです。宜しくお願い致します」
「私はキャサリン・スチュアートよ、宜しくね」
向けた笑顔がチャーミングだった。歳の頃は慎一と同じくらいか、一つ二つ上のようだった。
 その時、打ち上げ花火の炸裂音が高々と聞こえて来た。
「あっ、花火が始まるわ、行きましょう」
キャサリンはそう言って、何気無い風に、慎一の腕に自分の腕を絡めた。
花火は裏庭で打ち上げられた。行く途中で彼女が説明するように話した。
「独立記念日には全米各地で花火大会が催されるけれど、その中でも最も規模が大きいのは、此処ニューヨークで開催される花火大会なの。この花火大会では凡そ四万発の花火が打ち上げられ、それをマンハッタンの夜景と共に楽しむことが出来るのよ」
「その打ち上げ花火をこの屋敷の庭で観賞出来るなんてまるで夢のような話ですね」
慎一は感嘆仕切りの感想を述べた。
裏庭への道すがら、キャサリンが慎一の顔を覗き込むようにして言った。
「明日の晩、ディナーをご一緒して頂けないかしら?」
「えっ?」
慎一には思いも寄らぬ言葉だった。彼女が何を言っているのかよく判らなかった。だが、キャサリンの顔に微笑みは無かった。彼女は真剣そのものの表情をしていた。
「然し、僕たちは今、知り合ったばかりだし・・・」
「わたし、あなたのことをもっとよく知りたいの」
彼女はじい~っと慎一の貌を凝視した。
暫くしてから、慎一が答えた。
「解りました。お供しましょう」
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