第19話 ああ、やっぱり、住む世界が違ったぁ・・・ 

文字数 1,815文字

 パーティーは賑やかそのものだった。
麗子は何しろ理事長の娘である。大学や病院の関係者、学生時代の友人たち、テニスの仲間たち、チャリティー団体の人々などなど、大勢の招待客が所狭ましと詰めかけていた。唯、麗子の両親や家族の者は誰も姿を見せてはいなかった。
誕生日を祝うスピーチがあり、客達の取り留めない雑談があり、気に入った友人や互いに見知らぬ人たちの間で交わされる挨拶があり、その間にはロックバンドの演奏もあった。新しい女房と上手く行っていないと不満を訴える男が居たし、別れた男との打ち明け話をする女が居た。金利の低下と国の財政赤字を嘆き合っている赤ら顔の男たちや熱海が避暑地としては廃れてしまったと言う女たちも居た。
 ボリューム一杯に鳴る音楽が部屋を振動させていた。その広々としたフロアにパーティー用の紙帽子を被った男女が踊り狂い、踊っていない客同士が音楽のボリュームに負けない大声で怒鳴り合うように話していた。
 浩介は入口に近い壁に寄りかかって手持ち無沙汰に突っ立った。麗子は何処にも見当たらないし、其処に居る誰一人として知っている者は居なった。
酒と煙草が匂い、テーブルの上にはハムやチーズやローストビーフ、ポテトチップスやクラッカーや野菜サラダなどの摘みと幾種類ものディップ、それにバラ寿司や手巻きの寿司が並んでいた。例のパーティー帽やラッパも山積みされていた。
蠢く人の中に麗子の姿を求めて浩介が辺りを見渡した時、桜井祥子とばったり顔を突き合わせた。
「麗子!麗子!」
祥子が音楽のボリュームに負けまいと大声で叫んだ。
「桂木さんが、浩介さんが来ているわよ!」
祥子が手を振った。部屋の奥の方に麗子の姿が見えた。
麗子は胸の大きく開いた黒のドレスを身に纏い、短いスポーツ刈りの若い男と踊っていた。彼女は浩介の方を見て微笑しながら手を振ったが、そのまま踊り続けた。
祥子がバーの在る屋台の方へ歩き去り、浩介は踊る麗子をじっと見詰めていた。
彼女の肉体にはエネルギーと力が溢れ、その小さくて激しい動きは短いスポーツ刈りの若者さえ圧倒しているようだった。麗子を見つめながら、彼は喉が渇いて、胃の辺りに重々しいものを感じ始めた。自分の周りに居る者は、見渡す限り、固くて引き締まった肉体の若者ばかりに見えて来た。異世界へ入った浦島太郎のような感覚を浩介は憶えた。
 突然、音楽が止み、急に踊りを中断された男女が口々に文句を言い出した。
「何やっているんだよ!もう・・・」
音楽が変えられている間に、麗子が浩介の処へやって来た。
「ねえ、どう?最高のパーティーでしょう?」
そう言いながら彼女は浩介にハグし、テーブルの上の食べ物の山からワインを一本抜き取った。
浩介には彼女が酔っ払っていることが直ぐに解かった。足元はしっかりしていたが、もはや素面とは言えなかった。眼には薄い膜が掛かり、口元の微笑は固定したままピクリとも動かなかった。
麗子は飲みながら浩介に話した。
「ねえ、あなたのマンションのことだけど、あそこは少し模様替えをした方が良いんじゃない?だって、あなたの持っている物は暗くて地味で古ぼけちゃっているでしょう。何もかも、黒っぽくてヘビーで、ほら、あの本棚、あんなのはもう要らないでしょう?何処かに預けるか捨てたらどう?私の言いたいことが解かる?」
浩介は黙って肩を少し持ち上げ、両掌を開いて麗子の手を握った。その掌が濡れていた。
「それに、あなたの処、鏡が無いのよねぇ」
麗子はテーブル越しに自分の一寸強張った全身を鏡に映しながら言った。
「鏡が在ると部屋がう~んと明るくなるわ。広くも見えるし、あんな物、簡単に取り付けられるしね・・・」
人混みの中から短いスポーツ刈りの若い男が現れて、麗子の手を乱暴に掴むとダンスフロアに彼女を連れて行った。二人は話し乍ら、先刻よりももっと激しく踊り始めた。
 浩介は静かにドアの方へと後退りを始めた。そして、パナマ帽を手に取ると玄関から門まで一気に走り、あの孤独ながらも自由である自分のマンションへ帰って行った。
ああ、やっぱり、住む世界が違ったぁ・・・
浩介は思っていた。
生まれが違う、育ちが違う、環境が違う、立場が違う、身分が違う、当然ながら、価値観も違うだろう。二人は初めから不似合いだったんだ!・・・
彼はこれまで見ていた浮ついた夢から覚めて我に返り、自尊心と矜持を取り戻して、足を地に着けた現実の自分に戻って行ったのだった。
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